第三話 設営準備②
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日も暮れて今日の作業は終了となった。今日の分の給料を貰うと、ジンロは急いで帰り支度をする。
ジンロが懸念しているのは先ほど聞いた失踪事件の話だ。
なぜだか胸騒ぎがする、とにかく急いでイスカのもとに帰らなければ、そう思って仕事場を出ようとした時、ジンロを呼びとめる声がして振り返った。
「帰るのかい?スクラ君、だったよね?」
朗らかな笑みを浮かべた若い男がこちらに近づいてきた。
「あんたは、確か―――」
「ドレーフだよ。ドレーフ=ニコル。今日君と同じ支柱で作業していたんだ」
作業も二日目に入り、近くで作業していた人間なら多少顔も覚えた。確かこの男は自分のすぐ隣で作業をしていた。最初に軽く自己紹介をしただけで特に会話はしなかったが、
「仕事には慣れたかい?短い期間だけどせっかく同じ職場で働くんだし、よかったらこの後飲みにでも行かないか?」
ドレーフはねっとりとした口調でジンロにそう言った。がっしりした体格の男のわりに立ち居振る舞いが軟弱で妙に色めいているのを感じて、ジンロは無意識に男と距離を取ろうと後ずさる。
(そういえば作業中も妙にこいつに見られていた気がしたが……、もしかしてあれか……?)
ドレーフが撫でる様にジンロの肩に手を置いて来たので確信した、と同時に鳥肌が立った。
同性愛者。ごくたまに見かけるが、絡まれるのは初めてだ。ジンロは努めて冷静にドレーフの手を払うと、引きつりかけた顔を笑顔に戻す。ジンロにその気は無いがどんな相手でも数日は共に働く予定の同僚。波風は立てたくない。
「すみません、待っている奴がいるんで、今日は失礼します」
「待っている奴……、へえ、恋人?妬けちゃうな」
お前みたいな野郎に妬かれても嬉しくもなんともない、むしろイスカが穢されているみたいで不快もいいところだ。と声を大にして言いたいところを必死に抑え、なおも食い下がってくるドレーフを今度は乱暴に振り払う。それでもドレーフは諦めず後をついて来る。
「悪いが本当に急いでるんだ。誘いたいなら他をあたってくれ」
「そんな連れない事を言うなよ、スクラ君」
「―――っ、あのな、あんたいい加減に―――」
しつこすぎるにも程がある。そろそろジンロも我慢の限界だ。本気で一発殴ってやろうかと振り返って拳を振り上げて、そのまま停滞した。
振り向いた先のドレーフの目が怪しく光っていたからだ。比喩ではない、本来は黒いはずの目が紫と赤の煙がその眼球の中で揺蕩い、違う生き物のように蠢いていた。
(これは―――!?)
「ねえスクラ君。一緒に来てくれるだろう?」
にやりと勝ち誇った笑みを浮かべたドレーフは低い声で唸った。地鳴りの如く低く響く声。妖しく輝く目と紡かれる言葉。ジンロはこの類の物をよく知っている。
「……魅了の術か。どこで覚えた?」
ジンロは一転して怒りを抑え、ドレーフに向き直る。顔色一つ変えず近づいて来るジンロを見て、笑ったドレーフの顔が僅かに歪んだ。
「!? なっ、どうして―――」
「どうして効かないかって?俺がそういう存在だからだよ」
その視線でジンロが大人しくなると踏んでいたドレーフは、先ほどの余裕めいた態度から打って変わって狼狽し始めた。それに対しジンロの機嫌はますます降下していく。
