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第一話 花の都③

 ◆

 それから二十分ほど歩いてようやく宿に到着した。すでに話は通してあるのか、宿屋の主人も入ってきたイスカをちらりと一瞥し愛想のよい笑顔を向けただけで特に何も言ってこなかった。


 部屋で一息入れると自分が思っていた以上に疲弊していた事に気づかされる。備え付けのベッドに倒れ込む。冷えたシーツに身体が深く沈みこみこのまま眠りに落ちてしまいそうだ。


「こら、そのまま寝るな」


 ぐったりとしているとジンロの呆れた声が降ってきた。顔を少しだけずらして見上げると、声ほど剣の無い顔で覗き込むジンロが映る。


「俺のいない間に何かあったか?」

「……ちょっとだけ」


 イスカの様子があまりにおかしかったのをジンロが咎めた。こういう時に上手く誤魔化せないのはわかっているから、イスカも素直に白状する。

 ベッドに寝転がった体勢のままで、イスカは先ほど見た仮面の集団の事を話した。ジンロはベッドの縁に腰かけて黙ってイスカの話を聞いている。時折イスカの髪をさらさらと撫でる指先が心地よかった。


「それはパレードの参列者かもしれないな」

「参列者?」

「謝肉祭の間は仮装して身分や素性を隠し参加する客たちも多いんだ。仮面を被って派手な衣装を着て、すっかり別人となって町中を練り歩く。派手な神輿なんかも時々用意される。観光客も参加できる謝肉祭の目玉の一つだな」


 そうなんだ、とイスカは感嘆の声を上げた。祭りの一環なら非日常的なのも納得だ、あの不気味さもそういった演出だったのかもしれない。


「でも、なんだか少し怖かった」


 一瞬目があった事が忘れられない、胸がつっかえたように苦しくなる。


「なら無理に関わる事はない。祭りなんて人が多いだけで無理に参加したって碌な事が無いぞ。俺もしばらくは仕事探そうかと思ってるし」

「仕事?」

「旅費稼ぎ。それに少し欲しいものがあるからな。そういうわけだから一週間ほどここに滞在する事にする。しばらくは別行動になるけど、お前も祭りだからって羽目を外してトラブルに巻き込まれたりするなよ」


 そう言って頭をポンポンと叩く仕草は子供扱いの何物でも無くて、イスカはむくれつつも何も言えなかった。この人に色々迷惑かけているのは事実だから、子供扱いもいたしかたない。


「……ねえジンロ、旅について来た事後悔してない?」

「なんだよいきなり」

「だって私この旅に何も貢献できていないんだもの。それにしょっちゅうジンロに迷惑かけてる気がするし」


 きっとイスカ一人ではこの町まで来ることすら叶わなかっただろう。イスカが始めた旅なのにイスカはジンロに頼りっきりで、もっと身軽に動けるであろうジンロの手を煩わせている。するとジンロは大きなため息をついて眉じりを下げた。


「あのな……、俺は好きで付いて来てるんだから後悔も何も無い。そもそも後悔するんなら、お前が餓鬼だった頃の段階ですでにしてる」

「うっ……」


 予想通りの返答にイスカはぐうの音も出なかった。


「……お前こそ俺がいて迷惑じゃないのか?」

「えっ」


 今度はイスカが驚く番だった。ジンロがいて迷惑だったなんて、考えもしなかった。確かに喧嘩はしたが、いなくなって欲しいだなんてイスカは一度も思ったことは無い。体を起こすと普段あまり合う事の無いジンロとの目線の高さがぴったり合った。


「迷惑なんかじゃないよ、むしろ―――」

「?」

「ジンロがいてくれなかったら私もっと大変な思いをしてたと思うし、何よりさびしかったと思うわ。ジンロが一緒にいてくれて嬉しい」


 そう告げると何故かジンロは困ったように目を伏せた。何か変な事でも言っただろうか。


「―――」


 不意にジンロがトーンを低くして何かを呟いた。何と聞き返す間もなく抱き寄せられる。突然の事に身をこわばらせたイスカだったが、背に回された手がイスカを優しく撫でているおかげですぐに心地よさを感じてしまう。


「……どうかしたの、ジンロ?」


 尋ねても返事はない。しばらくジンロのなすがまま、イスカはその身を抱きしめてくる男の身体に預けていた。やがて、「イスカ」と名を呼んでくると、


「もし俺のいない間に身の危険が迫ったら、俺を呼べ」


 ジンロは突然そんなことを言った。


「えっ」

「他の誰にも向けないで、俺だけに真っ直ぐ叫べ。そうしたら俺はどこへだって飛んでいく。―――お前が呼べば必ず」


 その言葉に既視感を覚え、イスカは一瞬固まってしまった。


(なんだったっけ?あれは確か―――)


 ぼうっとしていると、痺れを切らしたジンロに額を小突かれた。


「返事は?」

「えっ―――、あ、うん。……わかった」


 歯切れ悪く返事をするとジンロはようやくイスカを解放してくれた。「もう休め」と短く告げてジンロはベッドを離れていく。そのまま窓際に腰かけて目を閉じてしまったので、イスカも素直に横になった。

 窓の向こうでは陽も落ちたというのにまだ祭りに興じる人々の笑い声がする。しばらくの間その華やかな世界の音色を静かな部屋で聴いていた。

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