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守る華・守られる花  作者: ミシル
第二章 すずらん

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84.一瞬の甘さ、永遠の決意

すずらんに会いたくても、予約は全く取れず、しかも近くには季昭がいる。

蘭明はなかなかすずらんに近づけず、ただ町を歩く姿を遠くから、人混みに紛れて見つめるだけの日々が続いていた。


陽月国に戻る日が刻一刻と迫ってくる。

心の奥で焦燥が募り、どうしたらすずらんに近づけるのか、蘭明は頭を悩ませていた。


「蘭皇」


声に振り向くと、八軒がにっこりと立っていた。

「八軒か、分かったのか?」

「はい、ようやく守華さまの行動パターンを把握できました」


その言葉に、蘭明の顔がぱっと明るくなる。

「本当か!?」


小さな興奮が胸を駆け巡る。


「よし……今日の夜から、作戦開始だ」


決意の光を宿した瞳で、蘭明はすずらんのいる舞台を見据えた。


蘭明は、彩国に来たときにすずらんと共に踊ったあの酒場に足を踏み入れた。

今夜は、この舞台で、すずらんが舞う日だ。


2階席の真ん前、舞台を見下ろせる特等席に陣取る蘭明。

その隣には、何人もの遊女たちが控えめに座り、彼に体を寄せるように装っている。

もちろん、これは偶然ではない。

すべてはすずらんの視界に入るための、計算された演出だった。


蘭明が思いついた作戦――その名も、【焼きもち作戦】。

舞台の幕が上がると同時に、すずらんはゆったりと現れ、舞の流れの中でその視線を蘭明に向けた。

そしてすぐに、彼の隣で遊女たちと戯れる姿にも気づいた。


すずらんの胸は、瞬く間にざわついた。

――あれは蘭明……なのに、なぜ他の女たちと?

舞の一歩一歩が、心臓の鼓動と共に重く響く。

心の奥底では、焦りと戸惑いが入り混じり、頬が熱くなる。

でも、すずらんは微笑みを絶やさず、舞を止めずに進めるしかなかった。


胸の奥では小さな嫉妬と不意打ちの喜びが芽生える。

その思いに、すずらんの舞は、自然と力強さと艶やかさを増していった。


舞台と観客席の間で繰り広げられる、静かな心理戦。


すずらんは、舞を止めることなく、優雅に舞い続ける。

顔には一切、動揺を見せず、いつものように観客を魅了していく。


しかし、内心では――

ムカつきで胸が熱くなっていた。

蘭明が女たちとイチャイチャして、それをわざと見せつけてくるなんて……!


だが、すずらんはグッと堪える。

「私は、すずらんだから」

自分に言い聞かせるように、感情を押し込めた。


それでも、蘭明と目が合った瞬間、すずらんの視線は一瞬も逸らさない。

――これが、今の私にできる、唯一の反抗のしるし。

女たちより、私こそが彼を惹きつける――そう、心の奥で強く誓いながら。


その目には、悔しさとプライド、そしてほんの少しの挑戦心が混ざり合い、舞台の光の中でひときわ輝いた。


昨日――あの後、蘭明は追ってこなかった。


追いかけてくると思ってた.....来なかった。

まさか、あの女たちと――?


男ってやっぱり、自分の欲のためなら誰でもいいの?


休みだったすずらんは、昨日の光景が頭から離れず、歩きながら「あーでもない、こーでもない」と思考がぐるぐると回っていた。

まんまと、蘭明の作戦にはめられてしまった自分。


いや、私と何でもなくても、公主がいるのに――?

他の女とあんなにベタベタして――いいわけ?


そして、あの女たちも……ベタベタしすぎなんだよ!


