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守る華・守られる花  作者: ミシル
第三章 サザンクロス

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96.ラベンダーの揺らぎ

次の日――会社は二日酔いの空気に包まれていた。

ほとんどの社員が青ざめた顔で出社してくる。


「おはようございます、ボス」

「昨日はご馳走さまでした!」


にぎやかな声に混じって、彼が現れる。

……あの男。

昨夜、私を“彼女”と間違えて呼んだ憎たらしい張本人。


ふぅーーー。

深呼吸で気持ちを押し殺し、いつものようにボス室の前に立つ。


「ボス、おはようございます」

「……おはよう」


それだけ言って、ボスは足早に部屋へ。


今日はコーヒーではなく、水を用意した。

そして、二日酔い用の薬も添えて――。


ソファにぐったりと腰掛け、頭を抱えるボス。

私は机の上に、水と薬を“ドンッ”と音を立てて置いた。


驚いた顔でこちらを見るボス。

「……もう少し静かに置け」


イラッとしたが、すぐに笑顔を封印して返す。

「では、二日酔いの薬は不要ですね」


水と薬を下げようとすると、慌てて手を伸ばして止められる。

「……それなら飲む」


私は冷たい目で見下ろしたまま、腕を組んだ。

ボスは観念したように薬を口に放り込み、水で一気に流し込む。


「……今日の予定は?」

低い声に切り替わったので、私は秘書としていつものように予定を淡々と読み上げる。


「分かった。田中が来てたら呼んでくれ」

「承知しました」


ボスが何か言いかけた気配を感じたが、私は振り返らずに部屋を出ていった。


田中さんを呼びに行くと、案の定ぐったりと頭を抱えていた。


「田中さんもこれ、どうぞ」

私は二日酔いの薬を差し出す。


「おぉ、気がきくな!ありがとう!昨日大丈夫だった?」


「ほんとに気にしてます? 最初から私に面倒見させようとして連れてったくせに」


「ハハハ! やっぱりバレた?」


「ええ。しかも“莉子〜”って寝言言ってましたよ。ぐーすか寝てたから、私すぐ帰りました」


「まじか……!いや、ありがとうな!神崎が秘書でホント助かるよ」


「そういう持ち上げは効きませんから!」

私は半眼になりながら席に戻った。




そのころ、ボスの部屋。


「ボス呼んだ?……あ、水あるじゃん、もらい!」

田中は勝手に水を手に取り、薬を流し込む。


「神崎からもらったのか?」


「そう。てか今日は社員ほぼ全員二日酔だよ。俺も二次会でつぶれた」


「二次会?」


「そう、ボスと神崎以外みんな参加!」


「……え?俺と神崎以外? てか俺、どうやって帰ったんだ?」


「俺が背負って帰ったんだよ!……で、神崎にもついてきてもらった」

ドヤ顔の田中。


「……神崎に押しつけただろ」


「そりゃ俺、二次会行きたかったし? で、ほんとに何もなかったの?」


「あるわけないだろ! 目が覚めたらベッドの下で寝てたんだぞ!体ガッチガチ!」


「ベッドの下!? 子どもか!」


「でもさ……今日の神崎、なんか機嫌悪いんだよな……」


「……ボス、覚えてないだけでなんかやらかしたんじゃ?」


「いやいやいや!いくら酔ってても部下に手なんか出すわけ――」


そのとき、蓮の視線がデスクの守華に向く。

ちょうど目が合ったが、彼女は氷点下の視線を投げてすぐにそらした。


「……ほらな。不機嫌オーラ全開」


「ボス……実は昨夜“莉子〜莉子〜”って叫んでたらしいぜ」


「……うわぁ」

蓮は額に手を当て、苦い顔をした。


「ボス、そろそろ提携している花の業者の視察に行く時間です」


「……あぁ、分かった」


「じゃ、頑張れボス〜」

ニヤニヤしながら去っていく田中さんとすれ違う。


「ボス、車の鍵を」


「え?」と素っ頓狂な顔をするボス。


「ボスが二日酔いですから、私が運転します。まさか歩いて行くつもりですか?」


歩いて行ったら日が暮れるような距離だ。

渋々鍵を差し出すボスから受け取り、私は車を正面玄関まで回した。


ロビーで待っているボスを呼びに行こうとした、そのとき――


「守華ー!」


耳に馴染んだ声に思わず振り向く。

ちょうどその声に気づいた蓮も、驚いたように外を見た。


「……悠真ゆうま!」


大学時代からの友人、悠真がそこに立っていた。

思わず嬉しくなって駆け寄ってしまう。


「元気してた?」


「元気だよ!悠真こそ、どうしてここに?」


