第09話 てのひらの温度
魔物襲来から三日が過ぎた辺境の村は、以前とはまるで違う空気に包まれていた。
土煙はようやく落ち着き、焼け焦げた匂いも薄れてきた。
けれど村人たちの間に漂っていたのは、単なる安堵ではなかった。
それは、言葉にできないほどの畏怖と戸惑い――。
あの日、幼い少女が、恐ろしい魔物を一瞬で消し飛ばした。
あまりにも現実離れしたその光景は、人々の心に深く刻み込まれていた。
その変化は、まず『人々の目』に表れていた。
納屋の扉を開けて外に出た瞬間から、ガルドはそれを敏感に察知した。
すれ違う村人たちは、誰ひとり彼を無視しない。
それどころか――恐る恐る、しかし確かに、軽く会釈をしてくるのだ。
かつては彼に冷たい視線を投げかけ、軽蔑や嘲笑を隠そうともしなかった人々。
その彼らが今では、戸惑いと尊敬の入り混じった眼差しを向けてきている。
「お、おはようございます、ガルドさん。あの、先日の件……本当に、助かりました。あなたがいなければ、この村は……」
薪を抱えた青年が、目を伏せながらもぎこちなく礼を言ってくる。
彼は、以前ガルドを『邪魔だ』と罵倒した男だった。
その変わりように、ガルドは内心、戸惑いを隠せなかった。
「ガルド殿。これは納屋の修理代ですじゃ。うちの者が勝手に投げた石の件も……すまなんだ。まさか、ガルド殿にあのような力が……いや、失礼。何でもない」
村長までもが、帽子を胸に抱え、深々と頭を下げてくる。
かつて冷淡だったその表情に、今は明らかな畏敬の念が宿っていた。
ガルドは、複雑な想いを抱えていた。
――なんだ、この状況は。
つい数日前まで、自分は「落ちこぼれの召喚士」として肩身の狭い思いをしていた。
それが今や、「怪物を従える男」として、まるで英雄のように崇められている。
あまりにも急すぎる手のひら返しに、心は落ち着かなかった。
「ご主人様、どうしました? 顔が曇ってますよ」
背後から、ルーナの甘い声が響く。
白銀の髪を揺らし、今日も当然のように彼の腕に抱きついてくる彼女。
その存在が、ガルドの胸の中のモヤモヤを、さらに際立たせていく。
「いや……なんでもない。ただ、ちょっと驚いてるだけだ」
視線を彷徨わせながら答えるガルド。
村人たちの態度には、確かに感謝の色がある。
だがそれは、『自分』に向けられたものなのか。
それとも、自分の背後にいる『魔王』に対する畏怖によるものなのか――。
その違いが、どうしても見分けられない。
そして、その曖昧さが、彼の心に重くのしかかっていた。
ガルドは、静かに息を吐く。
「……手のひらを返したような態度って、ちょっと怖いなって……」
「ふふっ、可愛いことを言いますね、ご主人様」
ルーナは口元に手を当てて、くすくすと笑う。
その声には楽しげな響きがあったが、どこか冷たさが混じっていた。
紅い瞳が、すっと細められる。
「でも、それが『人間』ってものですよ。強いものには媚び、弱いものには牙を剥く――それがこの世界の『普通』です。ご主人様を見下していた彼らが、今あなたに頭を下げているのは……当然の報いです」
ルーナの視線の先には、村の子どもたちと談笑しようとしている青年の姿。
あの日、「邪魔だ」とガルドを罵った男だった。
ルーナはその青年を一瞥し、露骨に『拒絶』と『軽蔑』の色を宿した冷たい視線を送る。
その視線に気づいた青年は、瞬時に顔色を青ざめさせ慌てて目を逸らした。
そこには、幼い少女の姿をした、冷徹な魔王の一面があった。
「だから私は、ご主人様以外に興味はありません。ご主人様が望むことでなければ、何一つとして私の動機にはなりませんから」
「……お前なぁ。言い方、もう少しどうにかならないのか……」
「だって、彼らはご主人様の力を信じていなかった。ご主人様があのとき、どれだけ苦しんでいたかも知らずに、今はただ私の力に縋っているだけ――フフ、本当に滑稽です」
その言葉は、的を射ていた。
ガルドの胸には、整理しきれない感情が渦巻いていた。
――認められるのが、嬉しくないわけじゃない。
かつて勇者パーティーから追放されて以来、誰にも必要とされなかった自分。
だからこそ、人々の尊敬の眼差しは、確かに心地よいものだった。
けれど、それが『こんな形』で得られたものだと考えると……心のどこかが冷めていく。
偽りの称賛。
その空虚さが、胸にぽっかりと穴を開けていた。
「……ご主人様は、優しいですね」
ルーナがそっと手を伸ばし、ガルドの袖を握る。
その小さな手のひらは、温かかった。
「そんな人だからこそ、私は……守りたくなるんです。他の誰がご主人様を理解しなくても、私だけはずっとご主人様を見ています」
その声は、さっきまでの冷ややかさとはまるで違っていた。
どこまでも優しく、まっすぐで――確かな信念があった。
彼女は、魔王だけど確かに今、自分の『味方』だった。
その揺るぎない忠誠が、不安に揺れるガルドの心に、静かに光を灯していた。
「……ありがとう、ルーナ」
「うふふ、ご主人様に感謝されるの、大好きです。もっともっと、私に頼ってくださいね」
その笑顔だけは、どんな時も変わらない。
ガルドは、信頼されるということへの喜びと、そこに潜む得体の知れない不安を抱えながらも――目の前のルーナが、確かに自分にとっての希望であることを静かに受け入れ始めていた。
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