表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
守る華・守られる花  作者: ミシル
第二章 すずらん

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

79/113

79.運命の再会

周囲の木々は青々と茂り、空はどこまでも透き通った青色を映していた。

暑さもいよいよ本格的になり、日本でいうとちょうど7月の盛りだろう。


この暑さの中で着物を着て舞うのは相当な体力を要するが、踊り手ナンバー1としてのすずらんは一切それを表に出さず、どんなに汗ばむ日でも清々しく舞った。

その舞を見るだけで、まるで涼しい風がその場に流れ込むかのようだった。


そんな折、急遽、宮廷からお呼びがかかった。

彩国の公主・さきがどこかの皇子と結婚することになり、迎えに来る皇子たちとの宴で舞ってほしい、という依頼だったのだ。


宮廷など、舞を披露するとき以外は滅多に行かないすずらん。しかも、季昭は遠征中で不在。

突然の話に少し驚きながらも、咲公主とは顔見知りのすずらんは、この喜ばしい祝いの席で舞えることを嬉しく思い、忙しい予定の合間を縫って了承した。


黒の着物に、赤や水色、黄色の鮮やかな花が精緻に刺繍され、赤い帯は前で大きく結ばれている。

宮廷の公式な場やお呼ばれの際でないときは、もっと軽く薄手の生地の着物を纏うが、この重みは何度経験しても肩にずっしりとのしかかる。


背中から胸にかけて大胆に空いたデザインは、上品さの中にほのかな色香を感じさせる。

目尻には深紅のライナー、唇には同色の口紅を施し、踊り手ナンバー1、すずらんへと変貌を遂げていく。


最後に琉璃の手鏡で自分の姿を確認し、蘭の簪を髪にしっかりと刺す。

深く息を吸い込み、今日の舞の準備は整った。


ウタを連れ、宮廷の廊下を歩くすずらん。

豪華な調度品が並ぶ長い廊下は静まり返り、足音だけが軽く響く。


そのとき――

「すずらん!」


廊下の角から声が飛んだ。すずらんは立ち止まり、呼んだ方向に視線を向ける。


振り返ると、廊下の向こうから手を振りながら近づいてくる季昭の姿があった。


「あら、季昭。遠征中じゃなかったの?」

「いきなり“公主が結婚するから戻れ”ってさ。とりあえず俺だけ先に戻ってきた」


「季昭がいなくて大丈夫なの?」

「まぁ、少し落ち着いてたしな。指示も出してきたから、一日二日くらいはどうにかなる」


「にしても、私も昨日いきなり言われたのよ。もっと早く知らせてほしいわよね」

「まぁ、あの“自分第一”の陛下だからな」


季昭は、周囲に聞こえないようすずらんの耳元で小さく囁いた。

すずらんは苦笑しながらも頷く。


「それより、相手はどこの国の皇子なの?」

「俺も知らないさ。急に呼ばれたんだ。まぁ、中に入ればわかるだろう」

「そうね」


「ただ――その皇子を惑わすなよ?公主の相手なんだからな」

わざとからかうように言って、季昭は豪快に笑った。


「惑わしたくて惑わしてるんじゃないの。みんなが勝手にこの“すずらん”に惑わされちゃうの♡」

唇に笑みを浮かべて返すすずらん。


「ははは、そうでしたね」

季昭もつられるように笑みを返した。


季昭が先に中へ入り、陛下に挨拶をしているのが聞こえた。

その声が、一瞬だけ途切れたように感じた。

気のせいだろう――そう思い、深くは気にしなかった。


ウタから扇子を受け取り、すずらんは静かに顔の前で広げる。


_____バン


重厚な扉が開き、すずらんはゆっくりと大広間へ足を踏み入れた。

黒地の着物の裾を引きずり、赤い帯を揺らしながら、ひと歩みごとに場を支配していく。


その姿だけが、灯火に照らされてひときわ輝いて見えた。

