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それは愛、なのよ!  作者: 小道けいな
2/7

最初の街

 人間を食えば力が増す、というようなことが伝わっているが、それが半分嘘だと彼は知っていた。

 人間からエネルギーを取ることができる種族に限られている事であり、おおむね元気がない状態から元に戻ると言った程度だ。

 しかし、都合がいいように言い伝えられる。

 だからこそ、二つの世界が別れたとき、残された人間たちの運命は悲劇性を帯びてしまった。

 狩られる存在に。

 一部の者たちは人間を保護する活動をしていた。どこかにかくまっていると彼も聞いたことがあるが、実際は分からない。そこに介入できるような立場ではないからだ。

 ――なら王になればよかったのに。

 友に言われた言葉が頭をよぎる。

 そんな過去にとらわれている場合ではなく、彼は急いで集落に向かう。間にあえば、彼が知る限り最後の人間の集落は助かるかもしれないから。

 最後の集落は森の奥にひっそりとあった。

 自給自足の生活を送る人間たち。

 彼は時々見ていた。接触をすることはせず、異変があれば駆けつけられるように、と。

 ――直接かかわっている方が最悪は減ったのだろうか?

 彼は自問自答する。

 たどり着いた集落は、無残な状況だった。

 家屋はなぎ倒され、血の匂いが漂う。

 凄惨な残虐行為が行われたことを示すだけ。実際の物があるわけではないが、全てがはっきり見え聞こえる。

 悲鳴が、無力でも戦おうとする力を。

 長い髪がまとまり、風に押されて転がっていく。衣類の破片が天に向かって飛んでいく。

 すなわち、食いにくい部分が散らかっているのだ。

 誰が犯人だろうか?

 それはすぐに分かった。

 広場にいる男女五人を見て、一見人間の姿であるが、固そうな肌、鉤爪状の爪であり、一部は背に被膜の羽を出している。

 ドラゴン族の奴らだ。

 本来の姿は爬虫類に被膜の翼を付けたドラゴンの形をしている。今は人間に近い形をとっているが。

 彼は地面に下りて彼らを見た。

 この集落の人間の命は青年のものではない。そして、その集落の人間の命を守るための法律があるわけでもない。蹂躙していいわけでもないが、殺してはいけないという法もない。

 彼らを裁くことはできない。

 いや私闘という方法はある。法も支配しているが、弱肉強食の色も残すこの世界では。

「王にならなかった吸血鬼がなんか用か?」

 下品な笑いをもらしながら、彼らは青年を見る。

「なぜ、殺した?」

 ドラゴン族の男女はにやけながら立ち上がる。

「王にならなかった野郎が何を偉そうなこと言ってんだ? ここに目をつけ、いずれ食うつもりだったんだろう?」

 ドラゴン族の男女は大いに笑った。

「ねえ、殺しちゃおう?」

「そうだな。人間をこれだけ食ったんだ、腹ごなしと力試だ」

 ドラゴン族の男女は一気に彼に向かった。

 彼はいらだちをそのままドラゴン族に向けた。

 特に武器は帯びていない。持っているのは己の肉体と言う武器だけだ。こぶし、そして、鋭い爪、長い脚から繰り出される蹴り。

 この三つで、あっという間にドラゴン族の男女は肉塊と化した。

 なんて命は簡単に消えるのだろうか、と彼は思う。

 守りたかった人間も、彼が怒りのままに奪ったドラゴン族の者も。

 人間は男も女も、食われ、殺され、彼らと一つになった――と彼らは思っていただろう。

「人間と一つになれば力を得る、か。変な伝承、広まっている……。人間を犯し食らうのが主流だ……犯される間の恐怖、考えたくもない」

 敵対するモノが残っていないか、助けるべきモノが残っていないのか探す。

「ぼくたちや夢魔達みたいに、人間に生に近い物を口にしないと、関係ないことなはずなのに……ぼくたちだって強くなるわけでなく、ただ、生きる力が湧くという程度だ」

 彼は千年も生きていない。世界が別れてから生まれ、人間と言えば、隠れ住んでいる者たちしか知らない。自分たちとどこが違うかと問われれば、そのままでも温かくその血に興味がそそられるといった点だけだった。善悪を持ち合わせ、美醜もあるのは全く変わらない。

「どうしてそんな伝承が残ったのか……わかればよかったのに。王……あいつの祖父とその妻の話なんだろうけど。その人たちもすでにない。それに、もう、人間はここにいない」

 彼の希望も努力は消えた。

「……可愛い子だった」

 かつて愛した人間の娘の名をつぶやく。だからこそ、人間を見ていたかった。

「あれ以来、血を直接飲むのは怖い」

 人間の血は甘美だ。甘く、温かく、全てをゆだね、全てを奪い取ってしまいたいほどの味だ。

 彼は思いふけっていたが、一つ逃げた影に気付いた。

 オオカミ族の情報屋ガルトゥノスチではないか?

 彼はその影を追いかける。


「ここどこ?」

 視界が戻り、シエールイは第一声を発する。

 畑のど真ん中にある、折れた木の元にいたはずなのに、森のど真ん中のようなところにいる。

 空気は澄んでおり、冷ややかだが、暖かい部類に入る。匂いが畑などなく森の中だと伝えてくる。

 そよそよと頬を撫でる風は、木々を揺らしささやきかける。

 助けが来るまでここにいるべきか?

 シエールイはすぐに首を横に振った。

 人知の及ばない事態が起こっているので、何をしても無理だろうと。現実を考えて怯えても騒いでもいいが、落ち着こう。

 ――怖い……やっぱり。

 木の下に座って、しばらく様子を見ることにする。

 空は見えるが、どんよりとして暗い。暗い割には視界を遮るほど闇は深くない。

 曇りの日の明るさと言って差し支えない。

 すでに死んでいてここは死後の世界か。

 それとも、肉体は寝ていてこれは無意識の、すなわち夢の中なのだろうか。

 肉体ごとどこか見知らぬ土地に飛ばされてしまったのか。

 このような推測を立てていく。荒唐無稽の部分も生じるため、一番無難なのが死後の世界か夢の中だろう。

 あの場で何か事故が起こって死傷者が出ているということになるのだろうか。

「どこ、ほんと、ここ」

 いずれにせよ、シエールイはここにいて、五感は働いているようだ。それに意識もあるので死後の世界だろうが夢の中だろうが関係ない。

 そしてここにいて不安なのは、様々な要因がある。

 服以外何も持っていない。武器を持っていたとしても、戦うことはできないから意味はない。換金できる宝石を持っていても、誰もいないここでは意味がない。

 指輪に触れてそれを眺める。原因かとも考えられるが、これまで何も問題を起こしたことはないし、ただの指輪に奇妙な事態を起こす力があると思えなかった。

 これにも紋章のようなものは入っているが、幅の狭い指輪に刻まれているため、判断は付かなかった。紋章に盾が入るのは多いのだから。

「困った」

 それしか言えない。

 鳥の鳴き声や、動物の気配はあるので、何もないわけではないと分かる。

 サバイバル生活は知識としてあっても、実際に行ったことはない。

「風上に向かって歩いてみる? 川があればそれに沿って歩けばいいのだけど」

 耳を澄ませ、鼻を動かす。

 草と土の匂いはするが、五感を刺激する匂いはない。

「のどかねぇ」

 この地にいるのは自分だけなのだろうか?

