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7.初めての友と陽月の風

ぞろぞろと、牢の中に侍女らしき女性たちが入ってきた。

その中の一人がふと前に進み出る。


小心しょうしんと申します。」


柔らかくお辞儀をすると、その顔にはにこっと微笑みが浮かんだ。

守華も軽く頭を下げる。守華と同じくらいの年だろうか――可愛らしい少女だった。


「失礼いたします」


小心の声に従い、後ろの侍女たちが守華の両腕を優しく掴む。

どこかへと連れて行かれるのだろうか。


「えっ、ちょーーーっと、次はどこに行くのーーー!?」


答えてくれる者は誰もいない。


守華はゆっくりと牢の扉をくぐり抜けた。

外に出ると、目の前に広がる景色と、柔らかい日差し、そして何よりも新鮮な空気に胸がいっぱいになる。


「わ……」


思わず息を呑む。牢の中の重苦しい空気とは違い、この風は生きている。ほんのり温かく、どこか甘く、そして少しひんやりした香りが混ざり合って、体の隅々まで染み渡るようだった。


見上げれば、雲ひとつない青空。足元には草の匂い。まるで別世界に迷い込んだような感覚に、守華は思わず目を閉じ、深く深呼吸した。


この国の風――なんとも言えない、不思議な懐かしさと新しさが同時に胸を満たす。

守華は心の奥で、小さく微笑んだ。

「……これが、この国の風……」


やがて連れてこられたのは、薔薇の花びらが散りばめられた豪華な浴室だった。

花の甘い香りが鼻をくすぐる。守華は思わずため息を漏らした。


――何日ぶりだろう。

昨日は丸一日牢屋に閉じ込められ、三日も湯に浸かっていなかったのではないか。


「失礼します。」


小心が浴室に入ってきた。


「お背中を流しますね。」


「自分でできるけど…」


「いえ、そうはいきません。」


守華は少し考え、頷いた。背中を流してもらうくらいなら――悪くない。


「こんなところに痣があるんですね……」


小心の指先が、そっと腰のあたりに触れる。


守華はハッとして、思わず体を固くした。すっかり忘れていた――腰のところに、あの痣があることを。


母の声が、ふと頭に蘇る。

「誰にも言っちゃだめよ」


守華は小さく息を吐き、少し肩をすくめて言った。

「生まれたときからあるものだから、気にしないでください」


小心の視線が気になる。けれど守華は、あまり深く突っ込まれないように、軽く笑みを浮かべながら話すのだった。


小心は、まるで何事もなかったかのように微笑みを浮かべ、丁寧に水をすくい、守華の背中を撫でながら自然に話し出した。


その柔らかな声に守華の胸のざわつきも少し和らいだ。


「お名前を聞いておりませんでした。」


そういえば、まだ誰にも名前を伝えていなかった。

「私は守華よ」

「守華さまですね。」

「様は付けないで。慣れないし、私は拾われてきたようなものだから。」


守華が笑うと、小心もにっこり微笑んだ。


「そうはいきません。蘭皇が連れてきた女性ですから。初めて屋敷に女性が来て少し嬉しいのです。今まで蘭皇は女性に無関心でしたから。」


守華は、こっそり嬉しさを噛み締めた。初めて、こっちに話せる相手ができた――。


「小心は働いて長いの?」

「はい。蘭皇のお屋敷に十三歳で来ましたので、もう五年になります。」


「十三歳!?ってことは、今十八歳!?同じくらいの年じゃない。」

「はい。守華さま、お綺麗だから年上かと思っていました。」


守華は思わず顔を赤らめ、照れ笑いする。


「これから守華様は、陛下にご挨拶に行くのです。」


「えっ?陛下に――?ここで一番偉い人じゃないの?」


「はい。今、蘭皇の二十歳の誕生日祝いと、先日の勝利の宴が行われています。陛下が守華さまを連れて来いと仰ったのです。」


「蘭皇ってあの意地悪で顔も見たくないやつの誕生日!?いやだ!」


