第五話 我らの領分にあらば①
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一晩経って外を歩くと兵たちの怯えた気配が纏わりつく。皆視線を合わせぬよう顔を背けて、チェスターが通り過ぎるのを静かに待つ。
「……くそっ、やっぱり怯えられてんじゃねえか」
チェスターは忌々し気に舌打ちをした。それを聞いた近くの兵がますます委縮する。
そもそもどうしてこうなったのか。はっきり言っておくがチェスターは全くもって悪くない。悪いのは隣で平然と歩いている弟の方だ。
「どうするんだよ、お前が昨日余計な事をしたせいで」
「俺はお前に危害を加えようとした奴を成敗したまでだ。正当防衛だろ?」
「だからって手首切り落とすのはやりすぎだ!」
昨晩野営地に乱入してきた無作法者を追い払ったのはいいものの、そのやり方が失敗だった。おかげで兵たちの間ではチェスターもろとも『おっかない奴ら』という認識が広まってしまった。
「兵のくせに、手を切り落とされたところを見たくらいでビビるなんて軟弱な奴らだ」
リシュリューはいけしゃあしゃあと述べる。おそらく兵たちが怖がっているのは、手を切り落とされた事ではなく、それを平然とやってのけ顔色一つ変えないこいつの態度に怯えているのだと思うが、こいつに言ったところで理解するはずもないだろう。
「ところで外をうろついて何してるんだ、俺ら?」
「うろついてるんじゃなくて監査だろ!仕事だ、仕事」
まったく戦闘事以外には無頓着な奴だ。チェスターはリシュリューの事など放っておいて兵たちの仕事を観察する。
上司に言われて兵たちを監査しているものの、任務の詳細まではよく知らない。はたして彼らのやっている事が何の政策に繋がるのか、それがわからずチェスターは実のところモヤモヤしている。
とはいえ、それを上司に追求する勇気があるわけでもなく―――、
「あの……、ブレイク監査官殿」
その時、付きの若い兵がおずおずと近づいてきた。彼も昨晩の一件を目の当たりにして、チェスターたちに恐怖心を抱いているようだが、仕事を放棄するほど無責任ではないようだ。
「なんだ?」
「それが、またお客様がいらしているようなのですが……」
「客?」
昨晩のあいつらだろうか?だが、若い兵はその客が、チェスターたちを名指しで呼んでいると告げた。
チェスターの事を知っているのはごく限られた人間だけだ。それこそ、上司がらみの人間しか知らないはず―――。
「わかった。案内してくれ」
「はい、こちらです」
若い兵に先導され、チェスターは野営地の外れへと向かった。あとからリシュリューも黙ってついてくる。
連れられた先に待っていたのは、薄汚い服を着た小太りの男だった。
「あんたらがチェスター=ブレイクとリシュリュー=ブレイクか?」
男はこちらの姿を確認すると、溌溂とした声で問いかけてきた。その態度が、随分とさっぱりしているので、チェスターも思わず頷いてしまった。
「あんたは誰だ?何故、俺たちの名前を知っている?」
「俺はヒューゴだ、―――ヒューゴ=ノイマン。ただの小間使いだから構えることはねえ。ただ、ちょっと話しておきたい事があったからな」
ヒューゴ=ノイマン。聞いた事ない名前だ。気さくすぎる見知らぬ男に、チェスターが訝し気に眉を寄せていると、
「若い兵士さんよ、悪いがちょっと外してくれないか」
「は、しかし……」
「大丈夫。妙な事は何もしねぇさ。もっとも、……なんかやろうとしたらそっちの兄ちゃんが黙っちゃいないだろうからな。また手首吹っ飛ばされちゃ敵わねぇ」
その発言により、この男が昨晩乗り込んできた奴らの仲間だという事が確定した。リシュリューがポケットに忍ばせていたナイフに手を伸ばそうとするので、慌ててそれを制止する。
「すまない。君、言う通り下がってくれ」
「……はっ、お二方の見える位置に待機しております」
呑み込みの早い兵はすぐにその場を離れた。チェスターはリシュリューを宥めつつ、ヒューゴと対峙する。
「話とはなんだ?昨晩あんたの仲間を傷つけた事ならあれは不可抗力だ。そちらが先に暴力を振るおうとしたんだ」
「ああ、その件ならむしろこちらが謝らねえと、と思っていたんだ。部下が無礼を働いて悪かった。雇い主の俺から謝っとくよ」
そう言ってヒューゴは深々と頭を下げる。やはり不審な男なのにどこか警戒心を薄らげる。
「話ってのはお前さんたちの事だ。……まあまどろっこしいのは嫌いだから単刀直入に聞こうか。―――お前さんたち術師だろ?」
「!?」
チェスターは固まった。何故、術師である事はここに来てから誰にも告げていない。同胞がいた形跡もない。いや、
「まさか、あんたもか?」
「ご名答。こんなところで同胞に会えるとは思っても見なかった」
そう言うヒューゴの瞳の奥には、確かに術師特有の紫の靄が見える。ヒューゴは座っていた岩から立ち上がると、チェスターに握手を求めてきた。
「ブレイクって姓は聞いた事がないな。放浪型の一族か?」
「そんなところだ」
