第一話 二人の旅①
愛用の物とは違う籾殻の枕がガサガサと音を立てた。寝心地は悪くないのだがどうにも落ち着かない。枕が変わると眠れない、なんて話には聞いていたがまさか自分がそうだったとは。
イスカは布団の中で寝返りを打つ。傍の窓からは綺麗な月が煌々と輝いている。見た事の無い角度から見る月明り、それだけで初めて見る物の様に感じて戸惑いはさらに増える。
イスカは眠るのを諦め布団から這い出てしまった。見慣れない部屋、決して居心地の悪い部屋ではない。清潔で整頓された部屋なのに落ち着かない。それというのも、―――
「眠れないのか?」
明りの無い部屋からイスカを気遣う声がした。目をこらさなくてもわかる金色の髪の男が、イスカのいるベッドとは反対の窓の縁に腰かけていた。
「明日も歩きづめになるだろうから早く寝た方がいいぞ」
「……ジンロはなんで寝てないの?」
「寝てたよ。お前がもぞもぞ動くから起きた」
窓の外を眺めながら素っ気ない態度で答える男に無性に腹が立つ。なんでそんなに平然としているのか。こちらばかり気をもんでいるみたいで不公平だ。
イスカの不機嫌に気づいたのか、ジンロが呆れ顔でため息をついた。
「……イスカ、さっきの事まだ怒ってるのか?」
「怒ってない」
「じゃあなんでそんな不機嫌なんだよ」
「不機嫌じゃない」
そう口にしても、イスカは怒ってもいるし不機嫌でもあった。
それは数時間前の出来事が原因だ。
旅を始めたイスカにとって初日は驚きと感動の連続だった。今まで故郷メルカリアから一歩も足を踏み出した事の無かった箱入り娘だ。見慣れない花木や動物、街道の傍にある農村の風景、その一つ一つにイスカは目を輝かせていた。
「一番近い都市までは一週間くらいかかるからな。野宿は出来るだけ避けるが、ちゃんと休めるかどうかは保証しないぞ」
ジンロはそう忠告したが、本音を言うとイスカは野宿でも文句は言わなかったと思う。町を出た先に広がっている外の世界は何もかもが新鮮で、その一つ一つを余すことなく堪能したいと思っていた。わざわざ馬車を使わず徒歩で旅を始めたのもそのためだ。
旅の同行者は面倒くさそうにしていたが、これはイスカの旅であるという事を理解し渋々譲歩したのだった。
とはいっても、イスカは旅どころか外の世界の初心者だ。旅の心得など知るはずもなく、そういった細かい所作は全てジンロに任せきりになった。街道の歩き方から食事の用意まで、旅慣れているのかジンロはなんでも率なくこなす。不慣れながらもイスカはそれに従い、旅の基本を学んでいった。
だが一番の問題は宿だ。一日中歩き通しでくたくたになったイスカだったが、周囲は草原ばかりで休める箇所など見当たらない。まさか初日から野宿決定かと思いきや、
「この辺は牧草地だな。遠くに家畜が見える。……とすれば近くに所有者がいるはずだ」
そのジンロの言葉通り、大きな通りを少し外れた小道の先に牧畜を営む夫婦の家があった。臆することなくその家を訪ねると、ジンロは夫婦としばらく話をしてあっさりと宿泊を取りつけた。
「宿泊施設なんて気の利いたものは都市にしか無い。町の外や辺境の村では、地元民に直談判して間借りするのが一般的だ。勿論ただでとはいかない。金を払う場合もあるし、物品や労働で対価を支払う場合もある。この辺りは交渉次第だな」
ちなみに今回の宿泊は夫婦が飼っている家畜の世話を手伝うという条件で交渉は成立した。夫人に教わって牛の世話をしていると、なるほどこう言った経験も旅の醍醐味なのかと感心してしまった。
「ありがとうねぇ、うち子供はもう皆出払っちゃって主人と二人で暮らしていたから、人手が増えて助かるわ」
夫婦も朗らかな人たちでイスカたちの事も快く受け入れてくれた。牛小屋で掃除やブラッシングをしていると、夫人も嬉しそうに声をかけてくれる。
「旅で疲れているのに……、きつくなったら部屋に戻ってもいいからね」