 あの場には何人か人間はいた。その人たちはどうなったのだろうか。一緒に来ているなら、この近辺にいるだろうか。もし、シエールイだけがこちらに来ていたら、助けは来るのだろうか?

「無理だ」

 物語みたいに、絶世の美女であり、国の権力を握れる等があれば助けに来てくれる酔狂なモノもいるだろうが。

 髪と目の色を除けばそこそこに美人の部類で、食うに困らないけれど余裕があるわけでもない小国の王位継承権五位など小さい権力だ

「ひとまず、自力で生きなくてはならないのね」

 あのままルミオと結婚していれば良かったのだろうかと無意味に考える。

 考えたところで現状は変わらない。こういう時こそ強くあらねばとシエールイは気を引き締める。

「さて、水を探そう。やはり歩いてみるしかないね」

 食べ物と水、雨露しのげるところが必要である。これらを見つけるに当たり、水が一番先だ。水の周りには動物が来たり、ひょっとしたら人間の集落があるかもしれない。

 合理的に考えて、水を探すのが先決だ。

「迷って戻ってくるか否かは分からないけど」

 シエールイは何か印をつけるべきだと考え、木の枝を拾った。杖にはならないが、しっかりした枝である。草に隠れるところを掘り、土に数字を書いた。

 シエールイは周囲を警戒しながら歩きはじめる。

 ヒールではないし比較的歩きやすい靴であるが、裾の長いドレスや、外套が枝に引っかかったり、揺らす。

 脱ぐに脱げない。

 外套も夜冷えた場合重要な防寒具になる。それに、枝による裂傷を避けるだけの厚さも備えている。

 慎重に歩みを進める。

 しばらく歩くと木の下で止まった。

「はぁ」

 歩きにくいため、休息をとる。焦ったところで先が見えないし、体力は温存していかないとならない。

「この草は食べられるのか……? あれ?」

 木々や灌木、見た事のない葉や枝や樹皮を持っているのだ。もちろん、自分の地域に生えていないだけで、どこかあるかもしれないので一概に言えないが、少なくとも自国に生息している樹木ではないと判断できた。

「そんな、まさか?」

 ありえないと心臓がバクンとなった。

 魔と交流がなって魔法なんてないはずだ。呪いはあっても、こういった人に直接危害があるようなモノはない。人間同士が怯えることで発生する不注意が人知超えた力に見えるだけのはずだ。

 それとも寝ているだけで、肉体はあの地にあるのかもしれない。

「分からない……」

 シエールイは再び歩き出す。

 何度か休みを取りながら、歩むと水の流れる音に気付いた。

「やった」

 そちらに行けば解決策は見いだせるのではないか、と期待があった。飲めない水の場合困るが、飲み水がある事は重要だ。


10

 シエールイは水を見てほっとした。

 川幅も深さも大したことはないが、澄んだ水には魚も泳いでいる。

 やはり種類が特定できない魚だ。しかし、似たようなものは領内の川にもいるので、この水は危険ではないと判断した。

 屈んで水を飲もうと手を伸ばした。

 川に灌木が写る。

 これだけならば驚かなかったが、一匹のオオカミも写っている。

 オオカミは動くわけではなく彼女の動きをうかがっているだけのようだ。

 仲間が来るまでの見張りか、襲うタイミングを計っているのか分からない。

 シエールイが持っているのは最初に拾った木の棒だけ。多少頑丈でも、狼にかなうものではない。

 どうするのが一番良いのかとシエールイは考える。

 ひとまず、何もいないわけではないと分かった。いや、魚がいたのでその時点で生き物はあると分かったのだ。

 思考が混乱していくのをシエールイは感じ取り、落ち着いて対処しようと意識した。

 強気で挑まないとだめだと言うのは動物を扱う人間から聞く。それならば一匹ならばどうにかなるかもしれない。

 シエールイは先手だと思って、振り返るとオオカミを睨み付けた。本人は非常に怖いだろう、恐怖におののけという気持である。

「そこにいるのは分かってわっ!」

 ――黙っていたら、実は見逃してくれたかもしれない。

 後悔もなくはない。怯えたら負けだと気を強く持つ。

 オオカミは茂みからじっとシエールイを見つめている。動きがなく実は彼らが陽動で、背後から来るのではと恐怖が生じる。後ろを振り返りたい衝動が何度か来るが、オオカミと対峙する。

 オオカミは鼻を引くつかせた後、茂みから飛び出してきた。

 後ろを向いてシエールイは走り出す。オオカミと言うより、大きい熊を思い起こさせる大きさだ。

 ――まずい!

 川の中に足を踏み入れた。冷たいが躊躇などしていられない。

 その背中にオオカミの前足が当たった。

「きゃあ」

 水の中に倒れ込む。立ち上がろうとするが、黒い影が覆いかぶさったので動けない。

 恐る恐る顔を上げるとオオカミはシエールイを見下ろしている。

 水を吸ったドレスと外套は非常に重く、シエールイは動けない。

 早く上がらないと体が冷えて本当に動けなくなってしまう。見下ろすオオカミが逃してくれるわけはない。

 シエールイはオオカミを見つつ上半身を起こし、ズリズリと少しずつ下がっていく。

 オオカミは大きな口を開け「ガウゥ」と吠える。

「わ、わたし細いから肉ないし、まずいと思うよ?」

 鼻がシエールイの頬や口、首の匂いを嗅ぐように移動していく。肉を食べているのだろう生臭い匂いが鼻に届き、一層恐怖が生じる。

 上半身を支えていた腕が冷たさでしびれてきて、シエールイは寒さと恐怖で震える。

 オオカミは腹のあたりを見ている。柔らかい腹で大好物なのだろうかと、シエールイは恐怖の発想が湧く。

「け、毛繕いくらいしてあげる。わたし、まずいから、ね」

 シエールイは死を覚悟し、命乞いを口にする。言葉が通じると思わないが、毛繕いで助かるなら安い物だ。いや、腹減らしている獣が、弱い生き物であるシエールイを見逃してくれるわけがない。

