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それは愛、なのよ!  作者: 小道けいな
4/7

王の下で

18

 眼鏡がないので不安もあるが、スパリューンニィがいるため困ることはなかった。

 そして、とうとう別れる時がやってくる。

 王が住む城がある街にやってきたのだ。城壁も三重になっており、だんだんと警備が厚くなってくるという。それに、空を飛べる者もいる為警備は立体的で空にも警備がいるのを、目の悪いシエールイも見た。

「お、大きい……」

 城壁の高さは自国の何倍だろうか。

 それが高いために城自体のもっと大きくなる。

「人間の姿を取って生活することがあるけど、高さや大きさは違うからな。城など特にいろんな種族が来る」

「でもなんで人間?」

「共通の認識であるものがそれだから」

「なるほど……」

 門をくぐり、入って行くと、城の巨大さが改めて分かる。天井も非常に高い。

 壁や柱には彫刻や絵も入り、華やかで豪奢な雰囲気がある。

 自分の国の城でもこういった優雅で華美な装飾が着くところもあるが、大きさはここに勝ることがないので、圧巻な城の様子にシエールイは口が開いているのも忘れて、見入っていた。

 部屋に通されしばらく待つと、一人の男が入ってくる。

 背の高いスパリューンニィよりも若干背が高く、体格がいい。スパリューンニィが文官ならこの男は武官だ。

「スパリューンニィ、久しぶりだな」

「そちらも憎らしいほど元気そうで」

 スパリューンニィの後ろに知らず知らずに隠れたシエールイは、ハグをしている男に発見される。

「人間連れてお前が旅していると聞いたが、本当だったんだ」

 スパリューンニィから離れると、シエールイの横に来て、視線を合わせるように屈む。

「エル、これがここの王フィオニェーヴ。適当にフィとか呼んでやればいい」

「ひどいな。余に対し、そんなこと言えるのはリューのみだがな」

 苦笑するフィオニェーヴにシエールイは丁寧にお辞儀することにした。

「はじめまして、シエールイと申します」

「可愛いじゃないか。礼儀作法もできる」

 フィオニェーヴはシエールイの脇の下に手を入れると、ひょいと持ち上げる。ソファーに座る時に彼女を膝に置いた。

 礼儀作法できると言われたのに、礼儀作法もない行動をとられ、シエールイはどうしようもうない。

「まあ、猫みたいだろう」

「リューはすぐに猫扱いする」

 シエールイは唇を尖らせる。

 この数日で随分自分は変わったと実感していた。国でもこちらでも気を張っているのは同じだが、種類がちがっていた。国では侮られないための意識であり、こちらは生きるための意識。

 スパリューンニィに関しては、妹や猫でもいいから相手してもらうだけでも幸せだと考えるようになった。

「そうか。で、これは余に貢物というわけではないのだろう」

 シエールイはびくりと震える。恐る恐るフィオニェーヴを見るが、笑っている顔から真意は取れない。

「そいつが元の世界に戻るまで、保護してほしい」

「保護ねぇ。余にとっていいところは一つもないが?」

「人間めぐって騒乱起こるよりいいだろう? 結構話題になっているなら、街に置けばもめ事になる」

「それは確かに。治安維持は重要だ」

「エルが気に入ったなら口説くのは自由だ」

 シエールイは内心萎れる。妹や猫でもいいと思っていたが、やはり異性として興味がないようという発言を受けると嫌なものだ。

「魅力的な話だね」

 フィオニェーヴは後ろからシエールイの手に触れる。素手で異性に触られることは少ないため、あわてて手を離す。

「素手で触るな」

「すまないね」

 スパリューンニィのあわてぶりにシエールイは驚く。

 シエールイは膝から降りようとしたが、腰を引かれフィオニェーヴの胸に倒れる。

「きゃあ」

「子どもと言うわけではないのに、細い。折ってしまいそうなだ」

「リュー」

 つい助けを求めてすがってしまう。それがいけないことだと気付いて、シエールイは自分の口を手で隠した。

「口説くのは楽しそうだ」

 フィオニェーヴはシエールイの首に髪を触るついでに触れる。

「ひゃ」

 フィオニェーヴの膝から降りて、スパリューンニィの前に立つ。今回の行動は阻害されなかった。

 スパリューンニィは立ち去りそうだ。

 王に引き渡すまでの間柄だったのだから仕方がない。彼は放置していても良かったシエールイを安全かつ迅速に運んでくれたのだ。

「お、お別れなんだね」

「……ああ」

「お礼、してない」

 スパリューンニィは屈むと、顔を近づけた。

「なら口づけを一つ」

 冗談のつもりで言ったのだろう。目は意地悪そうに笑っている。

 シエールイはためらったが、冗談でもそれを望んでくれるならと、唇に触れる。これでいいなら安い物。初恋は実らないともいうし、思い出だと自分から行う。

「え?」

 意外だったという顔のスパリューンニィがいる。

「リューの親切は忘れないから」

「……」

 シエールイは涙を袖でぬぐった。スパリューンニィが頭を撫でたのだが、優しく温かったため名残惜しくなっていた。

「フィオ、よろしくな」

「ああ、任せてくれたまえ。重要な案件だからな」

 スパリューンニィはフィオニェーヴの仕草をじっと見ている。シエールイは友人同士だから伝わる物もあるのかなとうらやましがっていた。

 フィオニェーヴは立ち上がってから、シエールイを抱き上げる。ここでもやはり猫扱いだろうかとシエールイは困惑した。

「あ、あの」

「小柄な君を歩かすと、用意する部屋にたどり着くのはいつか分からない。こうしたほうが早いだろう」

「しかし、王様である人にそんなことは」

「余がしたいのだ」

 抱きかかえ方により、背の高いフィオニェーヴを見下ろす状態になり、シエールイは居心地が悪い。

 フィオニェーヴは体格がいいので、抱きかかえられた場合シエールイは幼くなった気分になる。スパリューンニィも背丈はあったが、抱きかかえ方によるのか恋人気分になれるという特典があった。