次々と視線が吸い寄せられ、息を呑む音さえ響く。


やがて楽の音が流れはじめ、すずらんの舞が幕を開ける。


扇子で顔を隠したまま、すずらんは横目で季昭の姿を探す。

彼がこちらに何かを訴えている――そう感じた。

けれど、その意味までは分からない。


すずらんは気に留めることなく、舞を続けた。


やがて、扇子を掲げる手に力がこもる。

くるり、くるりと空に投げ、華麗に受け止める。

顔があらわになった瞬間、会場に拍手とどよめきが広がった。


「さて、咲公主のお相手はどんな皇子かしら?」


心の中でそう呟きながら、すずらんは軽やかに身を翻し、皇子の席へと視線を向ける。


――その瞬間。


「……蘭明!?」


忘れるはずのない顔。

1年半前、互いの想いを確かめ合った人。

愛していながら自ら離れた人。


胸の奥が一瞬、鋭く揺れた。

舞う足先が止まりそうになる。


けれど――次の拍で、すずらんは扇子を翻した。

まるで動揺など最初から存在しなかったかのように。

涼やかな微笑を浮かべ、観衆を惹きつける舞を続ける。


心の内に荒れる嵐を隠し、ただ一人の踊り手として。


でも、舞いながらも考えてしまう......


なんで……なんで蘭明がここにいるの?


そうか――季昭が訴えていたのは、このことだったのね。


蘭明は……私に気づいた?

……いや、気づくはずがない。

私は今、踊り手のすずらん。

守華ではない。


化粧をし、着飾り、誰もが憧れる舞姫の仮面をかぶっている。

きっと、分かるはずがない。


まさか――咲公主の結婚相手が、蘭明だったなんて。


嘘……。

でも……いいの。

それでいい。


私と蘭明は、もう関係ない。

あの夜に、すべてを断ち切ったのだから。


私は守華ではない。


私は――踊り手、すずらんなのだから。


心臓が、耳の奥まで響くように早鐘を打つ。

蘭明のいる列の方へ、その鼓動がそのまま伝わってしまうのではないかと怯えた。


陽月国を去ってから一年半──まさか、こんな形で彼と再会するとは思わなかった。彩国で、あの蘭明が、目の前にいるなんて。どう振る舞えばいいのか、頭の中が焦る。


でも、落ち着け、守華だと悟られてはいけない。今の私の名は「すずらん」。踊り手ナンバー1の舞姫だ。化粧と簪と着飾った姿がある。いつものすずらんを演じきれば、きっとバレない──そう自分に言い聞かせると、少しだけ呼吸が整った。


舞を〝終え〟、すずらんは所作どおりに陛下の前へ歩み寄る。静かに正座し、礼を尽くして額を床につける。拍手や囁き声が遠のき、世界が細くなる。今はただ、所作を崩さないことだけを考えた。


だが、奥に蘭明の視線を感じる。目を合わせてはいけない、と心の中で必死に叫ぶ。聞こえるわけがないと分かっていても、その視線が胸を締めつける。


「顔をあげよ、すずらん」


声は穏やかだが、厳かな重みがある。すずらんはゆっくりと顔を上げ、陛下の方へ視線を向ける。礼を受けて、陛下の声が耳に届く。


「今日の舞も見事だったぞ」


「有り難きお言葉にございます」


陛下はにこりとほほえみ、蘭明に向かって言葉を続ける。すずらんの心臓は再び跳ね上がるが、表情は穏やかに保つしかない。


「蘭皇よ、これが彩国一位の踊り手、すずらんだ。見事な舞だろう?」


「こんなにも美しい踊り手がいる彩国は羨ましい限りです」


すずらんは顔を伏せたまま、わずかに体を蘭明の方へ向ける。声はかすかに震えながらも、礼儀正しく答える。


「他国の皇子様にもお褒めいただき、身に余る光栄でございます」


そしてすぐに、体を陛下の方へと戻す。所作に乱れはない。胸の内の波風は大きいが、外に漏らさない──それがすずらんの流儀だ。


(完璧、誰にも気づかれていないはず)