 生きているのに食べられるなど想像したくないが、目の前の現実はそれが本当になりそうな予感を与える。

 ニヤリとオオカミが笑ったようにシエールイには見えた。余裕があるのは捕食者である狼である。

 オオカミはシエールイを懐に抱くようにのしかかる。

「あ、うう」

 下がれば水の中でおぼれてしまう恐怖がシエールイを襲う。オオカミの膂力によりかろうじて頭は水に沈まなかったが、オオカミは執拗にシエールイの頬から首をなめている。

 ザラリとした感触が、冷たさで感覚を失いかけている部分を刺激する。

「いや」

 恐怖で涙があふれる。いつ、ガブリと噛みつかれるか分からない。

 一瞬目を逸らした。

「人間だろう、あんた」

「え?」

 シエールイは上から降ってきた声に驚き顔を向ける。目の前には精悍な顔つきのくせに、どこか卑屈そうな青年の顔があった。

「え? あれ?」

 青年は困惑するシエールイを軽々と抱き上げると、岸に上がる。草地にシエールイを乱暴に置いた。

「痛い」

「人間の、それも女なんて俺、ついてるよなぁ」

 青年はクククと笑ってシエールイを見下ろしている。

 シエールイは水を吸ったドレスと外套のために動くことができない。

「さっきので人間最後って聞いたけど、一人逃げてたんだな」

 シエールイは怯えるしかない。見下ろしている彼の視線は食事を見つめる目にも見えるし、女を品定めする視線にも見える。どちらにせよ、いいことは一つもない視線だ。

「交尾してから殺した方がいいもんな、人間のメスなんだし」

「……ちょ、ちょっと待って! わ、わたし」

「メスだろう? 小さいみたいだけど」

 青年は屈むとシエールイの上に乗る。下腹部に両脚で抑えるように座り、肩を地面に押し付ける。

 生きたまま食われる恐怖と強姦されるかもしれない恐怖により、シエールイは頭の中が混乱している。恐怖しすぎで妙に冷静な部分ができ、「オオカミにどうやって化けたのかしら」等を考えていた。

「いや、ちょ、ちょっと待ってよ! あなたは何? さっきのオオカミは?」

 命乞いなのか何か分からない言葉をシエールイは発する。己の好奇心からうまく相手の気を逸らして、何とか逃げる隙を作りたい、と言うのが彼女の心の中。無茶があるが、出来ることは試さないとならない。

「こういうことだよ」

 男の姿は一瞬にてオオカミになる。シエールイを抑えたまま、何も特に動作はしていない。

 シエールイの目は丸くなり、口もぽかんと開いてしまう。

 状況が状況でなければ、じっくり見たい、もう一度変身してと言ったリクエストをするところだ。

 生きるか死ぬか、女としてひどい目に遭わされるというのも追加で入っている。

「……お、狼男?」

 人間の姿に戻ると男はにやりとして、シエールイの胸に顔を付けた。

「貧弱だな」

「……うるさい!」

 敵が何か分かるとシエールイは少し元気になったが、自体は何も変わらない。抵抗してやろうという気になった。もがいたが、相手の力が強くピクリとも動かない。

 男は彼女の外套やドレスを脱がしにかかる。

「濡れて脱がしにくいな」

「誰のせいでなったのよ! そもそも何する気よ!」

「てめえが勝手に川に入ったんだろう。メス抱くのに服脱がすの当たり前だろうが!」

「オオカミがいるんだもの逃げるでしょ」

「ま、食う時、邪魔だし」

「ちょ、ちょっと!」

 シエールイは悲鳴を上げる。

 ドレスの前身頃とコートが、ビリと破かれる。水を吸って繊維が絡まり、丈夫になっているはずであったが、あっさりとした破れ方だ。

「いやぁ」

 薄い胸が露わになり、違う寒さと共に震える。男はドレスの裾をたくし上げ、下腹部に触れる。

「一応メスだな」

「やめて」

 胸の先端に口を寄せた青年に、悲鳴でもって懇願する。

 ガツンという大きな音共に、青年が吹き飛んだ。

「え?」

 これは助けか新たな危機か?

 シエールイの目には上等な生地で作ったズボンの裾と磨かれた黒い革靴が写る。見上げると、やはり上等な生地でできたコートを纏っており、その上に見える顔は青白い肌に見える。どんな表情かなどは眼鏡が濡れており見えない。

「ガルトゥノスチ、邪魔だ。消えろ」

 シエールイの横にいる男は冷たく言い切る。ガルトゥノスチと呼ばれた狼男は腹を抑えつうめきながら立ち上がる。

「俺が見つけた獲物をどうしようと勝手だろう」

 一応強気の反応を見せた。先ほどシエールイをなぶっていたものに比べると怯えているようである。

「ああ勝手さ」

 シエールイは彼の返答に一瞬気が遠くなる。動物の世界を考えれば当たり前だとは思うが、希望が生じた後の恐怖はよりつらい物があった。

「人間である、と言う時点で、色々なことが絡んでくるんだ」

「……ああ、てめえの食事にするんだな、吸血鬼野郎」

「そうだね。君たちに全て台無しにされたけど」

 シエールイは目を丸くして青年を見上げる。青白い肌がそれらしいといえばそれらしい。

 死が迫るなら、狼男に強姦された挙句生きたまま食われるより、吸血鬼に快楽と共に血を吸われる方がましな気がした。

 できればどちらもごめんだが、すでに死に向けたカウントダウンが始まっている現実が思考を麻痺させる。

「ぼくが掠め取ってもかまわないよね、慰謝料として。オオカミ君?」

 ガルトゥノスチはちっと舌打ちすると、オオカミに変じて茂みに消えて行った。

 あっさりと相手が退いたことでシエールイはきょとんとする。

「……ったく。で、あんた、どうすんの」

「はい?」

「せめて、胸隠すとか?」

「……」

 羞恥に頬を赤くしつつ胸を隠すシエールイだが、ちぎれた服は大して隠すのに役に立たない。

 ぬれたことが容赦なく体温を奪っており、くしゃみをして震えた。

 国の人間相手ならば、服寄越せと強気に出るのだが、状況が状況なだけに相手を観察しないとならない。

「……面倒くさい。つい、助けたけど面倒だ」

 吸血鬼と言われた青年は嘆いた。その言い方にシエールイはピクリと頬の肉を動かす。

「嘆きたいのはこっちよ!」

 シエールイは彼の足に思わずタックルをした。先ほど助けてくれたときの動きを考えると、簡単に避けるだろうと推測していた。しかし、おとなしくしていたシエールイに不意打ちを食らった青年は地面に倒れた。

 あっさり倒れたことにシエールイは驚く。胸を隠すことも忘れて、青年の顔を覗き込み、腕に触れる。

 打ち所が悪かったのか、ピクリともしない。

「ちょ、ちょっと、しっかりなさいよ」

 シエールイは困った。一人きりと違う心配事となった。

 時間の経過により太陽が沈むように暗くなってきている。この森でどうするにしても、このまま放置してもいけないし、自分もつらい。

 風邪を引くのも時間の問題。着替えだってないため、せめて火でも起こしたい。

 男が何か持っていないのか「ごめんなさい、見せてください」と言ってからポケットを探る。懐中時計と小さな袋などが入っている。その中にありがたい物体が入っていた。

「マッチ!」

 良くわからない状況になって初めて、本気で喜んだ。


11

 集落を襲った者と同族の青年が一人、森の中にいた。

 ドラゴン族の若者で、己は力を持つと思っているが、仲間であっても体格が小さい、弱いという見られ方をする。そのため人間狩りには連れて行って貰えず、こっそりついてきたのだ。

