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第三話 そしてまた、二人の旅②

 色んな事があって疲れたからか、イスカの瞼は重くなりすぐにまどろみの中に落ちそうになる。

 イスカは姿勢を変えてジンロの胸元に耳を押しつけた。


 ドクドク


 心臓の音が聞こえる。穏やかで力強い、安心できる鼓動。


 ドクドク

《ドクドク》


 ふとその音色が二重になったように思えて、イスカは落ちかけていた意識を浮上させた。今度は明瞭な意識の中で改めてその音を聞く。


「―――同じだ」


 イスカがぽつりと呟くと、頭の上でジンロが首を傾げる気配がした。

「何が同じなんだ?」

「心臓の音。私とジンロの心臓、同じ音がする」


 自分の胸に手を当ててみると、確かにイスカの心臓とジンロの心臓は同じ速度で鼓動を刻んでいる。心拍のタイミング、速さ、大きさ、間隔、驚くほど酷似している。偶然にしてはあまりにも一致しすぎていた。


 するとジンロは戸惑った様に目を背けた。何かいけない事を言っただろうかと、イスカは不安になる。じっと黙ったままジンロの顔を見上げていた。


「……同じで当然だ。俺の心臓は万物の奏者(レーディンレル)の心臓だから」


 イスカはきょとんとした。万物の奏者、これまで幾度か耳にしてきた単語だ。そしてそれがイスカの事を指しているという事は、ビルやリマンジャがそう呼んでいる事から察しがついていた。


「……前から聞きたかったんだけど、万物の奏者って何?」


 恐る恐る尋ねてみる。やはりジンロは苦い顔をしたままで、それでも答えてくれた。


「この国に時折現れる特別な力をもった人間の事だ。見えぬものを見、聞けぬものを聞き、感じえぬものを感知する。常人とはかけ離れた力をもった存在。―――それが万物の奏者だ」

「それが私って事?」

「そうだ、お前が今の時代の万物の奏者だ。だから俺の心臓にも共鳴している」


 ジンロが言葉を紡ぐ度、その共鳴しているという心臓の振動が直接イスカに伝わってくる。それが妙に心地よくて、まるで夢物語を聞いている様な気分になる。


「どうして万物の奏者だと、ジンロに共鳴するの?」

「……俺たち獣王はその万物の奏者の身体の一部を喰らって生まれたからだ。本来はただの獣に過ぎなかった俺たちに人の姿を与えた存在、それが万物の奏者だ」

「万物の奏者の身体を食べたの……?」

「―――ああ、俺たち七匹の動物は一人の人間を分け合って食べた。俺が食べたのは心臓。つまり、元々この心臓は万物の奏者の物だった」


 ジンロの手が自身の胸に置かれる。ドクドクとイスカと同じ鼓動を刻むジンロの心臓、それがかつて獣たちの贄となった一人の人間の物だとジンロは告げる。


「万物の奏者の力は、人の姿を与えるだけでなく、獣本来の特性や力を飛躍的に増幅させることも出来る。俺が翼を生やしたり怪鳥の姿になれるのも、この心臓の恩恵があるからだ。俺だけじゃない。万物の奏者の身体を喰った奴らは皆それぞれ喰った部位に応じた恩恵を受けている」


 不思議な話だ。人間の身体を口にしただけで、不思議な力を得たり大きくなったり、そんな事が出来るなんて。

 けれど何故か不気味さや(おぞ)ましさは感じられない。その話が本当なら、今目の前にいる男は過去に人間を喰ったはずなのに。これはそういうものなんだと、イスカは納得してしまう。


「それだけじゃない。万物の奏者はこの世に存在する全ての動植物にとって慈しまれる存在。尊ばれ神格化される者なんだ」

「尊ばれ、神格化される……」


 イスカは万物の奏者の説明を聞きながら、それが自分の事なのだとまるで理解が出来なかった。全ての生き物に愛される存在。自分は本当にそんな大層な存在なのかと疑いたくなる。夢物語に出てくる超人。そういうのはもっと、賢く美しい完璧な人間が該当するのではないかと思うのだ。


 その時イスカの脳裏に一人の女性の姿が浮かび上がる。


 リナーシャ。


 ビルの記憶の中にも登場した、慈愛に充ち溢れたたおやかな女性。彼女は記憶の中でただの蜥蜴であったビルと言葉を交わしていた。ビルと共有していたあの恋慕と高揚感、あれが万物の奏者に対するものだったとすれば腑に落ちる。


