第二話 家庭教師①
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朝起きるとジンロはもう部屋にいなかった。昨晩言っていた通り仕事を探しに行ったのかもしれない。イスカはゆっくりと起き上がると、身支度を整えて階下に降りた。階下ではこじんまりとした食堂があり、宿屋の女将が宿泊客に簡単な朝食を用意してくれている。
「おはよう、お嬢ちゃん。お連れさんは朝早くに出て行ったよ」
愛想のよい女将がイスカを食堂の空いた一席に勧めると、パンとサラダにスープを運んできてくれた。予想通りジンロは朝早く仕事を探しに出かけたようで、彼女は親切にも教えてくれた。他の宿泊客はそのほとんどがすでに食事を済ませてしまったのか、食堂にはイスカを含め三人しかいない。後は食器を片すくらいしか仕事の無い女将は、積極的にこちらに話しかけてきた。
「あんた達副都から来たんだってね?祭りを見に来たの?」
「いえ……、巡礼の旅をしていまして。たまたま謝肉祭の時期と重なったので寄ったんです」
「そうなの?ひょっとして婚姻巡礼ってやつかしら?」
「……、えっと―――はい」
案の定ここでも夫婦に見られているようだが、以前ほどの動揺は無かった。女将も二三満足げに頷いただけで深く追求はしてこなかったので、イスカは心の中で胸をなでおろす。その後も女将は幾つかの質問を投げかけてきたが、イスカは当たり障りのない返答をした。
朝食を食べながら女将がこの宿の主人に嫁いできた時の話や、この町の話を聞いた。この宿はそこそこの老舗で町の事情にも精通しているらしい。
「そういえば、この町の仕事ってどんなものがあるんですか?」
「どんなって、そりゃ色々あるさ。今は祭りの期間中で街全体が浮かれ気分だけど仕事している奴はちゃんとしているよ」
あたしみたいにね、と女将は豪快に笑った。その笑い方がシャロンを彷彿とさせたので、宿屋の女将というものは皆こんな感じなのかなと思わず和んだ。
「日雇いの仕事ならむしろ今の方が見つかるよ。イベントの会場設営とか警備隊とか運営側は猫の手も借りたいほど忙しいだろうからね」
イスカは出されたパンを口にしながら相槌を打つ。
「あんたらは確か一週間ほどの滞在だったわね。あんたはその間祭りを見て回るの?」
「私は……」
女将の質問にイスカは渋面になった。実は昨晩も思っていた事だったのだが、一週間滞在となると結構な期間だ。仕事を探すというジンロはともかくイスカには何もする事が無い。
(祭りを見て回るっていう手もあるけど、さすがに一週間も遊べるわけじゃないし、それに……)
昨日鉢合わせた仮面の集団、ジンロは謝肉祭の参列者にそういう者がいると解説してくれたが、イスカは正直あんな不気味な人々が闊歩する祭りならあまり参加したくないという気持ちがあった。
そういうわけでこの一週間のイスカの予定は全くの白紙だ。
「私も仕事を探してみようかな……」
イスカがぽつりと呟くと女将は目を丸くした。
「仕事?あんたがかい?」
「はい、別に取り立てて祭りが見たいってわけじゃないですし、だったら私もお金稼ごうかな、と」
思い付きだったが、祭りの時期の方が求人が多いというなら、イスカに出来る仕事もあるかもしれない。だが、それに対し女将は眉をひそめた。
「難しいんじゃないかねえ。女に回してもらえる日雇いの仕事なんてそうないから」
「そうなんですか?」
「日雇いの仕事は大体肉体労働で力仕事が多いからね。接客販売の仕事とかなら求人もあるだろうけど、そういう職種は選択肢が少ない女性が殺到して倍率も高いから」
そう指摘されてイスカは項垂れた。やはりそう上手くはいかない。しかし、女将は続けて、
「あんた、ひょっとして故郷で何か仕事をしていたのかい?」
と尋ねてきたので、メルカリアで私塾の先生をしていた事を話すと、女将はしめたとばかりに手を叩いて喜んだ。
「先生だったのかい!それならあんたにちょうどいい仕事があるよ!」
「えっ、女将さんが仕事紹介して下さるんですか?」
「ああ。……まあ仕事ってほど大層なもんじゃないけどね。なに、ちゃんと俸給も払うし、何なら宿泊中の食事をサービスしてやってもいいよ」
その言葉にイスカは迷わず飛びつきそうになった。二つ返事で了承しかけたところをぐっと堪えて内容を聞きだす。
「どんなお仕事ですか?」
「ここに居る間、うちの娘の家庭教師をして欲しいんだよ。今八つの子供なんだけどね、あたしは忙しくて手が回らないから、少しの間でいいから相手をしてやってくれないか?」
提示された仕事はまさにイスカにとって願ってもないものだ。それならば、とイスカは快諾した。
その日の午後、女将に連れられて娘さんがいるという部屋に案内された。カーテンの閉め切られた薄暗い部屋はどこか陰鬱な空気を込めていたが、そこに居たのはそんな湿った空気にはそぐわない、茶色のくせ毛に丸い瞳の可愛らしい少女だった。少女は床に座り込んで一人人形遊びをしていた。イスカと女将が入ってくると、少女はそのくりっとした目をこちらに向けてくる。
(可愛い……!)
小動物の様な愛らしさに思わず頬が緩んだ。年もちょうどイスカが教えていた生徒たちと同じ年齢。久しぶりにこの年頃の子と接する事が出来て、イスカは早々に舞い上がる。が、
「なによ、ママ。勝手に入ってこないでって言ったでしょう」
鈴のようにコロコロと鳴る声で棘のある言葉を放った。見るとさっきまでの小動物のように愛らしい顔が顰められ、整った形の良い眉はこれ以上ないほど歪んでいる。
「こらリリス、また床の上にそんなに物を散らかして……行儀が悪いといつも言っているだろう?」
「うるさいわね、私の部屋なんだもの、どう使ってもいいでしょ!」
「リリス!そんな言葉遣いはやめなさいって、前も言ったでしょう!」
口論する親子の隣でイスカは固まっていた。最初は小動物か人形のように愛らしいと思っていた少女、リリスは喋れば喋るほど雰囲気が崩れていく。
イスカが茫然としているのに気づいたか、女将がこちらを振り向いて謝罪をした。
「ああ、ごめんなさいね。この子少し人見知りなところがあるから……。
リリス、今日からしばらくあんたの家庭教師になってくれる人だよ。さ、挨拶おし」
少女のつぶらな瞳がイスカを捉えた。その目にはありありと不信の色が浮かんでいる。突然現れた見知らぬ人間が家庭教師。リリスにどこまで家庭教師の必要性があるのかはわからなかったが、イスカに向けられた視線は明らかに歓迎していないものだった。
「勝手に決めないでよ。私家庭教師なんていらない」
「そうは言っても学校に通わないならしょうがないじゃないか。このままじゃどんどん他の子においてかれて―――」
「他の子なんて知らないわよ!いいから出て行って!」
リリスが手に持っていたぬいぐるみを投げつけた。当たった所で大した威力はないが、イスカはびっくりして反射的にそれを避ける。
「リリス!!」
女将が怒鳴り声を上げると同時に、リリスがイスカたちの鼻先で部屋のドアをバタンと閉めた。ドアを挟んでまだ言い争いを続けている親子を前に、イスカは茫然と佇んでいた。




