ただならぬ異常事態
遅くなり申し訳ないです。
夢だ、夢を見ている。
ただ、ただ落ちる夢。
夢の中だというのにこれが夢だとわかった。抜けるような脱力感と共に何処かに落ちる。
いつ背中が地面に打ち付けられるのだろう?
もし打ち付けられたら、夢の中でも生きてはいられないのだろうか?
そもそも底は存在するのだろうか?
この脱力感は『死』からの諦めからきているのだろうか?
魔法を発動えば助かるだろう。大丈夫大丈夫大丈夫…
ただ堕ちる夢を見た。
***
新宿-西武新宿
「暑い…」
夏だ。猛暑だ。流石だ。
何匹もの狼に囲まれている少年、善華は相棒の金属製のバットを引きずり狼たちに制裁を加えていく。
「っ!これじゃいつまで経っても中野に着かない」
中野ブロードウェイ。
昔の漫画から週刊誌、ゲームを取り扱い珍しいものまで揃う店。退屈なこの世界でいくらでも欲しいがまま手に入るゲームや漫画が善華の唯一の楽しみであり、全てを諦めた善華の救いだった。
「逃げた方が早いか」
額に滲む汗を拭い、善華は駆け出す。まだ知らぬ可能性の待つ方向へ…
***
中野区-鈴自宅の自室
09:30
「んー」
なんか酷く怖い夢を見ていた気がする。確か落ちる夢だった。着地したのか、そのまま落ちたのか覚えていないが…。まあ思い出さない方が幸せな事もあるだろうし、考えるのは止めにしよう。
「喉カラッカラだなぁ…」
クーラーを点けているのにこの汗の量。ったく困った夢だぜ。とりあえず水でも飲もう。
鈴は渇ききった喉を潤すためリビングに向かうことにした。
***
今日は祝日だ。あの鬱陶しい妹と面倒くさがりやの母親が
「おはよーぅ…あれ?誰も居ない」
リビングは敢然としておりカーテンの隙間から溢れる光のみが一筋の線の様に延びていた。
しかし、鈴にはその光景が『何かただならぬ異常事態』として映った。胸中がざわついていた。
「鬱陶しくない!?」
鬱陶しくない朝!?あり得ない!?そんなもの夜斗羽家の朝じゃねぇぜ!!
夜斗羽家の朝は私が妹に起こされるところから始まる。寝覚めが悪い自分は大体時計のアラームが届かない。だから妹に頼っている。妹アラームの効果は絶大だ。ドアを蹴破る勢いで入ってきたと思うと馬乗りになり馬鹿でかい声で私への愛を唱う。考えただけでも相当鬱陶しい。その後リビングに出れば母親が『朝ごはんは~?』『まだ~?』『おせぇ…』など、うだうだ言い、着替えから仕事の持ち物の準備までさせられる次第。幼稚園ぐらいのこどもを持つ母とはこんな気持ちなのだろうか。正直朝ごはんは優梨が作れば良いと思うのだが、なんでも私の料理が食べたいとかなんとか。そのせいで…そのおかげで私の料理スキルも上々である。
これがほぼ毎日の様に続く。土日祝全てにおいて、だ。妹は特別な用事又は行事がある場合必ず私に報告する。昨日そんなものを受けた覚えはない。母は面倒くさがりだが何故か朝型でいつも7時には起きている。無遅刻、無欠席、無欠勤超健康家族である夜斗羽家のリビングの、この状況が鈴には不思議でしようがなかった。
とりあえずカーテンを開ける。明るくなったリビングにはやはり誰も居なかった。
***
騒がしい、柄の悪い連中がひしめく新宿の一角に立つ薄暗いビル。少年はそのビルで不敵に嗤っていた。
新宿-歌舞伎町のビル
「始まったみたいだね…」
ニヤァ、と何かを期待し、愉快な物を見る眼。
「楽しみはまだまだ先になりそうだ。それまで退屈だし、何をしようか…」
細く華奢な身体に黒いシャツ暗い部屋。冷房は改造されておりかなり気温が低い。もしこの少年を形容しろというならば、
『死神』
というのが適切だろう。
***
日常化されていた事柄が急に非日常に成る。そのとき、人間は変化に着いていけなくなるのだ。
現時点では、まだ『非日常』とか『超展開』というほどのものではない。
なんてことはない、
「家に誰もいない」
まじかー、なんにも言わずに二人でどこかに遊びに行っちゃったのかー。ひどいわー、私かわいそーだわー。
信じがたい感じもするが答えはそこに落ち着いた。これといった大きなイベントもなく天気も良い絶好のお出かけ日和だ。
しかし、出かけるにしても一言ぐらい言って出てもいいだろう。そんなに私を連れて行きたくないのだろうか。
てっきり異常事態かと思っちゃったじゃないか。
まあいい忘れよう。私は慈悲深いから一度ぐらいは許してやる。
何はともあれ祝日、奈海とこころは誘わずに朝から夜までぶらぶらすることにしようか。
鈴は着替える為自室に戻り、外出の準備を始めた。今日は暑そうだし涼しくて軽い服装にしておこう。
あーそれにしても早く夏休みにならないかなあ……でも受験勉強あるんだよなあ………てか志望校すら決まってないのに勉強も何も…………とはいってもやらないのはヤバい気もするし………………だあああああああ!!
やめだやめ、考えるのはよそう。これ以上マイナスになるのは良くない。夏休み前に切腹しかねない。
支度は終わった。鈴は靴を履き玄関の鍵をしめる。
「最近行ってないからブロードウェイにでも行ってみるか」
鈴はブロードウェイへの道を歩き出す。歩き出した。歩き出し大通りに出たところで異常に気付く。
無い。
そこにあるはずで、それはいつもそこに、ここに当たり前に存在していた。自分がそうであるように。今日一度も見なかったものがある。今も見えないものがある。
人が一人もいない。
車も通らない静かな大通りに一人鈴だけが立っている状況だ。