第2話 辺境の元傭兵
見渡す限り広がる大草原。
その中にある、とても小さな畑。
「やった! やったぞ! 理想のトウモロコシが収穫できたぞ!」
俺がこの地で農作物を作り始めて、早一年が経過した。
当初は農作業なんて全く分からなかったが、寝る間を惜しんで勉強に励んだ。
そして、試行錯誤を繰り返した結果、ようやく理想のトウモロコシを収穫することができた。
「でも、まだだな。もっと旨いトウモロコシを作ることはできるはずだ。これからも勉強は続けよう」
俺は自分の畑を見渡す。
今はトウモロコシの他に、レタス、ジャガイモ、小麦が育っている。
これまでいくつかの農作物を作ったが、まだ一度も失敗はない。
まさかこの俺に、農作業の才能があるとは思わなかった。
「今日は収穫祭だ!」
収穫を始めると、突然太陽が遮られた。
小さな畑が影で覆われる。
俺はすぐに上空へ視線を向けた。
「魔竜か……」
雲一つない大空を、巨大な魔竜が羽ばたいている。
この地は広大な草原が広がる肥沃な大地として知られているが、魔竜の領地とされており『魔竜領』と呼ばれていた。
どの国も喉から手が出るほど欲しい魅力的な土地だ。
しかし、魔竜がいるため人類は進出できない。
歴史を振り返ると、各国は過去幾度となく魔竜領へ侵攻したが、全て返り討ちにされた。
各国が手を結び、連合国として侵攻したこともあったそうだが、それでも魔竜には敵わなかったという。
一年前の事件で傭兵を引退した俺は、この地に移り、家を建て、井戸を掘り、畑を耕した。
時折今のように魔竜が頭上を飛ぶが、特に実害はない。
これくらいの小さな規模であれば、魔竜も見逃してくれているのだろう。
魔竜にとって、人間一人なんて塵にも値しないはずだ。
もし仮に襲われても俺一人だし、自己責任で済む。
「まあ、襲われたらその時考えよう」
俺は全ての農作物の収穫を終えた。
畑の隣に作ったレンガ製のバーベキューコンロに、薪を入れて火をつける。
そして、鉄製の網の上に、収穫したばかりのトウモロコシを並べていく。
しばらく待つと、香ばしい匂いが広がった。
トウモロコシの粒に焼き色がつき始めたので、塩を軽く振って豪快にかぶりつく。
「熱っ! 熱っ!」
一粒一粒から溢れ出る甘み。
野菜がこれほど甘いとは信じられない。
振りかけた塩と、トウモロコシ本来の甘みが完璧な調和を生み出す。
「うっま! 最高だ!」
試しに焼いた三本を、一瞬で食べきってしまった。
今日の夕飯もトウモロコシでいいだろう。
何本でも食べられる。
トウモロコシに満足した俺は、ジョッキの水を飲み干した。
「さて、素振りをやるか」
日課の素振りだ。
傭兵を引退しても、この素振りは毎日続けている。
畑の隣に建てた小さな納屋から、素振り用のクレイモアを取り出した。
クレイモアの長さは地面から俺の肩まである大剣だ。
当初は持つことすら大変だったが、今は重りをつけて、通常のクレイモアよりも数十倍も重くしている。
「これも片手で持てるようになったからな。そろそろ重りを増やすか」
空を見上げると、太陽は頭上を少し過ぎた位置にある。
素振りは夕方までに終わるだろう。
「よし、始めるか」
俺はクレイモアを両手で構え、足を広げて素振りを始めた。
「一、二、三――」
***
「――九千九百九十八、九千九百九十九、一万。ふうう」
クレイモアの剣先を地面におろし、タオルで額の汗を拭きながら空を見上げた。
「なんだ、まだ夕焼けも始まってないのか。じゃあ、あと千回やるか」
俺はもう一度クレイモアを握った。
「裏切らないのは努力だけだ。一、二――」
夕焼けが始まる頃に素振りを終え、納屋にクレイモアをしまい、畑を片付けた。
見渡す限りの草原を、夕日が赤く染める。
ベンチに座り、夕日が織りなす自然のショーを楽しむ。
「本当に……美しい」
戦場で見た、血塗られた汚泥とは違う。
人間の欲望が渦巻く汚い世界には、もう二度と戻りたくない。
自然が作り出す高潔な美しさが、俺の心を癒やしてくれる。
この地にあるものは、俺が作った小さな畑、バーベキューコンロとテーブル、井戸、納屋、そしてログハウスだ。
ここは村でも街でもない。
俺が一人で住んでいる。
「一人は楽だ」
傭兵時代に見た、欲望を剥き出しにした人間の醜悪さに嫌気がさして、俺は誰もいないこの辺境の地に移り住んだ。
