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第二話 家族について②

 ◆

「ちょっと買いすぎちゃったかしら?」


 昼下がりの街路を上機嫌で歩くフィオナは、手にいっぱいの袋を持って独り言ちた。朝から服屋を何件か回って、気に入った服を手当たり次第に漁った。服が終わったら今度は装飾の類も欲しくなって、宝石店から帽子屋に靴屋、とにかくありとあらゆる店を物色して、気が付けばこの荷物。


「やっぱりあいつの首根っこひっつかんでおくべきだったわ」


 荷物持ちのために、図体だけはでかいあの男は必要だったと今更ながらに別行動をとった事を後悔する。とはいえ、そいつを引きずり回すと、もう一人の可愛い想い人が可哀想だし、彼女を困らせたり悲しませたりする事はフィオナとしても避けてやりたい。


「もうっ、なんで私が気を使わなきゃいけないのよ」


 フィオナはここにいないその男の方に憤慨したが、次第に虚しくなってふうとため息をついた。


(本当に、何してるんだか……)


 冷静に考えてみれば、己の立場というものは実に滑稽だな、と思う。そういえば森を出る時にザウドにも似たようなことを仄めかされた。

 まあ、わかっていてやっているのだが。


 イスカとジンロが互いに好き合っている事はわかっていた。それは誰の目から見ても明らかだし、イスカと出会った時からその事には気が付いていた。フィオナはそれでもあえてこの二人についてきた。何故ならあの二人、お互いに好き同士なのに、最後の一歩が踏み出せないでいるのだ。その様子がもどかしくて、面白くて、からかい半分でついてきたのだ。

 あるいはフィオナが背中を押してやろうという、ちょっとした世話焼き心もあって。

 しかし王都に来る前、船から落ちた二人を迎えに行って再会を果たした時、二人の様子が明らかに違う事に気が付いた。

 接し方は相変わらずなのだが、両者の遠慮が取り払われたような。

 わかりやすく言うと、吹っ切れたような感じがした。


 それから急にフィオナは恥ずかしくなった。

 自分は何でこんなところまで来たのだろう?

 そういう気持ちともう一つ、封印していた過去の想いが呼び覚まされるような気がして、急に二人を見るのが怖くなった。

 怖い。さっさとくっつけと、野次馬気分で眺めていた光景が、突然己の奥底を深く抉ってきた。何故、どうして、こんなに怖い――?


「――ああ!もう!誰か手伝ってよ!」


 恐怖を紛らわすように、フィオナは空に向かって叫んだ。通り過ぎる通行人が訝し気にみようが構うものか。どいつもこいつも笑えばいい。こんな道化の自分を好きなだけ罵ればいい、と、


「――手伝ってやろうか?麗しいお嬢さん?」


 背後からまさかの返答がした。だが、その声音はやけに憎たらしくて、フィオナは不快感を催す。振り返った先にいたその姿を見て、不快な理由が明らかになった。


「よっ、相変わらず綺麗だな、フィオナ」

「……最悪」


 手を上げて軽薄な笑みをこぼす男。薄汚い流れ着に防寒のためかボロボロのマントを羽織って、はたから見たら浮浪者にしか見えないその男は、間違いなくフィオナの顔見知りで、――多分世界で最も顔を合わせたくない男だった。

 リマンジャ=アハル=サーム。フィオナたち獣王の内では、今現在最も高い地位を有する男。砂漠の賢人と称されるガラドリム国の宰相が、こんな小汚い恰好で遠国の首都の中心街にいるなんて誰が想像できるだろうか。


「立ち話もなんだから、俺ともっとイイところに行かないか?」

「……」


 リマンジャはこちらの不機嫌な視線など視界にすら入っていないかのように、軽率な言動を繰り返す。その一挙一動が一々フィオナの癇に障って仕方がない。

 こうなれば徹底的に無視を決め込んでやる、と、早歩きで立ち去ろうとすると、案の定リマンジャはフィオナの後をついてきた。


「おいおい、無視はないだろう、無視は」


 もはや早歩きではなく駆け足の域に達しようとしているフィオナの速度に、背後の男は何食わぬ顔でついてくる。はたから見ると滑稽な二人の男女の追いかけっこは、繁華街を通り抜け、入り組んだ裏手通りに差し掛かったところで唐突に終わりを告げた。


