65.最後の別れと選択
守華と蘭明が戻ると、八軒、瑠璃、小心、白鋭が集められた。
二人は、妖石の在りか、一月後に太陽と月が重なること、そして守華が果たさねばならない使命──そのすべてを、静かに、しかし誠実に伝えた。
一月後、守華はこの陽月国を離れる。
みんな、心の奥では「ここにいてほしい」と願っていた。けれど、その言葉は誰一人、口に出せなかった。
「守華さま、ご家族やお友達にやっと会えるんですね!」
小心が笑顔で近づく。だが、その瞳には少しの寂しさも混ざっていた。
「帰る前に、あのクッキーの作り方を教えてくださいね」
琉璃も守華に近づく。
「守華さま、またお手合わせをお願いします」
八軒もにこやかに言うが、肩の力の入り方から、別れを惜しむ気持ちが滲み出ていた。
「私は……綺麗なシャボン玉を一緒に作りましょう」
白鋭も小さな笑みを浮かべ、そっと加わる。
みんなが守華を囲むように集まり、背後で蘭明は静かに見守る。
その光景に、守華の胸は熱くなり、込み上げる涙を必死に堪えた。
「あれー、私たちは兄弟は仲間外れ?」
その声に振り向くと、夏翠と星曜が立っていた。
蘭明の母の故郷に行っている間に、八軒が二人に事情を説明しておくよう伝えてくれていたのだった。
守華は一瞬だけ視線を落とす。
みんなに囲まれ、笑い合い、でもその心の片隅には、遠くへ行ってしまう運命の寂しさが渦巻いていた。
その瞬間、守華の手を握る小心の温もり、瑠璃の励ますような瞳、八軒の力強いまなざし、白鋭の笑顔……。
「離れても、私はここにいるよ」
そう誰もが言わずに伝えていることが、守華の胸に深く沁みて、涙が一粒、頬を伝った。
その涙は、悲しみだけでなく、感謝と愛情で満ちた、別れの温かい涙だった。
「まさか、守華が別世界の人間だったとはな……道理で、ここの女子たちとは違う雰囲気があったんだ」
星曜が少し照れくさそうに近寄る。
「守華、どこにいようと、私と守華の男女の友情は繋がってるからな!」
笑顔で言う星曜に、守華はくすりと笑った。
「守華〜、舞の稽古を全部終わらせてから帰るんだからね〜」
声を弾ませる夏翠。
守華はそんなみんなに、笑いながら「分かった、分かった」と答えた。
けれど、みんながわざと明るく振る舞っているのも、守華には手に取るように分かる。
だからこそ、残されたこの一ヶ月──一日一日を、みんなのために精一杯使おう。
私が陽月国に来て、みんなに何かを残せるなら、精一杯残して帰ろう。
そして、私に人を愛する意味を教えてくれた蘭明を、最後まで、心の底から愛して、愛して、愛して……。
私の愛を、蘭明に残そう――。
次の日から、守華は大忙しだった。
小心には、「こんな服なら売れる」と服のデザインや素材を熱心に説明し、さらに劇団に入ることを勧めた。もちろん、蘭明の了承も得ている。
琉璃には、いつも守華が作っていたクッキーを一人で作れるよう、何度も手取り足取り教えた。味見役はもちろん八軒が務めていたけれど。
八軒とは、何度も手合わせを重ねた。勝てるはずもなく何度もやられたが、それもまた楽しい時間だった。
白鋭には、シャボン玉の作り方や割合、道具の手作り法を伝授した。ここで働く人たちのちょっとした息抜きになればと願って。
夏翠には、守華の舞を教えた。さすが公主、基礎は守華よりしっかりしていて、覚えるのも早い。二人で何度か練習した後、みんなの前で舞を披露した。
星曜とは、二人で悪戯を楽しんだ。蘭明や八軒に小さな仕掛けを仕掛けたり、時には馬を走らせて遠くまで出かけたり。時間を忘れるほど夢中になった。
そして、蘭明とは──夜になると必ず二人の時間を過ごした。
触れたいけれど触れられない。
一線を越えたいけれど、越えてはいけない。
それでも、毎晩桜音亭の屋根に登り、月を眺めながら他愛もない会話を交わし、手を繋いで眠った。
この一月は今まで一番過ぎるのが早かった......