 森の近くで見ていると、遠くに火の手が上がったのも、あの「王にならなかった吸血鬼」と言われる男が慌てて移動していくのを見た。

 ――いい気味だ。

 彼はぼんやりとみていた。

 人間を飼っているから奴は強かったのだろうか。

 そもそも今の王は吸血族の血も引いているといういわゆる雑種だ。肉食より雑食で、食生活も人間に近いと噂で聞いている。しかし、王にならなかった王と同じレベルの強さを持っているという。

 だから、人間と一つになると強くなるということは嘘かもしれないと考えられる。

 王には人間の血も流れているという。いろんな血を持つ存在の方が強くなるのだろうか?

 いや、実は、知られない所で王も王にならなかった王も食ってその強さを持っていたのか?

 考えても彼には考えは出てこない。

 見ていると不穏な空気を感じた。

 人間の、最後の集落を襲った同族が帰ってくるだろう、そろそろ。王にならなかった王は殺したのかためしに聞かないとならない。

 日が陰ってきても特に動きがない。上から見ていると分からないだけで、王にならなかった王も地面をとぼとぼ歩いているのかもしれないと考える。

 集落に帰ってから状況は尋ねればいいかと彼は帰ろうとした。

 オオカミの情報屋が森から転がるように走ってきた。

 何かあると直感し、彼は背中の翼を広げ下りた。そのまま情報屋めがけており、羽交い絞めにして飛び立つ。

 自分と同じくらいの大きさのオオカミだが、暴れられても苦にはならない。

 止まり木にしていた枝に降りると、オオカミを引っかけるように下した。オオカミは人型をとり彼を見る。

「ヴィオールヴィさんじゃないですかぁ」

 精悍なのにどこか卑屈そうな顔が安堵を見せている。

「うちの一族に人間の集落を教えたのアンタだと聞いた」

「そりゃ、まあね。王にならなかった吸血鬼が気にしているところって興味がわくじゃないですか」

「まあな」

 枝につかまらないでいいのなら、揉み手をしていたに違いないガルトゥノスチは必死だ。

「旦那、おろししてくださいよ」

「もちろんだ。てめえが何から逃げてたのか教えてくれればな」

「……人間のメスが一匹生きてたと言ったら嬉しいですか」

「はぁ? こっちにいるのはあいつが飼ってた以外いないはずじゃ」

「それがいたんです。森の中に一匹はぐれたのか。ただ、痩せているのが問題で、小さいから子どもかもしれませんが」

 ヴィオールヴィは情報が正しいか吟味する。情報屋は嘘も言うこともあると承知しているから。

 王にならなかった吸血鬼に関しては嘘を言う必要もない。人間を飼っている噂は聞いたことがあったから。吸血一族はエリート意識が高くきれいごとを言うところもありいけ好かないのだ、彼は。

「どこにいる」

「それが……王にならなかった吸血鬼に取られました」

「なるほどなぁ」

「旦那、降ろしてくださいよ。そのメスを捕まえても、太らせてからでないと難しいかもしれませんが、好きにすれば」

「ふーん」

 王にならなかった吸血鬼がどこまでそれを面倒見るかによる。

「なあ、なら、奴の居場所、人間の居場所を俺にいえよ、この後」

「は、はい?」

「掠め取りやすい時が来たらさらうから」

 嫌なら降ろさないし、後で殺すと脅すとガルトゥノスチは激しくうなずいた。

 人間と一つになる――うまくすれば力を得ることができる。暇であることだし遊んでみることにした。


12

 日が落ちたらしく、辺りは暗くなった。時間の流れは同じのようだと理解するシエールイ。

 自分が置かれた状況が一番の問題。

 目の前の吸血鬼らしい青年はピクリとも動かず。息はかすかにしている様子で、全く呼吸はないわけではないらしい。手はひんやりしていた。

 シエールイは外套は脱いで木に掛けた。青年が倒れたことにより、先ほどの狼男が戻ってくることを懸念してドレスは脱げなかった。破れているのでどうにかしないといけないのだが。

「くしゅん」

 風邪をひきそうだが仕方がない。一瞬青年のコートをはぎ取って、着てやろうとも考えなくはなかった。

 謎の状況だが、唯一の良いことは青年が素敵なこと。長くしている黒い髪はまっすぐでさらさらしている。国の貴族も長髪はいるが、ここまで美しいのは男女を通してもいない。そして、きめ細やかな肌を持つ顔は、すっと通った鼻梁を中心に、ややうすめの唇が酷薄にも見えるが、穏やかな表情を作ることに慣れている適度に付いた頬やあごの肉、閉じられている目は長く多い睫が佇んでいる。細面で整っているが、消してやせ過ぎで病的に見せない顔だ。

 身長も高めで、武術を適度にこなしてきた筋肉が覆っているのは、厚手のコートの上からも想像できた。

 ――もし彼がこんな外見だったら危険だった。

 先日の城でのことを思い出す。ルミオは文武両道ということになっているし、それなりの見た目はしている。

 ――それはそれで良かったのかもしれないけどね……。

「くしゅん」

 ――熱が出て死ぬ方が幸せかもしれない。

 ここ数時間に提示された死に方の中で、一番まともに映った。

 本当に狼男や吸血鬼がいるなら、観察したい質問したいと思う。思っているのは現実逃避にも思えるが、好奇心の火が消えなければ生きられるかもしれないという期待も彼女にはある。

「くしゅん」

 おなかも空いてきたし、寒いし、火を焚いてもどうしようもない。思い切って魚でも取ってこようかとシエールイは考えた。

 青年の瞼が震え、目が開く。

「起きた? くしゅん」

 青年は嫌そうな顔でシエールイを見る。その嫌そうな表情にシエールイはカチンときた。しかし、嫌がっても助けてくれたし、情報源として重要な存在である青年を手放したくなかった。

 それに助けてくれたように見えても、彼が餌として横取りしている可能性が高いのだ。それであれば、出来るだけ刺激しない方がいいかもしれないとも考える。

「くしゅん」

 年に一度は風邪をひいていたなと、シエールイはしみじみ思い出す。

 青年は体を起こすとコートを脱ぎ、シエールイに差し出す。

「ドレスも脱いで乾さないと、人間は弱いからすぐに病気になる」

 機嫌悪い表情であるが、心配しているという声の響きは感じた。

「……ありがとう」

 シエールイは素直にコートを受け取り、茂みに入って脱ぐべきかと青年を見た。青年は一応視線を逸らしているので、シエールイはその場でドレスを脱いでからコートを羽織った。

