第三話 誘い①
◆
珍しく痛みに眠りを妨げられることなく朝日が昇るのを迎える事が出来た。ローレンスは体を起こすと、昨晩遭遇した一連の事件の事を思い返す。
「夢、じゃない……よな」
昨晩邂逅した二人と一旦別れを告げ、宿に戻ってきてからというもの、ローレンスの意識はどこか虚ろでこのまま眠ってしまえば何もかもが夢だったのではないかと考える始末だった。
しかし夢じゃない。昨晩受けた暴力の痛みもそれに対する屈辱も、その後襲った出会いと衝撃も何もかも現実に起こった事なのだと、ローレンス自身が身体で覚えていた。
ローレンスは起き上がると、軽く柔軟体操をしたのち部屋の隅に立てかけてあった愛剣に手をかけた。
騎士だった頃は毎朝この剣で素振りをし鍛錬するのが日課だったが、腕を失くしてからは全くやらなくなった。剣を抜く事すら久しく、その内刀身が錆び付くのではないかと密かに怯えている。
だが片手ではこの大剣を抜くことができない。昨晩も思った。もしあの連中に取り囲まれた時、これを振るう事が出来れば、ローレンスはあんな屈辱に遭う事もなかったのに。思い出すとどんどん怒りが沸き上がってきた。思うようにならない口惜しさにローレンスは手に持った剣を床に叩きつけようとした。
「……っ」
だが、振り上げたところでローレンスは停止し動けなくなった。
この剣にあたる事などできない。ローレンスが騎士になった時からいつも苦難を共にし、上へ立つという野望を胸にこの剣を振るってきたのだから。
「……くそっ」
ローレンスは悪態をつくと剣を下ろした。こんな惨めな思いで仕事なんてこなせるのだろうか。昨晩邂逅したあの異形の者たちと共に、ローレンスには一体何が出来るというのか。
そう言えば栗鼠の王と名乗った少年は身の丈ほどの大剣を片手で軽々と振るっていた。自分にもあれだけの力があったのなら、片腕でも戦えるのだろうか。
ローレンスは深く息を吐くと出かける準備を始めた。今日はその件の異形の者たちと改めて話をする事になっているのだ。
◆
指定の建物はすぐに見つかった。人通りの多い大通りに面した一際目立つ華美な建物。建物の造りは周囲のものと一線を画し、どこかエキゾチックな印象を受ける。派手な幾何学模様の布が掛けられた階段の手すりに寄りかかっているのは、胸元の大きく開いた薄い生地のドレスを着た女たち。
(娼館か……)
昼間だというのに淫猥な空気をまき散らし、ここがそういう場所なのだと肌と臭いで感じ取れる。
娼婦の一人がこちらに気づいた。大きく肩を揺らしゆったりとした足取りでこちらに近づいてくる。
「こんにちは、遊びにいらしたの?」
甘ったるい声で女がローレンスの肩に手を置いた。それを皮切りに近くにいた娼婦がわらわらと寄ってくる。
「あら、あなた初めて見る顔だわ。旅人かしら?ここに来るのは初めて?」
「緊張なさってる?―――ふふ、可愛らしい方だわ」
いつの間にか幾人もの女に囲まれてローレンスはさすがに動揺した。ローレンスとて子供ではない、過去に『嗜み』としてこういった場所に出入りする事はあったが、ここは若い男が少ないのだろうか、娼婦たちは物珍しそうにローレンスに意味深な視線を送っている。
これはどうすれば、とローレンスが困惑し始めた時、娼婦の一人がローレンスの右二の腕に触れた。
「あら、あなた―――」
少し戸惑った顔をした娼婦の姿に、ローレンスは冷静を取り戻す。ローレンスは小さく息を吐くと、
『顎骨を持つ者へ』
昨夜リマンジャに指示された通りの言葉を述べると、娼婦たちの顔つきが変わった。妖艶な笑みを浮かべていた女性たちが、一斉に神妙な顔つきでスッとローレンスを解放し、そして、
『忠誠を我が胸に』
一人の女が合言葉の返答としてそう告げた後、彼女たちはローレンスに道を空けた。妖艶な娼婦たちの作る花道の向こうに、一際美しく凛とした女が立っている。
