中編
あれからミランたちは、場所を移動した。目的地は、サンランドが先んじて使用許可を取っておいた教室。
到着後、整理整頓されている教室内の椅子に腰かけるミランはぐったりとしていた。机に突っ伏してしまいそうな少女に、少年は遠慮がちに言葉をかける。
「大丈夫ですか?」
「…そう見えますか?」
疲労感をたっぷり漂わせ質問を返すミランに、サンランドは何も言えなかった。彼の後ろでは、サンランドの友人たちが申しけなさそうに身を縮こませている。
この教室に来るまでの間、ミランとサンランドに集まる視線の数は凄まじかった。好奇の目にさらされるだけでも居心地が悪いというのに、それを更に悪化させたのが何を隠そうこの令息たちだ。
『ミラン嬢がお通りだ! 道を開けろ!』
『ミラン嬢の気が変わらねぇ間に、移動を完了させるんだ!』
『ささ、ミラン嬢。行きましょう!』
従者のようにミランを先導する三人の令息。彼らの大声のせいで、この騒動に集まる視線の数が一気に増加した。珍事に群がる生徒たち。それによって進むことが困難となった廊下ではあったが、令息たちの必死の形相が道を塞ぐ者たちを、ササッ! と廊下の端に追いやっていった。見通しはいいが、全方向から視線が突き刺さる道。そこを歩まされるミランの心労は計り知れない…
「人の名前を何度も大声で呼んで…恥ずかしい」
「「「申し訳ありませんでした」」」
直角に近い角度まで、深々と頭を下げる令息たち。
素直な彼らに悪意はない。だが、彼らがミランの名前を連呼したことによって、この騒動の中心人物が自分であると多くの生徒たちに知れ渡ってしまった事実もある。これからの学園生活を想像し息をこぼすミランに、令息が恐る恐る問いかける。
「あの、ミラン嬢…プレゼンを聞く気を失くしたりはしてないよな…?」
「安心して下さい。サンランド様のご説明はきちんと聞きます」
その言葉に令息たちの顔が一気に輝いた。
「さすが、ミラン嬢! コイツが惚れるだけはある!」
「サンランドの言う通りだな。責任感がある、素晴らしい令嬢じゃねぇか!」
「こんな素敵な女性との婚約を破棄するなんて…ジャルス殿は頭が足りないようですね」
うんうん、と令息たちは首を大きく縦に振る。真正面から向けられる自身への称賛の言葉に、ミランの心はむず痒そうに震えた。気恥ずかしさのあまり顔を伏せてしまうミランを、サンランドはじっ…と静かに見つめる。
想い人を凝視している少年を令息の一人が小突いた。
「見すぎだ、バカ」
「無言で見つめるな…怖ぇよ」
「ご令嬢に対して、失礼ですよ」
「可愛い彼女をこの目に焼き付けているだけです」
小言を一蹴するサンランドに、友人たちは呆れ半分、微笑ましさ半分といった表情だ。
「ったく、コイツは…じゃあ、俺らは行くからな」
「練習の成果、ちゃんと出せよ。失敗しても俺らにあたるんじゃねぇぞ」
「ではでは、後は若いお二人で…ということですね」
含み笑いを交えてサンランドの計画の背を押す三人は、そそくさと教室を出た。
シン…と静まり返る部屋。沈黙が漂う空間に少女のか細い息が落とされる。ミランは乱れた心を整えると、この騒動の真の元凶であるサンランドと改めて向かい合った。
「それでは、サンランド様の婚約者になると得られる利点についてのプレゼンを始めていただけますか?」
「もちろんです。では…改めて、こちらの資料をお渡しします」
分厚い資料を再び取り出すサンランド。ずっしりと重い紙束を受け取ったミランの顔が歪む。
(これって、本当に告白なのかしら?)
