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The perfect cage  2/8

 ◆

 五年後。

 山岳の鶏が高らかに鳴き声を上げた。太陽の光がうっすらと差し込み間もなく町が起き始める時間だ。


(うるさいなぁ)


 毎度毎度この声で起こされるのは不快で仕方がなかった。ジンロはいつものようにリビングの鳥籠の中で仕方なく瞼を上げる。誰もいない静寂なリビング、窓から差し込む陽光が部屋を照らし、空中にはチラチラと埃が待っている。

 寝覚めは悪いがいい朝だ。だが心穏やかに迎えた朝の時は、上階から聞こえる忙しない足音に打ち消される。

 来るぞ、衝撃に備えろ。と、反射的に身を固くする。


「おっはよう!ジンロ!」


 起き抜けに耳が痛くなる大声。乱暴に鳥籠の扉があけられると、小さくてふくふくとした手が侵入してきてジンロの身体を無遠慮にむんずと掴んだ。


(……!)


 ジンロは悲鳴を上げそうになるのをぐっとこらえた。ジンロを掴んだ小さな暴君は目線の高さに掲げるや、満面の笑みでこちらを覗き込む。


「よくねむれた?ジンロ。きょうはなにしてあそぶ?」


 飴色の瞳がキラキラと輝いている。ジンロはその眩しさと掴まれている苦しさとで、一鳴きも出来ずに固まった。と、


「こら、イスカ。そんな乱暴に扱うんじゃないよ」


 女の優しい一喝が少女に降り注いだ。イスカと呼ばれた少女は、慌ててジンロを掴む手を緩めた。ようやく呼吸が出来る、天下の獣王がこんな小娘に絞殺された、なんてことになったら仲間たちに何て言われるか。


「ごめんなさい、おばあちゃん」


 イスカはしゅんとして女に謝ると、ジンロの頭を優しく撫でた。


「ジンロ、ごめんね」


 申し訳なさそうに謝られるとこちらも責めるわけにはいかなくなる。もし人間の姿だったら大きなため息をついていたに違いない。ふと、イスカの背の向こうに目をやると、


(……)


 こちらの様子を眺めほくそ笑んでいる女の姿が見えて、ジンロは苛立ちを覚えた。


(あの女め……)


 明らかにジンロを馬鹿にした様子、すぐにでもぶっ飛ばしたい衝動に駆られたが、


「ジンロ?」


 ジンロの目線をイスカが遮った。どうしたの?と言わんばかりに無垢な目をこちらに向けてくるので、ジンロは毒気を抜かれてピィと鳴いた。


「朝ごはんできたよ、イスカ」

「うん!ジンロもいっしょにたべよ」


 ジンロを抱えてイスカは食卓へと向かう。ジンロも渋々それに従った。何と言うか、一体何をしているんだ、という気持ちが強い。


 この家にやってきたのは五年前。今ジンロを腕に抱えている少女、――万物の奏者レーディンレルのイスカを喰おうとしてこの家に忍び込んだ。そしてリンデに返り討ちあったあの後、釈放する代わりにリンデから一つの提案が持ち出された。


『これから十五年、イスカと一緒に過ごしてみな』


 そう言ってニヒルに笑ったリンデを見て、こいつは頭がおかしいんじゃないかと思った。どうしてわざわざ大事な孫を喰おうとした危険人物を引き止めるのか。その真意がわからずジンロは戸惑った。今まで生きてきた中で、初めての経験だった。


『お前は長生きなんだろ?たった十五年じゃないか、お前にしてみれば瞬きのような一瞬だ。その一瞬さえ我慢すれば、お前は欲しい物を簡単に手に入れる事が出来るんだよ』


 彼女の言う事が理解できなかった。――いや、正確には理解しようにも常軌を逸脱していて考える事すらも出来なかった。


『どうした?怯えてるのか?ならいいよ、さっさと尻尾巻いて帰んな』


 そして初めての経験故に、安易な挑発にすら構える体勢が整わなかった。結局売り言葉に買い言葉で、ジンロはリンデの挑発に乗ったのだ。


『十五年経ったらこいつを喰ってやる。お前も、ただで済むと思うな』


 そう言って見栄を切ったはいいが、実際のところ本当に怖かった。この未知数の女がこの先何を仕掛けてくるか、本当にわからなかったからだ。



 だが、これがジンロと女――リンデ=トンプソンとの間に交わされた誓約。これから先、しばらくの間この少女と共に過ごす事で、ジンロは飢えを満たすための最高の餌を手に入れる事が出来るのだ。


