第04話 ルーナの仮の姿
夜が明けきらぬ薄明の空。
納屋の隙間から忍び込む冷えた空気が、ガルドの肌を撫でた。
その冷たさに、彼はゆっくりとしかし確かな意識をもって目を覚ました。
――違和感。
それは、単なる寝起きのぼんやりとした感覚ではない。
肌を刺すような魔力の濃度、耳には届かないはずの重い脈動、鼻腔をくすぐる微かな甘い香り。
そして何より、この部屋に『誰か』がいるという、確固たる気配。
昨夜の悪夢のような出来事とは別の、しかし決して無視できない『何か』が、根本的に変わっている。
体中の細胞が、静かに、だが明確に警鐘を鳴らしているようだった。
ゆっくりと身体を起こし、寝ぼけた視界をこすりながらあたりを見回す。
昨夜、絶望と共に置き去りにしたはずの、あの小さなスライム。
床の上に、ほんの数時間前まで彼の手のひらにいた、あの頼りない存在。
その場所を凝視した、次の瞬間――ガルドの呼吸が、ぴたりと止まった。
そこには、昨夜のスライムではなく、人の姿があった。
ほんの十歳そこそこに見える、小柄な少女。
雪のように白い肌は、納屋に差し込む夜明け前の薄明かりを浴びて淡く輝き、肩にかかる銀髪は月光の名残を宿したかのように煌めいている。
そして、瞳は深い紅。
まるで深淵の奥底を覗き込んだかのような――あるいは、燃え盛る炎を閉じ込めたかのような色合い。
だが、それとは裏腹に、彼女の表情は穏やかで、どこか現実離れした神々しさを纏っていた。
まるで、この世の存在ではないかのように。
少女はガルドの視線に気づくと、ゆっくりと――どこか楽しげに、しかし慈しむように微笑んだ。
そしてまっすぐにこちらを見つめ、透き通るようなそれでいて耳の奥をくすぐるような甘い声で告げた。
「おはようございます、ご主人様。ようやく……私を呼んでくれたんですね。長かったですよ、本当に」
「ご主人様」――聞き慣れない、しかしどこか絶対的な響きを持つその言葉にガルドはぽかんとしたまま凍りついた。
頭の中が真っ白になる。
「え?だ、誰……?君は……?」
声が震え、疑問が口から飛び出した。
混乱が脳をかき乱す。
「い、いつの間にここに?どうやって入ってきたんだ!?納屋の鍵は閉まっていたはずだ!」
ガルドの矢継ぎ早の問いに少女は小さく首を傾げたあと、にこりと無邪気に微笑んだ。
まるで彼の狼狽を楽しむかのように、あるいは、それが当然の反応だと理解しているかのように。
その笑顔は、あまりに純粋で――しかし同時に、底知れぬ『何か』を秘めているようにも見えた。
「私はルーナ。あなたが召喚してくれたのですよ。あなたの、契約主様でしょう?まさか、お忘れですか?」
その言葉が、まるで夢の中のように、ふわりとガルドの耳に届いた。
(召喚?俺がこの少女を?昨夜呼び出したのは、間違いなくあの頼りないスライムだったはずだ。それが、どうしてこんな少女に……?)
「お、俺が? お前を? いや、しかし、俺はスライムしか……あの、透明な……」
混乱で言葉が支離滅裂になるガルドにルーナは変わらず穏やかで、それでいて有無を言わさぬ声で答えた。
「ええ。あなたが唱えた契約の言葉が私の封印を解く鍵になったのです。だから、私は目を覚ましたのですよ。正確には、あなたの声に、純粋で――それでいて、ひどく切ない願いが、私の永い眠りを破ったのです。私にとっては、心地よい目覚めでしたよ」
どこかおっとりとした、しかし核心を突く口調だった。
その言葉には、まるでガルドの魂の深奥までも見透かしているかのような響きがあった。
信じられないものを見るように、彼女を凝視する。
だが、どれほど目を凝らしても、彼女が幻影には思えなかった。
その存在感は、あまりにも確かだった。
「でも……昨夜、俺が召喚したのは……透明な、本当に小さなスライムで……それが、君に?」
ガルドの問いに、ルーナはくすりと、まるで秘密を共有するかのように笑った。
その笑みは、幼さを残しながらも、どこか年経た賢者のようだった。
「ふふ……あれは、私の『仮の姿』です。完全に封印された魔力を抑え、この世界で活動するために選んだ形。そして――あなたにとって、最も警戒心を抱かせず、受け入れやすい姿だったでしょう?あんな小さなスライムに、まさか私が眠っているとは思いませんよね?」
そう言いながら、ルーナは指先を立てて自分の胸元にそっと触れた。
その仕草一つに、言葉にできない優雅さが宿っている。
「私の本当の姿と力を完全に解き放てば、この納屋どころかこの村一つ、瞬く間に灰塵に帰すかもしれません。あるいは、もっと大きなものを壊してしまう可能性すらある。でも、今はまだ……私も、あなたも、その準備ができていないでしょう?特にあなたの、その小さな身体では、私の本当の力を受け止めるのは難しいでしょうから」
まるでガルドの思考のすべて、そして彼の能力の限界、さらにはその先の運命までも見透かしているような深紅の瞳だった。
彼女はまっすぐにガルドを見つめ、ためらうことなくゆっくりと歩み寄ってくる。
その一歩一歩が、ガルドの心臓を直接叩くように響いた。
「だから今はこうして――この姿で……あなたにとって、優しくて、扱いやすい『仮の形』でいるのです。どうか、怖がらないでくださいご主人様。もう、あなたを傷つけるものは、何もありませんから」
ガルドは反射的に後ずさる。
本能が告げていた。
目の前の少女は決して普通の存在ではない。
その奥に、計り知れない『闇』と、あるいは『光』を秘めている、と。
恐怖が、彼の脊髄を這い上がってくる。
だが、ルーナの手がそっと、震える彼の指先に触れたとき――その温もりは確かに、生身の人間のものであり、同時に、底知れぬ宇宙のように広大な力を秘めた『何か』の感触だった。
矛盾した感触に、ガルドの頭は混乱する。
「私は、あなたを傷つけたりはしません。いいえ、むしろ……これからは、あなたを護るために、ここにいるんですから。どんなものからも、ご主人様を守ります」
柔らかく微笑むその顔は、あまりにも人間的であまりにも少女らしかった。
しかし、ガルドの胸の奥では、説明できない騒めきが静かに、そして確実に広がっていく。
スライム――そんなものの中に、こんな少女が?
こんな途方もない魔力が、眠っていた?
いや、そもそもこれは本当に『少女』なのか?『人』なのか?
ガルドは、初めて『召喚士』としての自分が、想像を絶する、世界の理すら覆すような存在に触れてしまったのだと、そんな強烈な直感を覚えていた。
――この出会いが、彼のすべてを変える。
彼の、そして世界の運命を、根底から塗り替えてしまうのだと。
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