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第七話 空へ還る②

 ◆

 飛行時間はそれほど長くはなかった。とはいえさすがにローレンスを抱えていた腕が限界に来ていた頃、ジンロは地表に柔らかく着地した。

 イスカは息を切らして地面に突っ伏す。だが、すぐに腕の中にあるローレンスの容体を思い出して頭をあげた。


「ローレンス!」


 ローレンスはぐったりとしていた。月明かりに照らされた頬は青白く生気が感じられない。まるで死体だ。何度呼びかけても返事はない。ジンロも横からその様子を覗きこむ。明らかに深刻そうな顔で舌打ちをするので、イスカの不安は一層増した。


(嘘だ……、ローレンス、本当に……)


「ジンロ、何か術は……!」

「…無理だ。俺は奴の呪いをはじき返す事は出来ても治癒できるわけじゃない」

「そんな……!」


 ではこのままローレンスを見捨てなければいけないのか。ローレンスはイスカを庇ってこんな重傷を負ったのに、何も出来ぬまま彼の死を待てというのか―――。


「どいてみなさい」


 その時ふと別の声がした。一瞬敵かと思って身構えたが、顔を覗かせたのは先刻詰所であった異国風の男だ。


「リマンジャ!?お前、何でここに?」

「んー?お前が飛んでるのが見えたから何事かと思ってな。気になって来てみれば、これだ」

「……嘘つけ。見張ってたんだろ」


 リマンジャと呼ばれた男はにやりと笑うと、続いて気の毒そうに瀕死のローレンスを見つめる。無くなった右腕見て「もったいねぇな」と小さく呟くと、患部に躊躇なく手を触れた。


「何をするんですか!?」

「慌てなさんなお嬢さん。さすがに無くなった腕を生やすのは難しいが応急手当くらいなら出来る。俺はそこの馬鹿鳥と違って有能なんでね」


 露骨に嫌悪感をあらわにするジンロを放って、リマンジャは真剣な顔つきになった。

 仄かな光が患部を覆った、それに呼応するようにリマンジャの右手も光り出す。切迫した状況の中なのに、それはどこか幻想的でイスカは思わず見とれてしまった。

 光が消えると、ローレンスの身体が僅かに蠢いた。傷の断面はよく見えなかったが出血も治まり、その唇から微かな呻き声が聴こえる。


「ローレンス!よかった、意識が……!」

「……イス、カ……」


 焦点の定まらない瞳で、それでもローレンスはイスカの名前をもう一度呼んでくれた。イスカは涙目になってローレンスに飛び付く、怪我に触らない様に、そっと。


「ありがとうございます」

「どういたしまして。しかし大した生命力だな……君のおかげかな」

「私の……?」

「ああ、君にはそういう力がある」


 リマンジャは面白そうにそう言った。目を丸くするイスカに構わずリマンジャは続ける。


「……と言っても俺に出来るのは止血と破傷風を防ぐことくらいだ。早いとこ医者に診せた方がいいな」

「ここは……、どこだ……?あいつは、どう、した……?」


 意識を取り戻したローレンスが苦しそうに息をついた。つられて、イスカも自分が今いる場所をようやく確認する。


 それほど広くないスペースだが周囲には何も見えない。上には日が落ちて濃紺に染まった空が広がっている。ローレンスをもたれさせていた手摺をそっと覗きこむと、そこから見えるのは下方に広がるメルカリアの街並み、ここは―――


「時計塔の一番上だわ」

「奴は地から這い出る化け物だ。高いところにいれば多少は時間が稼げる」


 リマンジャの説明を横目にイスカは時計塔から見える街並みに目を凝らした。見えるのはいつもイスカが見ていた平凡な町ではなかった。最近は日が沈めば皆家に閉じこもりひっそりとしているのに、時計塔の下では騒ぎを聞きつけた人々が慌ててふためき逃げ惑っている。


「……さすがに町の連中もこの騒ぎに気づいたか」

「―――!そうだ、家は!?」


 イスカは家のある方角を見、そして絶句した。

 暗闇の中に亡霊のように映る巨大な鱗の柱。ここからは距離があるものの、その姿はしっかりと目に映っていた。不思議な事に今は止まっているように見える。


「感謝しろよ、俺が奴の足止めをしてやらなかったら、今頃お前ら丸呑みにされていたぞ」


 リマンジャは固まった様に動かない化け物を指した。不気味なほど音沙汰が無いと思ったら、どうもこの男が何かをしているらしい。不思議に思ってリマンジャを凝視していると、リマンジャは気さくにウインクして見せた。だがあれがあの場所にあるという事は、あの辺り一帯は化け物の地鳴りに呑まれているという事だ。


