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それは愛、なのよ!  作者: 小道けいな
5/7

想いを告げて

29

 助けてもらえたことにシエールイは興奮していた。

 シーツにくるまれ蓑虫状態だが、かかえているのは間違いなくスパリューンニィだ。

 追手が来るだろうから逃げる彼に声を掛けない。おとなしくシエールイはしている。しがみつくにしても蓑虫には何もできない。

 太陽のような日差しが来た頃、洞窟に入った。スパリューンニィはシエールイを下すわけでもなく、座るとそのまま抱きしめる。

「何をされた?」

「ちょっと触られただけ。サズの方がひどい目に遭ったみたい」

「ぼくが連れ去ったから、人質にされるかもしれないな……」

「……サズに迷惑かけてしまって」

「ぼくとしては、君をあいつに預けた自分を呪っている」

 静かな声に怒りがにじむ。

「……ごめんなさい」

「なぜ、君が謝る」

 シエールイはスパリューンニィの葛藤を想像する。

 かつて愛していた人間、自分で殺してしまった愛しい人。

 サヴィローズは彼の婚約者だったという。サヴィローズ自身、あっけらかんとしているので、嫌いじゃないけれど義務もあったのだろう。

「服着ないとな」

 洞窟の奥には旅で着ていたような服がある。

「一式用意していて良かった」

 シエールイはテキパキと服を着る。その間、視線を感じていたが、気付かないふりをした。

「可愛い」

「サズみたいなこと言う」

 スパリューンニィはむくれるシエールイを正面から抱きしめる。

「本当に」

「前好きだった人のこと聞いた」

「ああ」

「人間だったって」

「うん」

「まだ、その人の事好きなの?」

「さあ、分からない。随分昔のことだし」

「だって、私より十歳くらいでしょ、せいぜい上って言っても」

 スパリューンニィはシエールイを放して正面から見つめる。その顔がくすっと笑っているのがシエールイには腹立つ。

「人間の年の数え方だと……見た目通りではないよ」

「……まさか……数百年生きているとか?」

「父の代ならね。ぼくは三百年くらい」

「……」

 シエールイは驚愕した。人間はせいぜい五十歳くらいであるし、百年何て生きればそれは別の生き物のような感じになる。

 魔の世界で種族は気にしたが、見た目が異なっているのだから質問しやすい。それにしても年齢と言う見えない部分については意識が回らなかった。

「千年前を知っている人はいるの?」

「……さすがに伝聞になると思う」

 直接聞ければ早いというのは確かにそうだ。

「父なら何か知っている可能性は高い……」

 追手がどう来るにもよる。

「一度寄ってみるか」

「でも、危なくないの?」

「いざとなったら逃げる」

「……そだね。私、ここで待ってる?」

 足手まといになるのは分かっている。

「駄目だ。フィオが嗅ぎつける可能性がある。そうなったら離されるどころか、ぼくの命がかかる」

 それこそ人質だ、シエールイは。

「もう、ぼくは君を放したくない」

「……」

 ぎゅっと抱きしめられ、シエールイは頬を赤くする。

「本当? 私、え?」

「混乱することないのに」

 スパリューンニィは笑う。

「だって、私、お世辞なら言われても。好きだなって思った相手に、そんなこと言われるって。あ、私が人間だから」

 自分が好きだとすんなりいったことに、シエールイは驚き、頬を赤くする。

「人間だろうがなんだろうが関係ない。エルだから好きなんだ」

「……」

 ぽかんと口を開けてスパリューンニィを見る。

「……いや、そんな顔されても、おねだりにしか見えない」

 スパリューンニィは唇をふさぐように、唇を重ねる。ひやりとした感触に口を閉じるシエールイだったが、先に彼の舌先が割って入ってきてしまう。

「ん?」

 シエールイの舌に触れるか否かのところ、スパリューンニィは離れた。

「行こう、時間が惜しい」

「あ、うん」

「君は元の世界に戻る。その時、清いままの方がいいだろう」

 スパリューンニィに言われた瞬間、胸が苦しくなる。ここに残るのは怖いが、リューと一緒ならいい。しかし、迷惑をかけるのは忍びないし、飽きられた時本当に死がやってくる世界だ。