(だとすれば、ジンロたちが食べた万物の奏者とはもしかしなくても―――)


 聞いてみたいと思った。けれど前にもリナーシャの事を聞こうとしてはぐらかされた事がある。あまり話したくないという事なのかもしれない。

 今もジンロはあまり話したくないのであろう万物の奏者の話をしてくれている。それに加えてリナーシャの話を聞こうとしたって、きっと彼を困らせるだけだ。


 だからイスカは無理やりにでも明るく振舞う。


「でも私が万物の奏者って言われても、なんだかピンとこないわ。私にはそんな特別な力はないと思うけど……」

「あるんだよ、お前が気づいていないだけだ」

「そうかしら、特別な事が出来るわけでもないし、勉強も運動も並だし、気も利かないし、可愛くもお淑やかでも無いし―――」


 脳裏に浮かぶリナーシャの姿。彼女は女性として何もかも完璧だった。ビルの意識を感じ取っていたイスカにはその魅力が存分に伝わってきた。片や地味で垢の抜けない世間知らずな娘、今日もあっさりと人の策略に嵌り迷惑をかけた。手間のかかる面倒くさい奴だ。

 それを聞いていたジンロがくっと笑った。


「いつになく卑屈だな。そんなに今日の事ショックだったのか?」

「そう言うわけじゃないけど。……ううん、やっぱりショックだったかも」


 今日の事は当分忘れられない出来事になるだろう。自身への戒めとして忘れてはいけない事だ。またしても湿っぽくなったので、イスカはもう一度冗談交じりに話す。


「でもあの家族も馬鹿ね。いくら嫁が欲しいからって何も私に目をつけなくていいのに、もう少し待てばもっと可憐で清楚で完璧な女性がやってきたかもしれないのよ?」


 ―――あれ、自分は何を言ってるんだろう?


 リナーシャの事を考えまいと別の話をしようと思ったのに、さっきからイスカは自虐的な事ばかり言っている。

 けれどそれでよかったのかもしれない。話題が逸れてジンロがほっとしたような気配がしたから。やはり万物の奏者やリナーシャの話はあまりするべきではないのだ。


「確かに、お前はそういう風には見えないな」

「でしょう?」


 可憐で清楚じゃない、なんて言われて普段なら怒るところだが、今は一緒になって笑う事が出来た。今のイスカは少しおかしい、意識がふわふわとして夢現(ゆめうつつ)になっている。きっとジンロもそうなんだろう。だから、彼も今日は少しおかしい。


「でも俺はお前の事可愛いと思ってるけどな」

「……え?」

「あいつらもお前に魅力があったから嫁に迎えたいと思ったんだろう?いくらなんでも魅力が皆無の奴を家に向かえたりなんかしねぇよ」


 イスカはジンロの言った事を丸々十秒ぐらい噛みしめて、次の瞬間顔から火が出そうな位赤面した。


「なっ……!何言ってんのよあんたは!?」

「何って?魅力があったから嫁に迎えようとしたんだって――」

「そっちじゃなくて!私の事、……可愛いって」


 最後の方はどもってほとんど声にならなかった。俯いたまま恥ずかしがるイスカをジンロはあろうことか顎を掴んで無理やり上を向かせた。


「!?」


 イスカは息を呑んだ。眼前にはジンロのやけに真剣な顔。時計塔で見た獰猛な瞳をもつ男の顔。


「可愛いだろ。お前は可愛い」

「――!!」


 羞恥のあまり声にならない悲鳴をあげて全身全霊で顔を背けた。するとジンロはまたしてもからかう様な笑い声をあげた。


「……っ!ジンロ!からかってるわね!?」

「ははっ―――、悪い悪い」


 誠意のない謝罪にイスカは憤慨しジンロから逃れようと暴れ出した。だが笑いながらもジンロはしっかりとイスカの身体を抱えている。逃れる事は出来ず、結局無駄なあがきに終わってしまった。


「……ジンロのバカ」


 負け惜しみにそう吐き捨てると、イスカは毛布を頭からかぶりジンロの顔を見ない様にその胸に顔を埋めた。まだジンロの潜み笑いが聞こえるがもう気にしない事にした。


 トクトク


 目の前から自分と同じ心臓の音が響く。穏やかな、落ち着く音色。

 それを聞くとイスカは再びまどろみ始めた。今度こそ夢の世界に落ちていく。


「―――おやすみ」


 優しい声が降ってきた。それを合図に全身の力が抜けて意識が遠のく。意識を手放す直前、もう一度彼のからかう声がした。

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