第四話 観覧①
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シャンデリアの照明に照らされた室内に整然と並べられたショーケース。その中にはどこからやってきたのかもわからない逸品が所狭しと並べられ、側では商人が顔に笑みを張り付けニコニコとこちらの様子を伺っている。
「お嬢様、ぜひともご覧になってください。こちらは南洋諸島の鉱山でしか取れない貴重な鉱石を職人が丁寧に磨き上げた逸品。お嬢様の絹肌にきっとお似合いになる事でしょう」
「こちらは新大陸の原住民が作った大陸原産の植物繊維を使用した織布にございます。肌触りもよく非常に頑丈。ここでしか手に入りませんよ、さあさあ」
商人の熱烈な売り込みを笑顔でいなし、エレノーラは会場の奥へと進む。
「……これじゃあサロンに行った方がましだったわ」
エレノーラは周りに聞こえないように小さな声で呟いた。大叔母に勧められてやってきた催事場は思いのほか広かったが、膨大な数の商品を見て回る客と品々と売り込もうと客引きに精を出す商人たちで溢れかえり熱気がこもっていた。
眉を顰めるエレノーラの側を歩くミナが涼しい顔でエレノーラを諫める。
「お嬢様、変な顔をされていると目立ちますよ」
「変な顔って何よ、失礼ね」
「にこやかにしてないと殿方に敬遠されるって事ですよ」
「おだまりギグ」
エレノーラの付き人兼護衛として同行するギグは実に楽しそうに商品を眺めている。エレノーラも彼のように純粋に買い物を楽しめればよかったのだが。
「……やっぱりだめだわ。こういう人の多いところ好きになれない」
騎士団長の娘であるエレノーラは、メルカリアの貴族の間でも一目置かれる存在だった。常に堂々と尊厳たる姿であれと、父の顔を潰さぬよう人と接してきた。だから人の多い、特に位の高い者たちが集まる場にいるとどうにもその癖が抜けない。肩ひじをはり、他人の顔色を窺って、侮られまいと姿勢を正す。それがいつしか負担になっていったことは、彼女自身も無意識の内だった。
綺麗な宝石も美しい衣も、確かにエレノーラにとっては魅力的な物だったが、この会場に漂う独特の雰囲気に酔い、ますます気分は悪くなる。
「休憩なさいますか?」
「……そうするわ。どこか休めるところはある?」
そう言うと、ギグがメイン会場を出たところにある小さな談話スペースにエレノーラを誘導した。ビロードの張った高級そうなソファには誰も座っていない。これ幸いとばかりにエレノーラは深く腰を掛け息を吐いた。
「飲み物をお持ちしますわ」
ミナが給仕を探しに席を離れる。会場から漏れるざわざわとした雑音が遠くから聞こえる以外は実に静かだった。
「難儀なもんですねえ、お嬢様ってのは」
ソファの淵にもたれかかっているギグがおどけた調子でエレノーラに告げる。
「どういう事かしら?」
「大叔母様の顔を立てるために来たくもない催し物に顔を出して、名乗らなければあなたの事など知りもしない相手に隙を見せぬよう背筋を伸ばす。いやいや、貴族の矜持なんて俺にはよくわかりませんが」
「ほっといて。……そう言う性分なの」
本当にこの従者はよく見ている。ギグは貴族ではない。エレノーラの父に雇われエレノーラの側使えになった従者だ。だからこそ、貴族の愚かな性を見抜いて、それを影で嘲笑っているのではないかと思ってしまう。
「でもローレンス様の前ではあまりそういう事ありませんでしたよね?お嬢様、なんか自然体だったというか、いい意味で肩の力が抜けていたというか」
エレノーラの表情が曇った。
「そうだったかしら?そんな事、意識した事なかったわ」
「少なくとも俺はそう見えましたよ。あんたはとても幸せそうだった。きっといい夫婦になれると俺は思いましたけどね」
「やめてよ、そう言う事言うの」
エレノーラは我慢ならなくなって苛立ち気にギグを睨んだ。ここに来たのは大叔母の勧めだが、エレノーラ自身も気分転換になるかもと思ったからだ。せっかく婚約の事を忘れそうになっていたのに。
「ローレンス様との婚約はもう解消されたの。私はもうあの人とは関係ない」
「本当に、本心でそう思ってるんですか?」
「何が言いたいのよ、さっきから」
しつこく婚約の事を蒸し返してくるのでエレノーラはさすがに憤慨した。ギグは肩をすくめ降参とばかりに手を上げる。
「俺はただ、お嬢様に幸せになって欲しいだけですよ」
相変わらずのおどけた口調でギグは言う。しかし、彼は何故か悲しそうな顔で笑っていた。
ギグとミナはエレノーラが幼い頃から共に過ごしてきた従者だった。同世代の貴族の友人は多くいたが、エレノーラにとってこの二人も友人、あるいはそれ以上に信頼のおける人間だ。
婚約が解消になって、自暴自棄になっていたエレノーラを誰よりも近くで支えてくれたのはこの二人だ。家出の件だって、エレノーラの無粋な我儘に彼らはこうして付き合ってくれている。未熟な主人である事は自覚しているが、エレノーラだって二人の恩情に報いたいと思っているのは確かだ。けれど、
「あなたの思う私の幸せって何?」
「さあ、それは俺にはわかりませんよ。それこそお嬢様にしかわからない事でしょう?」
ギグはすっかりいつもの調子ではぐらかす。
「私にだってわからないわよ。この先どうしていいのか……」
「なら見つけていくしかないんじゃないですか?まだまだお嬢様の人生は長いんですから、ローレンス様以外にも似合いの男はきっといますよ」
まるで他人事のような言い方で、でもどこか悟ったような、エレノーラを安心させるような声音だった。
「なによ、大人ぶっちゃって。あんた年齢で言えば私と同じ位じゃない。ミナだってそうよ。あんたにはあるの?自分の『幸せ』ってやつ」
「俺たちはまあ……。もうすでに見つけたようなもんなんで」
「……どういう事?」
意味深な言い方にエレノーラは首を傾げた。そう言えば、エレノーラはミナとギグがハイネル家に来る前の事を知らない。ハイネル家にやってきたのはエレノーラがまだ十歳に満たない頃だったけれど、その時の彼らは―――
「……あ」
ギグに聞いてみようかと口を開いた時、彼はエレノーラの背後を見て声を上げた。どうしたのかと、エレノーラも背後を振り返る、と、
(―――ローレンス様!)
