表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
守る華・守られる花  作者: ミシル
第二章 すずらん

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

71/113

71.彩国の日常

季昭の屋敷に来てから、守華が落ち着くまでは、誰にも会わせないように配慮してくれていた。


しばらくして、もう大丈夫だろうと判断したのか、季昭は屋敷に戻るとそのまま屋敷の者たちと側室二人に向かって、私を“すずらん”として紹介した。


そして、正妻として――。


そう、季昭にはすでに二人の側室がいた。

玲奈れいな香織かおり。どちらも高貴な家柄の美しい女性だ。


私は最初、侍女で構わないと告げたのだが、季昭は「それはできない」と言い切り、正妻としてここに住まわせてくれた。

上っ面の体裁ではあるが、こうでもしなければ、側室たちや屋敷の者たちに示しがつかないのだろう。


今思えば、蘭明の周りにも側室の一人や二人いてもおかしくはない。むしろ、いなかったほうが不自然なくらいだ。


屋敷では、まだこのことを外に漏らすなと季昭から強烈な圧がかけられ、まるで脅しのようだった。


もちろん、玲奈や香織は、突然現れた私を快く思っていないのは一目で分かった。

だが、それでも気にしないのが、すずらんの流儀だ。


運がいいのか、それとも天の采配か。

季昭は遠征で家を空けることが多かった。


そのおかげで、正式な婚礼の儀は「将軍が落ち着いてから」という名目になり、屋敷の者たちも誰一人として疑いを抱かない。

きっとこれも、季昭が先を読んでうまく立ち回ってくれているのだろう。


陽月国の装いは中国の漢服に似ていた。

けれど彩国はどちらかと言えば、日本寄り。


男たちの服装は陽月国と大差ないが、女の衣はまるで違う。

ここ彩国では、女性は皆、着物を纏っていた。


――昔の日本に迷い込んだよう。


そう思えば、守華にとっては意外と馴染みやすかった。

日本人としての血が、自然と風景に溶け込ませてくれたのかもしれない。


ただ一つ、慣れないのは着物そのもの。

布を重ね、帯で締めるその姿は美しいが、動きにくいことこの上ない。

「動きづらい服ほど嫌なものはない」――それが守華の本音だった。


それでも、季昭が用意してくれた着物を素直に身に纏い、鏡の前に立つ。

多少の不自由さも、彼の思いに報いるためなら我慢できる。


こうして少しずつ、守華は“すずらん”として彩国の暮らしに馴染んでいった。


初めて彩国で迎える朝。

襖を開けると、香ばしい香りが漂ってきた。


食卓には、白い湯気を立てるご飯と、澄んだ汁物、焼かれた魚に香の物。

陽月国の濃い味付けとは違い、彩国の料理は淡く優しく、体の奥にじんわりと染みていく。


「すずらん様、こちらへ」

侍女たちが恭しく席へと案内する。


すずらんが腰を下ろすと、左右に座る二つの影。

第一将軍・季昭の側室――玲奈と香織。

どちらも高貴な家の出で、立ち居振る舞いまでが気品にあふれていた。


すずらんが軽く会釈すると、二人はわずかに視線を投げただけで、何事もなかったかのように箸を取った。

笑みすら見せない冷たい態度。


――まぁ、当然よね。

昨日まで存在もしなかった女が、いきなり「正妻」として座っているのだから。

好意的に受け止められるはずがない。


それでも、すずらんは微笑みを崩さなかった。

戦場で敵軍の視線にさらされたことを思えば、この程度の敵意など何でもない。

むしろ、この張り詰めた空気すら新鮮に思えた。


箸を取り、静かに食事を口に運ぶ。

彩国の味はどこか懐かしく、そして新しかった。


こうして、すずらんの「新しい日常」が始まっていく。


普段は、今でいう浴衣のような軽やかな着物を身にまとっていたが、踊りの稽古のときは違った。

重みのある本格的な着物に袖を通し、一歩踏み出すごとにその重さを肌で感じる。


歩き方、手の運び、視線の向け方――。

一つひとつの所作を丁寧に身につけていく。


季昭は彼女のために、一流の踊りの師を付けてくれた。

「すずらんなら、きっとやれる」

そう言われた言葉が、心の奥で支えになっていた。


もともと、すずらんは「これ」と決めたら徹底的に打ち込む性格だ。

かつて武芸も、最初は全く出来なかったのに一気に習得した過去がある。

その集中力は今も健在で、日本にいた頃に身につけていた踊りの基礎もあり、武芸よりははるかに早く上達していった。


だが、決して順風満帆ではない。

何度もつまずき、何度も悔しさに唇を噛んだ。

それでも朝から晩まで、師がいない時でさえ練習を続けた。


――止まってしまえば、蘭明のことを考えてしまう。

だからこそ、踊りに身も心も投げ込んだ。


その姿は、必死さを隠そうともせず、ただひたむきだった。


日が沈んでも、稽古場の灯りは消えることがなかった。

汗に濡れた着物を何度も取り替えながら、すずらんはひたすら舞い続ける。


廊下を通る侍女たちは、ふと足を止め、その姿に目を奪われた。

「…あの方、ただの舞姫ではないわね」

「正妻として来られたのも、理由があるのかもしれない」

小声で囁き合いながらも、どこか敬意を滲ませていた。


屋敷の男衆もまた、重たい薪を運びながら横目で彼女を見やり、

「毎日、あれだけやるのか…」と感嘆の息を漏らす。


そんな空気を誰よりも敏感に感じ取っていたのが季昭だった。


廊下の陰から稽古場を見つめると、すずらんの指先から視線の動きまで、全身が必死に生きようとしていることが伝わってくる。

守華として戦場を駆け抜けたあの強さと、今、すずらんとして新しい居場所を掴もうとする健気さ――その両方が入り混じっていた。


「……やっぱり、おまえは強いな」

誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。


季昭の胸の奥に、不思議な安堵と誇りが芽生えていた。

すずらんが選んだ道は、決して間違っていない――そう信じられたからだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