「いいんですよ、泊めていただけるだけでもありがたいんですから、これくらいさせて下さい」
実際イスカは楽しんでいた。牛の世話も見ず知らずの人の家に泊めてもらう事も、メルカリアでは出来なかった経験だ。新しい経験が得られるのは嬉しい。いつか帰ったら子供たちにも語ってあげたいくらいだ。
これからこんな素晴らしい経験が出来る。旅は何と素晴らしいものだろう。
そうして上機嫌で作業を進めていたイスカだが、この後の夕食の席での夫人の一言でその期待はあっさりと裏切られる事になる。
作業を終えてイスカとジンロ、そして夫婦で夕食を御馳走になっている時だった。
「それでお二人はどこへ向かっていらっしゃるの?王都の方かしら?それとも港町の方へ?」
イスカは言葉に詰まった。とりあえず街道沿いを進んではいるがちゃんとした目的地は決まっていない。そもそもイスカはどの方角にどの町があるのかも実は把握していない。
代わりにジンロが答えてくれた。人当たりの良さそうな爽やかな笑みを浮かべて、
「ラージュの方へ向かおうかと思っていまして、あそこは美しい町だとお聞きしておりますから」
「ラージュか、確かにあそこは『花の都』とも敬称されている古き良き時代の面影を残したいい町だ。ちょうど今は祭りの時期だしな」
夫妻と軽快に会話を繋ぐジンロ、一方イスカは話題に上がったラージュという町の事など知らないし、目的地としていたわけでもないので三人の会話を聞きながら料理を黙々と口に運んでいた。と、
「いいわねぇ、新婚旅行に王国の都市巡り。羨ましいわ」
その夫人の一言で思わず喉を詰まらせ思い切りせき込んだ。手からスプーンが滑りおちる。
「……?大丈夫かい?」
怪訝な顔で主人が覗きこんでくるが、そんな場合ではなかった。イスカは涙目になりながら、夫人の言葉を反芻する。
(今……っ、なんて言った!?『新婚旅行』って―――)
新婚旅行とはつまり結婚したての夫婦が、その記念に旅行をするという意味で、つまり彼女が言っている夫婦とはイスカとジンロの事で、
「ち、違……!私たちは―――」
言い終わる前に横から手が伸びてきて思い切り肩を引き寄せられた。声を荒げようとするイスカの口をその手で器用に塞ぎながら、ジンロが満面の笑みで夫人に答える。
「ええ、そうです。ついこの間故郷で式を挙げたばかりでして」
「!!?」
ちらりとジンロの視線が一瞬こちらに向く。
―――黙って合わせろ。
その威圧的な視線は確かにそう告げた。
「まあ素敵!今が一番幸せな時期ね」
「そりゃあおめでたいことだ。おい、お前酒蔵からワインを取って来てくれ。とびきり上等な奴だ。ここであったのも何かの縁、私たちにもお祝させてくれ」
はいはい、と夫人が上機嫌でキッチンの奥へと消えていく。
その間にも、ジンロと主人はありもしない新婚生活の話に花を咲かせていた。
ただ一人イスカはその中に混じれず、笑顔で嘘を吐くジンロの横顔を茫然と眺めている事しか出来なかった。
そして現在、『新婚夫婦』に宛がわれた一室で、イスカはベッドの上で蹲り、ジンロは平然と窓の縁に寄り掛かっている。涼しい顔なのがやはり腹立たしい。
「仕方ないだろ、違うと言って一々説明し直すのも面倒だったんだ」
「だからって嘘ついていいの!?私とジンロが―――」
夫婦だなんて、と口に出すのも恥ずかしかった。すると困り果てたジンロが降参だとばかりに手を上げてやれやれと首を振った。
「見えるならそう思わせておけばいい。もう会う事も無いんだし、どう思われようが関係ないだろ」
「そうだけどっ……!」
イスカは反論できぬまま、結局明日も早いからとその日はお開きになった。イスカは慣れない布団の中で悶々と寝返りを打つ。
眠れない。
ちらりとベッドの向こう側の窓の方を見た。相変わらず涼しい顔をしたジンロは窓枠に腰かけたまま目を閉じていた。寝ているのかどうかはわからなかった。




