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それは愛、なのよ!  作者: 小道けいな
3/7

気付く想い

16

 一日、シエールイは風邪で寝込んだが、その翌日はすっきりしている。

 シエールイの病気に、スパリューンニィが取り乱していたのを見て、人間と魔の違いを感じ取れた。魔の種族にもよるだろうが、基本的に人間は弱い存在なのだろう。

 ただ、極端に部屋を暑くされ余計に具合が悪くなり、布団も重ねて重くて動けずという事態もあった。柔らかい食べ物や温かい飲み物なども用意してくれ、良くわからない生き物への対応として必死だったのはスパリューンニィから見て取れるし、お礼を言うだけでは足りないという気持ちはある。

 スパリューンニィが大変いい人だということは良く理解した。そして、シエールイは自分の中にある一つの気持ちに気付かないふりをすることにした。

 ――リューのこと好きかもしれない。

 これは助けてくれて、過保護にしてちやほやしてくれるから勘違いだと自分に強く言い聞かせる。頼れるだけだから、スパリューンニィが好きだと勘違いしているのだ、と。

 すっかり元気になっているシエールイを見て、スパリューンニィはほっと息を付いていた。むしろ、看病疲れでスパリューンニィがやつれて見えた。

 王の住む地に向かって移動を開始する。車つまり動物が引く乗り物だとは認識していたが、実際を見てシエールイは興奮した。

 車の形は十人くらいが乗れる馬車の形だ。御者と補助者がいていたってシンプルなのだ。

 興奮の対象は、この車を引く生き物にある。

 巨大なトカゲなのだ。ごつごつした肌は土の色に似ており、強靭な四肢は地面に対し張り付くように伸びている。しっぽごと車に固定されており、うまく走れるのかとシエールイは不安にもなる。

 車に乗る前にこのトカゲに似た巨大な生き物の観察をシエールイはしていた。

「そんなに珍しい?」

「初めて見た」

 触れないかなと背中あたりに恐る恐る手を伸ばすが、スパリューンニィに止められる。彼が指さす方を見ると、トカゲがシエールイをじっと見ているのが分かった。口は輪で抑えられているが、鋭い牙が見え隠れしている。

「かじられるかもしれないから君は駄目」

 そのままエスコートされて車に乗る。

「君の国では、こういう車はない?」

「ある。馬が曳くの」

「馬?」

「うん、直接乗ったり、農耕用に使ったりもする四足の獣なの。大きさは、人間を乗せられるほど大きいし、力も強い」

「うーん。見たことないな……」

「……ケンタウロスはいる? ペガサスは?」

 魔の種族の事が分からないが、シエールイは知識にある伝説となっている存在を告げる。

「ああ、どちらもいるぞ。街よりも草原が多い地域に」

「姿が私の知っているのと同じなら、羽がないペガサス」

「なるほど。空飛べないペガサスな」

 スパリューンニィは分かったと微笑む。その顔に生気を感じられないのはシエールイの気のせいかと思いたい。疲労の色が異様に濃い。

 他にも乗客はいるが、ここに乗っているだけならシエールイに危険もなかろう。スパリューンニィはゆっくりできるに違いない。

 シエールイは見える景色に対し質問もあるがおとなしくしていようと決心した。

 途中休憩をはさみながら、馬車ならぬトカゲ車は進む。見ている限りトカゲは途中で変わっていない。休憩だってそんなに長くはない。体力は馬に比べてはるかにあるということが分かった。

 車中にいる間、スパリューンニィは寝ているように見えた。その間もシエールイの腰に腕を回しており、彼女が逃げたり盗られないようにしているようだ。

 昼の休憩後スパリューンニィはシエールイに尋ねてきた。

「怖くないのか?」

「何が?」

「乗客がだ」

 スパリューンニィが寝ているように見えるとき、突き刺さる視線をシエールイは感じていた。それがどういう意味を持つのかは考えないようにしていた。

 考えられる要素は、人間だおいしそう、素敵な人といっしょで腹立つという二つの大きなもの。

「怖くないわけない。でも、リューがいてくれるから、安心している」

「……そうか」

 シエールイの肩を引き寄せ、頭をなでるスパリューンニィ。このしぐさにシエールイはドキリと心臓を高鳴らせる。

 ――恋人気分、猫の気分?