「あ、少し滞在してもいいかい? 休みがなくてさ」

 スパリューンニィがこういった瞬間、シエールイはほっとした。城で会うことがないかもしれないが、知っているヒトがいるのは心強かった。

「もちろんだ」

 フィオニェーヴは穏やかに友人に応えた。


19

 王自ら部屋へ案内してくれたことに対し、シエールイはどう判断していいのか悩む。気さくなのか、それとも裏があるのか。本当に抱きかかえられたまま城内を進んだ

 口説けばいいと冗談で言っていたことが本気だった場合、抵抗などできないだろう。

「君の部屋はここだ」

 元から広い城であるので、部屋も広い。シエールイの普段の居住がすっぽり入りそうだ。

 部屋に入って降ろしてもらい、シエールイは頭を下げる。

「ありがとうございます。図書室は?」

「あの棟がそうだ」

 部屋の窓からフィオニェーヴは指さす。

 近い所で助かった。一つ一つが大きいため、シエールイはたどり着くのに時間がかかる。

「君に一つ聞いていいかな?」

「なんでしょうか?」

「リューには血を吸われたのかい?」

「え? そ、そんなことないです」

 顔を真っ赤にして首を振る。血を吸うといってもなめるとことはされた。

「そうか。どんだけ腑抜けになったのか」

「腑抜け?」

「そう、あいつは生きている者から血を吸えないんだ」

「……なんとなく聞きました」

「目の前にごちそうがいるのに」

「それ、私ですよね」

「失礼」

 フィオニェーヴはしゃがむとシエールイを抱きしめる。優しいが、絶対に振りほどけない力が加えられている。

「陛下、お呼びと伺いました」

 扉が開いて甘ったるいがはきはきとした女の声がする。

「あたしと一晩ってことですか?」

 冗談なのか本気なのか分からない言葉だ。王を前にそんな気楽なことをいうということは、この女性は愛妾か道化かなのだろうか。

「いや」

 あっさりと否定するフィニェーヴ。彼が立ち上がったので、解放されたシエールイは入ってきた女性を見た。

 メイド服の女性は、シエールイと比べて女性らしい体型かつへこむところはへこんでいる。非常にうらやましがられる体型の持ち主。

 顔立ちも整い、おっとりとした表情の美女だ。金髪に碧眼、国にいれば絶対もてる、男はより取り見取り。

 シエールイは思わず見とれる。

 一方、女性はじっとシエールイを見ている。じわじわと表情が変わっていくが、シエールイは良く見えていない。

「か、可愛い」

 女性は王がいるにもかかわらず、わき目もふらずシエールイに近寄ると子猫に頬ずりをするように抱きしめる。

「ふ、ふわああああああああ」

 温かい抱擁、柔らかくおぼれそうな乳房の間にシエールイは困惑する。

「噂の人間? 可愛い、食べたいくらい可愛い」

「食うなよ」

「そんなことしませんよ。可愛いくって、愛でるのに忙しいですわ」

 半ばあきれているフィオニェーヴにきちんと否定するが、シエールイを放す気はないようだ。なで繰り回し、頬にキスを何度もしてくる。

「サヴィローズっていうの。サズって呼んでね」

「は、はい……シエールイっていいます」

「シイちゃんね」

「は、はい?」

「困惑した顔も可愛い」

「はう」

 ギュッと締め付けられ、腰が折れるのではと言う力に息もできない。

「力こめると、殺すからやめろ」

 フィオニェーヴがサヴィローズの肩を叩いた。

「あ、あら」

 サヴィローズは悪い者ではないが、怖いとシエールイは確信した。


20

 フィオニェーヴが出た後、シエールイはソファーに座る。大き目のソファーため、ベッドに座るようにうまってしまう。

 サヴィローズは世話係として呼ばれてらしく、お茶と菓子を用意していた。

「一緒に食べませんか?」

「え? いいの?」

「はい、あの、私に必要なのは、ここの作法を教えてくれるヒトです」

「んー、世話係兼話し相手がちょうどいいのかしら」

 一人掛けだったがシエールイの横は余っているので、サヴィローズが座る。ぺったりとくっつくのでうっとうしいし、彼女から香る強いバラの香りにドキドキする。

「作法といっても、あなたが他の人間とどこが違うか、あたしもわかんないのよねぇ。だから、共同作業って感じでその時に質問でいいかなぁ?」

「はい、お願いします」

「固い、固い! シイちゃんはいつもそんなの?」

「とは限りませんが……」

「砕けて砕けて」

「……わかりました」

「固い」

「と言われましても」

 砕けたしゃべり方をしろと言われてできれば苦労しない。スパリューンニィに対しては敬語は使わなかったが、勢いと状況による。ここは城であり、礼儀作法が必要なところである。

 サヴィローズは頬を膨らませて口にマフィンを放り込む。シエールイも食べるが、小さい口で少しずつだ。おいしいのは間違いない。菓子は好きだし、こういった物も好きだ。こちらの世界に来て初めての菓子であり、久しぶりで味わっている。