「――きゃっ」

「おっと」


 迂闊にも階段を踏み外しそうになったフィオナが手の中の大荷物も抱えるように縮こまると、フィオナの身体をリマンジャが後ろから抱き抱える。間一髪でフィオナは転落を免れ、腕の中の紙袋から飛び出したアクセサリーの小箱が、代わりに階段を跳ねて階下に転がった。


「気をつけろよ、ったく……」

「……触んないでよ」


 体勢を整えたフィオナは、腰に添えられたリマンジャの手を乱暴に振り払った。リマンジャはキョトンとして、それから不服そうに口を尖らせる。


「なんだよ、助けてやったってのに」

「これくらいの階段落ちたって私は何ともないわよ。余計なお世話」


 強がりでぷいっと顔を背けると、リマンジャは何故か顔を歪ませて笑っていた。その笑い方がいつも気に障る。


「大体あんたが追っかけてくるのが悪いのよ。もういい加減消えてくれない?こっちは見たくもない顔見て気分が悪いの」

「辛辣だねえ」


 特に傷ついている風でもないリマンジャが肩をすくめてさらにこちらに近づいてきた。思わず臨戦態勢をとる、だが、


「……ちょっと話くらい聞いてくれてもいいじゃないのよ。それとも、……俺の事まーだ許してくれてない?」


 リマンジャの右手が徐にフィオナの頬に触れた。それだけでフィオナは動けなくなる。

 フィオナは今日の自分の迂闊さに舌打ちをせざるを得なかった。こんなに接近を許してしまう時点で、フィオナはすでにこの男の術中にはまっている。


「離れて、よ……」

「やだね、お前が話を聞いてくれるって言うまで離さない」


 フィオナは拘束されているわけではない。ただリマンジャの右手に触れられているだけ。だが、彼の右手こそがこの世で最も恐ろしい凶器だという事は同じ獣王であるフィオナには痛いほどわかっている。


 猿の『右手』。

 彼が願い、念じればどんな屈強な戦士ですらねじ伏せる。相手を意のままに操れる。


(反則だわ、こんなもの――)


 フィオナは唇を噛んで、目の前の男を睨みつけた。それしか抵抗の術がないという事が死ぬほど憎たらしくて、怒りに震えた。


「……わかったわよ、聞くから、離して」


 諦めたフィオナが重い息を吐くと、リマンジャはようやく右手を離した。リマンジャの凶悪な右手は、能力こそ規格外だがそれ故に『一日に三度しか能力を使用できない』という制約がある。三度を終えれば彼の右手はただの人と同じ、その貴重な一回をフィオナを屈服させるためだけに使うなんて、この男は相当に馬鹿げている。


「で、何が聞きたいの?手短に話して」

「せっかちな奴だね。まあいい、……ジンロと万物の奏者レーディンレルと一緒に行動しているんだろ?今二人はどこにいる?」


 フィオナが二人と行動を共にしている事は、ザウドから聞いているのだろう。行動が筒抜けになっている事に関しては今更驚きはしないが、このタイミングで二人の事を聞いてくる事に作為めいたものを感じて、フィオナはますます苛立ちを募らせた。


「今日は二人で出かけたわよ。途中までは私もいたけど、買い物の途中別れて、その後の事は知らない」

「なんだ、デートでもしてんのか」


 そりゃあ探すのは野暮かな、などと独り言を呟くリマンジャ。彼の言葉がフィオナの心にチクチクと突き刺さる。


「お前たち、今どこに滞在しているんだ?」

「……市街地の宿よ。一番外側の第三区画の」

「そんなところにいるのか。じゃあちょうどいい。第一区画の方に俺たちが間借りしている屋敷がある。屋敷の主人にも話をつけるから、そちらに来い」

「……はあ?」


 フィオナは思わず上ずった声を上げてしまった。


「なんで、あんたの所に行かなきゃいけないのよ?」

万物の奏者レーディンレルが安宿でふらふらしてたら危ないだろ。俺の隠れ家なら都合がいい。言っとくが一等地の豪邸だぞ?住み心地も断然違う。もちろん下宿代なんて取らない。しばらく王都に滞在するならこれ以上の好条件はないぞ」