 元の世界なら、恥ずかしさがあっても生きることはできる。幸い王家と縁を持ちたい人間は多いから。

 清いままの方がいい。

 一瞬、穢してほしいなどはしたないことを考えシエールイは自嘲した。

「そうだ、この指輪の紋章知らない?」

 恥ずかしさや寂しさを紛らわすように尋ねる。

「それ、うちの一族の印じゃないか? 牙がないけど」

 手がかりは意外に近くにあったのか。

「懐中時計!」

 見覚えがあるとはシエールイも思っていた。どこかと言うと、最初にマッチを見つけたときだったのだ。

「ぼくの懐中時計のこと良く知ってるね……」

「あの、最初の時、火をつける道具持ってないかなって……」

 シエールイは漁ったことを白状した。スパリューンニィは渋い顔を作ったが頭を撫でて何も言わない。

「この指輪なんで? うちの国にその紋章はない」

「急ごう」

 指輪の出所はこの魔の国だったのだろうか。それならばどうやって国にきたのか?


30

 吸血族が住む街。

 城壁が張り巡らされた街であり、王の城がある街よりこじんまりした大きさに見えた。天井が人間サイズであると考えると、しっくりくる。

 スパリューンニィはマントにシエールイを隠すように歩く。

 衛兵はスパリューンニィを見るとあわてて敬礼をする。彼の身分の高さをシエールイは思い知った。

「若君、長がお待ちです」

 街の中心にある建物の前に立ったとき、女性が待ちうけ声を掛ける。

「ぼくの首が危ないかい?」

「その件に関しては長にお聞きを。そして、その人間はこちらに」

「それこそ、行かないよ。この子はぼくの物だ。手を離すとどこかに連れ去られる、そんな怖いことできないよ」

 淡々と言っているが、シエールイにはスパリューンニィが殺気だっているのが分かった。

 吸血族の長の子としての威厳を保ち、シエールイを守ろうとしているのが分かった。きゅっとしがみついてしまうのは、スパリューンニィへの感謝の気持ちのつもりだ。

「ほら、君が怖いって」

「……わかりました。どうぞ、そのままお入りください。人間の下賤なものを入れるのは嫌なのですが」

「なら、私が王家の人間であるならいいのですか?」

 むっとしてシエールイは言う。王家にいようが平民だろうが、人間には変わりない。受けてきた教育や育つ環境が異なるというのが大きな違い。

「え? 君、本当?」

 これまでの長の息子の威厳はどこに行ったのか、普通のスパリューンニィの言葉。

「言う機会なかったから……。サズと王様は知ってるかも?」

 啖呵斬ったときに言ったことで、上に立つ身分を持つ人間だと知らしめている。王家か否かは伝わっていないが。

「若君はなかなかいい毛並みの物を拾われたのですね。人間の集落は全て落ちましたが、まさかの拾い物」

 女は嬉しそうである。

 単純な人物で助かった。

 スパリューンニィはこれまでのようにシエールイを連れて建物に入る。

 家にいる人たちは、スパリューンニィの姿を見ると頭を下げるが、かすかにシエールイを見ている。

「父上、入りますよ」

 立派な扉を開けて、スパリューンニィが入る。

 実家の応接間を思い起こさせるようなこじんまりとした室内だ。こじんまりしているが、置いてある家具は一流の彫刻がなされているため、豪奢である。