そう思いつつも、蘭明がいい男であることは否めない。

けれど、それでも心の中は複雑に乱れ、次から次へと様々な思いが渦を巻く。




ぼんやりと歩いていると、突然、影から伸びた手がすずらんの口を覆い、力強く壁際へと押しやった。


咄嗟に、太ももに隠してあった短剣を手に取り、その者の喉元に突きつける。


「さすが、私の侍衛をやってただけあるな。鈍ってない」


口元を押さえていた手は、すっと離された。


「いつもの着物姿もいいが、今日の服もよく似合うな」


「何のつもり?」


「こうでもしないと、近寄れないだろう。……いいかげん、剣をどけてくれないか」


それでも、すずらんは短剣を構えたままだ。


「私を……殺すつもりか?」


その瞬間、蘭明は手元の刀を自分の首に押し当て、鋭く血が首筋を伝う。


「あっ……」

血を見たすずらんが、思わず短剣を下ろす。


「血が……」

「こんなの、擦り傷だ」

蘭明は冷静に手首を振り、血を払う。


「こんなところ、見られたら大変よ……」

すずらんの手に握られた短剣を、蘭明がそっと取り上げる。その刃先に映る光景をじっと見つめた。


「……すずらんの模様か」

低い声で呟くと、そのまますずらんの太ももに手を伸ばす。


「なっ!」

「声を出すと、みんなに気づかれるぞ」

すずらんは息を飲み、黙り込む。


蘭明はそっと、すずらんの太ももに短剣を戻した。


「いつもこの短剣を持ち歩いているのか?」

すずらんは小さくコクンと頷く。


「自分の身を守るためか?ここは落ち着ける場所じゃなかったのか?短剣を持たないといけないところだったのか?」

蘭明の声は低く、けれど柔らかさを帯びていた。問いかけの一つ一つに、すずらんの心がざわつく。


何も答えないすずらんを、蘭明はじっと見つめていた。


「私なら、短剣を持たせるより、近くに置いて私が守るけどな」


「……私は、どこにいても自分のことは自分で守るわ」

すずらんは強がりを口にするが、わずかに震える指先がそれを語っていた。


「自分のことは自分で守るか……」

蘭明はゆっくりとすずらんに近づき、両手を取り、すずらんの頭の上にあげて片手で押さえ込む。


「では、この状態ではどう自分を守る?」

すずらんは目をそらし、声も出せずに小さく息を吐く。


「ん?どうした?」

「なんで私に構うのよ!?女なら他にもたくさんいるでしょ?昨日だって、楽しそうにベタベタして!」


「なんだ?気にしてたのか?」

「ち、違う!気にするも何も、あんな目の前で堂々とやられれば、嫌でも目に入るわよ!」


「それでいい」

「え……?」

「焼きもちやいたか?」


「ち、違う!」

その瞬間、言葉を遮るように、蘭明がすずらんの唇を奪った。


柔らかくて温かい唇。

優しくも力強い口づけ。

そして、いやらしくも甘い吐息。


心の奥底まで届く愛情の重さ。

すずらんは、自分の胸が熱くなるのを感じた。

蘭明の存在が、全てを包み込み、守ってくれている。

その一瞬に、恐怖も不安も、全て溶けていった。


「蘭明……」

小さく零れたその名前に、すずらんの全ての感情が詰まっていた。

愛おしさ、悔しさ、そして、たまらないほどの安心感。


この唇、この抱擁、この瞬間――

蘭明がいる世界こそ、すずらんが守りたいもの、守られたいものが揃う場所だった。


すずらんは反抗せず、ただ目を閉じる。

蘭明を全身で感じたい――その想いだけが、胸を支配していた。


「今日は反抗しないんだな」

「……」


言葉もなく、再び蘭明の唇がすずらんの唇に重なる。

舌と舌が絡み合い、熱く、激しい口づけに変わる。

二人の吐息が入り混じり、周囲の世界が一瞬、消えたかのようだった。


「すずらんの唇は正直だな。他の男のものになっていない」

「何が分かるのよ!私は季昭と……」

「季昭と、なんだ?」

「いちいち、私から言わせるな!」


すずらんは足で蘭明を蹴り、押さえられていた手が離れた隙に、思い切り蘭明を突き飛ばした。

そして、震える心を抱えながら、一目散に走り去る。


胸の奥でまだ蘭明の温もりが残る。

鼓動が速まり、体が熱くなる。

でも今は、逃げるしかない――自分の感情を整理するために。


背後で、蘭明の驚きと静かな息遣いが残り、すずらんの足音とともに街に消えていった。


私としたことが……

反抗せず、つい受け入れてしまった。

心が、こんなにも揺らいでしまうなんて。


何のために、離れたのよ、私――。

“妖石に願いを託した者。その身代わりに、そばにいる一番愛する者が死す”


そうよ……!

