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前編

「好きです」


 真っ直ぐに向けられた瞳は、吸い込まれそうなほど美しい黒だった。


 貴族の跡継ぎたちが通う学園の廊下にて、突然行われた愛の告白。周りにいる生徒たちの視線を一身に浴びながらも堂々としている彼はこの学園でも有名な公爵家の令息だ。


 サンランド・ニックリ。黒檀の髪は風が吹けばサラリと揺れ、眼鏡の奥にある闇夜のような漆黒の瞳は知性に溢れている。


 彼の知名度が高いのは、そのミステリアスな容姿も要因の一つだが、最大の理由としてはその優秀さにあった。座学・実技共に、入学当初から常に学年で三本の指に入る成績を納め続けている。けれど、彼自身がそれを鼻にかけることは決してなかった。冷静さを常日頃としている彼の感情が大きく表に出ることは滅多にないため、一見冷徹そうな性格だと感じるだろうが、そんなことはない。困っている者がいれば声をかけ、共に頭を悩ませ解決の道を提案するといった面倒見の良さがサンランドにはある。


 つまるところ、容姿・家柄・頭脳・人柄…その全てが素晴らしい彼は秀才と呼ばれ、多くの生徒の憧れの的であった。


 そんな秀才と詠われるサンランドからの告白を受けたのは、一人の男爵の娘。


 琥珀の瞳の近くあるそばかすが少しばかり目立つ、ブラウンの髪を三つ編みにしている少女。名をミラン・ノーブルという。


 サンランドから告げられた愛の言葉に、ミランは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに眉間にしわを寄せた。


「…何かの遊びですか?」


 喜びではなく、あからさまに不快感を出すミラン。だが、秀才ことサンランドは冷静に対応する。


「君ならそう言うと想定していました」


 カチャ、と眼鏡のブリッジを上げる余裕たっぷりなサンランドの態度は、ミランの苛立ちを増幅させた。だが、相手は公爵家。男爵家であるミランよりも遥かに高位の貴族だ。ここで感情任せに声を荒げては、両親に迷惑がかかる。


 ミランは一つ呼吸をすると、感情を殺した声で言葉を淡々と放っていく。


「予測していたのなら、もういいですよね。申し訳ありませんが、そういった趣味の悪い遊びに付き合うつもりはありません」


 フンッと、踵を返そうとするミランの耳に、周りの生徒たちの囁き合う声が聞こえてきた。


「きっつ~、話くらい聞いてやったらいいのに」

「だよなぁ。あんなんだから、婚約者に逃げられるんだよ」


 嘲笑交じりの言葉は、先日ついたばかりのミランの心の傷を呼び起こす。


 ミランには、同じ年のジャルス・ベブラという婚約者がいた。“いた”という過去形の言葉で、ある程度の事態は想像できるだろう。


 お察しの通り、ミランとジャルスの婚約は解消された。しかも、ミランがジャルスから一方的に婚約破棄を言い渡されるという、最悪の形で…


『ミラン、お前との婚約は破棄だ。俺はこの愛らしいアリエナと将来を歩む』


 ジャルスは隣にいる庇護欲をかき立てられる小柄な少女の肩を抱き寄せた。アリエナと呼ばれた少女は、しなだれるようにジャルスの胸へもたれかかると、ミランに向けて勝ち誇った笑みを向ける。


 突然の出来事にミランは目を見開くが、不思議とそこには衝撃も悲しみもなかった。


『…それはヘブラ家も承諾していることなのでしょうか?』


 婚約者の浮気に動揺せず、事務的な声音で貴族としての質問を投げかけるミランにジャルスの眉が寄る。


『こんな時でも、家のことか…少しは、悲しんだりできないのか?』

『何故? 私とジャルス様の婚約は、家同士が決めた政略的もの。そこに愛が無いのは、互いに知っているはずです』

『相変わらず可愛げのない女だ』

『えぇ。さぼり癖と押し付け癖がある、ジャルス様の素行の悪さの賜物ですわ』


 口調は微笑んでいるミランではあるが、琥珀の瞳には明らかに怒りの炎がゆらゆらと揺れていた。


 愛のない婚約でも、信頼関係は築いていける。そう信じ、ミランはジャルスの素行不良を注意しつつ、彼の不始末の尻拭いをずっとしてきた。だが、それもすべて無駄だったようだ。


 子猫のように擦り寄るアリエナの頭を、信じられないほど優しい手つきで撫でるジャルス。一応まだ婚約者である自分の前で、堂々と恋人同士のように寄り添い合う二人を目の前にした時、ミランの疲労は器から溢れてしまった。