そう自分に言い聞かせながらも、心の中では別の声が囁く。──早くここから離れたい。早くこの場を去って、鼓動を落ち着けたい。


すずらんは静かに礼を返し、その場を離れようとする。表面上はいつものように振る舞い、内側では蘭明との再会が残した余韻と葛藤をぎゅっと胸に押し込めて。


「すずらんよ、陽月国の蘭皇だ。蘭皇にも褒められて、嬉しい限りだろう」


陛下の声に、すずらんは微笑みながら静かに頷いた。

胸の奥で嵐のように鼓動が荒れていても、外には出さない。


「では、すずらんよ。せっかくだ、蘭皇に酒を注いでやってくれ」


一瞬、えっ──と表情が止まる。

しかしすぐに、踊り手としての顔に戻り、いつもの笑顔で答えた。


「はい、喜んで」


横目に季昭をちらりと見る。彼が心配そうに眉を寄せているのが分かった。

すずらんはゆっくりと立ち上がり、視線を下に落としたまま蘭明の席へと歩み寄る。

その背後には八軒の姿もある。──ますます心臓が強く打った。


盃を取り、蘭明の杯に酒を注ぐ。

視線を合わせることはしない。だが、蘭明の視線が鋭くこちらに注がれているのは、下を向いたままでも分かった。

自然と手が震え、酒面に小さな波が揺れた。


なんとか注ぎ終え、すぐに退こうと身を引いたその時──


「……顔をあげてくれ」


蘭明の低い声が、耳を打った。

一瞬、すずらんの動きが止まる。

けれど次の瞬間には、深く頭を垂れたまま、静かに答える。


「高貴なお方に顔をあげるなど、滅相もございません」


そのまま深く一礼をして、背筋を伸ばし、すずらんは後ずさるようにして元の位置へと戻った。


陛下へ礼を尽くしたのち、振り返らずにそのまま会場を後にする。

──背中に蘭明の視線を感じながら。


_____バン


扉が閉じた音を背に、すずらんはその場に立ち尽くした。

胸を押さえると、今まで張り詰めていた緊張が一気に解け、足から力が抜けていく。


「すずらん様、どうされました? 大丈夫ですか?」


すかさず駆け寄り、手を差し伸べてくるウタ。

すずらんは微笑みをつくり、首を振った。


「何でもないわ……大丈夫。行きましょう」


安心したように頷いたウタが前を歩き始める。

その後ろをついていきながら、すずらんは閉じられた扉をふと振り返った。


(元気そうで……よかった)