 部屋にはスパリューンニィにどこか似た初老の男がいる。見たままの年齢だというわけではないと知ったので、途方もない月日を想像した。

 千年、人間の集落が残ったのは奇跡ではないかとシエールイは考える。体力の差もあり、生きる長さも違うのだから。

 シエールイは飾られている旗を見てはっとした。盾に剣が描かれている紋がある。その盾には四本の牙描かれており吸血族を表しているようだった。

 指輪は小さいので牙までは分からない。

「その人間の娘をどうするつもりかと聞いておこうか? 王から達しが来たぞ、お前が王の愛した娘を連れて逃げたと」

 シエールイは声を上げそうになるが、スパリューンニィに押しとどめられる。

「君は黙ること」

「でも」

「父上、ぼくはこの子を元の世界に戻したい、それだけですよ」

 しゅんとシエールイはする。懐の中にいられるこの時間はあとわずかしかないかも知れない。一番いいことだと分かっているのだが。

「戻すといっても戻せるなら、集落は消えなかったはずだ」

「何か、聞いていないんですか? ここに人間の国に関しての情報はないんですか?」

「どうして、そう思う」

 シエールイは陰がら見ていて、この男性が一瞬「あれ」と驚いた顔をしたような気がした。

「この子の持つ指輪に、我が家の紋に似た物が描かれています」

 男は鼻で笑う。

「盾と剣など、どこにでもあるだろう」

 それを言われると弱い証拠だ。

「ヒントがないとしても、エルは私の物です」

「王から掠め取った?」

「いえ、ぼくが頼ったんです。また殺すのではと恐れて、エルを預けた。あの男は口説くどころか、エルを術で縛って貞操を奪おうとした。許せるわけないでしょ」

 淡々としていた声が、最後の部分で怒りに震える。

 シエールイは余計に切なくなってくる。守ってくれる、一緒にいられるのは嬉しい。しかし、それがスパリューンニィを縛って行き、破滅に追い込むのではないかと。

「なら、初めからお前が保護していれば良かったのではないか?」

「今では後悔しています」

「王は、軍勢を引き連れてくるという、お前を見つけた所へ」

「……すぐに立ち去ります」

「だめ、だめ」

 シエールイは黙っていられなかった。

「私のせいでめちゃくちゃになるなら……いっそのこと、スパリューンニィに殺されてもいいから……」

「やめてくれ! エル、そんなこと言わないでくれ」

「ごめんなさい。だって……だって、私、家にいるより無力で。権力も何もない私は役立たずで……」

 王家の人間だから相手にされていたとひしひしと思う。魔の国に来て何度目かの涙が頬を這う。

「その娘の言葉は一理ある」

「父上……」

「地下牢で飼って、お前が遊ぶので問題はないはずだ。ただし、その前に王をどうにかしないとならない」

「飼うなどしない。エルはぼくの側にいてほしいのだから」

「ぬくもりだろう?」

「……」

「血のぬくもりにほれ込んでいるだけだ」

 シエールイは震える。スパリューンニィが好きなのも錯覚、殺されそうになったのを助けてもらったから好きになったのも自分の錯覚。

 自分の感情が分からなかった。何度も思ったことであり、猫だ妹だと考えごまかしてきた。

 リューの側にいれば守ってもらえるから?