「どうして……、あんな事に……」


 イスカはがっくりと膝をついた。あの様子では祖母の家もめちゃくちゃになっている。周りの人間も皆地の唸りに呑まれて。そんなこと、想像するだけでもおぞましかった。


「あれは人や動物の理念を越えて全てを喰らいつくした化け物だ」


 リマンジャはただ冷静に、イスカに語る。


「人間を食べるという、最大の欲求にして最悪の禁忌に触れ続けるとああなる」

「……あれは、何……?」

「化け物だ。それ以外に形象できるものなどない」


 リマンジャの目は冷たい、ジンロも同様だった。遠くを見透かす目はどこまでも冷酷だ。彼らの見る光景と自分の見えている光景、それらがまったく合致していないのではないかと、そんな気さえ起こるほどだ。特にジンロは冷たかった。曲がりなりにもイスカと共に過ごした家なのに、祖母がずっと暮らしていた場所なのに。


「どうしたらいいの……?」

「どうにもできない、少なくとも今の俺たちには」

「でもあそこにシャロンさんたちがいるのよ!!」


 イスカは耐えきれずとうとう怒鳴った。


 ―――どうして冷静でいられるの?


 イスカはジンロを睨みつけた。それでも彼は何の表情も宿す事はない。

 嫌だ、この町の人たちをこれ以上危険な目に遭わせたくない。それが自分のせいだというのなら尚更だ。


 イスカは唇をかむと勢いよく立ちあがった。階下へと降りる階段へ向かおうとすると、その腕をジンロに掴まれる。


「どこへ行く?」

「あの男の狙いは私でしょう?……だから戻る」

「そんな事をしても無駄だ。もうあいつには言葉すら通じない」

「それでも―――!」


 それでも行かなければならない。イスカは涙を浮かべ、乱暴にその手を振り払った。


「もう誰かが傷つくのは嫌なの!何も出来ないままでいるのは嫌よ!」

「だからってお前が犠牲になろうってのか!?それこそ馬鹿げてる!愚か者がする事だ!」

「馬鹿でも愚かでもいい!私は―――!」

「いい加減にしろ!!」


 乾いた音がパンと鳴り響く。頬に痛みが走った。頬をぶたれたとわかると、目の前に立つ男をキッと睨みつける。

 ジンロの瞳は怒りで燃えていた。肩を噛まれた時に見た様な獰猛な目とは違う、熱くてそれでいて悲しげな色を湛えた瞳だ。ジンロは頬打たれたイスカよりもずっと苦しそうに息を吐く。その右手を痛そうに押さえていた。

 ジンロは何も言わない。何か言おうとしても言えない、そう顔に書いてある。イスカも同じだった。やり返したりなじったり、そうしてやろうと思ったのにその目を見るだけでもう何も言えなくなってしまった。


「落ち着けお前たち。今ここで言い争っても解決なんかしないだろう?」

「……」「……」


 窘めるリマンジャに目を背け、イスカは頬をジンロは右手を押さえて黙りこむ。その沈黙を破ったのは、


「……イスカ」


 かすれた声のローレンスがイスカを呼んだ。イスカは我に返って壁にもたれかかるローレンスを見る。

 ローレンスは尚苦しそうだ。右腕の出血は止まったが応急処置でしかない、今にも意識を失いそうな虚ろな目で、それでもイスカを見ていた。


「お前は、何もわかってない」

「えっ……」

「お前のせいで傷つけられても、ひどい目に……遭っても、お前を恨むよりお前を想う奴が、いることを、わかってない……」


 ローレンスはとぎれとぎれにそう言った。イスカはその言葉の意味を酌む事が出来ない。


「イスカ、お前は、誰も傷ついて欲しくない、……と言った。けどそれは相手だって、同じ……だ。お前に傷ついて欲しくない。…そいつは、そう言っているんだ」


 ローレンスは鋭い目で視線の先をジンロにスライドさせた。ジンロはばつが悪そうに目を反らす。ジンロから一本取って嬉しかったのか、ローレンスは不敵に笑った。

 だが苦しそうに肩で息をするローレンスはもう身体も限界のはずだ。それなのにローレンスは喋り続ける。イスカの制止も構わず、何かを伝えようとしている。


「イスカ、……俺はこの国の上に立つ人間になりたかった……」

「どうしたの急に……?」


 唐突な話にイスカは焦ったが、ローレンスがいいから聞け、と遮った。


「幼い頃、没落貴族と言う烙印と、体裁しか頭にない両親のせいで煮え湯を飲まされた…。もうあんな想いをしたくないと思った……」


 ローレンスの身の上話を聞くのはこれが初めてだった。こんな状況でなければ、もっとゆっくり聞けたかもしれない。


「だから、俺は……俺を笑った連中を見返してやろうと思った。そのためになら、どんなことだってやってやる。どんなものでも利用するし、どんなものでも切り捨てる、……と」


 不思議な事にローレンスは笑っていた。喉を鳴らしてくつくつと笑う。イスカはその笑みに何故か胸を締め付けられた。


「でも……、出来なかった」

「……そうなの?」

「ああ、どんなに忘れようと思っても、お前やあの塾での出来事は切り離せなかった」


 思わぬ言葉にイスカは目を見開いた。そんなこと思ってもみなかった。だって再会したローレンスはイスカの事を友とすら見ていなかった。冷たい目で共に過ごした時の事を鬱陶しそうに語っていたから。