初心に戻れ、自分。


私は、すずらん。

私は、季昭の妻――。


その言葉を何度も、何度も自分に叩き込む。

心の奥でざわめく蘭明への想いを振り切るように。

涙がじんわり滲むけれど、振り切らねば。

これが、私の決めた道――。






「すずらん様……」


「何?ウタ」


次の場所へ向かおうとしたところで、ウタがもじもじと口ごもりながら話しかけてきた。


「言うべきかどうか迷ったんですが……」


「どうしたの?」


「先程、いつもすずらん様に寄ってくる蘭皇様を見かけたんです……女性と一緒にお部屋に……」


「え……本当に?」


「はい、間違いありません」


「……あのすけべ!」


すずらんは、ウタに「ちょっと待ってて」と言い残し、目撃されたという部屋へと駆け出した。


中からは、蘭明と女性の声が漏れ聞こえる。


「いやーん、そこは……やめてください」


「では、ここか?」


「あっ、そこが……気持ちいいですぅ」


ったく、何やってるのよ、蘭明は――!


すずらんは、肩で大きく息を吐き、覚悟を決めるように深呼吸を一つ。


そして思い切り、扉を開けた――。


思い切り扉を開けたものの、さすがすずらん。

一瞬で冷静さを取り戻し、頭を下げる。


「失礼いたします。すずらんでございます。蘭皇様がいらっしゃると聞き、挨拶にと思いまして」


ニコリと笑顔を作り、顔を上げて中を見た瞬間――目の奥が燃え上がる。


そこには、女性がうつ伏せになり、その上に蘭明が跨るように乗っていたのだ。


「蘭明……あなた、公主がいるのに、何やってるのよ!!!?」


先ほどの穏やかな口調とは打って変わり、声は震えるほど怒りに満ちていた。


その場にいた蘭明も女性も、口をあんぐりと開けて固まる。


慌てて蘭明は女性の上からどき、女性も急いで立ち上がる。


「す、すずらん……!」


「……」


言葉にならないすずらんの視線に、蘭明は焦りと後悔の色を滲ませる。

そして、この一瞬で、舞台の上のような冷静さは消え去り、二人の間に緊張と怒りが渦巻いた。


奥から八軒も出てきて、守華――いや、すずらんが現れたことに驚きの表情を浮かべた。


「すずらん様、誤解です!」


女性が慌てて前に進み、すずらんに向かって必死に釈明する。


「私が最近、腰が痛いと話したら、蘭皇様が“ツボを押せば治る”と言って、ツボを押してくださっただけで、他には何も……!」


両手を胸の前で交差させ、全力で違うと訴える女性。


「えっ……?」


すずらんは目を細め、状況を整理する。

その瞬間、八軒もいることに気づき、冷静さを取り戻す。


「下がれ」


蘭明が低い声で女性と八軒に告げると、二人は慌てて退き、部屋を離れた。


すずらんの心にはまだ怒りが残っていたが、状況が理解できたことで、ほんの少し安堵の色も混ざった。

しかし、その視線は、蘭明に向けられたままだった。

ベッドに腰をかけ、にやりと口元を笑わせる蘭明が、じっとすずらんを見つめていた。