「……ぼくも出ていきます。エルを独りにはできませんから」

 シエールイは嬉しい半分つらかった。冷静に状況の分析をしてしまうと、彼の選択は彼自身を殺す。

「わ、私が……」

「エルは黙って」

 シエールイは黙る。言葉が出てこなかったから。

「まあ、王もすぐには来ない。半日でも考えてからでもいいだろう?」

 スパリューンニィの父は提案した。

「選択肢はお前がその娘と破滅するか。娘を殺してしまうか。殺したと偽り地下につなぐか? その場合はお前を差し出し、娘は我々が大切に種として扱う」

「父上」

「お前が血を吸い尽くすのが一番ましな死に方だろうな、その娘にとっては」

 一族を考えると彼の父の言葉は重くのしかかる。


31

 スパリューンニィの部屋にシエールイも一緒についていく。

 別の部屋を用意すると言ったが、それはシエールイの保護を考えると危険であった。

 王が怒って軍を差し向けているのを知らないような、賑やかで静かな街が見える。

「その紋、どこかで見ているんだ、この城の外で」

「え?」

 部屋の中を歩きながらスパリューンニィは言う。思い出そうとしているのだろう。

「石碑があって、紋があった。文もさすがに覚えていないが……もう一つ紋章が入っていた気がする……」

「石碑?」

 この符合にシエールイはざわつく物を感じた。

「誰かある」

 声を掛けると執事らしい男がやってきた。

「この近辺の地図を持ってきてくれないか、すぐに」

 男はかしこまりましたと言い立ち去る。

「戻ったらどれだけ時間が経ってるんだろう」

 シエールイはできるだけ明るい声でしゃべった。

「周りが年取ってたらどうしよう」

 代が変わっていた場合はどうなるのだろうか。

 戻ったときのことを考えると恐怖が湧いた。

「……ど、どうしよう、何十年も経ってて私の地位も何もなくて……魔女として殺されるの?」

 結局難局を抜けられないことになってしまう。

 ここにいただけの日数なら、行方不明の時のことはごまかせるだろうが、何十年も経っていたらそれこそ奇異な目どころでは済まない。

「交流があったのだから、時間は同じように流れているんじゃないか? 閉ざされた時の時間、どのくらいだった? さっき、千年前って君だっていってただろう?」

 スパリューンニィは震えるシエールイを抱き留める。

「同じくらいなんだね、時間の流れ」

 シエールイはほっと息を付いた。

 地図を持った男が戻ってきた。

「このあたりに亀裂があるんだ、深いね。そこの縁に……碑があった」

「じゃ、そこに行ってみる」

「ああ、手がかりだものな」

 ノックの音がして侍女が入ってくる。

「お食事の用意ができました」

「いらない」

「そちらの人間の娘には必要だと思いますが」

 空腹なのは確かだ。シエールイは是非を言わず、判断をスパリューンニィに任す。この一族のことを考えると、彼が一番良く知っているだろう。

「わかった、運んでくれ」

 しばらくするとテーブルがセットされ、湯気の上がったシチューとパンが出てくる。

「……おいしそう」

 スパリューンニィと食事を見比べてシエールイは席に着く。

「いただきます」

 パンをちぎって口に放り込み、シチューをスプーンですくって食べる。

「おいしい」

「良かった」

 側に座ってスパリューンニィはシエールイを眺める。食べにくくなりシエールイは抗議の視線を送る。

「君の血色が戻った」

「ごめんなさい、あなたは……」

「このくらい構わない」

 シエールイはスパリューンニィの唇がやや渇いているのに気付いた。目が以前血を見たときのように輝いている事にも。

 ――我慢している? 私が食事することで、煽っているのかしら?

 シエールイはこの一族の動きを考えた。

「食事しなくていいの? 私、ここでおとなしくしているくらいできる」

「できるが、連れ去られることがある」

「リュー、苦しそう」

「……」

 シエールイはスパリューンニィの顔に手を伸ばした。

 その手首をスパリューンニィは凝視し、素早くとると口元に持って行く。手首の血管に視線があるのをシエールイは感じる。

「きゃ」

 体勢を崩したシエールイの悲鳴に、スパリューンニィは我に返る。

「す、すまない。やはり、ちょっと行ってくる。鍵を開けるなよ?」

 シエールイはうなずくと鍵をかける。

 掛けただけでは不安で、椅子も前に置いた。スパリューンニィが戻ってきたときのことを考えていないが、そのくらい待ってくれるだろう。

 窓の外を見る。

 スパリューンニィにこれ以上、迷惑をかけることはできないと思う。

 逃げた事を謝罪したところでフィオニェーヴは許してくれないだろう。

 いや、スパリューンニィとフィオニェーヴの間に何かあるのは感じ取れた。ただし、フィオニェーヴの行動は常道を逸している感じはした。

「……サズ……」

 一番ひどい目に遭っているかもしれないのはサヴィローズであるが、シエールイは胸の中で無事を祈るしかできなかった。

 考えに浸っていると。部屋の片隅でカタカタ音がした。

 シエールイは近くにあったナイフを手にする。食器のナイフで傷つけられるのか分からないが、用心するしかない。

 暖炉の中の壁が動き、空間ができた。そこから女性が出てきた。

 入口にいた女性は、シエールイに手を差し伸べる。

「我が一族、若君のことを思うならば」

 愚かなように見えて実は策士だったらしいとシエールイは苦笑した。策士というより、小心で忠実な賢しい人物。

「……ここに行きたいの。そうすれば……丸く収まる」

 地図を手に女性に見せた。彼女を信じていいならば、そして、王が到着するのが夕方であろうというなら、そこに行ってシエールイが立ち去る時間はちょうどあるだろう。

 彼女はうなずくと壁の奥の通路にシエールイを導いた。

 ――手紙書けば良かったかな?

