90.陽月国の皇帝と私の現代
年が明けまもなく、守華を心から喜んで迎え入れてくれた陛下が、病に倒れた。
その病は、あの無観が少しずつ仕込んでいた毒のせいだった。
陛下は必死に耐えた。けれど、その努力も虚しく、静かに息を引き取った。
陽月国は、深い悲しみに包まれた。街の空気は重く、民衆の嘆きが城壁の外まで響き渡るようだった。
盛大な葬儀が執り行われ、貴族も民衆も、誰もが涙を隠せなかった。
守華も胸が張り裂けるような悲しみに襲われ、涙を流した。しかし、蘭明の方がどれほど辛いかと思うと、そっと彼を抱きしめ、彼の肩越しに小さな声で慰めを告げた。
蘭明は守華の腕に身を委ね、深い悲しみと寂しさに沈みながらも、守華の温もりにかろうじて心を支えられていた。
3月1日。
蘭明 24歳
守華 22歳
そして、今日、蘭明が皇帝陛下の座についた。
宮廷の外には赤い絨毯が敷かれ、その上を白い漢服にマントを羽織った蘭明が、堂々と歩を進める。
その姿はまるで太陽の光を背負い、気高く輝く王そのものだった。守華は思わず息を飲む。——また、惚れ直してしまいそうだ、と胸が高鳴る。
守華も白い漢服に身を包み、後ろからその堂々たる姿を見守る。
階段を一段一段、確かな足取りで昇っていく蘭明。
その背中から放たれる威厳と優雅さに、守華はただ見惚れるしかなかった。
上まで登りきると、蘭明は堂々と体を向け、宮廷に集まる臣下たちや民衆に視線を巡らせる。
その瞬間、太陽の光が蘭明を照らし出し、まるで一つの光の柱のように煌びやかに輝いた。
宮廷に集まった全員の視線が蘭明に釘付けになり、その圧倒的な存在感に誰もが息をのむ。
守華はその姿を見つめながら、心の奥でそっと呟いた。
「みんなに愛されて、王として相応しいわ…蘭明」
何の問題もなく、式典は終盤を迎えていた。
その時だった——。
今まで晴れ渡っていた空が、徐々に暗く染まり始めた。
ざわめく群衆が空を見上げる。
太陽と月が、まるで重なろうとしているかのように輝きを交錯させていた。
「え…まさか…」
守華は、まだ階段の上に立つ蘭明を見つめながら、胸がざわつくのを感じた。
——もう、妖石はないはずなのに。
異変に気づいた蘭明も、一瞬で判断を下す。
階段を駆け降り、守華の元へ向かう。
周囲の人々が空を見上げている中、二人だけが互いに駆け寄ろうとしていた。
太陽と月が完全に重なる前に——。
空はさらに暗さを増し、周囲の景色が影に包まれていく。
時間が迫る。焦燥が胸を締め付ける。
「守華!」
「蘭明!」
二人の手が伸び、ようやく触れようとしたその瞬間——。
守華の元から、あの眩い光が一気に放たれた。
光は強烈で、目を開けることもできない。
やがて光が消え、周囲に再び明るさが戻った時——。
そこに守華の姿はもうなかった。
ただ、足首に付けていたアンクレットだけが、静かに残されていた。
蘭明はすぐにそれに気づき、そっと拾い上げた。
手の中で輝く小さなアンクレットに、守華の気配を確かに感じながら——。
目を開けると、見覚えのある守華の部屋だった。
寝ていたのだろうか。
涙が頬を伝っていることに気づく。
止まらない涙。
「蘭明…!」
思わず叫んでしまった。
周りを見渡す。
やっぱり自分の部屋、自分の洋服を着ている。
「なんで…!?なんで戻ってきてるの!?」
右手でTシャツの首元を少し下ろすと、胸の上にはあの傷はもうなかった。
「夢…だったの?」
携帯を手に取り、日付を確認する。3月1日、7時。
部屋から飛び出すと、キッチンではパパが朝ごはんを作っていた。
「おはよう!まだ着替えしていないのか?卒業式に遅れるぞ?」
卒業式……。
やっぱり、夢だったのかな。
でも、胸がこんなにも締めつけられるのは、どうしてだろう?
制服に着替えようとしたとき、右手首にミサンガがあることに気づく。
「このミサンガ…」
足のアンクレットは消え、腰のアザも跡形もなく消えていた。
夢じゃなかった、と確信する。
私は、蘭明を愛していた――いや、今でも愛している。
なぜ戻ってきたのかは分からない。
でもきっと、人を愛することを知り、蘭明を守ることができたから......
私の使命は終わったのね、ママ。
蘭明、私はこの世界で、あなたを愛しながら生きていく。
だから、蘭明も陽月国で元気に過ごして。
あなたなら、民を想い、素敵な陛下になれるはずだから。
カップルや親子連れで賑わう、夜景が一望できるこの場所。
蘭明、あなたもこの満月の月を見ていますか。
桜音亭から眺める月も美しかったけれど、ここ、この都会で、私が唯一「月が綺麗に見える場所」を見つけました。
隣にあなたがいてくれたら…と、つい想いを馳せてしまう。
でも、時は違えど同じ月を見上げているはず――そう信じている。
今はもう、泣くためではなく、蘭明を感じるために見上げている。
そして、今でも、どこにいても、あなたを想い続けている――蘭明。
4年の月日が流れた。
陽月国を去った歳と同じ、22歳になっていた。
大学を無事に卒業し、今日から社会人としての第一歩を踏み出す。
入社先は、花関係の会社——
“株式会社 サザンクロス”
その名前に、なんとなく惹かれた。
だって花言葉が
「願いを叶えて」「遠い思い出」
私と蘭明の物語に、まるでぴったりだと思ったから。
そんな理由で受けた入社試験だったのに、なんと受かってしまった。しかも社長面接なしで。かなりラッキーだった。
「ただいまより、株式会社サザンクロス入社式を行います」
ホテルの広間が一瞬で静まり返る。前列には新入社員が十人程度、後方には在籍社員がぎっしり。決して巨大な会社ではないけれど、空気は公式で、心臓が高鳴る。
「それではここで、株式会社サザンクロス 代表取締役社長 中村 蓮より、ご挨拶を申し上げます。皆さま、どうぞご清聴ください」
“中村…” その名前が耳に入る瞬間、胸の片隅がざわついた。どこかで見覚えのある響き──蘭明が嘘で使った名前と同じだ。
思わず下を向いて、微かに笑みがこぼれる。
少し高くなったステージに、足音が響く。
「あの人が社長?かっこよくない?」
周囲の女子たちも騒ぎ始める。
社長面接がなかったのは私だけじゃなかったみたい。
一瞬、喜びを独り占めした気分になっていた自分が恥ずかしくなる。
「かっこいい!しかも若い!」
守華も顔を上げ、ステージを見た瞬間——
「らん、めい?」
社長と目が合い、時間が止まったように二人は見つめ合う。
周りの声も、騒ぎも、何も耳に入らなかった。
「蘭明……」
社長がニッコリ微笑む。
守華も自然と笑顔を返した。
——【第三章へ続く】