「おいでなさい」
そう言って女は踵を返した。ローレンスはその背を追いかけ娼館へと足を踏み入れる。中は蒸し暑く異国の香でむせ返りそうだった。ロビーで談笑する娼婦や客たちに目もくれず、前を行く女は扉をすり抜け、奥へ奥へと向かってゆく。
外観より入り組んだ建物の内部は一瞬でも気を散らすとどこへ向かっているかわからなくなる。方向感覚を失い、頭がぼうっとなり始めた時、女は一つの部屋にローレンスを招き入れた。入口にかかった暖簾を押す。そこにいたのは、まるでこの巣窟の主であるかのような怠惰な格好でくつろぐ異国風の男と、こんな邪淫の溜まり場に全く似つかわしくない少年の姿があった。
「よお、迷わずこれたか?」
「……おかげさまで、閣下。あの、ここは一体……?」
「見ての通り娼館さ。俺の隠れ家の一つでもある」
リマンジャは満足そうに頷いた。それに対しラタトスクは無邪気に笑う。
「わざわざこんなところに呼び立てる必要もないのにな。おっさんは用心深い」
「ラタトスク、お前俺が一応一国の重鎮である事を忘れてるだろう」
「重鎮って、自分で言っちゃうんだ」
ラタトスクは腹を抱えて笑う。ベッドの上で足をばたつかせて年相応の子供のように振舞うが、彼がただの子供出ない事は昨晩のやり取りでも十二分にわかっている。
「さて、わざわざ来てもらったんだ。早速本題に入ろうか。まあ座れ、長い話になる」
リマンジャが手に持っていたゴブレットを置き胡坐をかいて座りなおした。ローレンスもその正面に座す。
「君に手伝ってもらいたい仕事、と言うのは端的な話、この国の存亡にも関わる事だ」
ローレンスは目を見開いた。しかしよく考えてみれば、リマンジャは一国の宰相、そんな彼が他国を訪れてまで成そうとしている事だ。国家規模の紛争が起ころうとしていると告げられても何ら不思議はない。
「この国では今とある『実験』が行われようとしている。この国の人間、そして動物たちを巻き込んだ大規模な実験だ。俺たちはそれを阻止するために動いている」
「実験、と言うのは?」
「新たな獣王の創造、八百年前生み出された、俺たち獣王を今再び生み出そうという何とも馬鹿げた試みだ」
ローレンスはぽかんと間抜けた顔をした。獣王についてはかつてメルカリアに蜥蜴の王が襲撃した際、リマンジャから拝領した史料である程度は知っている。八百年前、今は亡きセシリア王国を滅亡に陥れた蜥蜴の王を倒すため、無数の犠牲を生み出し生まれた生物兵器、それが七人の獣王。そして今ローレンスの目の前にいるこの二人がその当事者たちである事もローレンスにとっては信じがたい事であった。
「獣王を再び生み出して何をしようというのです?一体誰がそんな事を……?」
「術師さ」
「術師……?」
「かつてセシリアにいた魔力を持つ種族の事だよ。神に選ばれた種族、この世の万物を支配する事を教標に真理を追究する古代宗教の継承者たちさ」
ローレンスに答えをくれたのはラタトスクだった。
「彼らは蜥蜴の王に国を奪われシルキニス公国へと亡命した。そして王の庇護を受ける代わりに、獣王を生み出す実験に携わった。実験は成功しシルキニスに平穏が訪れる。しかし、術師を待ち受けていたのは、シルキニスからの迫害―――裏切りだ」
「何故、迫害されたのですか?」
「時のシルキニス公爵は現在の正教を信仰していたからさ。異教徒は国の運用にとっても邪魔なだけ、それが得体のしれない力を持っているのならなおさらさ」
ローレンスは言葉が出なかった。失われた過去の歴史は、私塾で見た教科書にも軍部の教養資料にも載っていなかった事だ。
「話を戻そう。ともかくも今、その術師共が八百年の時を経て復権を狙っている。しかもその裏で糸を引いているのは、この国の最高権力者―――国王だ」
「シルキニス国王が……!?」
俄には信じがたい話だ。本当に彼らの言っている事に嘘偽りがないのか、判断できないでいる。