 ボタンもはめたが、シエールイの首から胸元にかけて外気に触れた。襟を立てて隠すが、青年の視線を感じる。

 座ってから見ると、たき火を挟んで向かいに座る青年はシエールイの首を見ている。シエールイが体勢を崩しても、首から視線が動かない。

「……髪は乾きそうか?」

 視線が絡まったとき、彼はあたりさわりのない質問をしてきた。

「絞ったから、時間の問題。ただ、外套は分厚くてどうなるか分からない」

「そうか」

 沈黙が下りる。互いを観察し合っている状態だ。

 本当に吸血鬼なのか。吸血鬼ならば人間の生血しか吸わないのか、夜にしか動けないのか、もともとは人間なのか……などなど聞きたいことは山とある。

「あ、あの、さっきは助けてくれてありがとう……」

 無難にお礼を述べる。オオカミに何かされかかったのを助けてくれたのは事実だ。

「……勢いだから気にするな。人間がどうしてここにいるんだ? 別の集落があるとは聞いていない。それとも、森に出ていてたまたま助かっただけか?」

「集落?」

「ああ、あいつが導いた奴らに全員殺された。魔力の源になると思って、散々弄ばれ骨まで食われた……んだろうな」

 シエールイは震える。寒さもあるが、ここは知っている世界ではない。

 むしろ伝承にあった魔の住む世界と言っていいのではないか?

 そうなると狼男が言ったことは理解する。

 シエールイを犯し、食らおうとした。

 一つになるというために。

「お礼を言っているけれど……、ぼくが君を助けた理由を聞いていなかったのかい?」

 シエールイも混乱しているが、掠め取ってもいいかと言っていた気がする。

「……で、でも、生きながらかみ殺されるより、ま、ましかなって」

 恥ずかしさで消えてしまいたくなる。話に伝わる吸血鬼であれば、噛まれても痛みより快楽が先に出るというから。口にするとねだっているようで恥ずかしく、目を逸らした。

 シエールイは視線を戻したが、前に青年の姿はなく、真後ろから抱きすくめられる。

「そうだね、知識もあるようで助かるよ。ぼくもたまには人間の血を吸ってみたいと思うから」

 彼は髪の毛を優しく払うと、シエールイの首に口を近づける。かすかに呼吸はしているようで、ひやりとした息がかかり震えた。

 シエールイの首に唇を付けたらしい感触が伝わる。キスをされているというだけで顔は真っ赤になるが、次に何をされるかと思うと内心は青くなる。

 唇が動き、硬質な感触が伝わる。牙が当たっているのだろうか?

「……痛くないなら……」

 優しくささやかれてもやはり怖い物は怖い。シエールイは身を固くして、小刻みに震える。

「いらない」

 髪の毛の顔をうずめ、後ろから抱きしめられて、シエールイは彼の言葉に複雑な思いになる。

「まずそうだから?」

「いや、なんでそうなるんだ」

「だって、私不細工だし」

「なんで吸われたいと思うんだ」

「思わない。でも、なんか中途半端に放置されると、私が不細工だから嫌がれているのかなって思う」

 何を言っているのだろうかとシエールイは自分に対して困惑をする。恥ずかしい気持ちと悲しい気持ちが同居して、シエールイは混乱してしまう。

 溜息をついた彼はシエールイを放すと横に座る。

「人間の美醜は分からないからな」

「……良かった」

「さっきのオオカミなら、君はまずいと映る。同族じゃないから美醜は判断に入らない」

「そうだね」

 シエールイは痩せていることを指摘していた。人間同士でもある程度ふくよかな方がいいとされているが、一方で見た目で痩せているところは痩せてという無茶な話もある。

「ただし、人間と姿が近い我々には、人間の美醜を判断することはある」

 シエールイはぎょっとし、次に溜息をついた。なぜ溜息なのかと自身でも不思議には思った。

「なら、大丈夫だね」

「何が?」

「私、不細工だから」

「え? まあ、やせ過ぎだとは思うが、どこが?」

 シエールイは顔を上げて青年を見る。口説かれているのか、慰められているのかどっちだろうかと驚いたのだ。

「だって、髪と目、黒いから」

「なるほど……」

 青年は苦笑する。

「人間の価値観だとぼくは不細工か?」

「ううん。男の人はそこまで気にされない。女は明るい色合いの方がいいってみんな言う」

「それこそおかしい。美醜の判断はいろいろあるからこの際は置いておこう。君の髪がピンクだろうが、青だろうが、全体を見て美しいと判断できれば美しいと思う」

「え?」

「おおむね、こっちの物は闇に対して神聖さをおぼえる。君の髪も目もうらやまれることこの上ない」

 顔が赤くなる。お世辞や、一般論であり、彼が好きだと言っているわけではないのだからと、何か期待してしまう気持ちを押しとどめる。

「色一つで決まるなどつまらない」

「……ありがとう」

「何故礼を言う?」

「だって、そんなことないって分かる。ピンクの髪なんてないし」

「いないのかい人間に?」

 彼の驚いた声だったので、シエールイは彼が本気で言っていたのだと知る。

「え? 髪の色って言ったら、金か茶が多いし、茶金や赤毛なんていう発展もある。もちろん黒もいるけど、あまり好まれないのよ」

「……それしか色ないのか」

「白髪もあるけど、それは色素が抜けた結果であって色と言えるかは分からない」

「……」

「……」

 互いに色について想像をめぐらす。

 そんな中、食べられたり、ひどい目に遭わないとシエールイは理解した。髪の色や外見の事に関して以上に重要なことがある。

「ここどこ」

「……君たちの世界で言うと魔界になるのだろうか?」

「……どうやって帰れるの?」

「……出入り口は千年以上昔にふさがれているからどうなんだろう? 人間の集落は狩られる恐怖と共に、隠れ住んでいたくらいだ。君はどうやって来たんだ」

 シエールイは彼に説明するが、石碑以外話しできることはない。

「厄介なことだなよな」

 シエールイは彼が面倒臭いを連呼したのを思い出す。

「あ、あの、迷惑かけないから、私が生活できそうなところまで……街でもいいから連れて行ってくれない……?」

「……そうくるよなぁ」

「頼れるの、あなたしかいないもの」

 彼はシエールイを見つめる。

 見つめられたシエールイは泣き出しそうになる。見た目は整っているいわゆる美形であり、好みの男性に見つめられること、生き延びられるかと言う不安がせめぎ合っている。

「あ、あなたが欲しいっていうなら、私の血を上げてもいいから」

「そんなことを軽々しく言うな!」

 彼は怒った。シエールイはぎょっとして彼を見つめる。

「……す、すまない。君が気にするのは分かった。ぼくは基本的に、血は吸わないから……」

「ごめんなさい……。だって、私にできる事って何もない」

 シエールイはしおれていく。つい素敵な人だからといって調子に載ってしまったのかもしれない、と。

「いや、気にすることない、君が義理堅い人間だとは良くわかった。あいつの所に送るのがいいかもしれないから連れてくよ」

「あいつって?」

「ここの王」

 世間知らずというか魔界知らずのシエールイに否もなかった。そもそもそんな人物が相手にするのだろうか?