 シエールイは上品にもすもすと食べる。その姿を見ているサヴィローズと目が合う。

 それにしても食べるのが遅い。相手が早いだけなのだろうかとシエールイは首をかしげる。

「おいしいです」

「良かった。もちろん人間向けの味付けになっているし、あたし、この手のこと好きだからレシピも完璧」

 にこやかなサヴィローズは口にぱくりとマフィンを含む。

 シエールイは口に含んで小さく食べて紅茶を飲む。

「口開ける」

 サヴィローズはもごもごと言ったので、何かなと思ってシエールイは彼女を見た。

 唇に重なる唇。そして、突っ込まれるマフィン。

 彼女からの口移しで押し込まれたそれは吐き出すわけにもいかず、どうしようと考えているうちに飲み込む羽目になる。

「え? むぐ、何を! ん、うふ」

 苦情を言おうとしたシエールイの口をサヴィローズがふさいだ。熱烈なキスの後、シエールイは呆然としている。

「な、何を!」

 恥ずかしさと怒りで真っ赤になってシエールイは言うが、サヴィローズは反省しているより不満そうな顔になっていく。悪いことしたとは思っていないのだろう。

「だって、可愛いんだもの。可愛いなら、キスしたいし、触りたいのよ、体の隅々まで」

「……」

 シエールイはじりじりと逃げはじめる。同じソファーに座っているので逃げ場は少ないが、隙をついて別の椅子に移動するつもりだ。

「逃げないでん」

 相手の動きが早く、抱きつかれてシエールイはソファーに転がる。

 シエールイの薄い胸にサヴィローズは頬を寄せる。

「う、可愛い。人間でも胸小さいタイプね……」

「大きなお世話」

 シエールイは警戒してサヴィローズから離れようとするが、がっちりと腕がからめ捕られている。二の腕に柔らかい双丘が当たる。

 ――男の人ならこれでいちころだね。

 冷静に考えるシエールイ。そして、自分の胸を見下ろす。平らではないが平らに近い。

 悪い人ではないが、スキンシップが激しすぎてシエールイは付いていけない。

「人間の食事なら任せてね」

「ありがとうございます」

「人間の事はうちの一族の右に出るモノはないのよ」

「何の種族なんですか?」

「淫魔」

「……な、なるほど」

 淫魔も種類が二つあり男と女で性質が違う。つまりこの淫魔は女だから女である自分には興味を持たないはず。

 と確証は全くなく、すでに貞操の危機を感じている。

「吸血族も人間好きよねぇ。人間繁殖計画には一枚かんでいたのよね。夢魔と内と後腐肉だったけなぁ」

「え?」

「ほら、違うからねぇ、やっぱ、人間最高。あたしたちは、人間に近いから特に人間がいいのよねぇ。別に楽しませてくれるなら誰でもいいけど、人間最高」

 人間最高を二度も言ったので、シエールイは警戒している。この後何をされるのか、身の回りの世話と言ってもどこまで希望を叶えてくれるのか、何を我慢しないとならないのか。

 ――あ、人間に近いけど、体の作りって淫魔どっか違うのかしら。

 ふと好奇心が刺激されたが、下手なことを言うとろくなことが起こらないと出会って二時間くらいでサヴィローズについて学んだ。

 だから、黙って、じっとしていたシエールイに、感極まったというサヴィローズが抱きついてきた。

「可愛い!」

 むぎゅっと胸に抱かれる。

 不細工と言われるのも嫌だが、この手放しの愛情表現は素直に受け止められないので怖かった。

「お風呂は一緒に入ろうね。洗ってあげるから」

「いえ、一人で入れます」

「興味があるのよね、人間の体って」

 先程シエールイが思ったあたりをやはり彼女も持ったらしい。見た目は一緒だし、人間を交わることで精を絞るというのだから形は一緒かも知れない。

 好奇心がうずいたが、拒否しておかないと恐ろしいことが起こることは確定だ。

「駄目、一人で入る」

 などと言っていたが、夕食後、広い風呂場に二人でいた。

 二人で入っても問題ない広さだが、石鹸等をサヴィローズが確保してしまった。つまり頼まないと湯で洗うだけしか楽しめない。石鹸からは華やかな香りがしており、シエールイの興味を引く。

 頭を洗うのはサヴィローズがやる気まんまなので許す。これを許さないと後が怖い。

「黒くて真っ直ぐ、つやつや~。人間ってこうなの?」

「茶色でうねっている人もいるし、金髪で真っ直ぐもいる。サズみたいな人がいたら、結婚したいという人が列をなすよ」

「あらぁ」

 後ろから裸の胸を押し付けられ、シエールイは複雑な思いを持つ。柔らかいなぁと。

「痩せてるのね、ただ単に。うんうん、あたしがおいしい料理を食べさせてあげるから、きっとボンって出るよ胸」

「いえ、たぶん、腹が出るのが先」

 肩を抱きしめ、体を見下ろしながらサヴィローズはいい、手をズリズリと下におろす。

「どこ触る気!」

 身をよじって抵抗したところ、シエールイは胸に顔を埋めた。

「……うらやましくないし」

 可愛いと連呼して、洗ったばかりの髪に体洗うための石鹸の泡を散らした。

「やめて。せっかく洗ってくれたのに、髪の毛めちゃくちゃでしょ」

 さすがにサヴィローズはやめて萎れた。

 その隙に、シエールイは普通に布を使って自分で体を洗う。

「胸がもう少し大きくなるような呪いや薬あるかしらねぇ。一番噂に聞くのでいいのは、揉まれること?」

 サヴィローズは名案とばかりに体洗ったばかりのシエールイに抱きつく。

「ちょ、何、やああ」

 乳房を揉まれ悲鳴を上げたシエールイは、顔を真っ赤にしながら抵抗をする。乳房だけではなく、下腹に伸びる手にも気付いた。

「やっぱり、人間のこっちも気になる」

 吐く息が荒いサヴィローズにシエールイは貞操の危機を強く感じる。サヴィローズの股間には男のものが付いていないので、必要以上に危機はないかもしれないが、女同同士だからと言って安心もできない。

「湯船に入る」

「うん、ゆっくり入ろう」

 サヴィローズはシエールイを逃がすつもりはなく、揉むのをやめてそのまま抱えて湯船に入る。

「たっぷり可愛がってあげるわ」

 呼吸の荒いサヴィローズがシエールイをむぎゅっと抱きしめ、その手は体のあらゆるところまさぐる。

「ひゃあ」

 シエールイは「やめて」と言っても通用しない相手にどうしようと考える。女性だからと言って簡単に逃れられることもできない。

 湯船の中は深めであったため、シエールイは命を懸けた脱出に挑む。

 力を抜いて、ずるずると湯の中に落ち込んでいく。

「抵抗やめてくれてありがとう。優しくするわ」

 にこやかなサヴィローズはキスをしてきた。

 その瞬間、体重がシエールイの後方にかかり、湯の中に倒れた。

 その中でもキスをやめないサヴィローズ。

 シエールイは頭の中が真っ白になってきた。口から入るのはお湯だけで、空気が欲しいと体が訴え、水面に向かってもがく。

「あ、ああああ、きゃああああああああああああああ。ああん、死んじゃいや。人間弱いの忘れてつい、つい! ごめんね、もう、無理やり迫ったりしないから」

 双丘に挟まれ空気を求めてあえぐシエールイは遠い目をしていた。

 ――分かってくれてありがとう……。


21

 添い寝されてシエールイは何とも言えない朝を迎えた。別に何かされたわけではないが、この年でこういうことがあるとは思いもしなかった。

 さすがに迫ってこなくなったが、密着度は変わらない。

 朝食はパンケーキとフルーツにジュースの豪勢な食事にシエールイは驚く。

「おいしいよ」

「良かったぁ。お昼はどうしようかな」

「図書室行こうと思う」

「なら、外でサンドイッチでも食べるのがいいかしら?」

「うん、それでいい」

 頬にフルーツの汁が着いたので取ろうとした瞬間、サヴィローズになめとられた。

 それを無言でナプキンでふき取る。

「あ、シイちゃんの髪の毛結わないと」

「後ろに結うからいい」

「ダメダメ」

 シエールイの腰を覆う髪を手早く結う。三つ編みを作り、団子状にする。リボンで結んで固定する。

 サヴィローズは侍女として働いているだけあり、手先は器用で動きを察する機微に富んでいる。密着さえなければ、非常に有能な侍女であるとシエールイは理解する。

「可愛いわぁ」

「ありがとう」

 シエールイはにっこりとほほ笑んで礼を述べると、抱きついてこなかった。表情から察するには、感激してそれどころではない様子である。

 シエールイはその後、一人で図書室に入る。紙とカビの独特なにおいが圧倒してくるところが、国のと同じでほっとする。

 司書という男は蛇を思い起こさせる人物だ。表情も感じられず、シエールイは少し怖いと思ったが、話しかけると表情に乏しい以外は有能な司書と言う感じが伝わる。シエールイのことは王から聞いているので自由に使っていいし、用があれば声を掛けろという。