「しかし、先ほどの話の通りなら術師を迫害したのはその国王ではないのですか?」
「八百年前は、な。何度か王家も変わっているし、その辺の思想が変遷する事はあるんだろう。もちろん術師が危険である、という認識は概ね同じであったようだが……」
今代の王は術師と手を組み策略を巡らしているという。ローレンスは唯々言葉が出なかった。自分も数か月前まで騎士として、国府の兵としてその王に仕える立場にあったのだから。
「ともかくも奴らは再び獣王を生み出す事を望んでいる。そして、そのために必要な生贄をかき集めているというわけだ」
「つまりは人間と動物……、という事ですか?」
そうだ、とリマンジャが頷いた。
「今シルキニスの各地で謎の失踪事件が続出している。加えて術師狩りも悪化し始めた。術師の間でも意見が割れている。反する者を剪定するためだ。抵抗する者は殲滅、利用価値のある者は捕らえられ計画遂行に強要される。さらに一部地域でいよいよ動物の捕縛も開始された。必要な材料がそろえばいよいよ儀式の遂行に移るだろう。俺たちの使命はその野望を阻止する事だ」
「ひょっとして昨日俺を襲った連中も?」
昨晩ローレンスを襲撃し連れ去ろうとした奴ら。彼らもまたリマンジャのいう計画の一端に関わっているのだろうか。それに対してリマンジャはまだわからない、と首を振った。
「見たところ奴らはこの町で活動している商人の小間使いってところだった。俺たちが狙っているその『黒幕』とつながりがあるかは怪しいところだな。……だが、どんなところで糸口が見つかるかはわからん。そこでお前に昨晩の状況を教えてもらいたい。まずはそうだな、何故お前が標的にされたか」
その問いにローレンスは唇をかんだ。
「……俺が片腕だったから、珍品だから高く売れると、あいつらは言っていた」
口に出すだけで昨晩の怒りを思い出し腸が煮えくり返る思いだった。思えばファルマーレに来る馬車の途中であの男に声をかけられたのも、ローレンスが商品に値するかどうかを品定めされていたのかもしれない。
「なるほど、つまりあいつらは物珍しい人間を見繕って収集していたというわけだ。そしてそれを競売にかける、と」
「やはりこの町で人身売買が行われている、という事ですか?」
「だろうな。それも頻繁に人が襲われているとなるとおそらく大々的な競売が開かれている。……もう一つ聞きたい。君が襲われる直前に君と行動を共にしていたあの女性は何者かな?」
「!?」
思わぬ質問にローレンスは目を見開いた。
「何故俺が女といたと知っているんです?」
「そりゃあ見ていたからな」
「見ていたって……、いつから?」
「お前がこの町に到着してからだ」
ローレンスは空いた口がふさがらなかった。そして思わずムッとした。道理でタイミングよく駆けつけてきたわけだ。この者たちはローレンスが襲われるずっと前からローレンスを見ていたのだから。自分が連中にタコ殴りにされていたところも彼らは静観していたという事になる。
するとラタトスクが弁解するように口を挟んだ。
「すぐに加勢しなくて悪かったよ兄ちゃん。でもこっちも兄ちゃんたちの声までは聞こえなかったし、奴らが何者かも確定が出来なかった」
「別に……構いません」
そもそも彼らがいなければローレンスは今頃商品としてどこぞの陳列台にでもあげられていたのだ。彼らを責める事などできない。
(何より俺に奴らを撃退できるだけの力があれば、手助けなどいらなかった)
今朝も浮かんだ怒りと恥辱がまたしても沸々と沸き上がる。ローレンスはそれをぐっと抑えるように唇をかんだ。
「連中、あのお嬢さんが兄ちゃんから離れるのを待っていたみたいなんだ。普通商品として攫うならより高く値が付く見目のいいお嬢さんの方がいいだろうに、わざわざそっちじゃなく兄ちゃんを狙ったのには訳があるんだろう。つまり一連の行動をあのお嬢さんには知られたくなかったって事だ。騒ぎを大きくしたくなかっただけなのか、あるいは他の理由があるのか―――」
