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第三話 そしてまた、二人の旅③

 腕の中の少女が安らかな寝息を立て始めた。さっきまでへそを曲げていたのだが、すっかりと落ち着いて今はこちらに身を委ねている。

 やれやれ、とジンロは息をついて少女を見下ろす。不貞腐れて毛布を頭から被ったせいで少女の顔が見えない。さすがにこれでは息苦しいだろうと思い、完全に眠っているのを確認してから毛布を下ろした。

 少女のあどけない寝顔が見えた。さっきまでは気丈に振舞っていたが、やはり慣れない旅に先刻の騒動で憔悴しているようで、深い寝息を立てて眠りこんでいる。


 ジンロはその頬にそっと触れてみた。寝顔なんてもう何度も見てきたが、こうして人の姿で触れる事は今までなかった。鳥の時とは違う肌同士が触れ合う感触が、いつも以上に少女の存在を近しいものに感じさせた。


「……」


 幼い頃からずっと見守り続けてきた少女。祖母のもとで大切に育てられ、あの温かな環境の中で生きてきた。本人も望んだこととはいえ、そんな彼女をこうして外に連れ出して本当に良かったのかと今でも迷う。

 勿論ジンロは少女を最後まで守るつもりだ。全身全霊をかけて、彼女を脅かそうとする全てのものから、彼女を遠ざけようと思っている。だからつまらぬ意地を張って、今日みたいな事になって、本当は少女よりもジンロの方がへこんでいた。


「……何も知らないままでいて欲しいっていうのは、きっと無茶な事なんだろうな」


 この世界の闇に触れて欲しくない。彼女には明るい世界だけを見て、あの家にいた頃のまま、真っ直ぐで純粋なままで生きていて欲しい。

 けれどもそうはいかない。ジンロがどれだけ気を張っても、旅を続ける中で彼女は必ず闇に触れる。今日以上に心ない連中に遭う事もあるだろう。この世界は善ばかりではないのだと、残酷な世界があるのだと、彼女が知る事になるのはジンロ自身耐えがたい。


 それだけじゃない。この旅の中でイスカは必ず、自身とジンロたち獣王の真相に触れることになるし、万物の奏者としての運命に立ち向かっていかねばならない時が来る。

 ジンロはそれを何より危惧していた。


 知って欲しくない。

 彼女自身の事を。自分たちの事を―――


 さっき、万物の奏者の話をした時もそうだ。彼女の立場からしてみれば、知りたいと思うのは当然だし知る権利が彼女にはある。けれどそれを教えるべき役割の自分がそれを拒んでいた。

 彼女はきっとそれを察した。察して話を逸らして、なんでもない様に振舞ってくれた。


 意地っ張りで強情で、でも気高く芯の強い少女。いつも笑顔でいながら、その実寂しがりやで人の為ばかりを考えている少女。

 守ると誓っておいて、支えられて気を使われているのは、彼女ではなくジンロの方だ。


「だからお前のそういう所が―――


 ―――可愛いだろう?


 脳裏で勝ち誇った老女の声。もうここにはいない、小憎たらしいかつての相棒。


「……うるせぇ」


 ジンロは一人で苦い顔をしながら、少女をそっと抱え直した。



 ◆

 翌朝木の上で目を覚ましたイスカは、冷静に考えればとんでもない場所で寝ていた事に気づき慌てふためいた。だが自分をここに連れてきた相棒が随分冷静に構えているものだから(彼は人間ではなく鳥だから当然のことかもしれない)、イスカもすっかりと馴染んでジンロが採ってきてくれた果物を食べて、それから森を出てまた歩くのを再開した。


「野宿も案外悪くなかったかも」


 寝台ほど疲れは取れていないが、結構快適だったしなんだか悪い事をしているみたいでわくわくした。木の上で眠るなんて事はなかなかない経験だろうが。

 すると隣を歩いていたジンロが呆れた顔でイスカを見る。


「呑気だなお前も。野宿ってのは危険が伴うから極力避けるべきもんだぞ」


 そう言ってジンロは大きな欠伸をした。ぐっすり眠っていたイスカに対し、昨晩ジンロはほとんど寝ていないらしい。イスカが落ちないように支えてくれていたのと、見張り番をしてくれていたのだろう。


(そう言いながら、なんだかんだ言ってちゃんと守ってくれるんだよねぇ……)


 それが嬉しい様で申し訳ない。だからイスカは笑顔で自分の肩をポンポンと叩いた。怪訝な顔をするジンロに提案する。


「肩貸してあげるから休んでていいよ。しばらく私一人で歩くから」

「……鳥になれって事か?」


 眉をひそめるジンロにイスカは元気よく頷いた。昨日の様な事もあって、ジンロは渋ったが結局好意に甘える事にしたらしい、小さな鳥になったジンロはイスカの肩にすとんとおちついた。


