第三話 誘い②
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雲一つない快晴、うららかな午後の昼下がり。屋敷前方に広がる庭の片隅で、エレノーラは白樺のリクライニングチェアにもたれかかり、気だるげに空を見上げた。窮屈な靴を脱ぎ椅子から足を投げ出していると、
「行儀が悪いですよ、お嬢様」
「……いいじゃない、大目に見てよミナ」
傍らに立っている己の従者の小言に眉を寄せつつ、エレノーラは寝返りを打った。
「今は大叔母様も留守なんだもの、ずっと肩ひじ張ってると疲れちゃうわ」
「なら実家にお戻りになればいいんじゃないですかねえ」
もう一人おどけた声で男が笑う。男はエレノーラがいるところから少し離れた木の根元に腰かけ小刀で木細工を彫っていた。
「いやよギグ。絶対うちには帰らない」
「そうは言いましてもねえ。旦那様は俺たちが勝手にいなくなった事きっと怒ってらっしゃいますよ。ここにたどり着くのも時間の問題かと」
ギグの言葉にミナもうんうんと頷いた。薄情な二人の従者にエレノーラはますます不貞腐れる。
この屋敷に着いたのは三日前、メルカリアの邸宅を無断で出て行き、ミナとギグ、二人の従者を連れてここまで来た。ローレンスの退役や婚約の解消について父に詰め寄っても、父は『彼の問題だ』と言うだけで何も教えてくれなかった。腹に据えかねたエレノーラは一大決心をし、遠縁の大叔母の家まで旅を始めたのだ。
「それに、お嬢様に何かあったら旦那様に叱られるのは私たちなんですよ?昨晩のような事がまた起こったら、私たちはあなたにたてついてでもあなたを旦那様の元に返さなくてはならなくなります」
「わかってるわよ。昨日の事は悪かったわ」
こっそり屋敷を抜け出して、一人で下町の酒場に行った事は軽率だったと思っている。帰ってきてから、ミナとギグに散々小言を言われた。けれども共に連れてきた二人はエレノーラが幼い頃から共に過ごしてきた信頼に足る者たちで、この見知らぬ土地で唯一エレノーラが心を許せる者たちだ。時々主人に対して無礼な言動をとる事もあるが、彼らが言う事は大抵エレノーラのためを思って言っているのだという事はよくわかっているつもりだ。
「単に好奇心が湧いただけなの。庶民が普段どんな生活をしているか、知りたかっただけ」
「それで男に泣かされて帰ってきたわけですかい?」
「……」
エレノーラはますます不機嫌になってクッションに顔をうずめた。偶然立ち寄った酒場で酔っ払いに絡まれて、偶然再会した元婚約者に助けられて、彼と喧嘩をして帰ってきて散々二人に喚き散らした。気丈なエレノーラにしては珍しい醜態に従者の二人も心配する反面、少し面白そうにこちらをからかう。
「もういいわ。あんな人、顔もみたくない」
「でもローレンス様だって色々事情がおありなのでしょう?」
「知らないわ。もう婚約者じゃないもの。私には関係ない」
強がりを言うとミナもふうとため息をついた。すると、
「婚前の娘がそんな恰好ではしたないわよ」
厳しい老齢の女性の声がしたのでエレノーラは思わず飛び起きた。そこに立っていたのは、
「お、大叔母様!?今日はお出かけだったのでは?」
「一緒に行くはずだった友人が体調を崩して中止になったのよ」
大叔母は何か残念なものを見るような目でエレノーラをまじまじと見つめた。エレノーラは慌ててめくりあがったスカートを直し脇に放り投げていたショールを着て姿勢を正す。しかしながらもう手遅れで、完全に気の抜けたところを見られてしまい、エレノーラは恥と情けなさに顔を紅潮させた。
「まったく……、突然押しかけてきてしばらく滞在させてほしいだなんて言うから何事かと思ったら……、婚約を解消されて自暴自棄になるのもわかるけれど、この家にいる以上淑女としての嗜みを忘れないでいただきたいものね」
大叔母の苦言にエレノーラはいたたまれなさに限界まで身体を縮こませるしかなかった。
「申し訳ありません……」
「まあでも飛び出したい気持ちはわかるわ。あなたの父オットーは優秀ではあるけれど如何せん頭が固いのよ、昔からね」
エレノーラの父オットー=ハイネルは大叔母からしてみれば甥にあたる。幼い頃から父を見てきたこともあってか、幾分かエレノーラの苦悩も理解してくれているようだった。
「一応オットーには使いを送っておきましたからね。突然娘がいなくなってあちらも騒ぎになっているだろうし。しばらくこちらで預かりますと言っておいたわ。まあ、気のすむまでいなさいな」
「はい、ありがとうございます」
大叔母とは小さい頃に数回会っただけの遠い親戚だったが、彼女を頼って正解だった。礼節には厳しいが懐は深い。エレノーラはようやく肩の力を抜き胸をなでおろす。が、
「それで?昨日こっそり家を抜け出して危ない目に遭って、気分転換は出来たのかしら?」
「うっ……」
少し穏やかになったかと思った大叔母の目つきがまた鋭くなった。すぐ近くでは必死に笑いを押し殺している二人の従者。
(後で覚えてなさい……!)
二人に憤懣の視線を送りつつ、エレノーラはじっと堪えた。もはや大叔母のお小言など半分も耳に入っていなかったのだが、
「そうだ、気分転換なら買い物に出かけてはどう?」
「買い物?」
ふと大叔母が手を叩いて嬉しそうな顔でエレノーラに提案する。
「そう。明日の夜に近くのお屋敷で各地の商人が集結し珍しい品を展示売買する展示会が開かれるの」
なんでも月に一度ほどある貴族の家で開催されるイベントで、この界隈の貴族にとっては数少ない娯楽になっているらしい。滅多にお目にかかれない秘境の宝石や東洋の陶磁器、有名な画家の絵など、コレクターが喉から手が出るほど欲しがる逸品が揃うと言う。
「でも私、そういうものには正直あまり興味が無くて」
「いいじゃない。少し覗きに行くだけでも楽しいわ。それに、―――」
大叔母が意味ありげに口角を上げた。
「会場にはこの町以外にもたくさんの資産家が集まるわ。もし誰かのお眼鏡に叶ったら……ふふ」
そう言って大叔母は口元を隠してクスクスと笑った。
要するに出会いの場の一種か、とエレノーラは肩を落とす。しかしながら、婚約を解消されてエレノーラはまた新しく将来のお相手を決めなくてはならない。そのためにも交友関係を広げておくのはいい事なのかもしれない。
「……そうですわね。では大叔母様のおっしゃる通りに」
内心並べられるという商品には興味がないが、気分転換にはなるかもしれない。少なくともここでダラダラと余暇を過ごすよりはよほど気がまぎれるだろうと、この時はただそう思っていた。