「そんん、王様って気さくに会える人?」

「友達だから、ぼくは」

 彼は微笑んだ。安心できそうな温かい物だ。

「そろそろ、寝たほうがいいんじゃないか?」

「……おいていかないでね」

 青年はシエールイの頭を年下の子にするようになでる。

「名前」

「あ、スパリューンニィだ」

「……私はシエールイ」

「リューと呼ぶ奴いるから、そう呼べばいい」

「ごめんなさい、ありがとう」

 疲れていたシエールイはほっとした瞬間眠りに落ちた。


13

 シエールイはしばらく眠ることができた。

 目を覚ました時、スパリューンニィの膝に頭が乗っていたため、シエールイが飛び起きた。その影響でスパリューンニィの鼻は彼女によって頭突きを受けている。

 時間は分からないが、スパリューンニィが朝だというくらいの時間は寝たので、結構長い時間は休めたようだ。

 食べられる魚ということでスパリューンニィがとってくれた物を、火であぶってシエールイは食べた。淡泊な味であるが、空腹だったシエールイには十分なごちそうだった。

 それから、シエールイはかろうじて乾いたドレスを着てスパリューンニィはコートを返した。自分のコートをストールのように巻くことで、胸元は隠した。

「街で服と靴を買わないとな」

 スパリューンニィはシエールイの姿を見てつぶやく。

「街には、どのくらいで着くの?」

 一分ほど歩いてスパリューンニィは「三日」と答える。シエールイの歩調を観察したのだろう。

 シエールイは黙った。もっと早く歩く努力をしないといけないが、途中でへばってしまってはもっと迷惑になるのではないかと葛藤する。

「君の体力が持つかどうかと言うこと考えると、歩かせない方がいいという結論がひとつあるんだ。街まではぼくが君を抱えていく。それなら今日の日没前には着く」

 屈んだスパリューンニィの背中にシエールイはしがみつく。この年でこのようなことをするとは思わなかった。

 幼い頃兄に負ぶわれたのが最後。

 ここで恥ずかしいとかわがまま言っているとスパリューンニィの好意を無駄にしてしまう。

「軽いなぁ」

「迷惑をかけすぎなくて良かったと思う」

 スパリューンニィは歩きはじめるが、軽くステップを踏むように足を速めた。これではすぐにスパリューンニィが疲れるのではないかと不安に思うが、シエールイはしっかり捕まっておく。こういう時、背おられる方の作法として、相手の動きを阻害せずしっかりと張り付くというのがあるからだ。

 シエールイはずしりと力が加わるのと、ふわりと体が浮くのを感じた。スパリューンニィが木に足を掛け、枝をばねのように跳躍したのだ。そして、弧を描くように十メートル先の枝に降りる、そして跳躍する……を繰り返す。

「きゃああ」

 さすがに怖くてシエールイは悲鳴を上げた。

「しがみついて、口開かない」

「無理ぃ」

 口を背中に押し付けるようにしがみつく。悲鳴は彼の背中に吸収される。

 人間と異なる身体であり、力を持つ生き物だから仕方がない。わざわざ助けてくれたのだから文句も言ってはいけない。分かっているが、怖い物は怖い。

 一時間くらい、乱高下を繰り返し、とうとうスパリューンニィは木の上を歩くのをやめた。


14

 気絶していたシエールイはスパリューンニィの背中で目が覚めた。彼はさすがに空を歩くような行為をしておらず、地面の上を歩いていた。

 多くの人が歩くことで踏み固められた道であり、歩きやすそうだ。

「自分で歩ける」

 通行人も多く、シエールイは視線を感じずにはいられなかった。

 背中からスパリューンニィはシエールイを下すと、懐に入れるように寄せた。

「歩くのは構わないが、君が何かを感じ取るのは簡単だ。なるべくぼくの物ということで、歩いてもらうからね」

 シエールイはうなずく。肩を抱かれ、コートの中に半分入っているのに、彼からはぬくもりは感じないが、心の温かさは感じられた。優しいしぐさがシエールイを守ろうとしてくれているのが分かるからだろうか。

 スパリューンニィが人間ではないと分かっていても怖くはなかった。

 興味深いのは周囲の反応だった。背中にいた時と懐に近くなったときの周りの視線が変わった。

 その荷物欲しいというような雰囲気から、盗ることが難しいという諦めだろうかと推測した。違う感情のような気もしないではないが、人間以外の思考ある生き物の思考をシエールイは知らないので気のせいだとは想像する。

 その感情は嫉妬。

 人間であるシエールイに嫉妬するいわれはなさそうなので、良くわからない反応と考えた。

 色々考えているうちに、シエールイは街の中に入っていた。城壁がない、自由都市と言うべきか。中心地に向かって歩くらしく、人ごみが激しくなってきた。

 街に入るとシエールイから恐怖が消え、好奇心がもたげる。鎌首をもたげた好奇心はシエールイに観察するようせがむ。

 街の様子は人間のそれと変わらない。建物の一個の大きさは若干大きいが、大した差ではない。

 ヒトの姿は街道でも見かけているが、街中だと密度が違う。肩がぶつかる位置に相手がいる。

 人間ぽい姿が多いが、獣や爬虫類を思い起こさせる外見の者もいる。尾や耳が違ったり、肌に鱗があったりと様々だ。基本は人間、プラスアルファがある感じであるので、違和感ないようで不思議さもある。

 昨晩、スパリューンニィが言ったように確かにピンク色や青い髪もいる。

「宿とるのと君の服」

 おなかが鳴ったのを聞いて「食事」と付け加えられる。恥ずかしいしい状況だが、シエールイは街に対して魅了されているのでおなかが鳴ったことに気付いていなかった。

 これらが魔と言われる存在。

 中味はどこまで違うのか?

 多種多様な存在がおり、考えも皆異なっているのだろうか?

 むくむくとわくのは疑問。スパリューンニィが答えてくれないとこの疑問たちはずっとシエールイに蓄積されることとなる。

「食事って私でも摂れるもの?」

 ふと、現実的な質問が口を付いた。

「いろんな奴いるからある。人間が好む食事だって研究されているから知っている。安心してくれ、ぼくは人間の事比較的知っているたちだから」

 助けてくれた時「面倒くさい」と言っていた人物とは思ないほど、真摯な対応だ。

 ――ひょっとしたら、私が頼ったら断れないから嫌がっていたのかも。

 シエールイはスパリューンニィの優しすぎる心に感謝する。

 立派な外見の店舗の前でスパリューンニィは止まった。ショーウインドウがあり、そこにはめられているガラスはシエールイが知っている中で見るだけでも高価だと分かる物だ。

 看板に書いてある字は読めないが、ショーウインドウから洋品店だと分かる。

 シエールイの国では既製品という服はまだない。着られる服は中古ばかりであり、服は自分のために誂えるものである。

 見た目からして仕立て屋という雰囲気だ。そこで仕立てるとして、着られるのはいつだろうか?