「守華、そんなに慌ててどうした? 私とあの女が、いやらしいことでもやってると思ったのか?」


その言葉に、すずらんは言葉が出ず、ただ赤くなる頬だけが答えていた。


「それで、部屋に飛び込んできたのか?」


頭の中で昨夜の場面がフラッシュバックし、勘違いしていた自分に気づく。

言葉が出ず、思わず目をそらし、ますます赤面していくすずらん。


「失礼いたしました……」


かろうじて出たその一言を最後に、すずらんは小走りで部屋を飛び出した。

後ろ髪を引かれる思いと、恥ずかしさで胸が張り裂けそうだった。


蘭明はその様子を見て、にやりと笑いを押し殺した。



今日は後宮にて、妃たちに舞を教える日。

庭を歩いていると、向こう側に仲良く並んで歩く蘭明と咲公主の姿が見えた。


「お似合いね……」


思わず口に出してしまったすずらんの声に、後ろにいたウタが目を丸くする。


「ん?」


ウタもすずらんの視線の先を見やる。


「蘭皇様と咲公主ですね……。すずらん様、最近思ったのですが、蘭皇様のこと……好きなんですか?」


思わぬ問いに、すずらんの胸が一瞬ざわつく。

「な、何を言ってるのよ! そんなわけないじゃない!」


思わず少し焦って口を強く閉じるすずらん。


「そうなんですか……」


ウタの目は真剣そのもの。


「だから、ウタ! まだ子供なんだから、そういうこと考えないの!」


少しきつめに言い返すすずらんに、ウタはふくれっ面を作る。


「もう! いつまでも子供扱いするんだから!」


頬を膨らませるウタに、すずらんはにっこり笑って帯の中から小さな飴を取り出す。


「ほら、これをあげるから機嫌をなおしなさい」


嬉しそうに受け取ったウタは、口に飴を入れてにっこり。


「ほらね、まだまだ子供よ」


微笑むすずらんの視線の先には、相変わらず仲良く歩く二人の姿。

胸の奥に、少しだけ熱いものが込み上げてくるのを、すずらんは感じていた。


「すずらんじゃない?」


咲公主の声に、すずらんはふと立ち止まる。

公主と蘭明が笑顔でこちらに近づいてくる。


「咲公主、蘭皇さま……すずらん、ここにてご挨拶申し上げます」


すずらんは背筋を伸ばし、一礼する。


「もう、すずらん。堅苦しいのはやめて、顔をあげてごらん」


少し照れながらも、すずらんは小さく微笑み返す。


「ありがとうございます」


「公主、すずらんとも親しいのですか?」


「そうよ、いつも舞を教えてもらっているの。あ、これからだったわね!」


「はい、咲公主」


「すっかり忘れていたわ……すずらんに舞を教えてもらえるのも、今日で最後ね」


「そうでしたね。では、先に行っておりますので」


「うん、すぐに行くわね」


すずらんは再び一礼をし、静かに二人をやり過ごす。


庭を歩きながら、心の中で小さく呟く。


(それにしても……どうして最近、私が行く先々に蘭明がいるのかしら?

気のせい? 偶然……だけよね……)


