ⅩⅢ
ようやく退院したマイクは、トレブルのホールを訪れていた。
「ここも様変わりしちまったなぁ。」
大きくなった建物を見上げ一息つくと、松葉杖を突きながら中へ入っていった。
ウィルの母親から、ウィルがここだと聞き、退院したその日に会いに来たのだ。
「さてさて、かわいい甥っ子はどこかな?」
あの子にも心配かけてしまった。早くウィルの安心した笑顔を見たいものだ。
エレベーターで2階へ上がり、レッスンの部屋へとトントンと杖の音をさせながら歩いていく。
レッスンの部屋は、少し扉が開いていた。
中に誰かがいてウィルと話している。
「おや。先客か。」
マイクは、ウィルが話している人物にどこか見覚えが会った。
金髪にスーツ姿。若い男で雰囲気は優しげだ。
さて、どこで会ったか・・・。
なんとなく、部屋の中に入りにくくなって扉の向こうで先客が帰るのを待つことにした。
金髪のスーツの男はウィルに言った。
「彼は、世界を救いたいと言って、中に入ったそうだ。」
ウィルは黙って耳を傾けて聞いていた。
「ウィル、手を出して。」
金髪のスーツの男は、ウィルの手の中に、小さな瓶を置く。
「中に入ってるの?」
「残念ながら入ってないよ。」
「そう・・・。」
ウィルは両手で抱きしめた。
「願いは・・・叶わなかったんだね。」
涙声になっていた。
「彼に・・・片翼のミカエルに届くかな・・・。それとももう僕の歌さえ聞こえない地の果てなのかな・・・」
金髪のスーツの男は悲しげな顔をした。
「どうだろうか・・・・」
だが、ウィルは歌い始めた。
美しい声が静かに響く。
“なんで、そんな事しちゃったんだよ”
ウィルの歌声が空間に小さな波を立て始めた。
“でも、ほんとうは解ってるよ。だって君は救いの天使だもん。”
透き通る声が広がっていく。
優しい風のように、恵の雨のように、そして安らかな癒しの歌。
“いつも、君が見守ってるって知ってたよ。遠くからでも・・・”
ウィルは身を丸め、小さな瓶を守るように抱きしめた。
“でもさ、君がいないと寂しいよ。・・・もう一度会いたいよ・・・ねぇ、僕のミカエル・・・”
金髪のスーツの男はウィルの歌を聞きながら思った。
“彼は、世界を救いたいと言った。でも本当はウィル、君の事を思ったんじゃないだろうか。
世界は広い。漠然としている。でもあの目の見えなかった天使が回復した時、
多分、彼は一番身近な存在に置き換えて考えたんだろう。”
小さく体を震わせながら歌うウィル。歌は涙色だ。
“片翼くん。君は本当に堕ちてしまったのか?”
未だ彼は見つかっていない。
「ウィル!!どうしたんだ?」
ウィルの異変に気がついて、マイクが部屋に入ってきた。
「おじさん!」
マイクは金髪にスーツの男を睨んだ。
金髪にスーツの男は、誤解だと言わんばかりに両手を広げ、首を振ってみせた。
「そうか、ならばいい場所がある。」
マイクに連れられて3人がやってきたのは、花が咲き乱れる丘だった。
そこはマイクがまだ幼かった頃、片翼のミカエルと出会い、そして別れた場所だった。
(正確には、マイクには片翼のミカエルは見えていなかったのだが。)
「ここで、俺は小さな羽を天に返したんだ。だから、ウィルもここで歌ってみたらどうかな。」
ウィルは、こくんと頷き静かに歌い始めた。
透明感のある歌声が、風に乗り花びらを撫でていく。
花びらは、舞い上がり辺りに吹雪いた。
さらにウィルは、力強く世界を作り上げていく。
余りに心打つ歌声に、鳥肌が立つ。
ただ一心に。祈りを込めて。君を想う歌。
癒しの波が訪れたー。
片翼のミカエルは、闇を彷徨っていた。
サリエルにやられた背中の傷が痛んだ。
金の翼は光となって消え、片方の天使の翼も動かす事ができない。
「このまま、消えてしまうのだろうか。」
目を閉じた。ウィルの顔が浮かんだ。
“暗闇が怖いの?”
「あぁ、闇は怖いさ。」
“光や色という感覚はよくわからない。”
「あぁ、そうだったな。」
片翼のミカエルは苦笑いをした。
“でも、声や気配はわかるよ”
「ウィルの感覚は、素晴らしいな。
耳を澄ますと、君の歌声が聞こえてきそうだ。」
懐かしそうな顔でクスリと笑った。
「圧倒的な歌声だった。」
本当に聞こえた気がした。
ウィルの歌声は、透明だが空間を作っていた。
「!?」
片翼のミカエルは、足元に波を感じた。
“親切な女の人が、僕たちを気にして助けてくれたんだ。
手を探したら、誰かがその手を差し伸べて握ってくれた。”
いつかのウィルの言葉が蘇る。
「ウィル?」
片翼のミカエルは、暗闇から手を伸ばした。
指先に何かを感じた。そして、ぎゅっと握られた小さな手。
「!!!」
片翼のミカエルは、目を見開いた。
“だから人の温もりがある“その手”が好きなんだ。”
ウィルの口癖だ。
「わかるよ、ウィル!今なら本当の君がわかる!」
片翼のミカエルは泣いていた。
確かに不便な事は多い。
でも、それは人のちょっとした優しさがあればカバー出来る。
本当に必要なものは、光の泉の雫じゃなくて、温かな気持ちこそ、この世に必要なものかもしれない。
「あぁ、そうだね。僕は君を救おうとしたけど、ほんとうは逆だったんだね。
君が、僕に本当のこの世の幸福を教えてくれた。
ありがとう、ウィル。」
二人の握った手が透明色に変わる。
片翼のミカエルの背に、今度は無色透明の翼が蘇った。
大天使:大天使ミカエル。四大天使であり天使の長。栄光の天使の一人。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教で出てくる。天使と言えば“ミカエル”断トツの信仰がある。ここでは、片翼のミカエルと混合しないように、敢えて“大天使”と呼ぶ。
ガブリエル:神の言葉を伝える告知の天使。唯一の女性天使であると言われている。四大天使でユダヤ教、キリスト教、イスラム教に出てくる。彼女もまた栄光の天使の一人。
ラファエル:癒しの天使。医療関係を司る。彼もまた四大天使でありユダヤ教、キリスト教、イスラム教に出てくる。栄光の天使の一人。
ウリエル:本編ではタルタロス(地獄)へ出張したきり帰ってきてないが、彼も4大天使の一人で“神の光”または“神の火”を司る。
ユダヤ教、キリスト教に出てくる。
サリエル:死の天使。また月の支配権も委ねられている。“神の命令”を司り、誘惑に負けた天使を堕天させる役目を持つ。大きな鎌と邪眼があり、人の霊魂を見守る一方で、癒しの天使でもある。