 通じる字もあるが、一般に書くモノはどうか分からなかった。

 一族を守りたい女性を信じ、進むしかなかった。

 初恋は実らない。

 ――初恋だったのかすら分からないな。

 自嘲した。


32

 城壁の外に真っ直ぐ出てきた。

 シエールイには暗い道だったので、転んだこともあったが、何とかなる。

「この街がここです」

 地図を示す。

 北が分かればさすがに地図は読める。シエールイはいろいろ考え、質問したくなるがぐっと飲み込む。一番重要なところだけは聞かないといけない。

「リューは無事ですね?」

「もちろんです。我らが一族の若君に危害は加えません」

「良かった。何か言われたら、私が地図の所に行って無事消えたって言ってね」

「かしこまりました」

 シエールイは乾燥した大地が広がり、灌木のすらない道を独り歩き始めた。

 地図を何度か見て確かめるが、今一つ距離がつかめない。地図の縮尺が大きく、遠くの山などの目印が分からないからだ。

 もし、地図の見方が逆の場合、全く違うところに行ってしまう。

 そもそも真っ直ぐ進むだけなので、必要なのはコンパスであったかもしれない。道がつながっているなら問題なくたどり着くだろうが。

「あの女性だって、途中で私を襲わなかったし、地下牢につながなかった。嘘言わないよね」

 時々現れる灌木に隠れるように進み、二時間くらいで休む。

「弁当ももらえばよかったかな」

 スパリューンニィが来ていないかと思わず後ろを振り返る。それは合ってほしいし、ない方がいいのだが。

 シエールイがいないと騒いだ場合、彼は一族のためということで幽閉されるだろう。それが彼の命、将来を考えると一番いいはずだ。

「これで良かったんだよね」

 胸が痛む。

「これで良かったんだよね」

 再び同じことを言うと、地図に大粒の涙が落ちた。

「う、うう」

 膝を抱えて顔をうずめる。

 涙があふれて止まらない。

 シエールイは胸の中の苦しみを取り除くように泣き続けた。

 ダン、ダン。

 太鼓をたたくような大きな音が街の方から聞こえる。門を破ろうとしている音か、軍が威嚇するときの音かは分からない。

 軍勢が来ていることが分かった。

「急がないと」

 距離が分からないので、フィオニェーヴに追いつかれる前に碑に行かないといけない。こちらまで捜索に来るか分からない。それであればこの灌木の中に隠れる方がいいかもしれない。

 判断を誤るとシエールイの未来はない。

 歩きすぎで痛む足に鞭を打ち、シエールイは必死に小走りで進んだ。


33

 吸血族の街は門を閉じ、王の動向に全力を注いだ。

 日中でも動けるが、夜の方が活動はしやすいため、もし王が動くなら今すぐだろうと誰しもが予想していた。

 長である男は息子スパリューンニィを取り押さえるので精いっぱいであった。王になれるだけの力を持ちながら、優柔不断なところがあるためにそれを逃した息子だ。

 食事に部屋を離れた彼を不意打ちにし、魔力を抑える拘束具等で縛り長の執務室に連れてこさせた。暴れる彼を目立つところにおいておくわけにもいかないが、状況が見えないところに置くつもりはなかった。

 だから長の側に縛って転がしておく。

 長は息子を交渉の材料にはしても差し出すつもりは全くない。実際、シエールイも突き出すつもりはなかった。

 なぜなら、人間の娘であり、人間の中で暮らすべきだと長は考えていたからだ。

「王の要求は?」

「シエールイという人間の娘を差し出すこと」

 人間の娘一人で街の住人が助かるなら安い物である。

 息子にとってはその娘一人は街の住人全てと変えてもかけがいない者のようだ。いや、さすがに躊躇は見られ、シエールイを連れて逃げ回る選択を提案していた。

「その娘が何をしたのか? 犯罪者ならば引き渡すが?」

 長は先延ばしする問いかけを使者にした。使者は一度引き下がった。

「父上!」

「その娘は地下……あの広間に移せ」

 部下が敬礼して出ていく。

「父上!」

「そこが一番安全だ」

 スパリューンニィは父を驚いた顔で見ている。部屋ではなく広間といったことに気付いたのだろうか。

「私とて愚かではないつもりだ。選択肢の一つに、お前が王になるというのもある」

「……それは……」

「考えればよかろう」

 兵士が慌てて戻ってきた。地下に隠してきたわりには早い戻りであり、彼は青ざめ困惑しているようだ。

「恐れながら……その人間の娘は、若君の部屋におりません」

「え?」

 スパリューンニィと父親の声が重なった。

「鍵がかかっておりまして開けて入りました。扉は大きな椅子に阻まれてなかなか開きませんでしたが、侍女が声を掛け安心させるようには致しました。窓も閉まっており、出て行った形跡もないのですが、本人はおりませんでした」