 ここまで来て疑問を持つ。

「字、読めるのかな」

 これまで会話していたので問題なく過ごしていたが、書き言葉が同じとは限らなかった。

 スパリューンニィと一緒の間、看板なども目にしているが、何かあるとすぐにスパリューンニィがシエールイに答えてくれたため、書き言葉に対して質問をしてこなかった。

 図書室で本を取ってみると。案の定読めないものがある。一方で、古い文法が一致する文字もある。

 片っ端から探すには大変そうなので司書の手助けを求めた。

「伝承と人間に関して書かれている本を見たいです。それと、このタイプの文法の本が多い所を」

 司書は無表情であるが、丁寧に教えてくれた。

 午前中はこれで終わり、サヴィローズと待ち合わせの場所に向かった。

 人間繁殖計画やスパリューンニィが人間を飼っていたという話に関しても裏を取りたいと思っていた。しかし、それは二の次だと強く自分を戒めた。


22

「いやん、スイ様が来ていたんなら、あたし、もっと早く来たのにぃ」

「いや、ほら、お前に悪いことしたって思うし」

「思うんなら、お願い聞いてくださいよぉ」

「ん、む」

 シエールイはサヴィローズとリューが一緒にいるのを目撃した。お昼ご飯の待ち合わせの、図書棟の前にある庭。人目もあるというのだが、二人は情熱的なキスを交わしている。

 サヴィローズはスパリューンニィに絡み付くように、ふっくらとした唇を重ねている。

 シエールイは声を掛けることもできず、角でうずくまった。

 ――知り合いで、その恋人同士だった?

 状況としてはそういうことだろう。悪いことしたというのは、会いに来るまでに間があったということか。

 ――私が心配だからいてくれるのかなってちょっと思った。バカだ、自惚れだ。

 シエールイの胸はきゅっと縮こまり締め付けられるように痛かった。涙があふれてくる。

 バカな自分に対して。

 何か期待していた自分に対して。

 ――たまたま通りがかって拾った人間だもんね。猫やせめて妹みたいなもんだよね。そうだって、自分に言い聞かせていたのに。

 シエールイはキスの音にいたたまれなくなり、音をさせないように立ち去った。

 地理が分かっていない城の中で適当に逃げて走ってしまったため、場所が分からなくなる。入ってはいけないところには兵士がいるだろうから、問題はなかろうと思いもする。

 シエールイは後ろを振り返り、角で何かにぶつかりよろめいた。

 強い力で支えられ、転ばなかったが何につかまったのかと驚く。

「王様?」

「シエールイ、どうしたんだい? 泣くほど痛かったのか?」

 頬を武器をとっていただろう指が、涙をぬぐうように頬をなでる。

「ち、違います。これは、ちょっと目にゴミが入って前方不注意で……」

「いや、走ってくるのは分かっていたから、ぶつかったのはわざとだ。そうでないと刺客に対応できん」

「……すみません」

「客人である君に不快な思いがあると、困るのだが?」

「何もありません。心配しないでください」

 フィオニェーヴはシエールイを抱きかかえる。

「ちょ、王様」

「食事を一緒にどうかな? きちんと君が食べられる物を用意する」

「一応、サズが用意してくれているんです」

「なら、そちらに連れて行こうか? 迷子になったみたいだし」

「一人で戻れます」

「心配だよ、君が」

 こつんと額と額が当たる。

「う、うわああ、近いです、近いです」

 両手でフィオニェーヴの胸を押し、離そうとする。

 好みか否かは別として、フィオニェーヴは男らしい整った顔をしているのだ。美丈夫と言うにふさわしい外見をしている。

「本当に何かあれば、言いたまえ」

 フィオニェーヴは頑固なシエールイに困ったというような、淡い笑みを浮かべてシエールイを下す。

「はい、ありがとうございます」

 シエールイはお辞儀をすると立ち去った。その背中をじっとフィオニェーヴが見ているのは、心配しているからだと思って、角で見えなくなる前に手を振って元気なところを示した。



23

「シイちゃん、いた、良かった」

 待ち合わせ場所にサヴィローズは涙目で待っていた。そこにスパリューンニィの姿はなかった。

「図書室に行ったらいないていうし、迷子になったのかと思って不安だったの」

「うん、ごめん。ちょっと迷子になってた」

 我ながら苦しい言い訳であるが、サヴィローズは追求してこなかった。

「そうよね。気を付けないと、陛下の物と言っても悪意を持って近づいてひどいことしようとする奴もいるとおもうから……一人にしない方がいいのかしら」

 シエールイは首を横に振る。

「図書室にいるだけなら、司書の人もいるし」

「そうねぇ? あれ? シイちゃん、泣いたの?」

「え?」

「寂しくてないちゃったの?」

「あ、うん、そんなことない」

「うわーい、可愛い」

 昼食の準備を放棄して、シエールイを抱きしめる。

「それより、ごはん。おなかすいちゃった」

「反応薄い~。そうねん、サンドイッチよ」

 パンに野菜や果物を挟んだものがバスケットに並ぶ。カップに茶を注ぎベンチに置いた。

「サズが作るの?」

「うーん作ってもらってる。厨房にレシピを出して。そうじゃないと、一緒にいられないじゃない」

「そっか」

 シエールイがおとなしく食べていると、サヴィローズはサンドイッチの一部を突き出して、口移しで食べさせようとし始める。

「その手は乗らないので、大人しく食べてください」

「あらぁ」

 サヴィローズは口に含んで咀嚼する。

「サズは恋人いるの?」

「それが特定なのはいないの」

「美人なのに」

「え? 本当? シイちゃんほど可愛い子に言われると、照れちゃう」

「いや、可愛いより美人がいいな……」

「うーん、シイちゃんば美人と言われるようになるにはあと三年はほしいかな」

 きっぱり言われたが、否定されるよりは希望が持てる回答だ。

「婚約者はいたんだけど、別れたのよねぇ」

「え?」

 聞いてはいけないことを聞いてしまったとシエールイはしょげる。

「その人とさっきも会って、いちゃついてたのよん」

「え?」

 それは喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか全くわからない。スパリューンニィが婚約者であったわけで、いちゃついていたのも気がないからと言うわけではないということではないか。