そして、ついに、その日がやってきた。
蘭明の屋敷で、守華はみんなに別れを告げた。
涙を必死に堪えて、笑顔を作るみんな。けれどその瞳は、守華への想いで揺れていた。
「守華さま…私、守華さまが教えてくれたクッキーを忘れません!」
琉璃が声を震わせながら言う。守華は優しく微笑み、「たくさん作って、私を思い出してね」と手を握った。
「守華......舞のこと、もっと教えてほしかった…」
夏翠も小さく頭を下げる。守華はそっと彼女の肩に手を置き、「一緒に舞った日々は忘れないよ」と伝える。
「守華さまともっと手合わせしたかったな」
八軒も笑顔を作りながら、少し寂しそうな声。守華は八軒の拳と自分の拳を合わせ、ぎゅっと力を込めた。
「私、守華さまとシャボン玉作れて楽しかったです!」
白鋭も頷き、守華も笑って応える。
「守華、私たち、男女の友情は絶対に繋がってるからな!」
星曜は力強く胸を叩き、守華を見ためた。
その時、小心が守華の前に立ち、目に涙を溜めて言った。
「守華さま…離れるのが…こんなに寂しいなんて…!」
守華は小心の手を握り、優しく抱きしめた。
「小心、泣かないで。離れていても、あなたのことはずっと見ているから。小心がいてくれたからこっちの世界でも寂しくなかったわ。本当にありがとう。」
小心の肩が震える。守華は胸の奥が熱くなるのを感じ、必死に涙を堪えた。
「約束ね。みんなも元気で。私がいなくなっても、笑顔を忘れないで」
守華は一人ひとりの手を握り、最後にぎゅっと抱きしめた。
みんなは涙をこらえ、精一杯の笑顔で守華を見送った。その中で小心の手だけは、守華の手を離さないから我慢していた涙が守華の頬を流れ、小心も耐えきれず涙を流した。
そして、守華と蘭明はフリーダムに二人で乗り、ある場所へ向かう。
「フリーダムに乗るのも、これが最後ね」
守華は背中から優しくフリーダムを撫でる。
「フリーダム、私を色んな場所に連れて行ってくれてありがとう。あなたも好きなところに行っていいんだよ」
「フリーダム、守華の代わりに俺を乗せてくれてもいいぞ」
「それはどうかな?フリーダム次第ね」
「フリーダムももう、俺のことが好きだろ?」
「あら、フリーダムも私のライバル!?」
「ほー、守華はフリーダムにも焼きもちか!?」
「誰にでも焼きもちをやくわよ!」
そんなやり取りをしながら、蘭明が後ろから守華をぎゅっと抱きしめた。
「こうしていられるのも、今日で最後だな」
「うん」
いつもよりも強く、深く抱きしめる蘭明。
この手を離したくない──守華の胸に熱い思いが込み上げた。
着いたのは、蘭明とその母がよく訪れ、蘭明が特に気に入っていた湖。
守華も何度か連れてきたことのある、思い出の場所だ。
水面に映る月が、静かに揺れる。
綺麗な満月。
この満月が沈むとき、守華は妖石と共に消えてしまう。
二人は手を握り、湖のほとりに立つ。
「守華…今まで言わないでおこうと思ってた。言ってはいけない気がして…」
守華は静かに蘭明の顔を見つめる。
「ここに残ってほしい…本当はそう思ってる。私は守華を誰よりも愛しているし、幸せにできる。でも、守華には守華の世界がある。だから、その世界で必ず幸せになれ。守華の母との約束を果たせ。私は、陽月国から守華の幸せを願っている」
守華の胸に、長く我慢してきた涙が溢れ出す。
「泣かないようにしてたのに…今までは、自分の幸せだけを考えていた。でも、相手の幸せを一番に考えられるようになってこそ、“愛してる”って意味が分かるのね。だから、蘭明、あなたも幸せになってね」
涙を拭いながら、守華は微笑む。
その瞬間、蘭明の胸が目の前に迫る。
「この胸で泣けるのも、今日で最後だ。枯れるまで泣いていい」
守華は蘭明の腕に身を委ね、涙を流し続けた。
蘭明の腕に落ちたその日を思い返す。
—お互いが敵として探り合っていた日々。
—冷たくされながらも、怪我をしてまで助けてくれた日々。