そう心の中で呟き、気持ちを切り替えようと前を向く。

けれど、耳に届くはずのウタの次の予定の話も、すずらんの心には入ってこなかった。

蘭明の顔が、瞼の裏から消えない。


──その瞬間。


右手を、不意に強く掴まれた。

驚いて振り返ったすずらんの視線の先に立っていたのは──蘭明。


見つめ合った瞬間、時間が止まったように周囲が静まり返る。

その空間に、緊張が走った。


「……守華、だろ?」


低く、確信を帯びた声。

すずらんの胸が大きく揺れる。


「……蘭皇様」


掴まれた手を振りほどけず、すずらんは静かに頭を垂れた。


「すずらん様? どうかされましたか?」


少し先を歩いていたウタが異変に気づき、振り返って首を傾げた。

すずらんは一度だけウタに視線を向け、柔らかく微笑んで言った。


「ウタ、先に行ってていいわ」


「……はい」


不思議そうにしながらも、ウタはそのまま歩き去っていく。

残された廊下に、すずらんと蘭明。二人だけの緊迫した空気が満ちていた。


「守、華だよな?」

また問いかける蘭明。


「守華?とは?──人違いではございませんか。私の名は、すずらんと申します」

蘭明をしっかりと見据え、微笑みを返すすずらん。


その笑みを前に、蘭明は信じられぬような顔をしていた。


「失礼──」

そう言うや否や、蘭明は胸元に手を伸ばし、着物の衿をぐっと引き下げる。


「何をなさるのです!」

目を見開き声を上げるすずらん。


しかし、より大きな衝撃を受けていたのは蘭明の方だった。


「……傷が……ない……」


すずらんは慌てて着物を直し、表情を硬くして告げた。


「恐れ入りますが、蘭皇様。私は遊女ではございません。そういうことを望まれるなら妓楼へお行きくださいませ」


「……っ、あ……すまなかった」


深く一礼し、すずらんは踵を返す。


その背に、まだ呆然と立ち尽くす蘭明の視線が突き刺さっていた。


──去りゆくその姿に、ひと筋の煌めきが目に映る。


すずらんの黒髪に、かつて自ら贈った蘭の簪が差してあるのを。


蘭明の姿が視界から消えるまで、すずらんは堂々と背筋を伸ばして真っ直ぐ歩いた。

後ろから見れば、何の変哲もない普通の歩き方だ。


だが、実際のすずらんの目はしきりに泳ぎ、何度も深呼吸を繰り返していた。

「傷を化粧で隠しててよかった……もし露出してたら、確実にバレていたわ」


その安堵が少しだけ肩の力を抜かせる。


──「すずらん」


呼ばれた方向に目を向けると、季昭が立っていた。

手招きされるまま、二人で部屋へと入る。

季昭が扉を静かに閉めた。


「大丈夫だったか?」

「ええ……何とか。蘭明は気づいたみたいだけど、うまく誤魔化せたわ」


季昭は眉をひそめる。

「蘭皇がいるなんて、俺も知らなかったんだ」


「咲公主の相手って……」

「蘭皇だろうな」

「だよね……」


関係ないと分かっていても、胸の奥に小さな悲しみが残っていた。


去って行く“すずらん”という踊り手の女。

その後ろ姿を、蘭明はただ黙って見つめ続けていた。


──「蘭皇、守華さまでしたか?」


後から駆けつけた八軒が、慎重に声をかける。

「貴愛奈を守った時の傷跡は無かった……本人も守華ではないと言っていたが……」


蘭明は眉間に皺を寄せ、視線を逸らすこともできずにいた。

「守華さまといえば守華さまに見えますし、違うといえば違うようにも見えます……」


胸の奥で何かがざわつく。心臓が跳ねる。

「いや、私が間違えるはずがない。

“すずらん”と名乗っている女は、確実に守華だ。絶対に」


視線が簪に止まる──あの蘭の簪。

自分が作らせた、唯一のもの。

その簪を持っているのは守華だけ。


なぜ、そこまでして正体を隠すのか。

私に背を向けて去るその背中に、まだかつての温もりを感じる。

思わず胸の奥が痛む。あの頃の笑顔、あの声、あの手の感触……

──それをすべて、守華は封印して、目の前に“すずらん”として現れたのか。


私が「二度と目の前に現れるな」と言ったからか。

それとも、私をそこまで嫌っているのか。


憎しみと、未練と、複雑な感情が絡み合い、どう整理していいのかわからない。

ただ、今は一つだけ確かだ。

あの女は、間違いなく守華で、間違いなく私の心を揺さぶる──。


何もできず、ただ後ろ姿を見送りながら、蘭明の胸の中で熱い想いが渦巻いていた。


「八軒」

「はっ!」

「咲公主に伝えろ。せっかく彩国まで来たのだから、ゆっくり観光をしてから帰りたい、と」

「かしこまりました」


心の中で、蘭明は深く息をつく。

ここで守華に再び会えたことも、きっと何かの運命なのだろう。


守華が去った後、陽月国の隅々まで彼女の姿を探した。

もしかすると、楽士国に行っているかもしれないと、楽士国まで足を伸ばして隅々まで探した。

それでも見つからなかった。


まさか、敵国である彩国に来ていたとは──。


この一年半、守華のことを忘れた日は一度もなかった。

頭から離れることもなく、夜も眠れない日々が続いた。

あの笑顔、あの声、あの手の温もり──すべてが鮮明に蘇る。


必ず、守華だと認めさせてやる。

その想いが、胸の奥で燃え上がった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