 何かあったら縁りを戻すかもしれないということだろうか。

「吸血族の長の息子で、跡取りってやつ。あたし、淫魔の長の娘のうちの一人で結婚することで絆を深めようって事だったんだけど」

「そ、だったんだ」

 シエールイはどこかほっとする自分に気付く。

「結局、あの人、ダメなのよね」

「だめ?」

「煮え切らないというか。でも、嫌いではなかったんだけど。あの人、人間殺したことあるから怖がってた」

「え? リューが?」

 シエールイの言葉にサヴィローズが反応した。

「あ、そっか、人間連れた吸血族ってスイ様だったのねん。で、君? そっか、そっか」

 にこやかにサヴィローズはシエールイの顔を覗き込む。

「ふふふ、あたしがさっきスイ様といちゃついていたのを見たのね」

「な、なんにも見てない」

 顔を真っ赤にして否定したところで、肯定したことにつながるのだが、シエールイのあわてっぷりにサヴィローズが余裕綽々の様子を見せる。

「いいのよぉ、隠さなくても。そうねぇ、スイ様落とす手管を教えてあげましょうか」

「……て、手管」

 ごくりとシエールイはサンドイッチのかけらを飲み込む。

「男を喜ばせるあれやこれ。もちろん、ベッドの外でも中でも」

「……さ、さすが淫魔」

「そうよ! というわけで、図書室に行かずに、あたしとレッスン」

「いや、図書室行くよ」

「それに、あたしとキスすると、スイ様と間接キッスってことになるのよ」

「……」

 シエールイがありえないという顔で見ていると、サヴィローズががくりと肩を落とした。

「そ、そうよね。特典がないわね。なら、あたしが取り持つっていうのはどう?」

 淫魔の彼女が乗る理由をシエールイは考える。

 振られるのを見たいのか、シエールイならスパリューンニィの好みに合っているかなのか。

 それ以外の可能性だってあるが、シエールイは自分がここにいる理由を思い出す。

「何のためにここにいるの? 私、帰るためにいるの」

 スパリューンニィと一緒にいられるかもしれないという希望はあった。しかし、人間が生きるにはつらい場所で、迷惑をかけてずっといるわけにはいかない。

 人間を殺したという話をちらりと聞き怖いと思う。人間を食事とみなす生き物であるのだから、殺してきた事実もあるだろう。

 きょとんとしているサヴィローズには悪いことをしたかなと思い、お礼を言おうとシエールイは口を開く。

「サズ、親身になってく……」

「夜はお部屋にいますねぇ」

「え? あ、うん?」

「なら、手ほどきは夜にでも」

 うふふとにこやかに笑っているサヴィローズに、シエールイは気が遠くなる思いだった。

 心配するようなことは彼女は考えていないし、むしろシエールイ自身の心配が必要だということが良くわかった。


24

 何かされるのかとはらはらしていたが、特にサヴィローズからアプローチもなくほっとしていた。

 シエールイは何期待しているのかと自分にあきれもする。いや、純粋に男女の間の秘め事にも興味がある。国に帰ったらいずれ婿はとらないとならないし、国同士のやり取りで嫁ぐかもしれない。

 そうなれば、性的行為は恥ずかしいと言ってはいられない。相手の上に立ち、有利にことを運ばないとならない。

 ――て何考えているんだ、私……。

 帰る方法すらままならないのに、何を考えているのかと自分の考えに落ち込む。落ち込む一方で、調べ始めたばかりで時間は分からないので、楽しめることもあった方がいい。

「城内探検しようかな……子供のころやったな」

 夕食後一人で風呂に入りつつシエールイはのんびり考える。

 サヴィローズが風呂も放置してくれたので、広くて寂しいがほっとした。一緒に入ってもいいが、何かされるという緊張感はいらない。

「小さい頃は……兄様たちと走り回ったわね……」

 一緒に高い所に登り、降りれなくなって怒られたこともあった。厨房に入り込んで、兄たち置いていかれ、泣いていたら料理人たちに甘い菓子をもらってなだめられていたこともあった。

「あれが続くって思ってたよね」

 湯のぬくもりは神経を和らげ、望郷の念すら呼び起こす。

「結局、私はどうしたいんだろう」

 元の世界に戻るということだ。

「戻ったからって、いいことある?」

 生きるか死ぬかは存在しても、本気で食われるような状況はない。人間だけで暮らす方が楽なのは事実だ。

「……本は見ても良くわからない。読めないのが多すぎる」

 時間を掛ければ読めるだろうが、かかりすぎる。

 風呂を入る時にも付けている指輪を見た。

「……あれ?」

 指輪には模様が入っているのだが、唐草模様の中に盾と剣の書かれた小さい紋章のようなものがある。前から見ているのだが、最近これに似た物を見たような記憶gああるのだ。

「どこかで見たような……うちの国の紋章は盾と十字とヒース……」

 この城にも紋章はあったはずだから、明日でも見ればいい。

「ずっと続く指輪」

 母からもらった物であり、王家の姫の一人が引き継いできたという。

「……シエールイ、余も入るぞ」

「入んないでいいです、出るの待ってください」

 即刻返答をした。のんびりしていた時間が終わった。

 サヴィローズがおとなしかったのはこのせいだったのか。午後別れた後何を言われたのだろうか。

「冗談だ。少し話をしようと思って尋ねたのだ。ゆっくり入っていい」

「いえ、上がります、上がります」

 王の訪問に肝を冷やした。

 そして、もし体を求められた場合、拒めるのだろうかという不安が生じる。フィオニェーヴは武人であり優しいが、この国の王だ。シエールイの生殺与奪権を有しているといっても過言ではない。


