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守る華・守られる花  作者: ミシル
第二章 すずらん

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78.東泉村の疫病

あの日以来、季昭はすずらんに無闇に触れることもなく、二人は昔のように気楽な友達の距離感で過ごしていた。


季節は巡り、秋。

忙しい日々は変わらなかったが、ようやくすずらんにも久しぶりの休みが訪れた。


ちょうど外に出たとき、出立の支度をしている季昭の姿が目に入る。


「季昭、今日も遠征?」


「今日は違う。東泉村とうせんむらかっこに行く」


「東泉村?」


「ああ、山の奥にある村だ。陽月国へ行くときは必ず通る場所なんだ」


「へえ…そんなところに、将軍自ら何をしに?」


「どうやら病が流行っているらしい。死者も出ているそうでな。恐れて誰も調査に行こうとしないから、俺が様子を見に行くことにした」


「でも、季昭まで危ない目にあったら…」


「それは分かってる。けど、助けを求められているのに背を向けるわけにもいかないだろう。とりあえずは遠くから様子を探るつもりだ」


「東泉村って遠いの? 馬で行くの?」


「ああ、馬で行く」


その言葉に、すずらんの胸が少し弾んだ。


――久しぶりに、フリーダムに乗れる。

それに、陽月国へ続く道のりにある村と聞けば、行ってみたくなるのも当然だった。


「私も、一緒に行っていい?」


思い切って口にしたすずらんに、季昭は目を丸くした。


「はぁ? これは遊びじゃないんだぞ。それに、もし病がうつったらどうする。踊れなくなるかもしれないんだぞ?」


「大丈夫よ! 私を誰だと思ってるの!」


胸を張って言い切るすずらん。

その根拠はどこから来るのか、季昭にはまるで分からない。ただ、彼女の真っ直ぐな目に押し切られるように見つめ返すしかなかった。


「……うつっても俺は知らないからな」


「はーい」


軽く受け流すような調子に、季昭は思わずため息をつく。

けれどその頬は、少しだけ緩んでいた。


すずらんはすぐに動きやすい服に着替え、久しぶりに愛馬フリーダムの背に跨る。

手綱を握ると、フリーダムが嬉しそうに嘶いた。まるで「やっと一緒に走れる」とでも言いたげに。


すずらんはフリーダムの背に揺られながら、頬にあたる秋風を胸いっぱいに吸い込んでいた。

紅葉しかけた山々の彩りが鮮やかで、空はどこまでも澄み渡っている。


「やっぱり馬っていいわね! 走ってると、全部吹き飛んじゃう!」


声を弾ませるすずらんに、隣を駆ける季昭が横目をやる。

「お前、ほんとに遠出が好きだな」


「だって、いつもは舞台と稽古ばかりなんだもの。こうして馬に乗って外を駆けるの、自由そのものじゃない」


その笑顔に、季昭もつられて口元を緩めた。

フリーダムは二人の空気を感じたのか、蹄を軽快に鳴らしながら一層速度を上げる。


木々の間から小川がきらめき、鳥が羽ばたいて空へ消えていった。

その景色すべてが、旅の始まりを祝福しているかのようだ。


「ねぇ季昭、東泉村ってどんなところ?」


「山に囲まれててな、泉が湧いてるから“東泉”って呼ばれてる。水がきれいで、前に通ったときは魚が跳ねてた」


「へぇー、楽しみ!」


そこで季昭がふと思い出したように続ける。

「そういえば…陽月国から彩国に来たときも、通ったんだぞ。あのときは雨がひどくて、道がぬかるんでたけどな」


「えっ、そうだったの? 全然覚えてない……」


「お前は疲れて寝てただろう。俺が担いで馬に乗せてたんだから」


「えぇ!? ちょっと、それもっと早く教えなさいよ!」


「別に言うほどのことでもないだろ」


悔しそうに頬をふくらませるすずらんに、季昭は小さく笑いを漏らした。