(あとたった十年じゃないか、そんな時間、今まで過ごした月日に比べたら――)


 そうぼやきながら、出された木の実を美味しそうに見えるように食い散らかす。


「ジンロはくいしんぼうだね」


 その隣で少女が無邪気に笑う。なんて能天気な奴なんだろう、今目の前にいるのはお前を喰おうとしている化け物だぞ。なんて思ったところでジンロには何も出来ない。

 そして何故かジンロは当たり前のようにこの二人の日常に馴染んだ。どうして自分は今その少女と、この憎たらしい女と呑気に食卓を囲んでいるのか本当にさっぱりだ。無邪気なイスカはジンロを受け入れ、リンデもまた彼を許容する。いつの間にか自分でも何を目的にここに来たのか、忘れてしまいそうになっていた。

 そういう生活が、もう五年も続いている事に驚いた。



 ジンロの標的、イスカ=トンプソンという少女はいたって平凡な庶民の娘だった。どこにでもいる子供のように無邪気に笑い、そしてよく泣いた。少し面倒くさがりでガサツなところもあるが、感受性は豊かでどんなものにも興味を示し、接する相手にも敬意を持っていた。

 これまで何人もの万物の奏者レーディンレルと出会った事があるが、実のところ彼女たちの気質を詳しく知っているわけではない。万物の奏者レーディンレルは皆こうなのか、ジンロには定かではない。

 餌の性格や心情なんてこちらがはかる必要などない。気に留めなかったのは当たり前の事だ。

 イスカ=トンプソンという一人の少女に対しても、ジンロは深入りするつもりはなかった。彼女はあくまでも餌で、ジンロはそれを喰う機会を虎視眈々と狙う化け物だから。


 だが、こうして共に過ごす時間は嫌がおうにもジンロにイスカの人となりを突きつけてくる。

 彼女は素直でとてもいい子だ。素直過ぎてそのうち悪い大人に騙されるんじゃないかと思った。リンデもそう思っているからだろうか、彼女はイスカをあまり外に出したがらなかった。多分リンデなりの孫の防衛なんだと、ジンロは過保護だと思いつつ解釈していた。

 イスカはリンデの言う事はよく聞いた。決して逆らわず、口答えする場面を滅多に見た事がない。彼女は祖母に何かを言いつけられた時、ぐっと身体が強張る。目を見開いて祖母の顔色の変化を逃すまいとする。そういう振舞いをする時のイスカは、年相応の少女とは違う雰囲気を帯びていた。当時のジンロでは窺い知る事は出来なかったが、それはある種の『恐怖』に分類されるものではないかとうっすら思っていた。決して彼女たちの『親子関係』は不良ではない。だが、あの時の家では絶対君主であるリンデとそれに服従するイスカの構図が出来上がっていたような気もした。

 だからだろうか、リンデが側にいないとき、イスカは緊張の解れたような表情をする。そしてその隣には大抵ジンロがいた。


「ジェシカおねえちゃんがね、とけいとうにのぼったことがあるっていってたの」


 ジェシカというのはリンデの私塾に通っている塾生の一人で、イスカより五つ年上の年長組の子供だった。

 この頃のイスカはまだ正式な塾生ではなかった。教室で絵本を読んでもらったり、放課後塾生に遊んでもらったりする事はあったけれど、リンデの授業の間はこうして庭で一人遊びをするのが常だった。庭先でシロツメクサを摘みながら話をする少女の傍らで、ジンロはその様子をじっと見守っている。


