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第五話 尊い時間③

 ◆

「遠征に行くんだ」


 同級生が皆卒業し、祖母が亡くなり、イスカが私塾の先生を始めて一年が経とうとしていた頃の事。その日久しぶりにローレンスと顔を合わせた時、ローレンスは少しかすれた声で告げた。


 彼はまだあどけない顔をしていて、不安そうな表情を宿している。

 彼が幼い頃から騎士を目指していたのは知っていた。その夢をかなえるため、卒業後すぐ軍門を叩いた事も。そして今、その夢の第一歩が叶ったのだ。イスカは嬉しくもあり、同時に寂しくもあった。


「頑張ってね、ローレンス」


 イスカが出来るのは激励くらいだ。彼はもう遠い世界に行ってしまうんだと、この時なんとなく思っていた。


「俺はもっともっと上に行きたい」

「うん、きっといけるよ」

「俺を見下していた奴らを見返してやりたい」

「……あまりひどい事はしちゃダメだよ」


 ローレンスは迷ってはいなかった。そのまっすぐさがひどくイスカを不安にさせた。

 そしてローレンスは、それから何も言わず去っていった。挨拶をしないのは、きっともうここには戻らない、そう暗に言っているのだと思った。

 それでもきっとローレンスとはまた会える。話をして、あの頃―――共にこの学び舎で過ごした頃みたいに笑い合える。イスカはそう信じていた。


「ローレンス……」


 その孤独な背中に呼び掛けた。ローレンスは振り返らない。


 ―――置いて行かれる。


 イスカは目からボロボロと涙をこぼした。


 行かないで欲しい。ローレンス一人だけ飛び出していけるなんてそんなの―――


「……ずるいよ」


 イスカはぽつりと呟いた。涙で滲む夕暮れの中に、ローレンスの影と、―――大きな飛来する金色の輝きが見えた。それは一陣の風を吹かせ、遠く彼方へと消えていく。夕暮れに染まる美しい金の色、だが、イスカはその姿を見る事が出来なかった。涙でぼやけた視界の中で、それは夕暮れに溶けて、消えた。




 イスカは騎士団の本部にある客間に通された。

 覇気のないイスカがのろのろとソファに座り込むと、ローレンスも同じように腰を下ろした。しばらく二人とも何も言わない。ローレンスはイスカが話せる状態になるのを待っている。口火を切るのは自分からだ。


「……約束よ、教えて。今回の事、私にもわかるように」

「勿論。だがその前に俺の方から聞いておきたい事がある。お前たちが対峙していたあの化け物は何だ。知っている事を全て話せ」

「……私だってよく知らない。ただあの人は―――スクラさんは、蜥蜴の王と呼んでいた。それからあの男は私を食べようとしていた。私にわかるのはそれだけ」

「蜥蜴の王か……、まさか馬鹿にしていた空想話が本当に現実に舞い戻るとはな」


 するとローレンスは手元にあった資料の中から巻紙をイスカに寄越した。イスカは慌てて受け取るも随分と古い羊皮紙の様な肌触りに眉を寄せた。取り扱いに注意しろと念を押され、慎重にその表面を探る。


「これ……、何?随分古い文献みたいだけど」

「およそ八百年前の記述だ。古語は私塾で習ったから読めるな?」


 イスカはその古い羊皮紙に目を通した。そこに書かれていたのは、これまで読んできたどんな本にも記述されていなかった未知の記録だった。




 今は昔、セシリアという国に一匹の妖魔ありけり。青黒き鱗を纏いし悪しき姿たり。そのもの夜毎に人を喰らいて歩きたり。

 天秤の座が輝く夜、セシリアの王妖魔に狩られ命を落とす。妖魔みずからを王となし国土をみな鱗に変えん。生けるものはみな死に絶え、地獄のごとき光景なり。

 セシリアに服するシルキニスの公、大いに焦り兵を集める。シルキニスの若き兵二万、セシリアの王都を目指し進軍す。幾年待てど兵一人も戻らず、妖魔怒りたる。


 シルキニス公、術師を集めおぞましき試みを始めたり。自らに妖魔を生み出すものなり。

 五千の動物に、千の生贄をささげたり。生贄となりし者、目を抉られ脳を引きだし、肺と臓物を切り開かれん。心臓はくり抜かれ供物にならん。

 おぞましき試み、実を結ぶ事なく途絶えたり。一人の娘、その地に舞い戻りし時までは。


 その娘、術師の一人なり、生命の息吹を聞きとらん。口なき者と言葉を交わし目に映らぬ者と笑みを交わす。

 公この者を捕らえんとする。その娘、シルキニスの最後の生贄となりけり。


 彼の者を喰いしは、七匹の獣なり。


 その虎、娘の臓腑を喰らう。

 その兎、娘の目と耳を喰らう。

 その狼、娘の喉を喰らう。

 その鮫、娘の両足を喰らう。

 その栗鼠、娘の左腕を喰らう。

 その猿、娘の右腕を喰らう。

 その鳥、娘の心の臓を喰らう。


 七匹の獣は妖魔と同じく人となりて、妖魔を打たんと誓う。

 鱗の妖魔、七匹の獣の手にてついに倒される。王都生きるものは潰え、獣共もいずこかに消え去れり。




「これはとある筋から得た貴重な資料でな。文章の最後に記されている印はガラドリム王室の印璽(いんじ)だから偽りはない。セシリアとはかつてシルキニス公国が盟主としていた王国の名だ。文献の上ではある日突然滅亡し、その王位は全てシルキニスの公爵のものとなり、現在のシルキニス王国が誕生したという」