怪訝な表情のミランの心を見透かしたようにサンランドの口が動く。
「先に言っておきますが…」
眼鏡のブリッジを上げながら発するサンランドの声は、どこか重々しい。
「僕は、あなたを…ミラン嬢のことが、本気で好きです。そのことだけは、どうか忘れないで下さい」
漆黒の瞳に射貫かれた瞬間、ミランの心臓が不自然に跳ねた。トクン、トクン…と心臓の音が耳元で鳴り響くような未知なる感覚と、頭の中が茹だりそうなほどの熱。その全てがじわじわとミランを侵食していく。
(信じ切ってはダメよ。相手は公爵家の人間…からかっている可能性は、まだ捨てきれない)
高鳴る心音を消し去るように、ミランは胸を強く握りしめる。
その姿は、傷ついたばかりの心を守るかのようだ…
ミランは大きく深く呼吸をし、思考を鈍らせる熱を体外へと追い出した。平温に戻りつつある脳内は冷静さを順調に取り戻していく。
(でも、彼の誠意にはきちんと向き合わないと…)
疑心はあるものの、サンランドの声音や瞳は真剣そのものだ。そんな彼の誠実な姿勢を無下にしないため、ミランは琥珀の瞳を真っすぐ彼に向ける。ミランの真摯な眼光に応えるため、サンランドの顔もより一層引き締まった。
カチャッ、と眼鏡のブリッジを上げ、サンランドはゆっくりと開幕の合図を放つ。
「それでは、プレゼンを始めていきます」
「お願い致します…!」
緊迫した空気が漂う空間。今からこの場で行われるのは“愛の告白”だと、誰が信じるだろうか。しかも当事者である二人の表情が至って真剣だというのが、客観的に見ると滑稽でもある。
「まずは僕の家族構成から紹介いたします。資料の四ページ目をご覧ください」
ミランは手元の資料に手を伸ばした。指定されたページを開くと、家系図と共に家族写真らしきものが掲載されている。
「ニックリ家は僕を含め、六人です。両親と、歳が離れた双子の弟、そして飼い犬がいます」
犬を家族の一人として、きちんと数に含めるサンランドにミランは好感が持てた。サンランドの人柄を感じながら、ミランは彼の家族をじっくりと見ていく。写真の中の人物たちは、皆とても穏やかに微笑んでいて家族仲がとてもいいことが伺えた。
暖かな写真にミランの頬が緩んだ瞬間、眼鏡の奥の瞳がキラリッと輝く。サンランドはおもむろに懐に手を入れると、二通の手紙らしきものを取り出した。
「実は、母上からの手紙を預かっておりまして…」
「こ、公爵夫人から!?」
ミランの体に緊張が走る。自分より遥か高位にあたる人物から手紙をもらう機会などあまりない。ましてや、今回の件は公爵家の未来にも関わってくる内容。緊張するな、というのが無理な話だ。
「読み上げてもよろしいですか?」
ミランはぎこちなく頷いた。承諾を得たサンランドは喉の状態を整えると、ゆっくりと文字を読み上げていく。
『初めまして、サンランドの母です』
サンランドの女性を模した声。ミランは驚きはしたものの、サンランドにふざけている様子がなかったため、そのまま手紙の内容だけに意識を集中させることにした。
『今回の息子の婚約の話だけど…私も主人も大賛成です。爵位なんて関係ありません。あなたのような素晴らしいお嬢さんを、ニックリ家に迎えられる日を私たちは心待ちにしております。無愛想な息子だけど、あなたを好きだという気持ちは本物です。どうか検討してやってください』
「公爵夫人…」
公爵夫人の言葉を暖かな言葉を反芻し、ミランは感嘆の声を漏らす。
『追伸』
「追伸?」
まさかの続きに、ミランは目をパチクリさせた。
『うちには娘がいないから、ミランちゃんみたいな可愛い子が嫁いでくれたらとっても嬉しいわ! 実はミランちゃんに着てほしいお洋服とかを、すでに何着か用意しているの。だから、いつでも我が家に遊びに来てね! ミランちゃんとお茶を飲みながら、ゆっくりとお話できる日が今から待ち遠しいわぁ』
手紙の内容を読み終え、サンランドは眼鏡のブリッジを上げた。
「以上です」
どこかやり切った空気のサンランド。それに対し、ミランは唖然としている。少女の表情に、少年の首が傾く。
「何か?」
「…サンランド様って裏声、お得意なんですね」
「練習しましたからね」
胸を張るサンランドはどこか得意気だ。恐らく先ほどの友人たちの前でも、この手紙を読み上げる練習をしたのだろう。公爵夫人になりきって手紙を読み進めていく彼に向ける、令息たちの反応はどんなものだったのか…その光景を想像したミランは小さく笑った。
(真面目な人)