「何をおっしゃいますか。蘭皇は頭脳も武芸も一流、顔も良く、女性を虜にするのです。誰もが蘭皇の妃を狙っていますよ。」


「そんなに!?小心も…?」

「まさか、私の主です。この五年、そういった感情は一度もございません。」


守華は、苦笑いする。


「そーいえば、今日って何日?」

「今日ですか?三月一日です。」

「三月一日!?私も誕生日…」


小心は目を輝かせ、拍手をした。


卒業式前日まで日本にいた守華は、ここで三月一日を迎えるなんて――少し戸惑いながらも、嬉しさが胸を満たす。


洗い終わると、次は着替えだ。ここではブラジャーはなく、その代わりの下着をきて、キラリと光る漢服に着替えさせられる。

ヒラヒラと長い袖、華やかでありながらも上品な装い。


小心は守華の靴下まで丁寧に履かせる。守華は自分でできるのに、と少しもどかしく思いながらも、ありがたく受け入れた。


「この足に付けている輪っか、綺麗ですね。」

「母からもらった大切なものなんだ。」

「お母さま?」

「うん、そう」


小心も、自分の母からもらった腕輪を見せてくれた。二人は少し静かに微笑み合う。


髪や化粧、アクセサリーを整え、挨拶の作法も小心に教わる。

「大丈夫、守華様ならできます。きっと皆、驚きますよ」


守華は深呼吸し、心を落ち着けた。長いスカートで歩きにくいが、慎重に、慎重に――。


これから、どんな出会いが待っているのだろうか。




時間は少し遡る――


煌びやかで、息を呑むほど広大な大広間。

両端には皇子や姫、将軍に重臣たちがずらりと座っており、威厳と華やかさに満ちていた。

そして、その中心、最前列の真ん中には、まばゆい光を放つ陛下の玉座が鎮座している。


「皇帝陛下のおなーりー!」


その声に、賑やかだった部屋は瞬時に静寂に包まれた。

誰もが息を潜め、陛下と皇后の登場を待つ。


「皇帝陛下、万歳、万歳、万々歳!」


座っていた者たちは揃って立ち上がり、深くお辞儀をする。

「楽にせよ」

陛下の一言で、視線がぱっと上がる。


「今日はめでたいことが二つもあり、朕も嬉しい。蘭皇よ」


「はっ!」


蘭明は真っ直ぐ前に進み出て、頭を深く下げる。

そしてゆっくりと顔を上げた。


「今日は、蘭皇の二十歳の誕生日だな。おめでとう」


「有り難きお言葉、父上」


「先日の彩国の戦いも、ご苦労であった。いい報告を聞けて朕も喜ばしい」


「父上のご期待に添えられ光栄でございます」


陛下の眼差しが、ふと鋭く光った。


「噂で聞いたのだが、その戦いに勝利の女神が現れたというのは誠か?」


場内に一瞬、緊張が走る。

蘭明は唇を軽く噛み、一瞬思考を巡らせた。


「はい、誠でございます。その勝利の女神のおかげで、陽月国は勝利を収めることができました」


「ほう、そうかそうか。ならば、褒美を与えねばなるまい。その者をここへ呼べ」


蘭明は一瞬、体が固まった。


「呼ばぬのか?」


ゴクン、と唾を飲み込む。


「いいえ、こちらにお連れいたします。ただ、この場所には不慣れな者でございます。ご無礼があるかもしれません」


「そんなことは気にするでない。めでたいことが続き、朕も上機嫌じゃ」


「はっ!では準備を整えますので、少しお時間を頂戴いたします」


大広間から、蘭明は静かに退出した。


「白鋭」


「はい、蘭皇」


白鋭は蘭皇の付き人。幼い頃から蘭明と八軒に仕え、深い信頼を寄せられている忠実な青年だ。


「小心に、あの女の身支度を任せろ。常識的な所作も含め、しっかりと仕込むように」


「承知いたしました」


白鋭はすぐさま小心の元へと向かう。


蘭明は胸の奥で、じんわりと不安が広がる。

あの乱暴で、自由奔放な娘が、父上の前できちんと挨拶できるだろうか――。

彼女の振る舞いが、戦の勝利に勝るとも劣らぬ試練のように思えた。

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