「お前は、俺が羨ましいと言っていた。……俺も同じ、だ。お前が羨ましかった。暖かい家があって、帰りを待ってくれる、家族がいて……笑い合える仲間がいて。俺がどれだけ望んでも手に入らなかったものを……お前は持っていた。だから、嫉妬していた。嫉妬して、羨ましくて、……逃げたんだ。

 忘れようと、思った。どのみち庶民の塾に世話になっていた事なんて、出世の上では邪魔にしかならない。だから、切り捨てるにはちょうど良かった。……けど、進む度、お前と先生……私塾の仲間の事を思い出した。一時の間でも、あの焦がれた空間にいられた事が忘れられなかった」


 イスカは息を飲む。ローレンスがそんな風に考えているなんて知らなかった。


「お前と再会した時わかったよ。俺はお前に嫉妬していた、それと同時に羨望もあったのだと。……だからもう二度と近づきたくなかった。近づけば俺は今まで築き上げてきたものを全て台無しにしてしまうとわかったから」


 再会してもうわかりあえる事は無いと思っていたローレンスの本当の姿が、ようやく見えてきた。けれど―――


 イスカはそれでも喜べない。だってローレンスはもう巻き込まれてしまった。失った右腕、これが何を意味するのか誰にでもわかる。

 ローレンスはもう剣を振えない。騎士として上に行く事はもうできない。

 ローレンスの夢は途絶えたのだ。イスカに巻き込まれたせいで、こんなにあっけなく崩れ去ってしまった。


「―――ごめんなさい」

「……どうして、お前が謝る?」

「巻き込んだわ、……あなたを」


 離れようとした女にまた出会って、それでも避けようとしたのに巻き込まれた。今度こそ取り返しのつかない事になった。イスカは償う事など出来ない。

 それなのに、ローレンスは笑っていた。昔一緒に遊んでいた子供の頃と同じ、あどけない顔で。


「お前が気に病む必要なんかない」

「でもっ!」

「お前は俺に再会したくなかったか?」


 いきなりそんな事を聞くものだからイスカは慌てて首を振った。


「そんな事ない!…会えて嬉しかった」


 ローレンスは自分の憧れであり目標だ。その感情が『恋愛』でなく『瞠目』であったとわかった今でも、それでも彼にもう一度会えた事は嬉しかった。

 ローレンスは左手をそっと掲げた。その手がイスカの頬に触れる。子供の時と同じように温かい、けれどすっかり大きくなって、少しごつごつした手だった。


「―――ならそれでいい。例えその始まりが『嫉妬』でも、お前にもう一度会えた事が嬉しかった。憧れたものにもう一度触れる事が出来て嬉しかった」

「ローレンス……」

「お前を守れた事、後悔していない。右腕を失った事も、お前を失う事に比べたら些細な事だ」

「守ったのは俺だけどな」


 黙っていたジンロが面白くなさそうに茶々を入れると、ローレンスも意地悪く笑った。


「イスカ、自分だけ犠牲になろうなんて考えるな、約束しろ」

「……わかったわ」


 今度は素直に頷いた。すると、背後からぱちぱちと手を叩く音がした。振り向くと、一部始終を聞いていたリマンジャが傑作とばかりに拍手を送っていた。隣で面白くなさそうにそっぽを向いているジンロとはえらい違いだ。


「いやあ、初めて会った時から度胸の据わった若者だとは思っていたが、俺ちょっと感動しちゃったよ」

「……また適当な事を言いやがって……」

「なんだジンロ。若造にお株奪われて悔しいのか?」


 嫌そうにしているジンロの肩にポンと手を置くと、リマンジャはすたすたとこちらに近づいて来る。そして、軽々とまだ動けない状態のローレンスを肩に担いだ。


「さすがに限界だろうから、一足お先にこいつは病院に連れて言ってやるよ。ジンロ、後はお前で何とかしろ、もうすぐ俺の術が切れる。俺はもう今日で二回使っちまったからもう手助けは出来んぞ?」

「結構だ」

「はは、その代わり後始末は付き合ってやるよ。終わったら例の場所に来い、俺も付き合おう」


 罵詈を叩きながらも二人はどこか信頼し合っている様な感じだった。旧知の友と言えばいいのだろうか、呆けているイスカにリマンジャがそっと耳打ちした。


「お嬢さん、君は自分が何もできないなんて思っているみたいだが、そんな事は無いぞ。この状況を打開するために君に出来る事がまだ一つある」

「えっ」

「むしろ打開する事は君にしか出来ない。詳しくは……ジンロに聞いてみな」


 そう言ってリマンジャはあっさりと時計塔を飛び降りた。人間ならただですまない高さを軽々と跳んでいく。

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