『もう疲れてしまったわ…』


 ポツリ…と零れた声は弱々しく、誰の耳にも届かない。


 ジャルスの理想とする女性像とミランは真逆。だから彼が自分に歩み寄ることはなかった。そう自己完結させるしか、ミランの苦労を癒やす方法はない。


 ミランは両親に心の中で謝罪しながら、ゆっくりと口を開いた。


『…分かりました、婚約破棄を受け入れます。ただし、一方的に破棄を言い渡された上に浮気までしていたのです。ヘブラ家にはそれ相応の慰謝料を―』

『ごちゃごちゃと、最後まで口うるさい奴だな!』

『口うるさいって…私は、家名に泥を塗るような行為をした責任の話を―』

『そういうのが、鬱陶しいんだよ!!』


 ピシャリと切られた言葉たち。ジャルスの苛立ちを孕んだ視線と声に驚き、ミランの体が跳ねた。だが、ここで引き下がってはいけないと怯えをすぐさま取り払う。


『鬱陶しくて結構です。私は、間違ったことを申しておりません』


 心の強さが現れた彼女の真っ直ぐに伸びた背筋に、ジャルスは一瞬怯んだ。だが、すぐに元来の傲慢さを取り戻すと、ニヤニヤと下品極まりない笑みを浮かべ、ミランを指で突き刺す。


『とにかく、お前との婚約は破棄だ。父上には俺から言っておく。お前も、さっさと実家に新しい婚約者探しを願っておくんだな』


 吐き捨てるようにそう言うと、ジャルスはアリエナと共に去っていく。歩行を害するほどにベタベタしている二人を、ミランは表情一つ変えずただ一人静かに見送る。


『気が強くて、小言も多い、傷もの男爵令嬢…そんな女と婚約したい物好きが現れることを、祈っておいてやるよ』

『ジャルス様ったら…そんな現れもしない人のこと言ったら可哀そうですよぉ』


 クスクスと嘲笑と共に放たれた言葉。それは鋭利な刃となり、ミランの胸に深く深く突き刺さった。それでも、彼女は顔色一つ変えない。声も態度も荒げない姿は、凪いだ水面を思わせるほどに凛としていた。だが、その拳は震えるほどに強く握られている。まるで、心の傷を手の平へと逃がしているかのように―


 不快でしかない記憶の海から、現在へと意識を戻したミランは再び手を強く握りこむ。


 絶妙に聞こえてくる声で交わされている会話は、砕けた硝子のようだ。チクチクと、興味本位で胸の傷を広げようとする生徒たちの悪意から退避するため、ミランは意識を前方のみに向けた。


 ミランが一歩踏み出した瞬間、サンランドの大きな手が彼女の細腕を掴んだ。


「…まだ私にご用でしょうか?」

「遊びではありません」


 サンランドの真剣な瞳に、ミランの胸は不覚にもドキリと跳ねた。


「数日前、婚約破棄を受けた貴方が傷心中なのは知っています」

「だったら放っておいて―」

「だからこそ、その傷に付け入るチャンスではないかとも思っています」

「なっ!?」


 サンランドの強かさに、ミランの目が見開かれる。驚愕によって生まれた隙を、サンランドは見逃さず更に言葉を続けた。


「あなたは、自身を着飾ることに強い関心がない。そんな気高い人に、家の財力を見せつけるような高価な装飾品や無駄に大きな花束を贈っても、嫌悪感しか抱かないでしょう…なので、僕の婚約者である利点及び特典をプレゼンさせて下さい」

「は?」


 何が“なので”なのか、ミランには理解ができない。聞き馴染みのない言葉の羅列にポカンとしている彼女になどお構いなしに、サンランドはキラリッと漆黒の瞳を輝かせ眼鏡のブリッジをあげた。


「ミラン嬢は現在、異性に対しての不信感が最高潮のはず。そんなあなたにどれほど強く想いを告げても、所詮は形のない不確かな愛だ、と片付けられてしまう。つまり、告白が成功する可能性は極めて低いということ…ですから、まずは僕の実家であるニックリ家に興味をもってもらい、心の距離を近づけます。僕自身のことには後ほど関心を向けてもらう、というのが最適かと思いまして」

「……何を言っているの?」

「こちらが資料です」


 どこから取り出したのか、辞書ほどの分厚さがある紙の束を手渡してくるサンランド。反射的に受け取ってしまったミランの視界に飛び込んできたのは、資料の題名と思われる大きく太い文字。


 “ミラン・ノーブルにサンランド・ニックリを知ってもらおう大作戦! 改訂版”