 まあ確かにそれはそうなのだが、フィオナは正直気が進まなかった。こいつとは一秒も長く一緒にいたくないというのに、同じ一つ屋根の下で下宿なんてたまったものではない。

 だが、確かにフィオナたちには長期の滞在場所が必要だし、イスカのためを思えばセキュリティが万全なところを押さえておきたい。その点で言うと、リマンジャの隠れ家は最適だ。

 だが、


「屋敷にはラタトスクもいるからな。万一の襲撃があっても問題ない。国王軍が乗り込もうと万物の奏者レーディンレルには指一本触れさせないさ」


 ――ラタトスク。


 その名を聞いた瞬間、フィオナの心が先ほどとは違う痛みで張り裂けそうになった。リマンジャのように外側から執拗に鈍い針を突きつけられる痛みではなく、内側から膨張し押し上げてくるような圧迫感を伴う痛み。

 フィオナは自分の顔が青ざめるのを感じた。こんな露骨な反応をしてしまっては、敏いこの男には気づかれる。


「――ラタトスクに会いたくないか?」


 意地悪なリマンジャの言葉がフィオナを絶望の淵に追い詰める。先ほどの威勢や怒りはどこへやら、袋小路に追いやられた小動物のように身体を小さくしたフィオナは、俯いて震えていた。リマンジャはふっと笑みをこぼすと、階段を静かに降りていった。一番下の段に落ちていた、フィオナのアクセサリーの小箱を拾ってまた戻ってくる。


「まあ、お前にとっちゃ一番会いたくない奴だよなあ。下手したら俺よりも」

「……」

「お前と違って『幸せを勝ち取った男』だからな」

「……っ!」


 その瞬間、フィオナの右手の指先から強い炎が迸った。逆上したフィオナがその炎を目の前の男に叩きつけると、


「おわっ!焦げる、焦げる!」


 間一髪で避けたものの髪とマントの一部にかすって焦げ臭いにおいが漂った。リマンジャは慌てたが、努めて冷静に火を消火すると、何事もなかったかのようにフィオナの手を取り、拾ってきた小箱を握らせた。


「……何すんのよ、触らないでって言ったでしょ!」

「お前が落としたものだろ、大事にしなきゃダメだろうが」


 フィオナは小箱をぶんどるように手を引っ込めた。炎を発した手がまだ熱い。身体中が発火しているみたいに熱くて、荒い息を吐いても収まらない。


「どうせ私は幸せになれなかったわよ!でも……、その一部はあんたのせいじゃない!」

「そうだな。でも俺があの時ああしなきゃ、お前は今頃この世にいなかっただろうな」

「助けてくれなんて一言も言ってない! 私は――」


『フィオナ』


 フィオナの脳裏に大切な人の顔と声が浮かんでくる。

 名も持たない、根無し草の自分に名前と居場所を与えてくれた彼。ようやく見つけたと思った、たった一人、唯一の家族。

 ――でも、


「……っ!」


 フィオナはたまらず階段を駆け下りてその場を去ろうとした。その背中にリマンジャは容赦なく毒矢を放つ。


「ジンロと万物の奏者レーディンレルが結ばれたら、きっと俺たちの未来も変わるぞ。――お前はどうかわからんがな」


 確信めいた宣言と、突き放すような宣告。フィオナの脚は縫い留められたみたいに止まり、強張って動けなくなる。


 ――私は、


「なあ、フィオナ」


 フィオナの耳元でリマンジャが憎らしい笑みで囁く。


「お前はいつになったら幸せになれるんだろうな」

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