 羊皮紙を凝視していたイスカにローレンスはゆっくりと語りかける。だが、イスカはその声の半分も耳には届いていなかった。


「イスカ、以前お前の家で聞いたあのお伽噺の元はこれだ。あの話は過去に本当にあった『失われた王国の物語』だったというわけだ」

「じゃあ、あの人は……、私を狙っていたあの鱗の男は」

「そうだ、あれがこの文献に出てくる鱗の妖魔だ」

「それはつまり妖魔の子孫って事……?」

「違う。あいつはそこに書かれた妖魔本人だ」


 イスカはふるふると首を振った。

 まさかそんなはずがない。この羊皮紙に書かれている事が正しければ、セシリアという国はもう八百年以上前に滅んだ国だ。


「そんなはずないわ、そんな昔に生きていた者が今生きているはずがない」

「俺も最初は信じられなかったさ。だが、これを授けてくれた人間が全てを語ってくれた。……俺がその者に協力を仰いだ理由、そして俺があの鳥の男を捕らえた理由がこれだ」


 そうしてローレンスはまた別の紙束を差し出した。今度のはまだ新しい。と言っても、黄ばんでいてもう数十年は経っている物ばかりだが。


「これは……?」

「今回この町及び各都市で起きた惨殺事件には、鱗が生える以外にも共通点があった。死体は脳と内臓の欠如と血液の喪失、まるで何者かが人肉食を行ったような遺体になっていた。……そして、それとよく似た症状で大量の人間が殺された事件が過去にあった」


 一枚目の紙には二十年前の大量虐殺事件の記録、その次は四十年前、さらに遡っていくと、それは百年以上前のものにまで達していた。死体はいずれも欠損状態で身体の部位を失っており、残りの部分は食べカスの如き無残な姿のまま残されていたという猟奇的な内容だった。


「この事件は古いものを含めてほとんど迷宮入りになっていた。だが、一度だけ犯人と思われる人相書きが手配された事がある。それがこれだ」


 示された紙面を見て、イスカは息が止まりそうになった。


 切れ長の瞳に整った美丈夫の若者。

 そこに描かれていたのは、間違いなく先ほどまで隣にいたあの男、スクラ=ウィンウッドその人だったからだ。見間違えるはずもなくはっきりと、この猟奇的事件の関係者であると明記されていた。


「これで分かっただろう?八百年前に起きたセシリアの滅亡に関わった連中、蜥蜴の王と獣王は生きている。人間を喰って人の姿を手に入れた奴らは、定期的に人間を摂取して今日まで生き永らえてきた。原理なんて知らない、だが奴らは確実に人間社会の中に潜み、俺たちを食料としてみなしてきたんだ。そしてお前にどういう因果があるのか知らないが、奴らはお前を狙っている。お前は奴らに喰われようとしているんだ」

「嘘……!そんな事ない!」


 少なくともあの人は。だがその時、肩の傷がじくりと疼いた。昨晩彼につけられた噛み痕がどうしようもなく痛む。


「ならどうしてあなたはすぐにあの人の元へ辿りついたというの?あなたは彼の何を知っているというの?」

「簡単な話だ。……知っていたからだ。俺はこの事件より前にあいつと会っていたんだ。そしてあいつがお前と関わりのある人間だという事もな」

「えっ」


 イスカは驚いた。どうしてローレンスが知っているというのか。今まで四六時中一緒にいたイスカですら、昨日初めて顔を合わせ今日初めてその正体がわかったというのに。


 ローレンスは古い記憶を辿る様に、空を仰いだ。その仕草はかつて私塾で共に学んでいた頃の幼いローレンスを思わせた。


「二年前の事だ。俺はハイネル騎士団の遠征に向かう事が決まった時、己の過去を全て清算する事を決意した。だからお前に会いに行った。覚えているか?」

「ええ、覚えているわ」


 それは夕日がきれいな日の事だった。神妙な面持ちでやってきたローレンスは、遠征に向かうのだと告げ、去っていった。あの時ローレンスはイスカや私塾の事を全て捨てるつもりであの場にやって来ていたのだ。


「お前に別れを告げた後、俺は一人の男と会った。金と虹色の翼に同じ色の髪をした浮世離れした男だった。そいつは何故か俺に全力で憎悪を向けた。そしてこう言ったんだ。『もう二度とイスカに近づくな』と」

「……!」

「そしてこうも言われた。『もしまた今日の様な事があれば、俺は地獄の底からでもお前を殺しに来る』とな。強欲で残忍な目だった。俺はまるで悪魔と対峙しているかのような気分だったよ。あれから俺はそいつの言った事を思い出す事はほとんどなくなったが、あの悪魔の如き様だけは鮮明に覚えていた。そしてこの手配書を見た時、それは確信に変わったんだ」


 イスカは絶句した。


「そんな……、じゃあどうして、あの人はずっと私の傍にいたの……?」

「そんなの簡単だ。……お前を喰う機会をずっと窺っていたんだろうが」


 無慈悲な言葉が突き刺さった。


 そんなはずない。あの人はいつだってイスカを励ましてくれた、支えてくれた。

 食べるためなんかじゃない。あの人は、化け物なんかじゃない。

 だって言っていたじゃないか。イスカを守るって、どんな事があっても傍にいるって。


 ―――もう一度そいつを喰らえば、私を倒す力が得られるぞ。

 ―――お前は奴らに喰われようとしているんだ。


 そんなはずない、そんな事は。


 ―――腹が減った、喰いたい。


 イスカは頭の中が真っ白になった。

 瞼の裏に浮かんだのは、イスカを慰めてくれた鳥の姿。涙を拭いてくれた、傍に寄り添ってくれていた、愛しい小鳥。

 その姿がゆっくりと焼き切れて、炭になって消えた。

古語は適当です。

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