その何気ないやり取りに、いつもの穏やかな時間が戻ってきたようだった。


馬を走らせること二刻。

山を越え谷を抜け、ようやく東泉村が視界に入った。


しかし村全体はどこか薄暗く、活気というものが感じられなかった。

人の姿もまばらで、耳を澄ませば川のせせらぎと風の音ばかりが響いている。


「……なんだか、人の気配が薄いわね」

すずらんが手綱を引きながら、ぞくりと背筋を震わせた。


「どんな病か分からない。簡単に近寄るわけにはいかないな」

季昭が短く答える。


だが、この距離からでは村の様子は見えない。

そこで三人は、村の外れを回り込むように散策してみることにした。


しばらく進むと、川辺に出る。

水面に揺れる布――一人の女性が洗濯をしていた。

その手つきは弱々しくも、懸命さが伝わってくる。


三人は馬を降り、そっと近づいた。

すずらんが一歩前へ出て、声をかける。


「すみません」


女性がハッとしたように振り向いた。

やつれた顔に驚きの色が浮かぶ。


「あなたは……東泉村の方ですか?」


小さくコクンと頷く女性。


すずらんは季昭と目を合わせる。

季昭は頷き、低い声で告げた。


「都から来た。東泉村で流行っている病について調べに来た者だ」


「……お役人さん、ですか?」


「そんなところだ。話を聞かせてもらえるか?」


その女性は、今の東泉村の様子を詳しく教えてくれた。


「ここ一ヶ月で、一気に病にかかる者が増えてしまって…大人も子供も関係なく、皆が苦しんでいます。ただ、症状が重くなるのはやはり大人のほうですね」


体や顔に赤い点々が現れ、高熱を出す者もいるという。その女性自身はまだかかっていなかったが、小さい頃に一度この病にかかったためではないかと話した。


すずらんはその言葉を聞き、ふと思い出す。現代でいう“水疱瘡”のことではないか、と。


水疱瘡はまず体や顔、頭など場所を選ばず赤い点々ができ始める。大人になってからかかると症状が重くなるため、すずらんも子供の頃にわざと水疱瘡にかかったことがあった。一度かかれば二度とかからない。なるほど、だからこの女性は今のところ平気なのだろう。


感染の仕方も思い当たる。咳やくしゃみで空気中に広がることもあれば、水疱の液に触れることで感染することもある。痒くて掻きむしると、さらに跡が残ったり、病気が広がったりするのだ。


すずらんは、小さな知識がここで生きることに、少し安堵しながらも、心の奥で緊張を覚えた。


三人とも口元を布で覆い、慎重に東泉村に入った。


季昭も馬の上から周囲を見渡す。村の家々の軒先には、赤い点々が現れた者がちらほら見え、咳き込む声や泣き声が風に乗って届く。


「やはり想像以上だな…」季昭は低く呟いた。

「でも、ここにいる人たちは助けを必要としている。俺たちが見て何かできることを探さないと」


すずらんも馬の上から慎重に村の中へ足を進める。人々の表情や体の異変を目で追いながら、空気感染や接触感染の恐怖が自分たちにも及ぶことを無意識に意識していた。


「季昭、ここで少し散策して情報を集めよう」

「わかった。だが、すずらん、無理はするなよ」


三人は馬から降りて馬を手綱で押さえながら、互いに距離を保ちつつ村を巡る。小さな川沿い、畑の中、家々の前――病の影がちらつく村を慎重に歩きながら、すずらんは心の中で呟いた。


(これが…現代で言う水疱瘡なら、私の経験が役に立つはず。怖がってばかりはいられない…)


緊張と責任感が入り混じる中、すずらんと季昭は東泉村の現状を少しずつ把握していった。


三人は村の中を慎重に歩きながら、家々や人々の様子を観察した。


赤い斑点が体に現れ、顔をしかめてうずくまる大人たち。泣き叫ぶ子供たちを抱え、必死に声をかける母親。空気感染と接触感染の恐怖がすぐそばにあることを、三人は肌で感じた。