「もう人間と関わるのはごめんだぜ」
傭兵歴は長いから、生きていく知恵はある。
分からないことは勉強すればいい。
一人だったらどうとでもなる。
俺ももう四十三歳だ。
このままここで余生を過ごす。
「さて、夕飯を作って風呂に入るか」
俺はログハウスの扉を開けた。
★☆★☆★
翌朝、日の出と同時に起床。
ベッドから起き上がり、外へ出る。
「くうう!」
身体を大きく伸ばしながら、空を見上げた。
雲一つない晴れ渡った青空が広がる。
朝日に照らされた草原が風になびく。
黄金の絨毯にしか見えないほどの美しさだ。
井戸の水を汲み、外で顔を洗う。
この開放感がたまらない。
「朝飯の前に、少しだけ素振りでもするか」
クレイモアを取り出し、素振りを三千回行った。
「ふう、んじゃ飯にすっかな」
ふと畑に目を向けると、小鳥たちがトウモロコシをつついている。
俺は昨日の収穫で、小鳥の餌となるように、わざとトウモロコシを残していた。
狙い通り、小鳥たちも喜んでくれている。
「どうだ、旨いだろう? ん?」
小鳥を眺めていると、いつもと景色が違うことに気づいた。
畑の後ろに壁のようなものがある。
「こんなところに壁?」
俺はゆっくりと視線を上に向けた。
「は? 待て! 待てって!」
清々しい朝が終わりを告げた。
いや、俺の人生が終わるかもしれない。
そこにいたのは家よりも巨大な生物。
「ま、魔竜!」
畑に魔竜が出現した。
「くそっ!」
俺はすぐにクレイモアを手に取った。
刃がない素振り用だが、これで戦うしかない。
愛用のクレイモアは家の中にある。
しかし、クレイモアを取りに行っていると、家ごと破壊されてしまうだろう。
俺はクレイモアを構え、腰を落とした。
魔竜は巨大な翼を広げ、長い尻尾を大地に投げ出し、大木よりも太い二本の足で立っている。
その高さは家どころか、城壁をも超えるほどだ。
全身を緑の鱗に覆われ、腹は白い。
頭部には二本の角が生えている。
この角だけでも人の身長より長い。
「間近で見ると、なんつーデカさだ!」
これまでは上空を飛ぶ魔竜しか見たことがなかった。
魔竜の恐ろしい瞳が、俺を捉えている。
黒い眼球に深緑色の瞳孔は、恐怖を通り越えて美しささえ感じるほどだ。
「グゴォ」
魔竜は俺を一瞥すると、巨大な鉤爪でトウモロコシを指差した。
俺のクレイモアよりも長い鉤爪。
あんなもので切られたら、俺の身体は真っ二つになる。
だが戦うしかない。
「グゴォ」
「ん? な、なんだ?」
何度もトウモロコシを指差す魔竜。
冷静に考えてみると、俺を襲う気ならとっくに家ごと潰しているはずだ。
この巨体はそれを可能にする。
それをしないということは、何か目的があるのだろう。
「グゴォ」
魔竜が指差すトウモロコシは、小鳥がつついている。
「グゴオォォォォ!」
「うわっ!」
突然、大地が震えるほどの咆哮を上げた魔竜。
あまりの音の大きさに、俺は顔を伏せながら耳を塞いでしまった。
小鳥たちも逃げていく。
「小鳥が食い尽くすだろうが! このバカ者が!」
「は?」
突然、目の前に若い男が現れた。
トウモロコシを指差しながら、怒鳴っている。
「え? だ、誰だ?」
俺は周囲を見渡した。
巨大な魔竜の姿が消えている。
「貴様! 聞いているのか!」
俺に向かって若い男が怒鳴る。
髪色は鮮やかな新緑のような緑色で、瞳の色は吸い込まれそうな深緑色だ。
高身長の俺でも、少し見上げるほど背が高い。
体格は締まっており、筋肉質ということが服の上からも分かる。
「な、何者だ?」
「いいからトウモロコシを食わせろ!」
「トウモロコシ? 何を言ってる? お前、何者だ?」
俺はクレイモアを握る手に力を入れた。
不審者なんて殺られる前に殺るのが鉄則だ。
「早く食わせろ!」
若い男は怒鳴りながらトウモロコシを指差した。
「こちらの質問に答えろ。でないと殺す」
「私を殺すだと……? やってみろ人間風情がっ!」
人間風情?
お前も人間だろう。
こいつは何を言ってるんだ?
「……まさか」
しかし、それしか考えられない。
「まさかとは思うが……。お前、魔竜か?」
「はあ? どう見てもそうだろうがっ! 無知な貴様にもう一度見せてやるわっ!」
旋風が起こると、若い男が突然魔竜の姿に変わった。
「マ、マジかよ!」