「仕立て屋?」

 どう見ても中古店ではない。

 中に入ると、ぼろぼろの格好のシエールイは場違いだ。飾っている服は様々な形、大きさがあり、ドレスからズボンまで様々な婦人用の服が置いてある。

「いらっしゃいませ」

 と言った店員の顔はシエールイへは不機嫌そのものだったがスパリューンニィの姿に対してぱっと顔に朱を散らしたようになる。

「彼女に合う服はあるかな? 本来なら作るべきなのだが、森で暴漢に襲われたのを助けたんだ。このままではいけないと思うので、出来ればすぐに着られる物が欲しい」

 間違ってない。そして、ちょうどサイズが合えばどんな服でもいいという気持ちもある。もちろん露出は少ないことに越したことはない。

「支払いはきちんとぼくがするから」

 スパリューンニィはポケットから何かを取り出し店員に見せた。店員は真っ蒼になったと思うと、激しくうなずき、揉み手をするようにシエールイを連れて奥に入る。

「もちろん、彼女を食ったら、ただじゃすまないから」

「そんなことはしません。むしろ、このお嬢様の御髪もきれいにします」

 シエールイの手を引き奥に行こうとした店員は、身をすくめてスパリューンニィに反論する。手から伝わる震えは恐怖のようだ。

 奥の部屋にはもう一人店員がいる。テキパキと服を用意していう。

「さあ、お嬢様、服と下着を外してください。汚れていらっしゃるでしょうから、全て当店で責任もって交換します」

 シエールイは困惑する。 

 スパリューンニィは王と友達と言っているのは嘘ではなく、この魔の国では上に立つ存在のようだと推測できる。

「お召し物だけでなく、髪も汚れていますし、奥に店長の家がありまして、そこに風呂があります。さ、どうぞ」

「で、でも」

「もちろん、あなた様にひどい目を合わすわけありません。人間は弱いと知っています、お嬢様がお嫌なことはしませんから」

 平伏しそうな店員たち、よほどスパリューンニィが怖いようだ。シエールイは気の毒に思うとともに、スパリューンニィの身分について興味がわく。それに、魔の国の制度も気になってきた。

 湯船に案内され、侍女のように手厚くしようとする彼女らをけん制して一人で入った。手早く洗って、上がるときれいになってほっとした。

 濡れていたし、泥が付いてもいた。改めて感じたのだ、昨晩ひどい目に遭ったということに。

 下着を着て、髪の毛を乾かされ、すっきりする。シンプルだが高級な素材のドレスを纏う。

「胸元が開いていない方がいい」

「そ、そうですね、旅の途中ですし」

 店員はドレスを変えた。

 店員たちはシエールイが気に入った様子なのでほっとしている。

「そんなに怯えられると困ります」

「そんなことはありませんよ」

 店員たちは互いにぎこちない笑顔で見合う。その二人の視線はシエールイの髪に向いている。

「お嬢様……実は人間でも高貴な方なのでしょう?」

「そんなことないですよ」

「だって、こんなに美しい髪。質ももちろんですが、この闇を凝縮したような黒……」

 髪型を整えた彼女たちはうっとりと触っている。色はともかく質に関しては、シエールイの侍女たちも褒めていた。

「本当。目の色も素敵」

「え? え?」

 シエールイがきょとんとする。

 店員たちはお世辞でもない様子だ。スパリューンニィが言っていたことは本当だったのだ。彼女たちがスパリューンニィが彼女たちに合えて言わせる必要もないから。

 ブーツを履いて、歩きやすさを確認して、シエールイはスパリューンニィの前に出る。

「時間かかってはらはらしたが……」

 スパリューンニィの喉がごくりと動いたのをシエールイは見た。手が伸びシエールイの頬に触れ、熱を奪っていく。首筋に手が触れたとき、スパリューンニィの様子の意味が分かった。

 そして、鏡に映った自分の姿が、風呂で温まったおかげで血色も良く、すっきりとしている顔だ。

 ――吸血鬼、鏡に映らないと聞いていたけれど……。

 スパリューンニィの姿は鏡にある。シエールイが鏡を見ていると、スパリューンニィと鏡の中で目があった。

「君は、自分が襲われるかもしれないという認識はなかったのかい?」

 首の付け根に顎を乗せて彼はつぶやく。

「……え、あ? はう」

 近い所にある彼の顔にようやく気付いて慌てるシエールイ。

「遅い……鈍い」

 スパリューンニィは身を起こしてシエールイをぎゅっと抱きしめる。

「さて、行こうか」

 店員に見送られ、シエールイはスパリューンニィと街に出た。

 スパリューンニィはシエールイを懐に隠すように抱いて歩く。仕立て屋に入る前より何かよそよそしさを感じるのは気のせいだろうかとシエールイは首をかしげた。

「色の話、世界が違うと違うって良くわかった」

「闇は神聖なものだから、君の色は崇拝の対象だ。肌が白いと、その闇は映えるのでうらやましがられる」

「こっちの世界の人間も、ちょっと違うのかな?」

「違う?」

「うん、髪の色に対しての反応」

「ぼくが知る限りでは、あまり気にしているようには思えなかった」

 スパリューンニィの声は寂しそうだ。シエールイに会う直前に、人間の集落が消されたと言っていたからだろう。

「そういえば、どうしてあんなに彼女たちは怯えていたの?」

「ぼくの家が怖いんだよ」

「……家?」

「そう、家」

 自嘲気味なスパリューンニィにシエールイは国のことを教えて欲しいと質問し損ねた。

 身なりはいいし、金回りも良いようだ。人間に当てはめると、有力者の子息に当たるのは間違いないだろう。

「人間拾って何かしているって問題じゃないの?」

 そんななら人間風情に目を掛けてという雰囲気だろうかと推測した。

「むしろ、君を自分のものにして力付ける気だって喜ばれる」

 素直に答えが返ってきてシエールイは驚く。怖がらせるためかも知れないし、本当のことを言っていないかも知れない。

「人間っておいしいの?」

「宿決めてからゆっくり話そう?」

 雑踏で話すことでもないので、宿に向かった。

 昨晩から言われているが、本当に人間は力を与える存在なのだろうかとシエールイは不安になった。街を歩くとき、スパリューンニィに必要以上にしがみついている自分に気付かないくらいだった。