「季昭…あの家の方、症状が重そうね」

すずらんは、茂みの陰から咳き込む中年の男を見つけ、低く声を漏らした。


「確かに…熱も高そうだ。近づくと感染するかもしれない」

季昭は慎重に距離を取りながら答える。


すずらんは女性から聞いた話を思い出し、ふと呟く。

「水疱瘡だ。きっと」


「水疱瘡?」季昭は首をかしげた。


「そう!一度かかれば二度とかからない。赤い点々ができて、そこがすごく痒くなるの。ひどい場合は高熱を出したり、死んでしまう人もいるわ」


「赤い点々、痒くなる…それは俺も子供の頃、なったな」


「えっ?本当に?」


「あ〜。確かだ。痒くても我慢してかかないようにしていた。プクっとなってるところがいつの間にかカサブタになって消えたのを覚えてる」


「じゃー、季昭と私は大丈夫だわ」

すずらんはうんと頷く。


「駿はきっとうつってしまうから、都にもどって綺麗な布を沢山持ってきてくれない?ちょっと遠いけど」


「承知いたしました」


「あと、じゅくじゅくした皮膚を乾燥させる薬粉とかないのかな?都の医者に聞いてみて」


「分かりました」


二人は慎重に距離を保ちながら村人の近くへ歩み寄った。


「俺たちができることは、症状の重い人たちを見極めて、応急処置や食料を届けることだな」

季昭は冷静に村の状況を分析する。


二人は互いに目を合わせ、小さく頷く。

(ここからが本当の勝負だ…)


まず、子供と大人に分け、大人の中では軽い症状の人と重い症状の人に分けて対応した。


部屋が汚れすぎていることが悪影響になると分かり、すぐに掃除を始める。


幸い、この村には澄んだ泉が湧いていた。その透明な水を汲み、掃除の後で、優しく一人ひとりの体を拭いていく。冷たく心地よい水が、痒がる子供たちの体を少しずつ落ち着かせ、頬や額に赤い点々があっても、布のひんやり感に思わず目を細める。


「かかないでね、余計に悪くなっちゃうから」

すずらんはそう声をかけながら、布でそっと背中や腕をなでる。泣きそうな顔の子供たちも、少しずつ安心した表情を見せる。


大人たちも、重い症状でぐったりしていた者は、泉の水で拭かれるうちに徐々に呼吸が落ち着き、表情が和らいでいく。軽い症状の者は、痒みが和らいだことで疲れた目に少し光が戻った。


食事も作り、みんなに分け与える。温かいご飯や栄養のあるスープに、疲れた体も心もほっとする。すずらんと季昭ができるのはここまでだった。


日が傾いてきたころ、駿が何人かの護衛を連れて戻ってきた。荷物を運ぶために連れてきたのだ。そこには医者も一人おり、子供や大人の様子を見守るために来てくれた。


医者から薬を渡され、すずらんと季昭は一人ひとりに丁寧に塗っていった。

重症の者は医者が診察してくれていたので安心だ。

「これで少しは落ち着くはずね」

すずらんがそうつぶやくと、季昭も頷く。


泉の水が差し込む夕陽の中、子供たちの笑い声や大人たちの安堵の表情を見て、すずらんと季昭は互いに目を合わせ、静かに深呼吸する。忙しくも、少しだけ心が落ち着くひとときだった。


あっという間に夜になり、駿たちは村の外で野宿。

すずらんと季昭は、村の中で静かに寝た。夜の冷たい空気に包まれながらも、今日一日のことを思い返す。


翌朝、子供たちの元気な声で目を覚ました二人。

「昨日より、みんな少し明るくなったかな…」

すずらんが微笑むと、季昭も少しほっとした表情を見せる。


「また、近いうちに様子を見に来るわね」

すずらんは子供たちに手を振り、季昭と共に東泉村を後にした。

今日一日の疲れはあるけれど、少しずつでも助けられたことに二人は満足していた。


踊り手の仕事の合間を縫って、すずらんは月に二回ほど東泉村を訪れるようになっていた。

村人たちもほとんどが元気を取り戻し、流行病はいつの間にか姿を消していた。


すずらんはすっかり村に馴染み、子供から大人まで慕われていた。

子供たちの無邪気な笑顔や元気に駆け回る姿を見ると、心が自然と軽くなる。

大人たちと一緒に畑仕事をしたり、井戸の水を汲んだり、手を取り合って作業をする時間は、踊り手としての慌ただしい日常では味わえない温かさに満ちていた。


この村では、すずらんが踊り手ナンバー1であることも、かつて陽月国にいた守華だということも誰も知らない。だからこそ、素の自分でいられる。肩の力を抜いて、笑い、遊び、働ける――そんな時間が、すずらんにとって何よりの心の拠り所だった。


陽月国との争いはなくなったものの、領土拡大のために遠征が続く季昭と、踊り手としての仕事や東泉村の往復に追われるすずらん。

忙しい日々の中でも、村で過ごす穏やかな時間が、彼女の心をしっかりと支えていた。


そして、21歳になったすずらんは、今年も踊り手ナンバー1の座を守り抜いた。

村での笑顔と、支えてくれる人々の温かさが、次の舞台への力となっていた。

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