チェスターたちには故郷がない。里を作らなかった術師たちは、時代に合わせて拠り所を変えていった。死んだ両親も、故郷と呼ぶところがなく親類もいなかった。兄弟二人になってからは教会に身を寄せ、それ以来術師である事を公にした事はなかった。
「何故、俺たちの事を?」
「とある術師から聞いた。というのも、お前たちの雇い主がアルトリカ=ロースローンだと知ったからな。お前たち、あの坊ちゃんにこき使われているそうじゃないか」
「ロースローンさんを知ってるのか?」
「知ってるも何も有名人だぜ、あいつは。なにせあのロースローンの末裔だ」
意気揚々と答えるヒューゴに対し、チェスターは話が読み込めずポカンとした。アルトリカが騎士で名のある地位にいる事は十二分にわかっていたが、彼は術師としても有名人だったのかと感心する。なにせチェスターは術師界隈の事情に疎いのだ。
「それで、俺たちがロースローンさんに雇われている事と、俺たちに話があるというのはどういう関係が……?」
「ああ、そうだった。実はな、俺たちは今ある女を追っているんだ」
それは昨晩男の部下が言っていた、逃がしてしまった女の事だろうか。
「その女は王都にいるとあるお偉方に売りつけるはずだった。ところがその道中で部下が逃がしちまってな。逃げたらしいこの森を目下捜索中なんだが……」
するとヒューゴが声を低くしてチェスターに耳打ちする。
「お前さん、『万物の奏者』って知ってるよな?」
「万物の奏者……?」
聞きなれない言葉だ。よく知らないと返すと、ヒューゴは信じられないと言った様子で空を仰いだ。
「まじかよ……、ロースローンの奴、そんな事も知らない奴を雇ってるのか?」
「……知らなくて悪かったな」
こちらは幼い頃に両親と死に別れて術師の知り合いもいなかったのだ。流石に苛ついてきたチェスターは男を不躾に睨みつける。
「まあ、万物の奏者に関しては後で上司に聞いてくれ。実はな、俺たちが逃がしちまったその女ってのが、その万物の奏者なんだ」
「……それで?」
「そしてお前たちの上司、アルトリカ=ロースローンが今血眼になって探し回っているのもその万物の奏者。つまり俺たちは同業者って事だ」
そうだったのか、と思わぬ繋がりにチェスターは感嘆する。ならば、アルトリカが万物の奏者と呼ばれる女を探している件については後で訊いてもよさそうだろうか。
「だが、お前はその万物の奏者とやらを別の奴に売ろうとしていたと言わなかったか?」
「ああ、つまり、お前の上司ロースローンと俺の依頼主。その元締めは同じって事さ」
「それって……」
何やら立て込んだ話になってきた。騎士であるアルトリカと奴隷商人であるヒューゴの依頼主の大元が同じ。きな臭さが話の節々からにじみ出る。これ以上知る事は、チェスターにとって有益なのだろうか、そう思いながらも彼は問う事を止めなかった。
「……ならロースローンさんとあんたの依頼主の目的とは何だ?」
「実験さ。この時代に、再び獣王を生み出すためのな」
「獣王?」
「……まあ、万物の奏者を知らなけりゃあそれも知らねえか。獣王ってのは恐ろしい生き物だ。人の姿を持った獣で人を喰う化け物だよ」
その時、今まで未知の情報に驚かされるばかりであったチェスターの脳裏に初めて何かが引っかかった。人喰いの獣、人の姿を成した異形の獣、人を喰う怪物―――。
「なあ、それってひょっとして―――」
だが、チェスターが言及しようとした時、森の方からぞろぞろと兵たちが現れた。森に入っていた部隊が任務を終えて帰還してきたのだ。鎧を着こんだ彼らは強烈な異臭を放っていた。獣の臭いと血の臭い、それが入り混じった激臭にチェスターは思わず顔をしかめ鼻を覆う。
「動物をしとめてきたようだな」
ヒューゴの呟きの通り、彼らは動かない獣を乱雑に積んだカートを押していた。屠殺された獣たちは赤い血を地面に滴らせ運ばれてくる。
ヒューゴが躊躇いなく兵士たちに近づいた。兵たちも一瞬怪訝そうな顔を見せるが、チェスターの姿を確認すると、関係者だと察したかすぐに敬礼の姿勢を取る。
「すげえな、おい、これ皆死んでいるのか?」
「いえ、生きているものもあります。これから選別を行い、生きていて状態のいいものを王都に送ります」
よくよく聞いていると恐ろしい会話だなと思った。チェスターは特別動物愛好家というわけではないが、この血生臭い光景を平気で見ていられる程肝が据わっているわけではない。
対し小太りな男はまるで商談でも交わしているかのように軽快な調子で兵たちに話しかける。
「なら余った死体を分けてくれ。どうせ処分するんだろう?」
「ええ。……ですがあなたは?」
「俺はただの商人だよ。なあに、別に悪い事には使わん。ちょっくら君らのおこぼれにあずかろうというだけさ。金も払おう」
ヒューゴは巧みな話術と懐から取り出した金貨で兵たちを懐柔すると、あっさりと交渉にこぎつけた。兵たちが作業を再開すると嬉しそうに鼻歌を歌い出す始末だ。
「獣の死体なんて買い取ってどうするつもりだ?」
「餌に使うのさ。獲物をおびき寄せる、な」
ヒューゴはにやりと笑うと、森の方を眺める。
その男の笑みにうすら寒さを感じながら、チェスターは兵たちの作業を見守っていた。