「この近くで仕事があってさ。もしかしたら守華に会えるかもって、寄ってみたんだ」


悠真は広告代理店に就職して、バリバリ働いている。

サーフィン好きで一年中こんがり日焼け、見た目は軽そうに見えるけど、意外と芯のある男だ。

大学の頃も、誰よりも練習熱心だったのを覚えている。


あの頃は、ほとんど毎日一緒にいた。

「付き合ってるんじゃないの?」なんて噂されるほど。

けれど実際は、気の合う大切な“友達”だった。


就職してからはお互い忙しくて、LINEでは繋がっていたけど、こうして会うのは本当に久しぶりだった。


「わぁー、私も会いたかった!」


悠真が両手を広げる。

その胸に、自然に飛び込むように抱きついた。


――といっても、この二人にとってハグはただの挨拶。

海外の友達同士が「やあ!」とする感覚でしかない。


「神崎」


背後から低い声が響き、体がピタリと固まった。

あの憎たらしい声――ボスだ。


悠真が怪訝そうに私の背後を見る。

慌てて離れて、ボスの方を振り返った。


「ボス」


「……ボス!?」

悠真の目が丸くなる。若い外見と「ボス」という肩書きが結びつかないらしい。


「そう、私のボス」


紹介すると、悠真は驚きつつもしっかりと一礼した。


「……遅れるぞ」

ボスの短い一言に、私はハッとして頷く。


「あ、すみません!悠真、また連絡するね。近々飲みに行こう!」


名残惜しく手を振りながら車に乗り込み、発進してからも、ミラー越しに手を振り続けていた。


「……前見ろ。よそ見運転は危ない」


「は、はい!」

思わず背筋が伸びる。


せっかく悠真に会えて昨日のイヤな記憶を忘れてたのに……また思い出してしまった。最悪だ。


「……神崎の彼氏か?」


「悠真ですか?違いますよ。ただの大学の友達です」


「友達、ねぇ。神崎は誰にでも抱きつくのか?」


「へ?」


「今のやつにも普通に抱きついてたし……俺にも抱きついただろ」


ボスは少し顔を逸らし、窓の外を見ながらぼそりと付け足す。

その耳がほんのり赤く見えるのは、気のせいだろうか。


「あ〜、悠真とのハグはただの挨拶ですよ。海外の人が握手代わりにハグする、あんな感じです」


「ふぅん……じゃあ、俺に抱きついたのも挨拶か?」


「そ、それは……人違いです」


「人違い?この俺を誰と間違えたっていうんだ」


「……私が唯一、心から愛した人です」


「愛した人?」

ボスの眉がピクリと動く。

「そいつ、俺に似てるのか?」


「ん〜……顔は確かに似てます。でも性格は……」


「俺の方がいいだろ」


真顔で言ってくるから、思わず吹き出してしまった。


「いえ、私が愛した人の方が何倍も素敵でした」


「な、何倍も!? 俺より上なのか!?」


「自信過剰なところは、ちょっと似てますけどね」


そう言いながら、蘭明を思い出す。

自分がイケてるとわかっていて、「みんな私に見惚れてたぞ」なんて真顔で言っていた彼。

懐かしさとおかしさが込み上げて、つい笑ってしまった。


「……その男とは別れたのか?」


「どうなんでしょう。私にも分かりません」


「は?意味わかんねぇな」


「会いたいですけど、会えないんです」


「……死んだのか?」


「まさか!」


「じゃあ、なおさら意味がわかんねぇ」


「ボスには理解できませんよ」

小さく笑ってから、ふと気づく。

「……それにしても、今日はボス、いつもより喋りますね。どうかしたんですか?」


「い、いや……」

途端に車内がしんと静まり返る。


「昨日、俺……神崎に失礼なことしたか?」


私は返事をせず、ただ前を見てハンドルを握る。


「田中から、俺が酔って神崎に世話になったとは聞いた。けど……今日のお前、不機嫌そうで……俺、何かやらかしたのかと……」


「何もありませんよ。ぐーーーーっすり寝てましたから」


「そ、そうか……。じゃあ、なんでそんなに不機嫌なんだ?」


ため息を深く吐くと、ボスがビクッと肩をすくめる。


「ボス。本当に知りたいんですか?」


身を引きながら、必死でうなずくボス。


「……女性には、月に一度、機嫌が悪くなる時期があるんです。分かります?」


「……」

少し考えたあと、首を横に振る。


「ほんっと、男ってこれだから嫌になる」


私が横目で睨むと、ボスは固まってしまった。


その瞬間、信号が赤に変わる。

私はわざと急ブレーキを踏んだ。


「うわっ!」

ボスの体が前に出るが、シートベルトに引き戻される。


「ボス、それは“女の子の日”だからです。覚えておいてください。そういう日は女の子を優しく扱うんです。わかりましたか?」