エレノーラは声に出さず叫んだ。エレノーラたちのいた休憩スペースから少し離れたホールの一角にかつての婚約者らしき人影を見た。
彼は一人ではなかった。場違いなみすぼらしい恰好をした異国風の男と、おもちゃの大剣(あまりに大きすぎてそうとしか見えなかった)を背に背負った少年という奇妙な連れと一緒だ。エレノーラは思わずギグの背に隠れた。
彼らはこちらに気づいた風もなく、ホールを移動する。彼らは何故かメインの催事場ではなく、正反対のホールの端に備え付けられた階段の方へと向かっていた。
「向こうに何かあるんですかねぇ?」
「わからないわ。でも、どうしてあの人がここに……?」
「そりゃあ、催事を見に来たんじゃないですか?」
しかし彼らはメインの会場には目もくれず、まるで人目を忍ぶようにホールの端にある階段の死角に消えた。エレノーラのいた場所からだと、僅かな隙間から彼らを迎えるもう一人の人物の姿が見える。目元を仮面で隠した怪しげな姿だ。その仮面の男がローレンスたちを手招く。どうやら奥に別の入口があるようだ。
ローレンスたちはその奥へと消えていった。エレノーラは気になって思わず階段の方へと足を進める。
「お嬢様?どちらへ―――」
ギグの呼びかけにも答えずエレノーラはまっすぐそちらへと向かった。心臓がバクバクと音を立て、額に汗がじっとりと滲んだ。ゆっくりと階段の裏手に顔を覗かせると、先ほど見えた仮面の男がこちらに気づいた。
「おや、お嬢さん御一人とは珍しい。どちらのご令嬢でいらっしゃいますか?」
男はこちらの素性を知りたがった。エレノーラはやや戸惑ったものの、素直に名乗る事にする。
「エレノーラ=ヴィリス=フォン=ハイネルですわ。メルカリアのハイネル伯の一人娘で、この町のリューン伯の遠縁にあたります」
「ハイネル―――メルカリア騎士団長のご息女であらせられますか。これはこれは、ようこそおいで下さいました」
「父の事を知っているの?」
男は「はい」と軽やかに頷いた。
「副都メルカリアを守護する御仁の名を知らぬ者はここにはおりませんよ。さあどうぞ、良ければお入りになってください」
「ここは何?」
エレノーラは男の後ろに続くカーテンのかかった入口を指示した。
「こちらでも特別な品物を扱った競売が開かれているのですよ。ハイネル様の気にいるものが見つかるやもしれません―――ねえ?」
そう言って男は何故かエレノーラの後ろに控えているギグに目を向けた。男の無理やり張り付けたような笑みに、エレノーラはぞくりとした。
「……お嬢様、戻りましょう」
ギグが珍しく真剣な顔つきでエレノーラを促した。
「でも、……ローレンス様が」
本音を言うと目の前の男には不気味さしか感じなかったので戻りたかった。けれどもエレノーラの足が鈍る。先ほど消えた元婚約者の背中を追いたいと、心のどこかで感じている。
「なあに、少し覗くだけでも構いませんよ。あなたの気に入る『商品』が見つかるかもしれない」
男の言葉が甘い蜜のようにするりとエレノーラの体内に染み込んだ。
怖い、でも、ローレンスが消えたその先に何があるのか知りたい。
「ギグ、行ってみましょう。すぐ戻れば、ミナも心配しないわ」
「……仰せのままに」
ギグは不本意そうに目を細めた。反対されている事を承知でエレノーラはカーテンの奥へと進む。