 種族も違うので、猫のような気分の方が正しいとシエールイは決める。

 ――種族違うんだから、リューの事が気になるっておかしい。助けてくれて優しい素敵な人物に映るのも気のせいなんだから……。

 こう考えると余計に意識するのであるが、考えることをやめられなかった。

 車には半日乗っていたにもかかわらず、車自体の揺れは少なく、おしりもいたくなかった。車から降りた足がよろめいたのは致し方がないことで、リューに心配されながら歩くうちに元に戻る。

 すでに日も陰っているので、食糧を買ってから宿を決める。宿の一室にはいり、シエールイはスパリューンニィの顔をじっと見た。

 朝から気になっていたことがやはりまだ気になる。スパリューンニィの顔色は元より青白く、生気を感じられない。

「リュー、顔色が一段と悪いが具合でも悪いの?」

 一瞬彼は驚いた顔をしたが、シエールイに微笑むと決心したように立ち上がる。

「ああ、問題ない。ただ、ちょっと出てくる。君はここでおとなしくしていろよ? ぼくが遅いようなら、きちんと鍵締めて寝ること、いいな」

「……うん」

 スパリューンニィは出かけて行った。

 シエールイはスパリューンニィに頼りすぎていたことが原因かと思った。シエールイに気を遣うあまり、自分の疲労がおろそかになっているのではないか、と。実はこちらの世界でも吸血鬼は日中動けなかったのに無理をしていたのかとも考える。

 一人になってから、パンと野菜に果物を夕食と朝食用に分ける。

 心配だが、特に何もできない。まずは自分が迷惑をかけないことが重要だ。

「そういえば、食事しているところみていない」

 スパリューンニィは非常にシエールイに気を遣っている。

「私はここでお留守番。そのくらいできる!」

 ギュッと手を握って宣言をする。誰かがいるわけではないので、自分に活を入れるためだ。

 ふと窓を見ると柵がはまっている。

 窓を開けても外には簡単に出られない。いや、襲撃されることを恐れているから付いているのだろう。柵の隙間はシエールイの細さなら、頭も通過できそうだ。一番怖い魔の大きさがそのくらいなのだろうとシエールイは想像した。

 小さい虫一匹も防ぐならば、もっと細かい網がかけられているだろう。

 窓から入ってくる空気は生ぬるい。

 彼女が住む国が冬で寒かっただけだが、それに合わせると初夏のような暖かさ。

「なんか、いいな」

 眺めている街は、活気があって楽しい。いろんな種類の生き物がいて、生活をしているのが不思議である。互いにおいしいと考えたりするのだろうかとふと思う。でも秩序があるからこうした街が存在するのだ。

「可愛いなんて言われて舞い上がっちゃだめだね」

 スパリューンニィとは別れるのだ、王の元にたどり着いたら。

「親切にされると、ついよろめいてしまう」

 シエールイは自分の状況を分析する。これまでも面と向かっていじめられたりしたわけではないが、シエールイの持つ権力抜きで相手してくれる人はいなかった。

 ――一目ぼれしたんじゃないの?