25

 頭の上からホコホコと湯気が上がるままのシエールイにガウンを着せるサヴィローズ。

「これ、まずいでしょ」

「え? 王様、本気で男としてきたなら、何着てもオッケー」

「いや、良くない」

 サヴィローズはフリルがたくさんついた可愛らしいドレスを持ってくる。

「何、それ」

「あたし推奨」

 もこもこした中にうまる。

「子ども用のドレスじゃないの?」

 シエールイはズバリ言ったものに「年は関係ない」と返答されたが、それは肯定でもあった。

 部屋に入ると、ソファーにくつろぐフィオニェーヴがいる。

「こう言う時、似合っているというべきなんだが、シエールイの顔を見ると否定する方がいいのか困るな」

 苦笑している。

「申し訳ありません」

「いいんだよ、突然来たのは余なのだから」

 フィオニェーヴが座るソファーにシエールイは示されて座る。抱き寄せられ、頬に手が触れる。

「さすがに温かい」

 頭頂部にキスをされ、シエールイは身を縮める。

「ふーんそうか。スパリューンニィが人間を殺した話し、サヴィローズは詳しく話さなかったのか?」

「え?」

 フィオニェーヴをシエールイは見上げた。突然の言葉に驚いたのでサヴィローズを見るが、彼女は首を横に振っている。

 ――あたしは二人シイちゃんとの会話まで話さなかったよ。

 そんな感じがする。

 スパリューンニィがシエールイにフィオニェーヴが素手で触ろうとしたとき、怒った理由はここにあるのか? シエールイは閃く。

 ――思ったことが読めるの?

 今はシエールイに直接触っていないので、伝わらなかったのか無視されたのか分からない。

「きゅ、吸血鬼だと聞いていますから、ありえないとは思えません」

 先程の問いかけに答える。

「君も一緒にいて怖くなかったのかい?」

「あ、う、初めて会ったとき、狼男に生きたまま食べられそうだったので、まだ吸血鬼に殺されるほうがましかなって思いました」

 シエールイはそわそわと居心地悪そうにする。

 フィオニェーヴはシエールイの頬を何度もなでる。片方の手は肩を抱いている、この状況の方が怖い。

「ふーん、そうか」

「その後も、背中に翼ある人に連れ去られたときも助けてくれて……。血が出たけど、なめられたけど、牙は立てられなかったです」

 あの時は肝が冷えたが、助けてくれている人だし、ある程度は覚悟していた面もある。

「けなげだ、君は」

 頬を撫でる手はシエールイの頭に回され、胸に収めるために引かれる。

「そうですか?」

「ああ、今、非常に困ってる。余が何をするのか、何のためにこのような話をしているのかということで」

「え、あ、はい……」

 シエールイは顔に出にくいと言われていたので驚く。喜怒哀楽がないわけではないのだが、隠し事が多いように見られている。

「あいつは忘れられないんだ、愛していた人間の娘のことを」

「え?」

「あっ」

 サヴィローズがフィオニェーヴに不満そうな顔を見せる。知っていたが言わなかったことなのだろう。

「少し、血を飲もうとして、全て飲んだ」

「歯止め聞かなかったんですよねぇ、若かったし」

「黙れ」

「はい……」

 サヴィローズは黙った。フィオニェーヴの様子が昼間と違うということに気付く余裕はシエールイにはない。

 愛した人間の娘――。

「愛を交わして血を飲もうとした。その行為中に、殺した」

「……」

「あれ以来、あの男は、人間以外の血も直接飲まなくなった」

 腑に落ちた。

 人間は弱いと散々言っていたのは、殺してしまったからなのだ、と。

 シエールイを遠ざけたのは愛とは別でも己の歯止めに関して怖かったからだと。

「嫌われているわけじゃないけど」

「避けるに決まっているだろう? 人間の娘が目の前に自分を頼ってくれるのに? あいつは妙に優しいから、放置できなかった」

「……分かってます」

 シエールイは涙がこぼれる。

 嫌われていないけれど寂しかった。

「余は、弱くはないぞ」

 シエールイの目じりに唇を寄せ、涙を吸い取る。

「あ……」

「余はそなたを愛らしいと思うし、そばに置いておきたい」

「……」

「そして、余ができることに気付く賢さ……しかし、今の君には邪魔だ」

 シエールイは目の前にいる顔をまともに見た。真っ直ぐの視線がシエールイの脳裏に焼き付く。

 ――王様……のことを好き……愛している?

 胸の奥からこれまで考えた事のない感情が湧くのにシエールイは困惑した。

 優しく愛撫されささやかれるうちに、シエールイの心は脳で考えるのをやめた。フィオニェーヴの言っていることが全て正しいと決め、考えずに受けう入れるべきだとまとめる。

「……シエールイ、帰るならば帰ればいい。しかし、余はそなたといたい」

「……」

 シエールイは唇に受けた感触に驚いたが、受け入れた。フィオニェーヴという名の男が、一国の王と言う存在が自分を愛してくれているのだから受け入れて当然だ、という考えがよぎっている。