どんなことにでも全力であるサンランドに、ミランの心の固い部分が解されていく。上品に微笑む彼女へ、サンランドはもう一通の手紙を差し出した。
「双子たちからは、これを預かってきました」
手紙を受け取ったミランは、サンランドに問う。
「拝見しても?」
「もちろんです」
二通目の手紙は耳ではなく、目視で確認するようだ。ミランは丁寧に手紙を開くと、中身の文字に目で追った。
『ねぇねへ はやくにぃにのおよめさんになってください。いっしょにあそびたいです。すこぷもあります』
用紙いっぱいいっぱいに書かれた、拙い文字。“すこぷ”なるものの正体やお嫁さんと飛躍した内容が気にはなるが、子供らしい元気いっぱいの文面にミランは慈しみを抱く。クレヨンで書かれたであろう真っ直ぐな想いを、ミランはそっ…と指でなぞった。
「最近、字を書けるようになったんです。まだ、未熟な部分もありますけどね」
「とてもお上手ですよ。この文末にある判子のようなものは手作りですか?」
「それは、肉球です。うちの犬が、双子に賛同するという意味で自主的に押していました」
「自主的に!?」
ミランは再度文末へ目を向ける。公爵家の犬の実力に、ミランは驚愕することしかできない。そこへ畳みかけるようにサンランドはプレゼンを再開させた。
「僕と婚約すれば、未来の公爵夫人になれるうえに、こんな素敵な人たちと家族になれます。そしてミラン嬢の素晴らしいご家族にも、微力ですが僕がお手伝いしましょう」
「お手伝いですか?」
ミランの疑問を、サンランドは丁寧に紐解いていく。
「まだ学生の僕では、伝統あるノーブル家の事業を手伝うことは難しいでしょう。しかし、あなたのお父様の趣味である家庭菜園のことでしたら、この若い肉体が役に立ちます」
「父の趣味を知っているのですか…?」
「もちろんです」
大きく頷くサンランドに、ミランの心が固くなっていく。
ミランの両親は、あまり貴族らしくない価値観を持つ人間だった。煌びやかな装飾や社交界などには強い興味を示さず、どちらかというと瑞々しい野菜や田畑で汗を流すことを好んだ。幼い頃のミランがその理由を問えば―
『豊作だったら領民にも配れるし、今後の蓄えにもなるだろ? 皆がお腹いっぱいになれるなんて、素敵じゃないか』
そう穏やかに答えたのだ。
領民を大切にして優しい両親が、ミランは大好きだった。ジャルスと婚約したのも、両親や領民のためだ。だから、サンランドが両親のことを少しでも軽んじるような発言をするのなら…高位貴族相手だろうとそれなりの返答をしよう、とミランは軽く戦闘態勢に入る。
顔を強張らせるミランの予想に反して、サンランドは弾んだ口調で話し続けていく。
「素晴らしい趣味ですよね。家庭菜園は食育の一環としても注目されつつありますし、何より野菜の研究にもなります。実は僕も興味はあったのですが、詳しいことを知っている人と出会う機会がなくて…ノーブル男爵には、今後とも是非様々なことをご教授いただき、学ばせていただきたいです」
蔑みどころか、瞳をキラキラと輝かせるサンランドに、ミランはポカンと口を開けてしまった。
「…サンランド様は、家庭菜園をする父を否定されないのですか?」
「何故です? 自然と触れ合い、尚且つ食料不足問題の解決にも繋がる…ノーブル男爵を称賛するならまだしも、否定する要素が僕には見つかりません」
きっぱりと言い切るサンランドからは、嘘の匂いが微塵も感じない。
「家庭菜園の話を我が家でしたら、父も母も興味を持ってくれました。双子にいたっては、すでに手伝う気満々で…最近ではスコップを持って寝ています」
「もしかして、手紙の“すこぷ”って…」
「恐らく、スコップのことだと思います」
苦笑気味な回答のおかげで、手紙の不明点が解明された。謎が解けた爽快感と共に、ミランの頭に浮かび上がるのは子供用の小さなスコップを握りしめながら眠る、双子たちの姿。
(なんて可愛いのかしら)
空想の双子の愛らしさに、ミランの顔が緩む。目元をほころばせるミランに、サンランドは目を見張らせる。そして、ミランから視線を逸らすと拳を握りしめた。
「弟たちよ、兄は頑張るぞ」
ボソリと、零れた決意。微かすぎるその音に、ミランが気付くことはなかった。
サンランドは一つ咳払いをすると、本題へと話の軸を戻す。
「では次に進みます。ニックリ家と縁が繋がったノーブル家のメリットについてです」
「は、はい!」
先ほどよりも意気込むサンランドの圧に、ビクッとミランの肩が跳ねた。
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