15

 同じ部屋というのにぎょっとしたが、一人になると何があるか分からない現実がある。

 食事をとって、シエールイはほっとする。パンもスープもこれまで食べた事のあるような食材のようだった。肉はよけた。

「人間、おいしいよ?」

 突然答えが来て、シエールイはぎょっとする。

「滋養強壮には人間がいいって。人間を食らえば魔力が伸びるとも言われる」

 シエールイは淡々と話すスパリューンニィから気持ち離れた。

「だから、ぼくも君を食べないといけない」

 シエールイは腰を浮かせて逃げようとしたが、背中にベッドが当たり、スパリューンニィに見下ろされている。あっという間に押し倒されていたのだ。

「……君みたいな子はぼくたち好きなんだよね……。好みにもよるけれど、怯えるけど、助けてくれるのはぼくしかいないからおとなしくしようとしている。複雑な心の動きが伝わる心音……可愛いと思うよ」

 首の付け根に顔をうずめささやく。

 シエールイは顔が真っ赤になっていないことを祈るのみ。

 可愛いなど面と向かって言われたことはない。もちろん、これだって口説き文句として本気でないだろうから。気にしてはいけないと強く思う。

「まあ、それ以外の好みもあるわけで……ぼくとしては、君にはもう少し太ってもらいたい」

 シエールイを解放して、スパリューンニィはそのままベッドに座る。

 シエールイは枕でスパリューンニィを殴る。

「ククク……」

 スパリューンニィは枕を受け止めて笑いを殺す。余計にシエールイは腹が立ってくる。

「嫉妬があれば立派に女だ。襲われたくないけど、途中で放置も嫌だ」

「もちろん襲われたくはない!」

「うん、君の人間と生き物としての本能なんだから」

 怒って顔が真っ赤なシエールイに、スパリューンニィは微笑みかけ、胸に抱き寄せる。

「可愛い、本当に」

「離して」

 もがくが大して効果はなく、シエールイが疲れただけだった。

「王の所に行くと言ったが……貢物なの?」

 シエールイはふと思って尋ねる。この国の形、種族のことなど聞きたいことはたくさんあるのだ。

 最初は資料がたくさんあって戻る手段が見つかるからかと思った。しかし、人間が力の源になるなら、王への貢物という発想もできた。

「そのつもりはないよ。分けられたのだから、人間はその世界で住めばいい」

「森に集落があるとか言っていたが」

「別れたときに残った人間もいた。君は頭いいみたいだから想像つくだろう?」

「?」

「人間を増やそうとした奴もいたが、うまくいく前に全滅したと聞く」

 スパリューンニィはシエールイの頭をなでる。

「この世界一人の人間だから、変なオスを付けられることもないと思う……淫魔どもが変なモノ持ってなければ」

 スパリューンニィは眉をひそめた。シエールイは国に残っている魔物の話は、世界が別れる前に伝わったものだと知った。

「でも、まあ、もし、戻れなくても、あいつなら君を保護できる」

「王だから?」

「そう、王だから」

 シエールイは身を起こすと、スパリューンニィを見る。正面から見ると目を逸らされた。

 目は血のように赤いと知る。

 シエールイは頬がかっかと熱いと感じる。

 ――スパリューンニィに迷惑はかけられない。そうそう、気のせい気のせい。風邪かもしれないけど……。

「そうだ、いろんな種族がいるんでしょ?」

「うん、そして、いろんな血を引く奴もいる。それが今の王」

「それはいろいろ分かるからっていう意味?」

「うーん、先代の指名とこっちの力、民衆の納得」

 抽象的な王の条件にシエールイは首をかしげる。当初弱肉強食な感じも舌が、意外と違う法則もあるとシエールイは感じている。具体的にどんな法則かまでは理解していないが、種族なのか呪術なのか、時代の積み重ねなのか。

「リューの家は有力家ってこと」

「まあ、有名かな。人間に近いところにいたから、畏怖や羨望もあるんだと思う。人間の血は魔と異なり温かいから」

 スパリューンニィがにこりと微笑むと、シエールイは思わず首に手をやる。

「人間の血で強いのではないかとか、実はまだ人間をどこかに隠しているんじゃないかって」

 しげしげとスパリューンニィはシエールイの顔を見ている。視線を逸らすが、顔が赤いのと心臓がバクバク言っているのに気付かれないと言いなと強く願う。

「夢魔や淫魔も人間好きだよ。姿が似ているから、惹かれるんだと思う。そのため、吸血族と夢魔たちと仲いいんだよね……」

「そうなんだ」

「エルは見た目、清楚だし、あいつら好きそう」

「……けふっ」

「肉食だと君は食欲の対象だから、本気で太らせたいだろうね……」

 シエールイはその件をもう考えたくなかった。

「そうだ、道歩きやすいんなら、明日からは私も歩ける……けふん」

「うん? 頑張りは嬉しいけど、車あるからそれに乗る」

 スパリューンニィは眉を寄せ、険しい顔になる。心配かけたくないので風邪気味なのは伏せておきたいが、ごまかせるかなとシエールイに緊張が走る。

「おやすみなさい……けふけふ……」

 シエールイは横になった途端に堪えられないほどの咳が出た。

「まさかと思うけど……熱いじゃないか!」

 スパリューンニィはシエールイの顔を覗き込み、額に手で触れている。ひんやりして気持ちいい。

「昨日はこんなことなかったし……確か人間の病気の、風邪ってやつだよな? この辺に人間を知っている医者いるか?」

 スパリューンニィはどうしたらいいのか必死に考えている様子だ。シエールイは申し訳ないと思うとともに、心配される心地よさに浸っていた。

「けほ……。このくらいならすぐに治る。それに、明日、車なんでしょ? なら乗っている間寝てればいいんだし」

「駄目だ! こういう時は……どうすればいいんだ?」

「家にいると気なら、部屋を暖かくして寝てる……。侍女がホットミルクやはちみつくれたり……粥や柔らかい食事になって……」

 思い出すと不安になってくる。見た目が悪いと言われてはいたが、シエールイは恵まれていた生活だったと気付くから。民も衣食住足りているが、ランクによって差があり、無駄な物を取ることができるかは別だ。

「エル、どこか痛いのかい?」

 スパリューンニィは心配して顔を覗いている。ハンカチで涙をぬぐってくれているので、シエールイはここで自分が泣いていることに気付いた。

「ううん……私、結構恵まれた生活してたと気づかされたから……。もし明日も熱あるようだったら、一泊追加してもいい?」

「もちろんだよ。君が必要な物は用意するから……。人間のための医者以外」

「ありがとう……」

 スパリューンニィはシエールイの頭をなでる。ひんやりしたスパリューンニィの手がシエールイは嬉しかった。頬に来たとき手で触れると逃がさないとばかりにしがみつく。

「……母様……」

 思い出したのは、幼い頃熱を出したシエールイを看病していた前の妃である母親の事だった。

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