 単語が脳裏に浮かんで、それをあわてて消す。

「かっこいいと思うのが癪だ」

 そう、王様はもっとかっこいいかもしれないと違うことを考える。スパリューンニィの親切は忘れないが、心の動きは忘れようと試みる、勘違いだろうから。

「私だって、道で怯えている子犬見つけたら、拾って飼い主見つけるもの」

 きっとスパリューンニィも同じ気持ちに違いないとシエールイは推測する。種族が異なっているのだ、恋愛の対象になどならないはずだと。

 ふと気づいたのだが、宿を見上げる少年がいる。青年と言う方が正しいかもしれないが、やや小柄の幼い印象がある。

 シエールイと目が合うと、背中にある翼を動かしそばまで来た。人懐こい笑みを浮かべシエールイに話しかける。

「人間がいる」

「……ち、違う! 私は似ているが人間じゃない」

 窓を閉めようとするが、少年が柵の隙間から手を入れ止めた。

「別に焦らなくてもいいよ。僕は襲ったりしないから。人間が本当にいるというのに驚いただけだよ」

 彼は窓にしがみつくように止まる。

 背中の翼にシエールイは目が向く。柵があるので簡単に相手は入ってこないと分かっているので、心に余裕があった。

「珍しいのかい?」

「も、もちろん」

「触ってみる?」

「いいの?」

 手を伸ばてみるが上手く触れられない。

「難しいな」

「そうだね。出てこられない?」

「無理」

 出られるとしても、出る気はない。出た瞬間襲われることを危惧した。

「警戒しなくてもひどいことしないから」

 口ではどうでも言える。魔がどういった存在かまだ把握しきれていないが、人間と大して変わらないなら、シエールイが考えている通り不誠実もありうる。

 もし彼が正直者で言っている通りならば、被膜の翼に触れてみたい好奇心を優先させたい。

 外に出るには、難関がある。この部屋は二階にあり、酒場になっている一階を通らないとならない。そこには集まるモノが多く、さすがに一人で通るのは怖い。

「諦める事にするよ。本当、いろんなヒトがいて勉強になる」

「そうかい? 君はどこから来たの?」

「分からない。気付いたら、この世界にいた」

「心細いだろう」

「でもない。助けてくれたヒトがいて、私は感謝している」

「君と一緒にいるのはスパリューンニィだろう?」

 誰も聞いていないことを確認するように彼は言う。

「有名人なの? 彼」

 やはり視線が多いのはそのせいだろうか。その上、人間連れているのだから余計に目を引くに違いない。

「君は知らないから騙されているんだろう? あいつはロクでもない奴で他の一族を無意味に殺して遊んでいるんだ。森の中で会ったというが、集落があった狼一族が一人残して全滅しているんだ」

「え?」

 オオカミ一人というのはシエールイを襲ったあれだろうか? いや、スパリューンニィも狼男も人間の集落があったと言っていた。

 この男が嘘をついている?

 初対面で嘘をつく理由は一つもない。

 いや、シエールイが誰といたかを知っているのは、たまたま見つけたか本当は付けていたかのどちらか。

 警戒し始めたシエールイには、一見人のよさそうな人物から肉食獣特有の獲物を追い込む匂いを感じ始める。

 どっちが嘘をついているか分からない。ただ、すでにシエールイがスパリューンニィを信じているため、彼のような遠回しは言っている方への疑念が膨れていく。

「君も連れまわされているのは、おいしくなるのを待っているんじゃないかって君を見た人が言っていた。怖がっていたし、君を心配していたよ」

「そ、そうかしら? 狼男にもっと太れと言われたけど」

 シエールイの言葉に男は一瞬表情を崩した。

「それは誰だって思うよ……失敬。もちろん今のままでも十分魅力的だけど、ふっくらしたほうが好みかも」

「……悪かったわね」

 娘らしい体つきにはシエールイだってあこがれている。母親も細いタイプだったが、胸はシエールイよりあった、肖像画を見ると。肖像画で目立つのは顔に近い胸である。誇張されている可能性だってあるが、幼い頃の記憶に、母の胸はふっくらしていたことは入っている。

 シエールイの侍女たちも気にして高カロリーの物、胸が大きくなる食材などこまめにくれた。その心遣いもありがたいし、腹も立つ。

 実際シエールイ、人並みに食事はとるし、間食もしっかり摂る。食べて太る女性からはうらやましがられるが、食べ物が栄養として残っていないのではないかと言うほど外に出てしまうようで、シエールイの悩みだった。