「このいえからもみえるでしょ?あのおっきなたてもの、かいだんがあってね、あしがつかれちゃうんだって。でもてっぺんまでのぼるとこのまちがすごくよくみえるらしいの」


 プチプチと茎を手折る音がする。その音に交じって、リンデの声が教室の方から聞こえてきた。今は授業中、何かの本でも朗読しているらしい。


「ね、ジンロはとけいとうのうえにいったことがある?」


 メルカリアの中心にそびえる時計塔は、昔からメルカリアの人々にとって馴染みのある町のシンボルらしいのだが、生憎ジンロは登ったこともないし興味もない。

 イスカは摘んだシロツメクサの束を数本とって少しずつ編んでいく。小さな手が動かされる一方で、彼女はしゃべり続ける。


「おばあちゃんにとけいとうにいきたいっていったら、おこられるかな?」


 少女は悩まし気にため息をついた。どうやったらあの時計塔に登れるか幼い頭で必死に考えている。


(リンデはたぶん、一人で行くことを許可しないだろうな)


 もしジンロに言葉を伝える術があったらそう言っていたに違いない。リンデ自身も塾の経営が忙しいのか、買い出し以外で外出をしているところを滅多に見た事がない。イスカをつれてどこかへ出かける、という行為はこの家にいる限り到底考えられるものではなかった。


「よしっ、できた!」


 いつの間にかイスカの動かしていた手の中から、小さなシロツメクサの輪が現れた。イスカはその出来に満足そうに頷きながら、その輪をジンロに向ける。


「どう?かわいくできたとおもわない?」


 可愛いと言われても、とジンロは何と反応して良いのかわからず、言葉の理解できない普通の鳥としてふるまった。するとイスカはその出来上がったばかりの輪をジンロの首にかける。


「へへ、ぴったり」


 イスカが被るには明らかに小さいだろうと思っていた花の輪はジンロの首にぴったりとフィットした。花の首飾りなんてかけられたのは人生で初めてかもしれない。客観的に見てなんとも間抜けな姿しか想像できなくて、本当に何やってるんだ俺はと嘆かわしくなった。でも、


「ジンロかわいい」


 そう言って頭を撫でられるとそれもどうでもよくなってくる。

 ふと、ジンロの羽を撫でていたイスカの手が止まる。


「ねえ、ジンロってどれくらいたかくとべるの?」


 少女が目を細め小首をかしげた。


「あのお山のてっぺんまでとべる?」

(……)

「もしジンロがもっとおおきくなったら、わたしをのせてとけいとうまでつれていってくれる?」


 その瞬間ジンロはぎくりとした。まるでジンロの正体を知っているかのような確信めいた問いかけに、ジンロの思考が奪われる。


(いや、わかるわけがない。俺の正体になんて――)


 密かに固まって動けなくなっているジンロをよそに、イスカは真剣な顔で、


「でも、わたしをのせるのにあとなんねんかかるかな?こーれくらいおおきくならないとわたしのれないね」


 腕を広げてきゃっきゃとはしゃぐ少女に脱力した。


(俺は何年たってもこの大きさだよ……)


 小鳥の姿のままのジンロが、年を取ったからといってイスカを乗せられるくらい大きくなるわけがないだろ、という野暮なツッコみを心にしまい込んで。

 でも、本当は待たなくても彼女の望みはすぐにでも叶う。ジンロが本当の姿になれば、幼い少女を抱えて飛ぶ事くらい簡単だ。

 だが今はそれはできない。人間の姿でイスカの前に立たない事。これがリンデとジンロが交わした誓約の一つなのだから。


(本当に、呑気な奴だ)


 ジンロが人間の姿で彼女の前に現れる時、それは恐らく、――彼女を喰う時に他ならない。そんな事も知らずに、少女は無邪気に笑っている。空を飛ぶことを夢見て、ジンロに羨望の眼差しを送る。


「いつかいっしょにおそらをとべたらいいね」


 そう言ってジンロの羽を優しく撫でる。首にかけられたシロツメクサの飾りがやけに重く感じられた。

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