第四話 観覧②
中は長い階段になっていて蝋燭の僅かな光源のみしかなく薄暗い。地下へと続く回廊にヒールの足音が周囲に反響し、その度に灯が揺れた。
「長い階段ね。特別な競売って言ってたけど、本当にこの先にあるのかしら?」
通路は狭く人の気配がしない。向かいからやってくる人も、エレノーラたちの後からついてくる人もいない。
ギグはエレノーラの後を黙ってついてきた。さっきまで口うるさかった彼が異常なまでに大人しい。
「嫌なら外で待ってても良かったのよ、ギグ」
「そう言うわけにはいきませんよ」
ギグはきっぱりと言った。彼はどこか思いつめたような顔をしていた。
「ねえ、どうしてそんな緊張しているのよ?らしくないわよ」
「……」
ギグは答えなかった。一体どうしたのだろうと、首を傾げつつ歩を進めると、やがて先の方から人の声が聞こえてきた。それも沢山、歓声のようなざわめきだ。
「あ、もうすぐ会場みたい」
そう言ってエレノーラは少しばかり速度を速めようとした時、ギグに手を掴まれた。驚いて振り返ると、ギグは今まで見た事もないような険しい顔つきになっていた。
「お嬢様。……多分ですけど、この先の光景は、あなたは見ない方がいいかもしれません」
初めて見るかもしれない、ギグの氷のような眼差しにエレノーラは胸がざわつく。
「見ない方がいいって……、どういう事?」
「……まあ、ここまで来たならそれも勉強でしょう。ただしあなたには、少し刺激が強すぎるかもしれない。―――旦那様に大事に育てられてきたあなたには」
今度はギグがエレノーラの手を取って先を歩き出した。一体何のことか、と頭に疑問符を浮かべるエレノーラに構わず、彼は歓声の響くその先へと向かっていく。
視界が開けた。歓声が耳を劈く。
(―――!)
エレノーラの視界に飛び込んできたのは円形のホールだ。さっきいた催事場と同じくらいかそれ以上の広さの空間に、舞台と客席が並べられている。
中央に直径二十メートルほどの舞台が組まれ、その周りを客席が放射状に取り囲む。まるで古代の闘技場のような雰囲気だった。
客席は人で埋まっていた。皆夢中になって舞台に向かって声を上げ熱い視線を注ぐ。彼らは一体何に心を奪われているのか、その視線の先にあるものをエレノーラは凝視した。
「さあさあ、次の商品は本日の目玉!若く美しいセルベンデルト族の娘です!南部辺境の村出身、寒冷地特有のきめ細やかな白い肌に瞬くような亜麻色の髪!田舎の素朴な村娘だが貞淑従順、何より男を知らない無垢な身体!さあ紳士の皆さま、こんな優財を見逃しても良いのですか!?―――それでは八十万ディラから!」
舞台にいたのは目隠しをされた若い娘と、拡声器を手に熱弁を振るう男。男が手を上げ合図を送った瞬間、熱気のこもった観客席から次々と値を叫ぶ声がこだまする。
「百万ディラ、百二十万ディラ……そちらは二百万ディラ!……三百万ディラ出ました!さあそれ以上は―――」
値が吊り上がる度、どよめきが走る。エレノーラは今目の前で一体何が起こっているのか、理解できずにいた。
「……何、これ、この人たちは一体何を……」
「競売ですよ。見ての通り」
冷静に答えたのは隣にいたギグだった。彼は動揺している様子が無い、今の状況を理解しているようだった。
「競売、って……何を売ろうと」
「舞台にあるじゃないですか、あれですよ」
そう言って、ギグが指し示した先にあるものは、手を拘束され目隠しをされた少女だけ。
「『商品』はあの娘。ここは奴隷競売です。ああやって人間を『商品』として高額で売りさばくんです」
「そんなっ……!なんてことを!」
「別段珍しくもないですよ。貴族が奴隷を買うなんていつの時代でもある事です」
「だからってこんな非人道的な事が許されるの!?」
エレノーラは思わず怒鳴り声を上げた。「声をおとしてください」とギグが忠告する。歓声でかき消されているが、エレノーラの剣幕に近くの者たちは何事かとこちらを振り向いていた。
「世の中には知らなくていい事ってものがあるんですよ。だから言ったでしょ、お嬢様は知らなくていいって」
「という事は、……ギグはわかってたのね。ここで何が行われているかを」
だから彼は乗り気でなかったのだ。ギグは肯定の代わりに嘲笑を浮かべる。その時カランカランとハンドベルを鳴らす音が響いた。先ほどの少女の売り手が決まったようだ。観客は高揚し落札した人間に拍手を送る。落札できずに悔しがる紳士もいた。皆が多様な感情を抱く中、一つ確実な事は、ここにいる誰もが人間を売買する事に関して一つの疑念も抱いていないという事。
「こんなの、……おかしいわ!人を物のように扱うなんて!何が『あなたのお気に入りの商品が見つかるかも』よ、あの男!」
先ほど入口の男から言われた言葉の意味が理解できると、エレノーラは憤慨した。自分もこちら側の人間だと思われたなんて心外にもほどがある。しかしギグはいたって冷静にエレノーラを窘めた。
「それは仕方がないですよ。俺を連れていたんですから。彼はあなたも商品の収集癖があると思ったんです」
「何言ってるのよ、あなたは奴隷じゃないわ!」
そんな風に思われるなんて、ますます腹が立つ。ギグは従者であって奴隷じゃない。だが当のギグは怒り一つ見せず涼しい顔でエレノーラを見つめていた。怒っているのは自分だけなのか、どうして彼はそんな平気な顔をしているのか。
舞台では新たな『商品』が壇上へと上げられた。歓声が響きエレノーラの鼓膜を派手に揺さぶる。エレノーラは思わず顔をしかめ、目を閉じた。
「……もうこんなところ出ましょう。ここはあなたのいるべきところじゃない」
ギグが手を差し伸べる。その手を取る気になれなかった。俯いたまま、エレノーラは小さな声で呟いた。
「……ローレンス様も、競売に参加しに来たのかしら?」
「さあ、でもここに来たという事は何が行われているかご存じだったんでしょう」
エレノーラは知らずに唇をかんだ。沸々と怒りが湧く。どうして、こんな裏切られたような気持ちになるのか。
「ローレンス様を探すわ」
「お嬢様!」
制止するギグの手を払いのけ、エレノーラは駆けだした。ギグの苛立つ声が背中を追いかけてくる。それに構わずエレノーラはずんずんと会場の奥まで進んだ。
カランカラン
また落札の鐘が響く。耳障りな音に顔をしかめながらエレノーラは必死で婚約者の姿を探した。