「ご、ごめん。そうだ、少し、外でしゃべろうよ? 屋根の上でゆっくりさ、翼にも触らせるからさ」

「遠慮しておきます」

 窓を閉めようとして外に手を伸ばした。

「だから、待ってよ」

 その手を彼はつかむ。見た目の大きさからすると、手は非常に大きい。そして皮膚は固く、ごつごつした印象を受けた。

「は、離して」

「本当に、君に興味あるし、心配なんだ。騙されているんじゃないかって」

「どう騙されているっていうのよ」

「だから……ほら」

 彼の方が焦り始めているようだ。シエールイは手首をつかまれているために身動きが取れないので恐怖が湧く。

「だからって何。掴むのやめて」

 男はシエールイの顔を掴んでいるところを見た。その直後人のよさそうな顔は変わる。

「ああ、面倒だから、連れてくわ」

 グイと引っ張った。

「い、痛い、やめて」

 窓の枠に脇が当たり、肩が柵に当たる。

「お前が出てくればいいんだ」

「いや、あ、ううう、痛いってば」

 男は翼を広げ舞う。シエールイは自然と腕が持ちあがり、するりと柵の隙間を抜けてしまう。

 このままでは危険だと判断し、左腕が抜ける前に柵を掴んだ。

「い、痛い……離しなさい!」

「てめえが離せそっちの手を」

 男はしばらく引っ張った後、シエールイの手を自分の腰の後ろに回して抱き、左手を柵から引き離し始める。指を一本ずつ離していき、己の手に収めていく。力が強いために、シエールイは抵抗しきれずに柵から手を離し、その手は男に握り締められてしまう。

「簡単だったな」

 シエールイの両脇に手を入れ、猫を引っ張り上げるように簡単に彼は連れ出した。

「いやっ」

 大声を出すがすぐに口をふさがれる。抵抗したが、眼鏡が落ちてしまうだけで何もできなかった。


17

 三十分くらい飛んだところで彼は下りた。

 ごつごつとした岩肌の山の中腹にある平らなところである。降りることも登ることもできない。

「ほんとほっそいなぁ。太らせてから食らわないとまずそうだ」

 シエールイは岩を背に座る。強風が髪の毛をあおるし、下手に立つと服が膨らみ風を受けてしまいそうだ。

「ほら、翼、触らせてやるよ」

「……あなた何よ!」

「だますなんてしてないさ。俺様が有意義にお前を使ってやるってだけさ」

 見下ろすように、囲うように青年はシエールイに向かってしゃがむ。

「人間の女なんて本当に珍しいし、一つになれば力は増える。いいことづくめの生き物だよな」

 顔をそむけて縮こまるのが精いっぱいの逃げ道だ。

「餌は持ってきてやるから、頑張って食べろよ?」

 食べないという選択肢を選ぶつもりだ。

「無理やりにでも飲み込ますから安心しろ」

 心を読んだような一言に、シエールイは絶望にとらわれた。

「ははっ、スパリューンニィの物をかすめ取れるなら面白いと思ったが、あっさりと行けた」

「……」

「早く、遊びたいが……肉付き悪い女を抱く趣味もないんで。今日はこのまま寝るか」

 逃げられないシエールイは男に抱きしめられる。筋肉質とはまた異なる硬質な胸に抱かれ、シエールイは痛いとしか言いようがない。逃げるに逃げられず、大人しく抱き枕になっているほかなかった。

 結局、朝までうつらうつらするのが精いっぱいだった。

 翌日、男が起きた事でシエールイも起きる。男の目は獲物であるシエールイを嬉しそうに見る。ペットと言うより、おいしい羊でも見つけたような感じだろうかとシエールイは考え、げんなりする。

 男は食糧調達に出た。

 その間シエールイは、逃げられないかと周りを見る。

 今いる場所は絶壁の前後にある踊り場のような場所。壁に沿って三メートル、二メートルほど突き出している。

 ただじっとしているにはいいが、逃げるには相当の覚悟がないと無理だ。

 山登りなどしたことない、ましてや道具などないシエールイには手が出る逃げ道はない。風が吹くため、立つことはできない。

「飛び降りてしまうことも検討しないと」

 シエールイは震える。死の覚悟がまたやってきてしまった。

「リュー……」

 怖い。

 ここでじっとしているのは怖い。

 かといって逃げるに逃げられない。八方ふさがり状況。

 シエールイはどうしようかとあれこれ考えているうちに、日が高くなり、男が食糧持って帰ってきた。

「人間が食えるモノってこんなものか」

 パンと野菜、謎の肉のスープがある。

「食え」

 シエールイはおとなしく食べる。通常食べる量の三倍以上はありそうだ。そう考えると一日分だ。パン一つと野菜を少しとスープで喉を潤す程度でおなかがいっぱいになる。

「それだけか? もっと食え」

「入らない」

 男は舌打ちをして、パンを手にした。シエールイを掴むと自分の腕に収め、口にパンを突っ込んだ。

 シエールイはぎょっとして逃げようとするが、首を抑えられており無理だ。口に突っ込まれたパンをどうにかして咀嚼して飲み込むか吐き出したいが、そんな悠長なことを言える分量ではない。