頭の中で疑問がぐるぐる回る。

心臓の奥で、なぜか少しだけざわつく感情を、すずらんは必死に押さえ込む。



「今日は遅くなってしまいましたね」


「そうね、ウタも疲れたでしょ?」


「私は全然平気です!でも……本音を言うと、少し疲れました」


ウタは小さく笑って誤魔化す。その笑顔が愛おしくて、すずらんは少しだけ胸が温かくなる。


周囲はもう真っ暗で、行き交う人も数えるほどしかいなかった。

屋敷まであと少し、門の前に差し掛かったその時、視界の片隅に人影が映る。


目を細めて見つめるすずらん。


季昭……?いや、違う、蘭明だ。


「ストーカーかよ……」


思わず心の中で突っ込む。しかし、すぐに決意を固める。

もう、惑わされない。


私が何のために彩国に来たのか、この一年半で積み重ねてきたものを思い出す。

ここで心が揺れたら、全てが無駄になる――。


「ウタ、私の部屋に綿菓子があるから、食べてていいわよ。疲れた時に甘いものは、少し楽になるはず」


「はい!」


ウタは満面の笑みを見せ、すずらんの言葉に安心した様子で屋敷の中へ駆け込む。

その後ろ姿を見送りながら、すずらんは深呼吸する。

今日もまた、自分の心を律する一歩を踏み出したのだ。


ウタが屋敷に入ったのを確認して、すずらんは静かに歩き出した。

蘭明の横を素通りしようとしたその瞬間、やはり手が掴まれる。


「待ち伏せなんかして今日は何?」


蘭明は少し驚いた表情を浮かべる。

すずらんの声はいつになく低く、鋭い。

ここ最近、蘭明と普通に話し、キスまで許した――守華――が、今日はまるで最初のすずらんに戻ったかのように感じられた。


「私はもうすぐ陽月国に帰る。そろそろ、素直になったらどうだ?」

蘭明の言葉に、すずらんは眉をひそめる。

「素直?素直って何?何を言わせたいのよ?」


その時、掴まれていないほうの腕にも力が加わった。

「また、俺の妻を困らせているのか」

季昭だった。


すずらんの両腕は、二人に強く握られて動けない。

「お前に用はない」

「用がなくても、ここは俺の屋敷の前だ。それに、俺の妻に手を出して黙って見てられると思うな」

季昭の声には揺るがぬ威厳があった。


「何が妻だ。偽りだと分かっている」

その言葉に、すずらんは反射的に蘭明のほうを向く。

「偽り?何を言ってるの?変なこと言わないで」

蘭明は落ち着いた目で見つめ、静かに答えた。

「守華を見ていれば分かるさ――そんなことぐらい」


すずらんは、蘭明が掴んでいた腕を力強く振り解き、そのまま季昭の唇に自分の唇を重ねた。


蘭明は思わず息を呑み、心臓が激しく打つのを感じる。

季昭の驚きもさることながら、蘭明の胸には押し込められない焦燥と嫉妬が渦巻いた。


一瞬の沈黙。すずらんが季昭の唇から離れると、鋭い視線が蘭明を貫く。

「これで分かった?私と季昭の邪魔をしているのは、あなたよ、蘭明」


言葉が出ない。何も言えず、ただ立ち尽くすしかない自分がもどかしい。

胸の奥で、すずらんへの思いが痛いほど燃え上がるのに、それを伝える術はない。


すずらんは迷いなく季昭の手を取り、屋敷へと引き寄せる。

振り返り、低く告げた。

「蘭明、陽月国に帰るときは、気をつけて。さようなら」


その言葉が、胸をえぐるように響く。

蘭明は立ち尽くしたまま、彼女の背中を追いたい気持ちと、ただ見送るしかない無力感に苛まれた。


闇に包まれた屋敷の中へ、すずらんと季昭は消えていく。

残されたのは、焦燥と切なさだけ。蘭明の心は、まだそこにあるすずらんの影を追い求めていた。


季昭を引っ張り、屋敷の奥まで入ってきたすずらん。

振り返っても、蘭明の姿はもうどこにも見えない。


「すずらん、今のは……」

「えっ、あのね、深い意味はないの。ただ、あーでもしないと蘭明が引き下がらないかと思って。ごめんね」


その言葉に、季昭は微かに眉をひそめるが、すぐに真剣な表情に変わった。


「すずらん、本当に俺の妻になってもいいんだぞ」


「えっ?」


「俺は、すずらんが彩国で笑っていられるなら、それでいいと思ってた。上っ面の妻でも構わないと。だから、ずっと気持ちも言わずにいた。でも、蘭皇が来て、すずらんが苦しんでいるのを見て、もう我慢できなくなった」


ふざけたことばかり言って、茶化してばかりの季昭。

でも今は違う。目の奥に真っ直ぐな光が宿る。


「初めて会ったとき、俺の傷を手当てしてくれたときから、すずらんが頭から離れなくなっていた。すずらんの中に蘭皇がいても構わない。俺が、ゆっくり消してやる。俺は、すずらんが好きだ。俺の妻になってくれ」