—泣く場所をくれた日々。
—無数の愛をくれた日々。
今までのすべての瞬間が、鮮明に胸に蘇ってくる。
「ありがとう…ありがとう…ありがとう」
守華は泣きながら、蘭明の胸に顔をうずめてそう繰り返す。
蘭明は涙を必死にこらえ、上を向いたまま何も言わない。
やがて守華は、泣き崩れた顔を胸から離し、そっと蘭明を見上げる。
蘭明もまた、守華の瞳をじっと見つめ返した。
「蘭明…人を愛する意味を教えてくれてありがとう。私は、あなたを愛してる。たとえ離れてしまっても…」
月明かりの下で、二人の影が一つに重なり合う。
時間が止まったかのように、唇と唇はいつまでも離れない。
この瞬間を手放したら、もう二度と会えないかもしれない――そんな切なさが胸を締めつける。
ふと、周囲の景色が徐々に薄暗くなっていくのに気づく二人。
ようやく唇を離し、月を見上げると…
満月だったはずの月が、少しずつ欠けはじめていた。
私は、これで日本へ帰れる。
きっと、パパは心配しているだろう。
私にとって、唯一無二の家族だから。
日本に帰りたいと、何度も何度も心の中で願った。
でも、ここにいた日々を思うと、命がいくつあっても足りないし、
理不尽なこともたくさんあったし、美味しいアイスやケーキを楽しむこともできなかったけれど…。
それでも、この陽月国で、弱さを見せること、人を愛すること、人の温かさを知ることができた。
ありがとう、陽月国のみんな…。
私の心は、いつまでもあなたたちと共にある。
そして、ママが託してくれた願いも、やっと叶えられる。
これで、みんなが少しでも幸せになれるはず。
・・・はず、、、本当にママが私に託した願いを私は叶えたのだろうか。。。
周りの景色が徐々に暗くなると同時に、
守華と蘭明の足首にあるアンクレットから、柔らかな光がほのかに放たれた。
二人は互いに足首を見つめる。
その光はゆっくりと、しかし確実に足首から上へと昇り、やがて二人の前で、二つの石がひとつに溶け合った。
満月が姿を消すと、妖石はひとつにまとまり、守華のアザもまた、妖石に呼応するかのように光を放つ。
アザの光が細い一筋となって妖石へと吸い込まれ、妖石からはまた新たに光の筋が生まれ、隠れていた月の方へと伸びていった。
妖石はクルクルと宙を舞い、まるで小さな妖精のようにふわりと揺れる。
温かく、優しいぬくもりが二人を包み込む。
その神秘的な美しさに、二人は思わず息を飲んだ。
「我が妖石が、どんな願いも叶えようぞ――」
突然、女性のような柔らかな声が妖石から響いた。
その声に、二人は一瞬ハッと息をのむ。
そして、互いの手を強く握りしめた。
目の前に広がる光景に、胸の高鳴りと、守るべきものへの覚悟が同時に押し寄せる。
先に口を開いたのは蘭明だった。
「守華を、日本――」
その言葉を、守華は振り払うように遮った。
「妖石よ!この世から消え去り、二度と現れるな!」
蘭明は守華の強い声に驚き、彼女を見つめる。
「それがそなたの願いか?」
妖石が守華に問いかける。
「そうよ、それが私の願いよ!」
守華は胸を張り、まっすぐ妖石を見つめた。
「妖石が無くなれば、二度と願いを聞いてやれんぞ。本当にいいのか?」
「願いは自分で叶えるものよ。妖石がある限り、争いは終わらない。私の願いは変わらない。妖石よ、今すぐこの世から消え去れ!」
「承知した――」
――パァァァン――
クルクルと宙を舞っていた妖石が、一瞬の閃光とともに粉々に砕け、光となって消え去った。
静寂が広がる。
周囲の空気までが、妖石の不在を告げるかのように静まり返った。
月の光が、再び二人を柔らかく包み始めた。
まだ何が起こったのか、完全には理解できずにいる蘭明。
守華は目を閉じ、深く息を吐いた。
「守華!お前……何を言ったか、分かってるのか!?」
両肩を掴み、少し揺らす蘭明の声には、驚きと焦りが混ざっていた。
「自分の故郷に、帰れないんだぞ!」
「分かってる……ちゃんと、分かってる」