「ん、ん、げふっ」

 窒息するかもしれないと思ったとき、さすがに男も突っ込むのをやめた。

「ちぃ、人間弱すぎ」

 窒息しかかってせき込む彼女を座ったまま押さえつけ見下ろす。

「なんか太りそうにないな、こいつ」

「余計なお世話よ」

「何度も抱けば、それでオッケーかもしれないよな」

 シエールイはまずいと思い抵抗する。男の手を叩こうが、胸を叩こうが、痛いのはシエールイの手だけで男は全く答えた様子はない。

「細いのは嫌だが、その抵抗するところは好きだなぁ」

 男は楽しそうに笑う。

 ビリ。

 ドレスだけでなく同じ部分にある下着も含め引き裂かれる。首元から腹にかけて一気に空気にさらされる。

「いや、いや」

「ほんと、ちっさいな」

「やめて、見ないで、触らないで」

 シエールイは胸を這う男に手にぞっとした。冷気を感じる肌に、ざらざらした感触が不規則に触れる。男の手が大きいため、シエールイの胸から背にかけて一気に触れられる。

「いや、やめて」

「やめるものか」

 覆いかぶさりキスをするように見えた男の動きが途中で変わった。

 シエールイをつかんだまま、立ち上がると後ろを向いた。肩を抱き、首元に鋭い爪を突き付けた形で、崖の外に向いたのだ。

 まるで人質を見せつけるような動作。

 そしてシエールイは合点がいった。

 翼はないがスパリューンニィが崖と同じ高さの空間に立っている。羽織っているコートの裾が風になぶられ翼のようだ。

「リュー……」

 シエールイは助けてとは言えなかった。好意で面倒見てくれているスパリューンニィに対し、これ以上迷惑をかけられないという思いが強かった。

 窓を開けて無防備に話をしていたのは自分であり、不注意なのだ。

 つっと首筋に痛みが走る。

「痛い……」

「風上はこっちだよ、血を吸えないってほざく吸血鬼め」

「あ……」

 シエールイの耳元で男は楽しそうに言った。

 血を吸えないと入っているが、飲めないわけではないだろうからどこかで調達して食事はしていただろう。今回はシエールイといる間は特に食事をとっている風ではない。昨晩はそれをしていた可能性がある。

 その間にシエールイが誘拐されている。

 彼にとってみれば痛恨のミスだ。

 シエールイが抜けたことをしたとはいえ。

 そして食事がとれたのかは分からない。目の悪いシエールイにはスパリューンニィの表情まではうかがうことはできなかった。

「ごめんなさい」

 シエールイの目から涙がこぼれた。

「リューは恩人なの。だから、無理しないで。私の不注意でこうなっちゃたから……」

「優しいねぇ」

 男はシエールイの耳を後ろから噛み、シエールイを抑える手を緩め、破れたドレスから素肌に触れる。

「ひゃ」

 シエールイは口元に手を当てる。悲鳴を上げたくなるがそれをするとスパリューンニィに迷惑がかかる。

「怖いかい?」

「……こ、怖くない」

「そうかい、なら……」

 シエールイが自分を責めているのに気付いているらしい男に対し、毅然とした態度を取るのが一番だと分かる。恐怖は根底にあり、なかなか毅然とできないでシエールイは震えている。

 この震えは男に伝わっていないわけはない。だからこそ、嬲ろうとしているとシエールイは分かっている。分かっていてもどうしようもできない自分の感情に苛立ちもあるが、本能があらゆる状況で優先される。

 男が何を始めたのか。それは性的にシエールイをなぶるという仕草だ。脚がシエールイの内またをこするように、差し入れられており、嫌な感触が伝わる。シエールイは唇をかんで悲鳴を殺し、手で抑えようとも思うが、首元のナイフのような爪に動くことはできない。