「季昭……」


その言葉に胸が熱くなる。

でもすぐには答えられない、揺れる心。


「返事はすぐでなくていい。少し考えてくれ」


季昭は優しく微笑み、ゆっくりと自分の部屋へと戻っていった。

残されたすずらんの胸は、喜びと迷いでいっぱいだった。

けれど、はっきりとわかる、季昭の真剣な気持ち――。

今までと違う、彼の本気の愛を、すずらんは確かに感じていた。


季昭の真剣な眼差し。

いつも、ふざけて私を笑わせてくれたあの眼差しとは違う、真っ直ぐな光。


何も言わずに、いつも側にいてくれて、

いつも応援してくれて、

いつも私の味方でいてくれた。


このまま、季昭に甘えていてはいけない――。

そろそろ、決める時。


彩国で生きると決めたものの、

私が季昭から離れるのか、離れないのか――

答えはまだ、出せずにいた。


ろうそくに照らされて穏やかだった部屋の光が、

突然、暗闇に飲まれた。


冷たい闇が体を包み込み、

背筋にぞくりとした感覚が走る――。


何かが、今、この瞬間を変えようとしているかのようだった。


いきなり、部屋が闇に包まれ、すずらんは思わず身を硬くした。

心臓が早鐘のように打ち、全身に冷たい汗が走る。


その瞬間、天井から黒服の影が降りてきた。

すずらんの口元を覆い、息を殺せと命じる。


「声を出すな」


恐怖で小さくうなずくすずらん。

すぐに太ももの短剣に手を伸ばす――。


しかし、間一髪で短剣は奪われ、次の瞬間、喉元に鋭い刃が突きつけられた。


「残念だったな……このまま殺してしまいたいくらいだが」


声も出せず、ただ目を閉じ、うなずくしかないすずらん。

動けば命が絶たれる。

黒い影が低くささやく。


「少しでも動いたら、この短剣で刺す。目を閉じろ」


従うしかないすずらんは、深く息を吸い、震える手を握りしめた。

闇の中、静寂と緊張が支配する。


「何をそんなに悩んでいた?私のことか?」


「蘭明!?」


すずらんが振り向き、目を開けようとした瞬間、大きな手が視界を塞ぐ。

そして、再び喉元に短剣が突きつけられた。


「目は閉じていろ」


「分かったわ……」


「さっきのも芝居か?」


「芝居じゃないわよ。私と季昭は夫婦だもの、当たり前でしょう」


「素直にならない女だな……私はかなり傷ついたぞ」


沈黙が部屋を覆う。

すずらんは言葉を探すが、口をつぐむしかできない。


「何か、私に言うことは?」


緊張の中、静まり返った部屋。


そして、我慢していた感情が、抑えきれずに胸から湧き上がる。


「なんでよ……なんで私の邪魔をするのよ!」


声は震え、熱を帯び、蘭明の前で初めて本音があふれ出した。


すずらんの目を押さえている蘭明の手に、わずかに濡れた感触を覚える。

その温もりに、心の奥がぎゅっと締め付けられる。


「すずらんとして生きると決めたのに……1年半かけてようやく自分の気持ちを抑えられるようになったのに。強く生きられると思ったのに、いきなり現れて、私の前をうろちょろして、心を乱して、また弱くするなんて……」


その言葉に、蘭明は静かに、しかし確信めいた声で応える。


「守華……お前の泣く場所は、やはり私のところだったんだな?」


言葉の重みに、すずらんは何も返せず、ただ胸の奥で震える。

蘭明に押さえられた手の隙間から、涙がぽろぽろと溢れ出す。


そして、目を覆ったまま、蘭明がそっとすずらんの唇を奪う。

温かく、優しく、しかし抗えない強さで。


すずらんは、抵抗せずその唇を受け入れる。

心の奥では、蘭明に抱かれることへの安堵と、同時に激しい葛藤が渦巻いていた。


頭の片隅に、どうしても消えない思念がよぎる――


“妖石に願いを託した者。その身代わりに、そばにいる一番愛する者が死す”


心の奥で、すずらんは必死に自分を引き戻そうとする。

それでも、目の前の蘭明の温もりに、抗えず揺れてしまう自分がいるのだった。


唇が重なり合い、甘く絡む感覚に抗えず、すずらんは小さく声を漏らす。

「ダメ……」


その一言と同時に、すずらんは唇を離す。

胸の奥が締め付けられるような痛みとともに、震える声を絞り出す。

「ダメなの……もう、戻れない」


蘭明が言葉を紡ごうとする間にも、すずらんの声は大きくなっていく。

「私は季昭とともに彩国で生きる!」


その声は部屋の外にまで響き、駆けつけたウタが目を見開いて立っていた。

「すずらん様……?」


蘭明は言い残したいことがありそうな雰囲気を残しながら、すずらんの部屋を後にする。

すずらんの決意の前に、ただ静かに立ち去るしかなかった。


「すずらん様?」

ウタの心配そうな声に、すずらんはかすかに微笑み、涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭く。

「ウタ、何でもないわ。大丈夫。あなたももう休みなさい」


「はい、すずらん様……」


ウタが去った後、すずらんはその場に座り込んだまま、声を押し殺して泣いていた。

頬を伝う涙は止まらない。胸の奥では、蘭明への想いと季昭との未来が激しくぶつかり合う。


深呼吸をひとつ、ふたつ。

震える手で涙を拭い、顔を上げる。

暗い部屋の中で、微かに月明かりが差し込み、彼女の決意を照らす。


「私は……私の道を選ぶ」

小さく、しかし確かな声でつぶやく。


彩国で生きる。

季昭とともに、未来を作る。

どんな誘惑や迷いがあっても、この決意だけは揺るがせない。


すずらんは立ち上がり、背筋を伸ばす。

「もう、誰にも心を乱されない」

自分にそう言い聞かせ、部屋の奥へと歩き出す。

涙はまだ乾かないが、心は少しずつ強くなっていく。


その瞬間、すずらんの瞳に強い光が宿った。

「私は、すずらんとして生きる――そして、季昭とともに生きる」


暗闇の中で、決意の炎が静かに燃え上がる。

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