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守る華・守られる花  作者: ミシル
第一章 蘭

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62.承認と涙の約束

夜もまだ明けぬ宮廷は、静まり返っていた。

廊下には数多のろうそくが並び、かすかに暖かな光を灯している。


眠っていたであろう陛下を起こし、その到着を静かに待つ一同。

前列には海尭、蘭明、星曜が立ち、後列には守華、八軒、琉璃、聡騎が並ぶ。


やがて、陛下がゆっくりと歩み寄り、席につかれる。

一同は同時に片膝をつき、深くお辞儀をする。


「父上、夜も明けぬうちにお呼び立てしてしまい申し訳ございません。急ぎの報告があった次第でございます。お許しください」

第一皇子の海尭が、兄らしく丁寧に陛下に告げる。


「顔をあげよ」

陛下の言葉に、全員が顔を上げ、立ち上がる。


ゆっくりと一同を見渡す陛下の目が、守華を捉えた。

「守華、そなた…死んだはずでは…」


「その件につきましては、私からお話しいたします」

海尭は静かに、しかし確実に、これまでの経緯を陛下に説明した。


無観と仁が守華を狙っていたこと、

二人の出身国や陽月国に来た経緯、

妖石の真偽や、陛下に仕掛けられた毒のこと…

すべて、詳細に伝えられた。


陛下の表情は一瞬にして硬くなる。

目の奥に怒りと哀しみが交錯し、手で額を押さえたまま、しばし言葉を失う。


「無観と仁…か。あの国を滅ぼされたあの時の息子たちが、今になって私の民に危害を加えようとは…」

陛下の声は低く、しかしそのひとつひとつに重みがあった。


「無観が…一番信頼しておったのに」


そりゃそうだ。

20年もの間、陛下を支えてきた無観が、自分を狙っていたのだから。


しかし、さすが陛下だ。すぐに言葉を発した。

「守華…そなたが無事で何よりだ。よくぞ耐え抜いた…」


守華は改めて深くお辞儀をした。


「そなたたちも小さいころから毒に慣れておるゆえ分かるであろうが、朕も同じく免疫を持っておる。この程度の毒ではすぐには死なぬ。ただ、歳も歳ゆえ、いつまで耐えられるかは分からぬ」


そうか…陛下、皇子となればいつ毒を盛られるかも分からない。

そのため、小さい頃からわざと体に毒を与え、鍛えているのだ。


予防接種のようなもの…いや、それよりも過酷だろう。

少量の毒でも、体は十分に苦しめられるはずだ。


そんな過酷に耐えて鍛えている陛下、そして三人の皇子たち――本当に凄すぎる。

だからこそ、さっきの毒の煙を少し吸ったくらいの蘭明は平気だったのだ。


え、ちょっと待てよ。

そうなると、あのとき毒蛇に噛まれた時、私が必死に毒を抜いてあげたのは――必要なかったってこと!?


あの時、何も言われなかったけど…

私の唇に毒がついているかも、ってキスされたけど、蘭明はなんともなかったし…


うわー、やられた。

まさか、私とキスしたいがためにやったのか!?


視線を向けると、そこには自信満々のドヤ顔の蘭明がいた。


「守華、そなたにはアザがあるのか?」

「はい」

守華は、もはや隠さず素直に答えた。


陛下が静かに唱える。

「太陽から月が生まれた日、アザある者現る。妖石とアザある者の力で、どんな願いも叶えられようぞ」


その言葉に、蘭明の目が大きく見開かれる。

「やはり、父上はご存知だったのですか?」

蘭明がすかさず質問した。


陛下は静かに頷きながら答える。

「ああ、妖石については朕も探したが、存在するかどうかさえ分からなかった。前皇后が持っていたとは…確かに蘭明の母は特別な力を備えておった。しかし、朕に嫁いでからはその力を封じたのだ。そなたの母は、もともと巫女であった。朕はそなたの母を一目見ただけで心を奪われた。しかし、巫女と皇子の結婚は許されぬ。だから身分を偽るために力を封じ、嫁がせたのだ」