 資料をまじまじと見た後、ミランの琥珀の瞳がゆっくりとサンランドへと向けられる。


「最終目標は結婚です。いかがでしょうか?」


 カチャッと、ブリッジを上げるサンランド。その自信たっぷりな漆黒の瞳を見た瞬間、ミランのこめかみに筋が走る。


「私を馬鹿にしているの?」

「僕は真剣です」

「婚約破棄を受けた傷物の男爵の娘なら、公爵家の告白に飛びつくだろう…そう思ったのですか?」

「いいえ。あなたはそんな愚かではありません」

「ハッ!」


 ミランは自嘲気味に笑った。


「ならどういうつもりですか?」

「あなたのことが好きだからです」


 飾りのない言葉と真っ直ぐな瞳。ミランは言葉を詰まらせたが、すぐに頭を振り甘い考えを追い出す。


「馬鹿馬鹿しい…こんな気の強い女をからかうなんて、随分とお暇なんですね」

「何度も言いますが、僕は真剣です。それと、あなたの芯のある性格…僕は気高く素晴らしいと思っています」


 漆黒の瞳の奥に灯るのは、慈愛の灯火。声が纏う感情は穏やかで、共に送られてきた柔らかな火は、ミランの顔を熱くさせた。


「と、とにかく、こんな傷物令嬢に構わないで下さい」


 熱を返品するかのように、ミランは資料をサンランドへと叩き返す。ほんのりと染まる頬を見られないように、急いで背を向けると意識を前へと向けた。


「待つんだ、ミラン・ノーブル」


 改めて立ち去ろうとしたミランを呼び止める固い声。


 声のほうに視線を向けると、そこには三人の少年がいた。突如として現れ、壁のようにミランが進もうとした道を塞ぐ彼らは、サンランドといつも一緒にいる令息たち。サンランドの友人たちの予想外の登場に、ミランは思わず息を飲んだ。


 先ほどまでのミランとサンランドの会話を見ていたであろう、彼らから放たれる言葉は大方予想がつく。男爵令嬢如きが公爵家の令息の申し出を無下にした…そういった内容の罵声が飛んでくるであろうと、ミランは覚悟する。


 硬い表情で身構えるミランに、三人の令息たちは同時に勢いよく腰を曲げた。


「頼む! コイツのプレゼン、聞いてやってくれ!」

「俺たちもう限界なんだよ!」

「ミラン嬢、どうかお願いします!」


 深々と頭を下げる三人に、周りがざわつく。それもそのはずだ。サンランドほどではないが、彼らは全員それなりに優秀で、家柄も高位の貴族。そんな三人が下位の爵位である者に頭を下げ、懇願しているという異例すぎる光景。普通の者ならば驚愕するに決まっている。


 そんな注目の的の中心人物であるミランは、何が起こったか脳が理解が追い付いていないようだった。ただ目を見開いて、令息たちを眺めるミラン。混乱している彼女を前にした令息たちは、ミランの足が停止した好機を逃しはしなかった。ここぞとばかりに、令息たちは口々に事情を説明していく。


「コイツ…練習したいからって、俺たち相手に何回もプレゼンするんだよぉ」

「何が悲しくてコイツのお家自慢を聞かないといけないんだ…」

「うちとの格差がすごすぎて、心が折れそうです…」


 おいおいと泣く令息達。それとは対称的に、サランドは平然としている。


「見返りとして、ちゃんと勉強を教えてあげたでしょう」


 ボソッと呟かれたその言葉に、令息たちの顔が一斉にサンランドへと向けられた。


「確かにな! ありがとよ! でもなぁ、限度ってものがあるわ!」

「助かってはいる! しかも、毎回意見を求めてくんじゃねぇよ! この腐れ眼鏡!」

「そうだ、そうだ! 勉強は分かりやすくて、有難いですけどね!」


 文句を言いながらも、きちんと礼は告げているあたり彼らの性格の良さが伺える。とはいえ、令息としてあるまじき暴言を人前で吐いてしまうくらい、彼らは疲労しているのだろう。ミランは彼らに少し同情してしまった。


 ギャイギャイと騒がしい友人たちの抗議の声など、全く意に介していないサンランド。令息たちは再びミランへと、嘆願する。


「ミラン嬢! 鬱陶しいかもしれないが、人助けだと思ってプレゼンを聞いてやってくれ!!」

「頼む! このプレゼン練習地獄から救ってくれる女神は、君しかいない!!」

「サンランドは、ふざけた気持ちで告白なんかする奴ではありません! 自分たちが保証します!!」

「分かった! 分かりましたから! 彼のプレゼンを聞きますから!」


 凄まじい気迫で迫ってくる令息たちの圧に、ミランは白旗を上げた。その瞬間、令息たちは拳を上げて喜び合う。互いの肩をたたき合う姿は、大きな戦で勝利をもぎ取った騎士たちのようだ。


「あなた、一体何回練習したんですか…」


 ミランの問いに、サンランドは何も言わずスッ…と視線だけを逸らした。


読んでいただき、ありがとうございます。


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