「王様……」

 とろんとした目でシエールイはフィオニェーヴの胸に倒れ込んだ。優しくされると安堵が生じ、胸の奥でなぞの吐き気が生じる。


26

 図書室に行くと思われたシエールイは行かなかった。

 フィオニェーヴが帰った後もぼんやりしており、明らかに何かおかしいとサヴィローズは感じた。

 魔法や媚薬かとも思ったがあの場で何かやっていたようには見えなかった。

 キスをするときに何かを飲ませたのかとも疑う。

 音からして、唇に触れた以外何もなかった。

 シエールイは結構しっかりしている印象があるため、錠剤を口に突っ込めば吐き出すなりするだろう。いくらスパリューンニィに関してショックを受けていたからといっても。

 王が日中に来ることはないだろうし、シエールイもぼんやりして動かないだろうから、食事の手配と言って出かける。

 探すのはスパリューンニィ。

 この状況を打破できるはず。

 図書室に面した庭にいた。

「スイさまぁん」

 飛び込んで抱きつき、キスをする。

 サヴィローズのスパリューンニィへのあいさつだ。キスが深くなるのはあいさつの次だが、今回はそんな悠長なことはできない。

 昨日ここで会ったのは偶然とサヴィローズは思っていたが、シエールイを連れてきたという事実から、彼女を見に来ていたのだろう。

「シイちゃんの様子が昨晩からおかしいの」

「おかしい?」

「陛下が来て、突然あなたの元カノの話を初めて、シイちゃん泣いちゃったの」

「なっ……いまさら何を」

「それからシイちゃんにキスして……」

「ベッドに行ったとか」

「それはない。キス、それもすっごい淡泊な奴」

 淫魔のサヴィローズがいたとしても、それ以外の侍女がいたとしても、王が誰かを抱いた現場に会ったら静かに出るのが鉄則だ。

 止める奴はいない。

「……あいつ、エルの素肌に触っていたか?」

「いやん」

「いやんじゃない。別に服に隠れていないところでもいいんだ。手、頬、首」

「あ、それなら、やけに頬に触れてたわ。風呂上りだからシイちゃん、可愛いし、ほこほこだし」

「……それだ」

「え?」

 サヴィローズは訳が分からない様子で説明を求める。

「その後、目を見たりしていなかったか?」

「見つめ合ってたわよん?」

「……完全に落ちたな……。エルには魔法に対する抵抗力はほぼない」

「え?」

 呪文や何もなかった。

「あいつが身体能力、魔力は高い。攻撃魔法の強さ、あれがあるから王なんだ。それに、触れたヤツの心を読めるし、ある程度解せば、操れる。特にエルみたいなまっさらな奴は簡単だ」

「……じゃ、じゃ、王様好きって言ってる感じのシイちゃんは、本気じゃない? 助けなきゃ」

 サヴィローズは部屋に戻ろうとするが、スパリューンニィが止める。

「お前、下手に手を出せば、殺されるぞ」

「心配してくれるなら……じゃ、シイちゃんが大好きな、スイ様が助けてよ」

「……無理だ、人間だぞあれは」

 スパリューンニィが目を逸らしたのでサヴィローズはこの男が本当にシエールイのことを愛しているのだと気付く。再び人間に恋をした。そして、殺してしまうことを恐れている。

 それ以上に問題は、二人が暮らす世界が違うということ。

 それでもいられるならばいっしょにいていいはずだとサヴィローズは思う。戻る方法といっても簡単に見つかるわけはない。たまたま来てしまったが、そんなに簡単に行き来できるならば、シエールイは魔のことを知っているだろうし、どこから人間落ちてくる場所があると有名になっているはずだ。

 一番の問題は、シエールイにかかっている術を解くこと。

「なら、あたしが助ける。だって、可哀そうでしょ、シイちゃん」

「……しかし、元の世界に戻れることを夢見るよりは、あいつの庇護を受けて静かに暮らす方が……」

「本気で言ってるの?」

 サヴィローズはスパリューンニィを覗き込む。彼の目は泳いで視線は合わない。言い聞かせようとしているのは明らかだ。

「勝手にすればいいの! あたしも勝手するから」

「あ、おい」

 サヴィローズは部屋に戻る。

 何としてもシエールイを助けたかった。

「あんなに可愛いのに」

 催眠術を破るすべを思いつく。

「あたし、淫魔じゃん!」

 そう、自分自身も人間の心に付け入るための術を持っているのだ。使ってこなかっただけで。


27

 簡単に解けるなら苦労はいらない。

 サヴィローズも淫魔として持つ力の中あえて人を操る物をシエールイに使うが、うまくいかない。シエールイの性感に触れてということをすれば効き目があるかもしれないが、目を覚ました時のシエールイに嫌われることは必至だ。

 大事の前の小事と言えどもそれはつらい。

 ぼんやりとしているシエールイは、自動人形のように反応するだけだ。食事を与えれば食べ、おやつを見せれば喜んで食べる。

 このままの生活も悪くないと思えてしまうが、口数が減ったシエールイに物足りなさはある。

 夜になり、風呂に入れてやるがつまらない。丁寧にあちこち触っても反応がないのだ。

 あの嫌がる反応が可愛くて好きなのだ。

 ネグリジェを着せ、ベッドに載せる。

 扉がノックもなく開いた。

 フィオニェーヴが入ってくる。

 ベッドの横に来たとき、サヴィローズは立ちふさがった。

「何の真似だ?」

「シイちゃんの様子がおかしいので、寝させてあげようとしているんです。陛下、おしゃべりなら、シイちゃんが元気になったら」

「元気がない?」

 シエールイは笑顔でベッドの端までやってきた。目はこれまでと同じ、うつろのままだ。

 サヴィローズが初めて見たときのシエールイの顔ではない。人形と大差ない見たくもない表情だ。

「陛下!」

「うるさい、去れ」

 威嚇にサヴィローズは怯える。

 ――怖い……。

 精神的に強く響く。心を読むには直接触れないとならないらしいし、完全に操るには視線が重要。見た目の威厳も加え、サヴィローズはフィオニェーヴの精神への介入の強さを目の当たりにした。

「王様、怖い」

 シエールイがサヴィローズの後ろで子どものように縮こまり、フィオニェーヴを見上げる。威嚇することは周りに影響を与え、影響下に入っているシエールイは強く受けたらしかった。

「そんなことはないよ、シエールイ」

 シエールイに触れようとしたフィオニェーヴは不快な顔になる。サヴィローズがシエールイを抱えて逃げたのだ。

「貴様、それ相応の覚悟の上か? あいつに何か吹き込まれたか?」

 殺気の矛先がサヴィローズの首に突き付けられている。

「シイちゃんが可哀そう」

「うるさい」

 サヴィローズを引き離すと壁に向かって投げつける。

 ガチャンと大きな音を立て、家具とぶつかりサヴィローズは落ちる。

 ビクッとシエールイが震えた。大きな音に弱いのかもしれないとサヴィローズは気付くが、うまく動けない。

「怖かったかい?」

「シイちゃん、逃げて」

 優しい声のフィオニェーヴを遮り、サヴィローズは叫んだ。

 氷の束がフィオニェーヴの周りに浮かぶ。サヴィローズははっとして逃げるが、壁に激突したダメージがあり動きは鈍い。

 氷の束は順々にサヴィローズに向かう。一撃目、二撃目とかろうじて避けるが三撃目が突き刺さる。

「きゃあ」

「見ちゃだめだよ」

 フィオニェーヴはシエールイの目を手で閉じようとした。

 パシッ。

 シエールイがフィオニェーヴの手を払った音が響いた。シエールイはサヴィローズに走ってきて抱き起してくれる。サヴィローズはシエールイの目の中に意思の力を見て安堵した。