「お前は運が悪いな。目を付けたのが俺以外なら成功しただろうに、よりによって加護の鳥にそれをやったのは愚か過ぎて逆に賞賛したくなる」
「な、何の事だ……、お前は、一体――」
一歩ずつ後退するドレーフに対しジンロは一歩ずつ距離を詰める。形勢は逆転し、今度はジンロがドレーフを追い詰める番だった。怒りを孕んだ声で脅す様にドレーフに語りかける。
「……気が変わった。お前と話がしたい」
「―――ひっ」
「その術は一般人には習得できないものだ。どうしてそれをお前が持っている?まさか行方不明云々っていうのもお前が――」
その瞬間、ドレーフは弾かれた様に踵を返し逃げ出した。常人とは思えない跳躍力、やはりそうだ、彼は――――術師だ。
「待て!!」
ジンロはその後を追う。ドレーフはすばしっこかったがジンロもただの人間ではない。サーカスの設営場所を少し出た袋小路で、ドレーフをあっさりと捕らえた。
恐ろしい形相で睨まれ壁際に追い詰められたドレーフはまるで蛇に睨まれた蛙のように縮こまり、か細い悲鳴を上げる。
「ま、待ってくれ!違うんだ!僕はただ仲良くしたくて―――」
「で、同性愛者のふりして設営の従業員に声かけてたわけだ。術は誰から授かった?お前は術師の家系か?目的は何だ?」
「―――!?な、なんで、お前術師の事知って……」
「言え、お前はその術をどこで手に入れた?言わないのなら―――」
ジンロが指の関節を鳴らすとドレーフはますます震えあがり、今にも失神しそうな程気を動転させている。
「ぼ、僕、僕はただ人を、人、人を―――」
もはや正気を保てなくなったドレーフは呂律が回っていない。しかし、わけのわからない言葉を紡いだ後、唐突に笑いだした。
「はははっ、僕、僕はただの駒だよ。代わりはいくらでも、い、いるんだ」
「んなことどうでもいい、いいから質問に―――」
「でも、こ、駒には、仲間を集める役割があ、あるんだ。そう、だから、駒がピンチな時はちゃんと仲間の駒が、助けてくれるんだ」
その時背後で複数の影が動いた。ジンロが振り返ると、そこにはドレーフと同じように目を怪しく光らせた虚ろな男たちが立っていた。生気を失くした操り人形、死人のような出で立ちの男たちが六人。
「なっ……!?」
「スクラ君、君はふりだって言ったけどそれは違うよ。僕は本当に君の事が好きになっちゃったんだ、だから声かけたんだよ。ほら、この人たちも同じだ。僕が誘って僕の事を好きにさせたんだ。だから僕がピンチの時に来てくれるんだよ!」
気色の悪い事を呟くと、ドレーフは立ち上がった。再び勢いを取り戻したドレーフ、後ろには彼の操り人形。じりじりと狭まる包囲網にジンロは舌打ちをした。
(……ふざけんじゃねえ)
囲まれている状況にも関わらず、ジンロは恐怖や焦りよりも怒りと嫌悪しか感じえなかった。一体全体どうしてこんな事になったのか。早くイスカの元へ帰らなければならないのに。
(ああ、でも失踪事件がこいつの仕業ならあいつは関係ないのか)
若い男の失踪事件と聞いて、真っ先に思い浮かんだ人物。彼女はこんな奴らを相手になどしないだろうから無関係だろう。犯人が彼女ではなくこいつらだった事に安心するべきなのだろうか?
