第四話 名も無き君へ⑤
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深夜を過ぎた頃、島の中央に位置する社に十人ばかりの男たちが集っていた。年は二十代から六十代と幅広く、顔つきもまばらだが、皆一様に真っ白な貫頭衣を着用していた。
「宗主様、占術師からの報告によれば、次の嵐が五日後に来ると」
宗主と呼ばれた男は他の者とは異なり、赤の袈裟を巻いていた。まだ四十代くらいであったが蓄えた髭が年齢以上の貫禄を伺わせており、鋭い眼光も相まって周囲の者たちをまとめる長の風格を持ち合わせている。
「あの婆の予言か?」
「はい」
「巫女はどうした?」
宗主が問うと、若い男は口を噤んだ。巫女の名が出た途端、皆一様に顔を反らして黙り込む。宗主は深くため息をついた。が、彼らの気持ちもわからなくはないので、非難することだけはしなかった。
「嵐の件はまた後日考えよう。明日、予定通り祓いの儀式を執り行う。今回はどこの家だったか?」
「トンドの家です」
「トンドか……。確かあそこの長男が今度嫁を取るらしいな」
「はい、カシフ家の娘とです」
その瞬間、男たちの中で一番若い男が肩を震わせた。宗主はその僅かな反応を見逃さず、その青年の顔をのぞき込む。
「カシフ……、お前は確かカシフ家の長男坊だったな」
「は、はい……」
「嫁ぐのはお前の妹か?」
「はい、五つ下の一人目の妹です」
青年は床を凝視したまま堅い口調で答えた。彼の身体は細かく震えており、顔面は蒼白で額には汗がにじんでいる。
「トンドの家に祝福を与えるというのなら、その代償もトンド家に近い者が負わねばならぬだろう。トンド家に若い娘はいたか?」
周囲の男たちは一斉に首を振った。ただ一人、カシフの青年だけは微動だにしなかった。
「ならばトンドの長男に最も近い家族に負ってもらうしかあるまい。流石に貰ったばかりの嫁を犠牲にするのは心苦しい、ならば――」
「イエだけは!イエだけはご容赦ください!」
青年が叫んだ。
「イエというのか。お前のもう一人の妹は」
「お願いです宗主様!生贄が必要だと言うのなら私がなります!だからどうか、妹だけは!」
青年は床に額を擦り付けんばかりに許しを乞うた。周囲の者は誰も何も言わない。青年を助太刀しよう者など、誰一人としていなかった。
「生贄は若い娘と決まっている。これはしきたりだ」
「宗主様……!」
「お前は今まで血肉を捧げた先人の娘たちを愚弄する気か?今まで散々贄を捧げ続けておきながら、自分の家族の番になって『妹だけは』と懇願するのは些か都合がよすぎるだろう」
青年は頭を下げたまま硬直した。そして、次の瞬間獣の慟哭のように泣き叫んだ。広い社に男の叫喚が響く。宗主や他の男たちはその青年を憐れみの目で見下ろした。その時、
「……!」
社の正面入り口の扉が静かに開いた。どろりとした夜の闇の中から、真っ白な服を着た儚げな少女が幽鬼のように姿を現した。
「巫女様……!」
皆一斉に少女の方に目を向ける。泣き叫んでいた青年すらも、泣くのをやめてそちらを向いた。
少女は遠慮のない足取りで社の中へ入ってくる。男たちの側を通り過ぎると、奥の壇上にある豪奢な座椅子に腰かけた。
「巫女様。ちょうどお呼びしようと思っていたのです」
「……」
「明日、予定通り禊の儀式を執り行います。それから五日後、この島に再び嵐が起こります。どうか巫女様のお力で加護を――」
宗主が深く平伏する。周囲の男たちもそれに続いた。少女は彼らをじっと見つめたまま動かない。何の感情も映さない、そのガラスの様な瞳が僅かに細められた。
「――島民を」
少女の深い海の底を思わせるような声。固く閉ざされていた小さな唇が動いた瞬間、男たちはハッとして顔を上げた。
「島民を集めよ。全員」
「……は、全員でございますか?女子供も?」
少女は静かに頷いた。男たちは互いに顔を合わせる。この島の儀式はいつも神官と各家の戸主のみの参加が通例である。島民全員が参加する事など、今までにない事例だ。突然の少女の注文に男たちは戸惑いを隠せない。
「儀式は、明日に」
そう言うと少女は立ち上がり、椅子の奥に続く座敷へと消えていった。あの先は巫女しか踏み入れる事の許されない聖域。黙って消えていく少女を男たちは唯々見送る。
「儀式の準備だ」
宗主がそう呟くと、男たちは各々で準備に取り掛かり始めた。先ほどまで泣いていた青年も仲間に支えられ社を後にする。
宗主はしばらく一人、少女の消えた御簾の向こうを眺めていた。
「ふん、相変わらず気味の悪い女だ」
宗主はそう呟くと、まもなくその場を立ち去った。