私の声にうっすら殺気が混じっていたのか、ボスは青ざめてこくこく頷く。


「わ、わかった……」


――その日、主従関係は完全に逆転していた。


花の業者の視察を終え、帰ろうと車に向かう。


「神崎、昨日のお詫びにアイス奢ってやるよ」

「えっ、本当ですか!?やったー!」


「ここにラベンダーのアイスがあるらしい」

「ラベンダー…?」


ボスは笑顔でラベンダーアイスを手にしていた。

二人で花畑を眺めながら、ひんやり甘いアイスを食べる。


「美味しい」

「機嫌、直ったか?」

「はい!」

「なるほど、不機嫌な神崎にはアイスを与えればいいわけだな」

「食べ物ならなんでも機嫌直りますよ!あとは景色がいいところに連れていってくれても」

「自分で言うなよ」


二人でアハハと笑う。


「神崎、ラベンダーの花言葉、知ってるか?」

「沈黙、期待、不信感、疑惑とかですよね!」

「おー、さすがこの会社に入っただけあるな」

「花言葉は任せてください!」


守華はドヤ顔になる。

「このラベンダーの花言葉、怖いっていう人もいますけど、私は切ないと思います」

「どうしてだ?」

「好きな人を信じきれない気持ちがあるみたいで」

「信じきれない…」

「そう。信じきれないから疑惑が生まれ、不信感も出る。でも期待もしてしまう。ちゃんと話せばいいのに、沈黙してまた不信感や疑惑が巡る…まるで悲しい恋をしているみたい」


ボスは黙って聞いている。

「まぁ、私の個人的な意見ですけどね。ラベンダー自体は万能ですから、このアイスだってそう。ただ.....」

「ただ?」

「ラベンダーは万能だから、んー、人間でいうとなんでも出来て、色んな人と関わりがあるから恋人は信じきれなくて不信感や疑惑が出てしまう的な?万能な人も大変ですね!」


ボスが笑いながら聞く。

「神崎は、そんな万能な人を好きになったら同じ気持ちになるか?」

「私ですか?私はならないです。好きになったらその人を信じます」

「言い切るな…」

「もちろんです!私が好きになった人を信じてあげないで、誰がその人を守るんですか?」


ボスは微笑む。

「神崎に愛された人は幸せ者だな」


ラベンダーアイスを食べながら、心の中で思う。

――ボス、あなたと瓜二つな人を私は愛し、信じていました、と。


「帰りは俺が運転する」

「大丈夫ですか?」

「とっくに酒は抜けてる」

「では、お願いします」


私は車の鍵をボスに渡し、助手席に腰を下ろす。


「ボス、さっきの話ですが、莉子さんのことって…どうなんですか?」

「どうだろうな。お互いに、ラベンダーなのかもしれない」

「お互いに?」

「あー。会社を立ち上げたばかりの頃は、どんなに忙しくてもお互いの時間を大事にしていた。でも、次第に仕事が優先になって、言いたいことも言えなくなってしまった」

「それで『沈黙』なんですね…」

「そう。でも期待もあった。お互いに…信じていたからこそ、疑惑や不信感も生まれた」

「なんか、切ないですね…でも、そういう時期もありますよ。しかも、お二人は会社を軌道に乗せて、仕事が楽しくなったわけですし。社長として社員の生活も背負っていますしね」


「でもな、最近ふと、これでいいのか…と思うことが増えた」

「うーん、仕事より守りたい人が現れれば変わるかもしれませんね。そう思える相手なら、仕事にもプラスになり、恋人としてもプラスになる。莉子さんかもしれないし、もしかしたら私かもしれませんよ。運命なら、必ずその人と結ばれます」


私は笑顔で運転するボスを見つめる。


「運命なら…か。まあ、神崎ではないだろうな」

「なんでそう言い切れるんですか!?」

「神崎には愛してる人がいるんだろ?その人が運命だといいな。そうすれば、また会えるのにな」

「そうですね。私は運命だと信じてます」


それは蘭明に向けてなのか、目の前のボスに向けてなのか…考え込む。


「神崎はすごいな」

「それよりボス!今日は本当によく喋りますね!」

「なんだよ、喋らない方がいいのか?」

「いえいえ、喋るボスも素敵ですよ」


満面の笑みの守華に、少しドキッとする蓮。


「そんなふうに話せるなら、社員たちとも会話してみてください。ボスと話すだけでやる気も出るし、いいアイディアも出てきますよ。いつもの冷たいボスだと、みんなビクビクしてアイディアも出ませんから」

「冷たいって、本当、神崎はズバズバ言うし、余計な一言が多いんだよな」


ハハハハーと笑う私に、ボスもつられて笑う。

もう、昨日のことなんてすっかり頭から消えていた。



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