「エル。本当の気持ちは?」

 怒っているようなスパリューンニィの声。シエールイの気持ち一つで、彼は行動するだろう。

「……だ、大丈夫だから……あ、いや、やめて……」

 ドレスの中で遊んでいた男の手が、侍女にすら触れさせることはない部分に触れた。

「大丈夫じゃないだろう……」

 スパリューンニィの声は抑えきれない怒りがこぼれている。

「エル、ぼくは君がその男と一緒にいたいのかという質問にかえようかな」

「いたくない。でもね……」

「でもね、はいらない。君がどうでもいいなら、ぼくはここに来なかったから。分かった、ぼくは君を助けるよ」

 トンと何もない空間を飛んだ。シエールイの目には写らない速さで。

「げっ」

 男のうめき声が聞こえたときにはシエールイは突き飛ばされていた。

 見上げると、男の後ろにスパリューンニィがおり、彼の肩と翼を抑えている。

「お返し」

「があ」

 スパリューンニィは男の翼を一枚引きちぎった。男はうめき声をあげてのたうちまわる。

 スパリューンニィは無言で翼を放り捨てた。

 大量の血に目がくぎつけになる。

 スパリューンニィが目の前でシエールイに手を伸ばし、抱きかかえるのもそのままされるままになる。

「帰るよ」

 崖の上から落下する恐怖はどこにもなく、シエールイはスパリューンニィにしがみついて安心していた。

 怒らせた、迷惑を掛けた、どうすればいいのか、シエールイは必死に考える。

 地面に付いて、降ろされたときもう少しあのままいたかったと思う。

 お礼が考えつかなかったことと、好きな人の腕の中にいる安堵感に浸りたかったこと。

 眼鏡がないため、シエールイはあまり見えない。はっきりと見えずとも感覚は伝わる。

 スパリューンニィの目が異様に赤く輝いているのは分かった。

「り、理由がないんなら、飲んでいいから」

「……」

 シエールイは目をきゅっとつむって、切られた傷を見せる。血が流れているし、じわじわと伝わる痛みで感じている。

 スパリューンニィの冷たい唇が、血をなめとって首の傷に触れるのが分かった。

 血を吸う感触にシエールイはドキリとする。痛いようなそして、死が迫りそうで怯えもあった。スパリューンニィの髪の毛が頬に触れるのはくすぐったい。

「ん」

 小さな声がシエールイからこぼれる。スパリューンニィの牙が皮膚に触れた瞬間、突き飛ばされて地面に転がった。

「誘わないでほしい……本当に、君の血はおいしくて……我を忘れてしまうから」

「ごめんなさい……ごめんなさい。でも、私、何もできなくて、迷惑かけて。このくらいでいいならって」

「いいならって。君の命に係わるんだ」

「……」

 スパリューンニィはコートを脱ぐとシエールイに掛ける。シエールイは両手で前身頃を抑えた。

「君を独りにしたぼくが悪かったんだ。怖い思いをさせてすまない」

 スパリューンニィはシエールイに手を差し出し、起き上がるのに手を貸す。そして、許しを請う仕草でもあった。

「私だって……何も知らなくて。あなたの親切をずっと当たり前みたいに受けてて……」

「いや、君は気にしなくていいんだ。ぼくが隠しているだけで、知られたくない事だってあるわけで」

「……うん、そだね。リュー、私気にしないから。私と一緒にいるときでも、食事していいから」

 スパリューンニィは立ち上がったシエールイを胸に抱きしめる。その頭を優しくなでる。

「君は可愛い人間だよ……」

「……良くなでるけどなんで」

 思わずシエールイは尋ねてしまう。

「猫だと思うと安心する」

「猫いるんだ」

「ああ」

 女とは見られていないんだと分かり少しさびしかった。

 ――住むところが違うし、種族が違う。恋愛はまずないんだよ。それに、彼は親切に私を助けてくれているだけ。私が抱く恋心はおかしいんだよ、かんちがいなんだよ。

 距離があるとのことで、シエールイはスパリューンニィの背中に負ぶさった。その時、寂しさと自分の思いへのむなしさで涙があふれていた。背中に引っ付いているので、見えていないという安心感、そして、今だけは恋をしていると思っていいと彼女なりに諦めを固め始めた。

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