「彼女は、―――エレノーラ=ハイネルはただの貴族の令嬢です。あんな物騒な連中と関りがあるはずがない。箱入り娘だ」
「なるほど、貴族か」
するとリマンジャは合点がいったように頷いた。
「それなら理由も納得だ。この町の貴族の目の前でわざわざ事を運んで貴族連中を刺激したくなかったのかもしれない」
「なぜ貴族に知られたくないと?」
「そりゃあ、この町の貴族様は奴らにとっての『顧客』だからだろうな」
「つまり……、奴らは仕入れた『商品』を貴族に売りさばいていると?」
「そう言う事になるな」
リマンジャは当然の事だと涼しい顔で肯定した。
「まあ、貴族が奴隷を買うなんてのはいつの時代にもある事だ。別段珍しい事でもない」
リマンジャの言う事は正しかった。昔から内乱や戦争が起こると敗者側の人間は捕虜として勝者側の元へと連行される。その行く先がどうなるか、考え得る限りの地獄が彼らを待つ。
「ならば一度この町の貴族連中の動向を探ってみよう。近いうちに、大規模な競売が開催されるはずだ。―――リン」
リマンジャが入口の外に呼びかける。すると、先ほどローレンスを案内した女がするりと部屋に入ってきた。
「この数日間で貴族連中が大規模な催事を開きそうな場所を特定してくれ」
「承知いたしました、閣下」
女は無機質な返事を返すと、また足音もさせずに部屋から姿を消した。
「さて、まだまだ話さねばならんことは山積みだが……、どうだ?お前は仕事を受ける気になったか?」
リマンジャはローレンスに尋ねた。ローレンスは黙り込む。
メルカリアから遠い地までやってきたのは今目の前にいる彼らに手を貸すため。退役したあの日、リマンジャからの誘いがあった時、ローレンスには迷いがなかった。けれどもここにきて彼は迷っている。
「……聞きたい事があります」
「おう、なんだ?」
「どうして俺なんですか?俺は正直、あなたのお役に立てるとは思えない」
騎士だった頃ならまだ使い道はあっただろう。けれども今は自分の身すら碌に守れない。そんな人間を国の存亡に関わる大事に呼び寄せるなんてどう考えてもおかしい。
「今の俺は満足に戦えない。捨て駒として使うにもリスクが高すぎる、それなのになぜ?」
「捨て駒、ね……」
リマンジャは意味ありげに口角を上げた。
「君は少し自分を過小評価しすぎだな。まあ今の段階で役に立たないのはこちらもよくわかっている。これから役に立つようになってもらう。そのためにこいつを呼んだんだからな」
そう言って、リマンジャは隣に座るラタトスクを指した。少年もまたにこりと笑う。その笑みは年相応の少年のものではない、円熟したものだった。
「お前を誘った理由は二つある。そのうちの一つはまだここでは明かさない。ここで話しちゃあつまらんからな。もう一つの理由は、君が万物の奏者と懇意で色々と都合が良かったからだ」
「万物の奏者……?」
聞きなれない言葉にローレンスは眉をひそめた。しかしどこかで聞いたことのある、あれは確か―――。
「万物の奏者って、イスカの事ですか?」
確か蜥蜴の王に襲われたあの日、奴がイスカの事をそう呼んでいた。
「そうだ、あの娘こそが万物の奏者、我々が追っている案件の渦中にいる存在だ」
「イスカが、関わっているのか……?」
思いがけず少女の姿が脳裏に浮かんだ。戸惑いを隠せないローレンスに対して、二人の獣王は静かに笑っていた。
「そうだな……、この先俺たちと行動を共にするというのなら、知っておいた方がいい。この国の歴々のお偉方が葬り去ってきた『闇』を。我々獣王がこの八百年何を為し、何を見てきたか」
ローレンスはごくりとつばを飲み込んだ。そして物語は語られだす。まるで御伽噺のような語りで獣王の話は静かに始まった。




