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第一話 二人の旅②

 ◆

 だが、災難は一日では終わらなかった。翌日もその次の日も、イスカたちは同じように街道沿いの民家にお世話になったのだが、やはりイスカたちに対する見解は最初の夫妻と同じだった。


「かっこいい旦那さんね、いい人を捕まえたじゃない。うちの人も負けてないけど」


 新婚ほやほやの夫婦の家に間借りをした時、奥さんの方(驚く事にイスカの一つ下だった)がイスカに絡んできた。波風をたてないようにとイスカは頬を引きつらせながら必死に笑みを作ったが、お互いの惚気話を言い合う空気になった瞬間、イスカは速攻で部屋から逃げだした。


 次の老夫婦の家では世話焼きな老婆が食事時に花嫁のなんたるかを延々語っていた。イスカは笑みを崩さずにそれらを聞き流し耐えた。その日、初めて慣れないベッドで泥の様に眠れた。

 そんな事が立て続けにあってから、ついにイスカにも限界が訪れた。




「―――もう我慢できない!」


 家主が階下にいるにも関わらず、イスカはジンロに怒鳴り立てた。案の定同じ部屋に通されたジンロは大きな声を出すなとイスカを窘めてくるが、イスカの怒りはもう治まる事はない。


「さっき、ここの奥さんになんて言われたか教えてあげましょうか?……『身重(みおも)の体で力仕事は危ないから休んでなさい』、って!?」


 本日の宿泊先は小麦農家の夫妻の家で、イスカは日が落ちてから夕食時まで宿泊の対価として小麦の運搬を手伝っていたのだが、突然血相を変えた夫人がやってきてイスカにそう告げたのだ。


「奥さんと何話したのよ!私いつの間に、に……妊娠した事になってるのよ!」


 おかげでまたしても食事時にお産の心得とか子育てのコツの話とかを延々と聞かされ、イスカは頭が沸騰し眩暈で倒れそうになった。

 ジンロはばつが悪そうに怒り狂うイスカを宥め続ける。その瞳は申し訳なさそうにしているものの、一切の動揺が見られなかった。

 ジンロは不意に真剣な表情になると、殊勝な態度になってイスカに頭を下げる。


「夫人と話を合わせてるうちにそういう事になっちまったんだよ。まあ……、さすがにやりすぎた。悪かった」

「悪かった……じゃない!いくら怪しまれたくないからって反論しなさすぎなのよ!人の気も知らないで、デリカシーがなさすぎるのよこの無神経男!」


 イスカが怒り口調でまくし立て上げると、さすがのジンロもカチンと来たのか殊勝な態度は一変し、苛立ちを露わにした。


「じゃあ本当の関係を言った方が良かったか?『俺たちは飼い主とペットです』って?それこそ拒絶されるレベルで恥かくぞ?」

「そんなに露骨に言わなくたってもっと言い方があるでしょ!」


 確かにジンロの言う事は正しい。本当のことを言うのが正解だとは限らない。共に旅をする年頃の男女と聞いて、誰もが真っ先に想像するのは夫婦か恋人同士。顔立ちが似ていれば兄妹とも言い訳出来るだろうが、残念な事にイスカとジンロの容姿はとんと似ていない。

 今のイスカたちの関係を第三者に理解してもらうには難しい。ならば怪しまれないために、夫婦を演じるのは至極自然な成り行きだ。ここは町ではない、イスカたちを知る者はなく、守ってくれる盾もないからだ。


 けれど、年頃のイスカにとって毎晩毎晩こんなことを続けられるのは精神的にも限界だった。男性と付き合った事も無い小娘に結婚話、挙句の果てに子供の話まで。だからイスカは腹を立て、目の前の男に八つ当たりをしている。


 ―――いや、違う。


 イスカが納得していないのはそんな事ではないのだ。イスカが一番不機嫌な理由はもっと単純、目の前にいるこの男なのだ。


 夫婦と言われてびっくりした。間違われた事に対する不快感ではなくて、他人の目にイスカたちがそういう風に見えているとわかって戸惑ったのだ。パニックになって食事の味なんかわからなくなって、経験の無いイスカは何一つ対処が出来なかったのだ。

 それなのに、目の前の男は夫婦と間違われても涼しい顔をしてその嘘に乗っかった。さらりと嘘を吐き、焦りもしない。余裕綽々よゆうしゃくしゃくといった風に会話を流す。


 今だってそうだ。同じ部屋で平然と過ごしている。小鳥の姿では一緒に過ごしていたが、人間のジンロと共に過ごすのはイスカにしてはどうしても抵抗がある。

 イスカがやきもきしている一方でジンロは全く動じていない。彼にとってはイスカの部屋での姿なんて小さい頃から見慣れているからもうどうにも思わないのかもしれないが、それにしたって年頃の娘と同じ部屋で一夜を過ごすのに、泰然とされるのは女として癇に障る。

 意識して欲しいとかそういうことではない。悔しいのだ。慣れない旅に右往左往して、自分ばかり翻弄されて割を喰っている、そんな気がして。


「……私明日から一人で宿交渉する。ジンロは小鳥のままでいて」

「は?お前、何言って―――」

「もう何回もジンロのやり方見てきたから一人で出来るわよ。あんたはもう干渉してこないで!」


 投げやりに言い放ったイスカの傍にジンロが詰め寄る。先刻よりも険しい顔をしたジンロは、イスカにも負けないくらい棘のある口調で言い返してきた。


「お前な、ちょっと冷静になれよ。お前一人でどうにかできるわけないだろ」


 決めつける様な言い分にイスカの中でプツンと糸が切れた音がした。目の前が真っ赤になって思わず叫んだ。


「出来るわよ!私は子供じゃない!」

「街を出てまだ数日の世間知らずの小娘が何偉そうな事言ってんだ!」

「これは私の旅よ!私のやり方に口を出さないで!そもそも付いてきてなんて頼んだ覚えない!」

「なっ……!?お前な、いい加減に―――」

「うるさい!鳥のくせに!人間の事に口出ししないでよ!!」


 その瞬間空気が固まった。目の前にいたジンロが息を飲むのがわかった。二人の間の熱が急速に冷えていく。


(しまった……、言いすぎた……)


 怒りに満ちていたのが一気に冷静になる。いや、冷静になるどころか、冷めきって血の気の引いた頭で、イスカは自分の発言があまりにも無神経だった事に気づいた。だが後悔してももう遅い、口に出してしまったものは取り消せない。

 イスカは恐る恐る目の前に佇むジンロの顔を見上げた。

 ジンロは全くの無表情だった。まるで能面だ。何の感情も読み取れない、ガラスの様な瞳でただイスカの姿をそこに映していた。


「ジ―――」

「そうか」


 押し殺した声でジンロはそう言って立ち上がった。そのまま部屋に一つある大窓に向かい身を乗り出す。ここは二階、地上からそれほど高さはないが常人では躊躇する高さの窓に迷いなく足をかけたので、イスカは慌てた。


「ちょっ……!どこ行くの!?」

「散歩」


 返事は素っ気なかった。そのままジンロは飛び降りて姿が見えなくなる。


 あれだけ激しく口論したのに階下の夫婦は起きてこない。どうやらもう寝静まったのだろう。急に静かになった部屋に残されたイスカは一人、布団を被って無理やり目を閉じた。


「……ジンロのバカ」


 誰にともなく呟く。その声が思った以上に湿っぽくて余計に嫌気がさした。ジンロではなく、自分にだ。

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