「大丈夫、痛いの? どうしてこんなことになってるの? 王様、サズが何をしたっていうの?」

「余にはむかったからだ」

「はむかう? 分からない。寝間着変わってるんだけど」

 操られている間の記憶はなかったようだ。

「もう一日経っているだ、余と夜を過ごしてから」

「え?」

 サヴィローズはよろめいて起き上がると、シエールイを背中にかばった。

「シイちゃん、催眠術掛けられての」

「あれはしゃべったか」

 忌々しげなフィオニェーヴは凶悪な表情となる。

 ――怖い……怖いよ……。

 サヴィローズは死を覚悟した。ここで、シエールイを見捨てるという選択肢はない。


28

「催眠術?」

 シエールイは驚愕してフィオニェーヴを見る。

 かばってくれているが、小刻みに震えているサヴィローズの背中に張り付く。腹のあたりに回したシエールイの手にサヴィローズの手が触れた。徐々に震えが納まるのが分かる。

「それがどうしたというんだ? 口説いてもいいが、せっかく人間の娘を手にしたのに、楽しまないのはもったいないだろう?」

「私の意志は?」

「そんなものいらない。もちろん、口説くのも楽しいと思うが、リューの事ばかり思っているお前がうっとうしかった。なら、術下におき、抱いた後に戻して絶望に落とすのも面白いと思ったのだ」

「……変態!」

 シエールイの口を突いた言葉は意外と単純なモノだった。

 サヴィローズが小さく笑ったのを聞いて、シエールイはほっとした。怪我はしているだろうが、いざとなったら彼女は逃げる余地がありそうだ。

「サヴィローズ、大人しく、その娘を渡せ」

「渡せるわけないでしょ」

「なら、大人しくこっちにおいで、シエールイ。来ないならサヴィローズを殺すよ」

 この状況ではどっちも人質なのだ。

 シエールイは足手まといでしかない。サヴィローズ一人なら逃げられるかもしれないが、彼女の震えを見ていると的確な判断はできないと考えられる。

 シエールイは考えないとならない。スパリューンニィが助けてくれるわけはないのだから、自分の力で切り抜けないとならない。名案は何一つない。きゅっと唇を結ぶ。

 サヴィローズはシエールイを胸に抱き、後退を始める。後ろには壁しかないので意味のない行動であるが、フィオニェーヴの威圧にはそうしないではいられない力もあった。

 魔力が何かシエールイには分からない。フィオニェーヴから気持ち悪い気配がするのは伝わる。サヴィローズが冷や汗をかいているのはそのためだろうし、それが力であろうと推測できる。

 シエールイは怖いと思う。

 これまでの人生を振り返り、王家の物としての矜持もやんわりとたたきこまれていた。

 ――下々の物を守るのも王家の役割。

 怖いには変わりない。

 ただ、国に戻るにはこの人物の協力は必要で、調べないとならない。

 一方で、戻れないとしても、生き延びるには王に従う必要がある。

 ――権力ってこういうことかしら? どちらかと言うと逆の立場だった。下の方が人多かったし……。

 サヴィローズは大切な友人である、守らないとならない。シエールイと異なり、サヴィローズの場合は一族というつながりもある。もしここで問題を起こした場合、一族郎党危険な目に遭うのかもしれない。

 ――道は一つしかない。なら、私は、私という矜持をもって進むしかない。

「わかりました。サヴィローズには手を出さないで」

 声が震えるが比較的しっかりした声だと自画自賛する。

「だめ、シイちゃん」

「大丈夫だから、サズ。私が言うことを聞けば万事丸く収まるんでしょ? 命かけるより安い物でしょ?」

「嘘、震えてる。泣きそうな顔で言わないで」

 サヴィローズの手を振りほどき、シエールイはフィオニェーヴに向く。

「随分、しっかりとしている」

「思い出したから。私は、私を作っている思いを。あなたが何を望んでいるのか私には分からない」

「ち」

 フィオニェーヴは苦々しい顔になる。怒っているのは何に対してなのか、シエールイは考えるが、彼の事を知らないのでそれ以上はない。

「私は、トゥルーウ家の者として恥じることなく、私を守ってくれたヒトを守る義務もあります」

 フィオニェーヴもサヴィローズもはっとしている。これまで誰にも言わなかったし言う必要も感じなかったので、王家の人間であるとは告げていない。言ったと事で変わる事態でもなかったから。

「シイちゃん、ひょっとして、人間の中で結構偉い人?」

 サヴィローズには曖昧な笑みを向ける。

「なら、自分で着ているもの、全て脱いで、ベッドで横になれ」

 フィオニェーヴは淡々と要求を出した。

 シエールイは啖呵斬ったが羞恥心が強く困惑した。ここで止まれば口先だけになり、解決は何もしない。

 ネグリジェの首元を止める紐を外す手は震える。

「さっきの言葉、嘘か」

「嘘じゃない」

 潔くネグリジェを脱ぐ。下を隠す布だけが、彼女を覆う物だ。

「……う」

 サヴィローズの前では裸になったんだ、気にしちゃだめと自分に言い聞かせシエールイは下着を外した。

 自然と手で胸と下腹部の下を隠す。

 ベッドの上に上がって、呼吸を整える。

 ――怖くない、怖くない……私は、私……何をされても……食われるわけじゃないんだもの。

 よじ登り、ベッドの真ん中に座った。

「上出来にあと一歩ではないのか?」

 仰向けに横になった。

「術で言うことを聞かすより、何とも言えない快感だよ」

 フィオニェーヴが暗く笑うと、ベッドのわきに立ち、羽織っていたガウンを脱いだ。

 たくましい肉体がシエールイの視界に入る。

 シエールイはきゅっと目をつむり、丸くなってしまう。

「猫のようだ、本当に」

 背中に触れた手が徐々に肩に向かう。

 ガチャン。

 不意に彼の手が止まる。

 ガラスが割れる音がして、シエールイはぎょっとする。そして、強い力に抱き留められ、何か布に丸められたというのまでは認識した。

「リュー」

 歓喜の声を上げてしまう。

「貴様」

 フィオニェーヴの声にこたえることなく、スパリューンニィは窓から身を躍らせ、立ち去る。その腕の中にシエールイを大切に抱えて。

「貴様、やはり、余の事をバカにしているな!」

 フィオニェーヴの吐き捨てるような、涙まみれのような声がスパリューンニィの背を追ってくるのシエールイはぼんやりと聞き流した。

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