守華の瞳は閉じたまま、落ち着いた声で答えた。
「じゃあ、なんで……?」
「私が帰ったとしても妖石を無くさない限りどこかで妖石は生きてる。そしたら、また争いがはじまるわ。それを母が望んだわけじゃない、きっと。それにね、自分で願いを叶えるために、私はここに残ったのよ」
信じられない様子の蘭明を前に、守華は優しく微笑む。
パパ、どうか許して。私は蘭明と共に、この場所で生きていくことを選ぶわ。
「私が泣くなら、やっぱり蘭明のところがいい。
蘭明、あなた言ったよね?涙は幸せになるために流すんだって。
涙のぶんだけ幸せが積み重なっていくって。
だから私は、蘭明のところで涙を流して、その分、蘭明と幸せになるの」
「守華……!」
蘭明は言葉にならない想いを抱きしめに変え、強く、強く守華を抱きしめた。
「蘭明、苦しいよ」
笑いながら、守華は胸の中で小さくつぶやく。
「私が必ず幸せにする」
蘭明の声は、未来への約束のように確かだった。
「うん……!」
守華は小さく頷き、二人は月光の下で寄り添ったまま、静かに幸せを感じていた。
強く抱きしめていた守華をそっと離し、蘭明は一歩後ろに下がった。
月食が終わり、湖面が月光に照らされてキラキラと輝き始める。
蘭明は片膝を地面につき、守華より低い位置に身を置いた。
そして、自分の帯の中からそっと何かを取り出し、守華の前に差し出す。
「ずっと、渡そうと思っていたんだ。
私の母が身につけていた、そして私にとっても大切なものだ。
小心に聞いたんだ。守華の故郷では、愛する人に指輪を渡して愛を告げるって」
守華は思わず両手を口元に当て、涙ぐむ。
蘭明の手の中には、エメラルドグリーンに輝くガラスの指輪があった。
「守華、私と結婚してくれ」
守華は涙を浮かべながらも、笑顔で答える。
「はい、喜んで」
その瞬間、蘭明は優しく微笑みながら、エメラルドグリーンの指輪を守華の薬指にはめた。
湖面に反射する月光の中で、二人の笑顔がきらめき、世界が祝福しているかのようだった。
帰り道、守華は一人でフリーダムに乗るだろうと思っていた。
それなのに、今は守華と蘭明の二人で乗っている。
胸いっぱいの幸福感が、二人を包み込む。
蘭明だけでなく、守華も同じように心から幸せを感じていた。
屋敷に戻ると、門の前には一晩中、心配して待っていたみんなの姿があった。
一人で戻ると思っていた蘭明を、みんなが温かく迎えようとしていたのだ。
「蘭明は、みんなに愛されてるのね」
守華はその光景を見つめ、そっと蘭明に言った。
その瞬間、フリーダムの足音で帰ってきた二人に、みんなは驚きの声をあげる。
「守華さま?」
「守華さまだ!」
「守華さまーーー!」
蘭明を迎えるはずだったみんなの手は、そのまま守華に伸び、フリーダムから守華を下ろすと、抱きしめ合った。
「何が“みんなに愛されてるのね”だよ。愛されてるのは守華じゃないか」
フリーダムにまだ跨ったままの蘭明が、ボソッと呟く。
守華は、これまでの経緯を一通りみんなに話した。
その話を聞いたみんなの目には、驚きと感動、そして深い愛情が混ざっていた。
「じゃあ、これから私たち、守華さまのお世話ができるんですね!」
小心は嬉しそうに琉璃と目を合わせて答えた。
「うん、よろしくね!小心、教えた服でしっかり一儲けしよう!」
「はい!」
それからの日々は、平凡だけど心から幸せを感じられる日々が続いた。
守華と蘭明の結婚を反対する者も、もう誰もいなかった。
二人で話し合った結果――というよりは、守華のこだわりで――二人の誕生日に合わせて籍を入れ、その時に結婚の儀を行うことになった。
今はまだ11月。準備に十分な時間があり、ゆっくりと結婚の準備を整えることができる。
もちろん、蘭明と喧嘩をすることもあった。
でもそれも、カップルにとっては当たり前のことだろう。
喧嘩さえも、幸せの一部として感じられる――守華はそう思っていた。