(いや、それとこれとは関係ない。こいつらは俺の邪魔をしている)
ジンロに―――獣王に刃向かおうとしている。
その瞬間、ジンロの心臓がドクドクと鼓動を速めた。マグマの様に熱く煮えたぎった血液を全身に送り出す。ジンロが体内で沸々と怒りを湧きあがらせている間にも、ドレーフは下品な笑いを浮かべ、男連中は武器を構え距離を詰める。
ドレーフへの尋問もこれ以上は無意味だろう。元よりこの男の口からこれ以上何も聞きたくなかった。汚らわしい、こんな男の言う事など一分たりとも聞きたくない。
「今ならまだ間に合うよスクラ君。さあ、痛い目にあいたくなかったら、僕の言う事を――
「黙れ」
ジンロが低く唸った瞬間、ジンロの背に巨大な金の翼が出現した。翼が大きくなびき、ジンロを中心に強烈なかまいたちが発生する。本来人間に向けてやるようなものではないが、相手だって常人じゃない。それ以上にジンロは我を忘れるほどに苛立っていた。
「な!?なんだよ、それ……翼!?」
ドレーフはパクパクと口を開閉して腰を抜かしていた。だが、直後には何故か閃いたように目を見開き、そしてまた笑い出す。
「そうか……!そうか、そうか!お前があの……!」
「……?」
「はははっ、朗報だ!早く、早くあの方に―――お伝えしないと」
不快な笑いを浮かべるドレーフにジンロの怒りは頂点に達した。もうだめだ、これ以上は―――限界だ。
「死ね、下種が」
ジンロが指を振るとかまいたちが一斉にドレーフたちに襲い掛かる。ドレーフの笑い顔がそのまま目の前で細切れになった。残りの人形も、呪いで魅了され正気を失っているとはいえただの人間であった彼らは一瞬にしてそのかまいたちに切り刻まれ、悲鳴を上げる間もなく絶命していく。
かまいたちが血と肉の断片を巻き上げ、それらは路地の壁にべしゃりと音を立てて張り付いた。誰が誰の物かなどわからない。
ぐしゃり べしゃり
巻き起こるかまいたちの音に混じって不快な水音が聴こえては消えた。
かまいたちがおさまった時、辺り一面真っ赤な海になっていた。巻き上げられた血がボタボタと垂れ、『人間だったもの』が散乱している。壁も地面も真っ赤に染まり、ぷかぷかと肉片が浮かんでいる。唯一、血の一滴も被っていないジンロはその血の海の中心で茫然と立ち尽くしていた。ただ、周囲に散らばるものをまるで無機物でも見ているような目で見つめている。
もはや彼らに対する怒りは無かった。頭にあるのは久しぶりに人間を手にかけたな、という事実だけ。
辺りに血の匂いがたちこめる。そういえばここ数十年こんな事は無かった気がする。こんな場所に佇むのは久しぶりだ。
(そうだ、イスカと会ってからは一度もなかった)
脳裏に少女の顔が浮かんだ瞬間、ジンロの心臓が鉄の重りに変わった様に重くなった。我に返って、もう一度周囲を見回す。辺り一面血の海、先ほどまであれほどまでに憎悪していた人間の姿などどこにも見当たらない。あるのはただ、その残骸と血と、己だけ―――
「……!」
途端にジンロは吐きそうになって身体をくの字に折った。そして今自分の犯した所業を目の当たりにし嫌悪に襲われる。
おぞましい。一時の怒りにまかせて、人間をこんな風に殺めてしまうなんて。
狂っている。あの男たちよりもずっと自分は狂っている。
―――イスカ
少女の名前が浮かんだ。その事に更に嫌悪する。こんな時に彼女の事を思い出したくない。こんな醜い自分に想われるなんて、少女が可哀相だ。
「―――食べないの?せっかく調理したのに」
その時、嗚咽を漏らし苦痛に顔を歪めるジンロを嘲笑う声がした。ジンロをこれ以上に奈落の底に突き落とす、悪魔の声が。
ジンロは後ろを振り返る。そこには血だまりを愉しそうに眺める、一人の女の姿があった。その姿にジンロは今日一番の恐怖と絶望を味わうことになる。
―――これはないだろ、神様
碌に崇拝もしていないのに、神に向かって悪態をつく。だが、それくらい許して欲しい。それくらい最悪の気分だ。ジンロの最初の懸念は違う形で的中した。
「あんたが怒ってるとこ久しぶりに見たわ。相変わらずえげつない殺し方するじゃない、ジンロ?」
女は心底嬉しそうに笑っている。純真無垢な笑顔で、―――ジンロが仲間内の中で最も会いたくなかった女が笑っている。
「ねえ、食べないのなら食べていい?私お腹すいたの、こんなにあるなら頂戴よ」
「―――何しに来た。フィオナ」
虎の王、フィオナ=スペント。ジンロが最も会いたくなかった女、そしてイスカに決して会わせてはいけない女が、血の海の中で楽しそうに笑っていた。