「隠れているんじゃ……」

「若君、さすがに侍女たちと手分けしましたが」

 兵士は首を横に振る。

 隠し通路があったかもしれないが、スパリューンニィはあまり家にいなかったため記憶があいまいだ。

 伝令が入ってくる。

「情報の提供ありがたいと。王は立ち去りました」

「……なんだと?」

 スパリューンニィは嫌な予感がして、外に出ようとした。

「今はやめよ!」

 長は息子を縛る縄を引く。

「エルを突き出した奴がいるんだ、ここに」

「分かってる。だが、何もできない娘なら、王も手荒な真似をしないだろう。お前から引き離した時点で」

「……」

「時を見よ」

「今なら近くにいるはずだ」

 スパリューンニィの声が低く怒気を孕む。

「戦闘を引き起こすか? その娘の血をすすりもできず、王以外の者も相手にできるのか?」

「……っ」

「下手をすればあの娘の命が消えるぞ」

 スパリューンニィはうめいた。フィオニェーヴがシエールイにどういう感情を持っているか知らないが、歯牙にもかけない場合は人質として殺す可能性もある。

 運よく奪還しても、シエールイとどこかで引き裂かれるのが落ちである。

 世界は広いようで、狭い。目は至る所にあり、王であるフィオニェーヴに手を貸す方が多いだろう。

 シエールイがスパリューンニィを思っているのが気に食わないのなら、一緒にいない時点でシエールイに無理強いはしないだろう。

 希望はなくはない。

 シエールイが出たのは早く、石碑にたどり着くことができ、予想通り元の世界に戻る手順が踏めれば、彼女はここからいなくなる。

「父上……」

 スパリューンニィの父は兵士たちを全て下がらせた。取り押さえられているが、危険なスパリューンニィと二人にしていいのかと不安もあるが、命令に従う。

「もともと、お前があの娘を好きならば、命の長さも気にしないなら、祝福はしてやるつもりだ」

「……」

 意外な言葉にスパリューンニィが驚く。

「王が追っている状態で敵対行為はさすがにできん。それに、あの娘が帰る手段がない上、お前が気の毒だからといって面倒見るならば、ここか淫魔の里で面倒見るつもりであった。そこであれば、同族がいて安心できよう」

「はっ?」

 スパリューンニィは初めて聞くことが混ざっている。人間の集落は先日最後が消えたのではなかったのか、と。

 吸血族と淫魔は人間に親和性が高く、世界が別れたときからかくまおうという動きが強かった。他の一族からは、人間を飼っているとか家畜化している等嫌味を言われ続けたことである。

 それが本当に行われているのだろうか?

「彼らは普通に生活している。ただ、血が濃くなってしまうのはどうしようもなくて、淫魔の里と協力して、見合いして住む場所を変えたりはしていた。地上に残っている人間を保護したこともあるが、お前、本当にこの話知らなかったのか?」

「聞いたことないです」

「……ああ、教える前にお前が人間と接触して、歯止め無くしたのだったな」

「……」

 若かったころ。人間で言うなら、少年から青年に変わるくらいの不安定な時期であった。そして、何でもできるという自信と期待をたくさん持っていた。

 あの直後から家にとどまることは少なくなった。

「王も街の事は知っているはずだが……」

 長は溜息を漏らした。伝えることができなかった事実。そして、空回りし続けていた親子関係。

「細々であるが、この街の産業の一端を担っているのは彼らだ。彼らを保護し、血を適宜いただく……それで成り立つ関係だ。もちろん、牙で直接ではなく、医療器具を使ってな」

 時間はあるのだから見に行けばいいと教えてくれる。

「……父上を疑って申しあけありません」

「いや。それより、その娘の行方についてだな。淫魔の方にも連絡を入れて保護できるようにしよう」

「……ぼくが動きます」

「今はやめろ。おとなしくしていろ。娘を捕まえた後、むごたらしいことをやれば、すぐに噂になる。王だって考えているだろう。もちろん城内は奴の言いなりだろうが、どこからか漏れるもんだ」

