プロローグ 孫娘と酒
それはなんてことのない日常の風景。家主である女とその孫の就寝前の歓談。
「……だから、くみあいごっこはすぐおわっちゃったの」
「なんだい、友達とけんかして帰ってきちゃったのかい?」
「だってフェリシアがいけないんだよ!?『ケーキやくみあい』は三人までしかはいれないっていってるのに、むりやりはいろうとするんだもん!」
孫である八歳の少女、イスカは、ぷぅっと頬を膨らませて手にしたカップで顔を隠した。その瞳は赤くなり、涙がたまっているのがこちらの角度から丸見えだ。
「イスカ、ケーキ屋が三人から四人に増えるくらいいいじゃないか。たくさんのお菓子が食べられるようになるんだよ?」
「でも!」
「―――イスカ」
リンデが少し威圧的な口調で孫に詰め寄った。イスカもびくりとして言い訳の口を閉じる。
(怖すぎるんだよな)
ジンロは内心でぽつりと呟いた。そうこうしているうちに目の前では「いいかい、イスカ」と女のお決まりの口上が始まる。
「『くみあい』の仲間は何人でも作れる。増やしてもいいし、減らしてもいい。……でも、本当の友達はそうはいかないんだよ。……本当の友達はね、そう簡単に増やせないし、減らせない。代えが効かないから、一つ一つを大事にしなけりゃ、いつか大事なものを失うよ」
「……うん」
「フェリシアちゃんがどこかに行っちゃってもいいのかい?」
「……やだ」
リンデにしか聞こえないようなか細い声でイスカが言った。ぎゅっとリンデに抱きついて、その胸に顔をうずめている。
「大丈夫さ、イスカはちゃあんとわかってるものね」
「……っ、……」
「明日朝一番にフェリシアちゃんに謝ってごらん。きっとあの子も同じようにしてくれるよ。……大丈夫、大丈夫だよ」
しばらくの間、少女のくぐもった泣き声が部屋に響いていた。その様子を、ジンロはずっと鳥籠の中から傍観していた。
泣き疲れて眠ってしまったイスカを二階に運んだリンデは、戻ってくるなり意気揚々と棚に置いてあったブランデーを机に置いた。手には二つのグラス、酒瓶を掲げながらにやりと笑った。
「飲むかい、ジンロ?」
(……断れない事がわかって聞く辺り、こいつも嫌味な奴だよな)
けれど酒盛りは嫌いじゃない。ジンロは鳥籠を飛び出しダイニングの椅子に着地した。鳥の姿から、人間の姿へ。
「お前さ、もうちょっとその威圧感……というか気迫どうにかならねぇのかよ。ちょっと友達と喧嘩した位で」
「おや、私はきつい事なんか言っていないよ?これでもあの子には甘いおばあちゃんだと思ってるんだけどねぇ」
リンデはおどけて笑った。確かに今のやり取りは、祖母と孫の微笑ましい風景には違いなく、リンデの言い分も間違ったところは見られなかった。しかし、彼女の本性を知っているジンロとしては、どうも見ていてハラハラする。
グラスに景気よく注がれる琥珀色の液体を眺めながら、先ほどまでここで泣いていた少女の事を思い返す。
「可愛いだろう?うちの孫娘は」
「……はぁ?」
突拍子もなくそんな事を言われて、ジンロは手に持ったグラスを取り落としかけた。
目の前に座る老女は、にやにやと笑いながら自分のグラスの淵をスッとなぞる。
「笑っている所も、泣いている所も、全部可愛い。全く、あんな子に手を出そうとするなんて、本当にお前は変わり者だ」
「そんな事俺に聞かれても困る。あとその言い方やめろ、俺が変質者みたいだろうが」
「みたいじゃなくて、実際そうだろう?いきなり幼女の寝込みを襲うなんて変質者以外のなんだってんだい?」
「その変質者を可愛い孫娘の傍においてんだから、お前も相当な狂人だよ」
「お、可愛いと認めたね?そうだろう、イスカは可愛い」
「!?だからなんでその話に―――、……もういい」
あっさりと根負けしてジンロは苦い顔をしながらブランデーを煽った。リンデは完全に面白がっている。からかうのが心底楽しそうだった。
(なんでこんな奴の言う事なんか聞いてるんだ俺は……)
数年前、まだ赤ん坊だったイスカを喰おうとして目の前のこの女に妨害され恐喝されて以降、ジンロはずっとこの家で小鳥の姿で生活をしていた。恐喝といってもこの女を始末してしまえばあっさりと終わる話で、正直なところこんな共同生活に何の意味があるのか、どうして続けているのか、ジンロ自身もわからない。
ブランデーを飲み干す。久々に飲む酒は存外に甘く酔いが一気に回りそうだ。少し虚ろな気分で穏やかに月見酒を楽しむリンデを横目で見ていた。
何の変哲もない一人の老女。だがその中身は凶暴で傍若無人、こちらの常識を簡単に覆してくる言動の数々、これまで出会ったどんな獣よりも獰猛だった。
純粋な力ではジンロの方が圧倒的に上だが、彼女にはどこか抗えない気質がある。それ故に、ジンロは今もこうして奇妙な生活を続けているのかもしれない。
「……でも、あの子も大人になったらきっといい人に連れていかれるんだろうねぇ」
「もうそんな心配してんのかよ……当分先だろ」
「『当分先』なんてものはあっという間にやってきてしまうんだよ。あの子はあっという間に大人になって私の元を離れてしまうんだろうねぇ。……ああ、言っておくけどあんたに喰わせてやる気はないからね、そんなことしたらその前にくたばってもらうから」
普段飄々としながらも、絶妙なタイミングで釘を刺す。こういう油断の無い所もリンデの軽視する事の出来ない部分の一つだ。
「……本当に親バカだな」
「『子』の幸せを願うのは当然のことだ」
リンデは胸を張って答える。それから、しみじみと呟いた。
「いつかあの子のことをちゃんと可愛いと言ってくれる人に、大切にしてもらえたらいいねぇ」
「……それは俺への皮肉か?」
さあ、どうだろうね。とリンデは言葉を濁し酒を煽った。
リンデが生きていた頃の月の綺麗な夜の事である。