《それで、これからどこへ行くか決まったか?》

「……一つね、考えている事があるの」

《なんだ?》


 旅の行先を尋ねるジンロにイスカはここ数日密かに考えていた計画を話す。


「私王都に行きたい」

《王都、か……》

「だめ?」


 王都はイスカにとっての生まれ故郷だ。亡き両親が住んでいた場所、イスカが生まれてすぐ彼らが亡くなって、間もなく祖母に引き取られたからイスカ自身王都の記憶はないのだが、それでも是非生前の両親がいた町を拝んでみたい。

 それに対しジンロは難色を示した。

 

《今どうも王都で妙な動きがあるらしい。あまりお前を近づけさせない方がいいと忠告を受けたんだが……》

「ジンロ……」

《だが、これはお前の旅だ。お前が行きたいところに行けばいい。俺はついて行く》


 イスカはぱあっと顔を輝かせた。勢いで肩に止まっていたジンロを掴み頬ずりする。


「ありがとう!ジンロ!」

《なっ―――!?……おい、掴むな馬鹿!》


 手の中から聞こえた抗議の声に、イスカははっと我に返った。ついいつもの癖でこの愛らしい小鳥にスキンシップをしてしまったが、相手の本来の姿を思いだして顔を真っ赤にして無言でジンロを肩に戻す。


「……ごめん」

《お、おう……》


 旅を始めた直後も思ったが、やはりジンロの正体を知った今ではそれ以前の様に接する事ができない。周りからは仲が良すぎると言われていたから、これはこれで正しい節度になったと思えばいいのか。

 気まずくなったまま歩き続けるイスカとその肩に乗るジンロ。ふとジンロが先ほどより真剣な声で呟いた。


《イスカ、王都まで行くとなるとこれから幾つかの都市を経由しなければならない。その道中では、これまでと同じように他人の家に厄介になる事もあるだろうが――》


 ジンロは少し言いにくそうに言葉を切った。イスカは彼が何を言わんとしているのか、なんとなくわかっている。


《夫婦が嫌なら、従者って事でどうだ?》

「従者?」


 言わんとしている内容は当たったが、出てきた言葉は予想外のものだった。


《金持ちの令嬢なんかは時々、護衛や従者を連れて避暑に行く事もあるんだ。お前は令嬢じゃないが、怪しまれたくないならそういう風に振舞う事も出来る。……どうだ?》


 ジンロは自分たちの関係を赤の他人にどう説明するのか考えてくれていたらしい。イスカが夫婦と呼ばれる事に拒否反応を示していたからその代わりに……、とジンロが提示したのは、『主人と従者』。

 イスカは黙ったまま少しの間考えた。従者として振舞うジンロの姿を思い浮かべてみる。


「……ううん、それなら夫婦のままでいい」

《いいのか?》

「うん、だって従者って事はジンロが私に敬語使ったり、私の命令を聞いたりするんでしょ?……そんなジンロはふりでも見たくない」


 それは夫婦だと嘘を並べ立てるよりもずっと空虚で寂しい。


「私はジンロに(かしず)いて欲しくないの。対等の関係でいたい」

《……そうか》


 ジンロは反論する事もなくそれきり黙ってしまったが、肩からどことなく嬉しそうなオーラが漂ってきたのでこれでよかったのだと思った。ならばこの話はもう終わりだ。


 イスカはひたすら歩き続ける。肩に相棒を乗せて二人分の距離を歩く。しばらくすると右肩が少し重くなった様に感じた。首を傾けると、ジンロはイスカの肩に止まったまま器用に眠る体勢を取っていた。首をすくめつぶらな目を閉じ眠る小鳥はただ愛らしく、これが大の男の仮の姿なんて想像もつかない。


(あ、落ちそう)


 鳥は宿木に止まったままでも眠れるのだが、それでも見ている方はいつ落ちないかハラハラする。疲れきって熟睡しているジンロは案の定身体が傾きかけ、今にもこてんと横になりそうだ。

 イスカはそっとジンロを掬いあげると、そっとワンピースの胸ポケットにしまい込んだ。ジンロの体長では身体の半分近くがはみ出てしまっているが、肩よりはずっと安定している。見下ろすと気持ちよさそうに寝入る小鳥の顔、なんだか昨晩とは真逆だ。


「おやすみ、ジンロ」


 イスカは指でジンロの頭をそっと撫でた。小鳥は起きる様子もなく、イスカの胸元で安らかな寝息を立てている。


 イスカはまた歩くのを再開した。目指すは王都、まだ見た事のない懐かしの町へ。


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