「ひょっとしたら、元のところに戻れているかもしれません」

 スパリューンニィはそう願い、シエールイにとって一番いいことだと納得しようとする。

「そうだな。おとなしくしていろよ。当分、この街から出るな」

「はい」

 スパリューンニィはうなずくしかなかった。


34

 三十分ほどして、前方に黒い線が見えてきた。地面がさけている場所だろうと目星をつける。

 距離はやはり分からないが、これまで歩いてきたよりは早い時間につくだろうと歩みを速めた。

 そんな時、大きな振動が背後に迫る。

 シエールイは振り返る。

 土煙が上がっているのが見えた。

 隠れる場所があればそこに身をひそめることが重要。荒野であり、簡単に適当な場所が見つかるわけがなかった。

 隠れられないなら一秒でも早く目的地に着かないとならない。

 焦れば焦るほど足は空回りする。

 捕まったらどうなるのか考えると恐ろしい。

「啖呵斬ってこれじゃ……」

 崖まであと十数メートルと言うところで、追い抜かれた。シエールイははねられないように反射的に足を止めた。

 トカゲのような生き物に乗っている人物は、武装したフィオニェーヴ本人だ。

「……帰るから、もう」

 放っておいてほしいとばかりにシエールイは叫んだ。

「命だけは助けてやる。しかし、自由があると思うな」

「違う! 私がいるべきところに帰る」

「貴様がいるべきは、余の下、余の力に加わる」

 人間で言えば騎士というような男たちに囲まれる。そろいの鎧に身を包み、フェースガードで顔は見えないので鎧のお化けのようである。体格も人間の騎士よりも一回り大きいだろうから、余計にシエールイは心細い。

 非力な人間の娘が相手でも全力で働くのだろう。手に持っている槍はシエールイに向いている。

「帰る! 私は……」

「サヴィローズはかろうじて生きているぞ?」

「あっ!」

 シエールイの弱点はここだった。人質となっている可能性がある知り合いを放っておくことができないという点。

「貴様が余の元に戻らないとなれば、息の根を止めるように指示してある」

「ど、どういう」

「貴様ももう一度操られたいか?」

「……」

 命にかかわることも命令できるというのだろうか? 術に関して詳しくないシエールイはフィオニェーヴの言葉の真偽は判断が付かない。

「あはっ……」

 希望はなくなった。なぜか短く笑いが漏れた。

 逃げ切ることができるならサヴィローズを捨ててもかまわないともどこかで考えた。しかし、進むことも戻ることもできないこの状況で、サヴィローズを捨てても、自分の捕まるしかなかった。

「……リュー……ごめんなさい」

「あいつは幸い、父親が賢明で、地下牢で頭を冷やさせているということだ」

「……」

 シエールイは膝を折った。

 もう、立っていることなどできない。

 地面に着いたとき、指輪がカツンと音を立てた。

「……お母様……」

 今は亡き母親から譲り受けた指輪。

 病気で死んでしまったが、精一杯生きた母。唯一髪をほめてくれた人物。

 兄たちに義母、父、弟……執事、侍女たち……もう二度と会えない。

「さあ、こちらにおいで」

 声は優しく、降りることなく手を差し伸べるフィオニェーヴ。立つ力がなく、シエールイは動けない。

 何も考えたくない。

 騎士の一人が下り、シエールイを抱き上げようとする。

「いや」

 指輪が鎧に当たりカツンと音を立てる。この音がシエールイの頭を現実に引き戻した。

「指輪か?」

 シエールイの指からフィオニェーヴが抜こうとする。

「飾りとしてはもっといいものを上げよう。ずっと服を着せないつもりはないから」

「やめて」

 ――これは渡せない。

 指から素早く抜くと、崖に向けて放り投げた。

 指輪は弧を描いて崖の黒い闇に吸い込まれていった。目で追っていたフィオニェーヴは興味を無くしたとばかりに、シエールイを抱きあげあると自分の前に乗せた。

「逃げようと考えるなら……」

「もう、逃げ場はないから何もしない」

 シエールイは心を読まれないように殺そうと考える。魔法に対してどうしていいか分からないので、あくまで気持ちにすぎなかった。

「帰還するぞ」

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