陛下の視線が蘭明に注がれる。

「蘭皇よ」

「はい」

「母親のことを知りたければ、母の故郷へ行くとよい。そなたの祖父にあたる呂布りょふ殿が、何か教えてくれるかもしれぬ」


「祖父…?」

蘭明は驚きの声を漏らした。

母の故郷があることすら、これまで知らなかったのだ。


宮廷を出る頃、東の空に太陽が顔を出し始めていた。


長い宮廷の階段の上に、守華、蘭明、海尭、星曜が一列に並ぶ。

そこから見える日の出は、まるで「よくやった」と褒めてくれているかのようだった。


赤とオレンジに染まる空。

周囲が少しずつ明るさを取り戻していくのを、皆は静かに見つめた。


まだ全ては終わっていない。

けれど、無観が去ったことで、胸の奥に小さな安堵が広がる。


この先、自分たちは昨日の月のように、あるいは今日の太陽のように、周囲を照らし続けられるのだろうか。

それとも、太陽も月もない漆黒の暗闇に飲まれてしまうのだろうか。


そんな未来の答えは、誰にも分かるはずがなかった。



一度、それぞれの屋敷に戻り、今回の戦の報告の準備を整えた後、守華は再び宮廷に戻った。


今日は、蘭明の侍衛としてではなく、先日の彩国の戦の総指揮官としての姿だ。


宮廷の中ではなく、その外。

左右には高官たちがずらりと並び、ひな壇のように段差をつけた席の一番上には陛下と皇后。


その下には海尭、蘭明、星曜。

さらにその下には、夏翠と貴愛奈が座っていた。


空は雲ひとつない晴天。


守華はマントをひるがえし、入り口から歩みを進める。

その後ろには、八軒と琉璃が従う。


舞を踊るときの守華は煌びやかで光をまとっているが、今日の守華は目つきが鋭く、どの男よりも頼もしく、凛々しい。


同一人物とは思えないほどの変化に、思わず目を疑うほどだ。


守華は階段の前まで進むと、ひな壇に並ぶ者たちを一人ひとり見渡した。

深く息を整え、片膝をついて両の手を合わせ、恭しく頭を垂れる。


その動きに合わせ、八軒と琉璃も同じように片膝をつき、頭を下げた。


「陛下、皇后、謹んでご挨拶申し上げます。

此度の彩国との戦――この守華…いや、後ろに控える八軒、琉璃、そして数多の兵たちの力によって勝利を収めましたこと、ここにご報告いたします」


「……頭をあげよ」


「はっ、ありがとうございます」


守華が立ち上がり、続いて八軒と琉璃も姿勢を正した。


「守華よ、よくぞ勝利を収めた。朕は約束を違えることはない」


静まり返った広場に、陛下の声が澄んで響き渡る。


「蘭皇よ」


「はっ」


席から立ち上がった蘭明は、陛下に向かって深々と頭を下げた。


「今もなお、守華への想いに変わりはないか?」


「はい。もちろんでございます」


陛下はゆっくりと頷き、やがて笑みを浮かべる。


「では――蘭皇と守華の縁を、ここに認めよう」


蘭明と守華は視線を交わし、同時に頭を下げた。


「「ありがとうございます」」


上座から見下ろす蘭明の瞳が優しく守華を射抜き、守華もまた笑みで応じる。


その時。


「お待ちくださいませ!」


鋭い声が響いた。陛下の隣にいた皇后が、立ち上がって声を張り上げたのだ。


「どうした、皇后よ」


「陛下。楽士国の公主、貴愛奈をどうなさるおつもりですか。彼女の縁談を断れば――また新たな戦火を招きましょう」


「ふむ……」


陛下は低く唸り、難しい顔で顎に手を添えた。


ざわざわ……と、広場を囲む高官たちの列に波紋のようなざわめきが広がった。

それは瞬く間に全体へ伝わり、ひな壇に座る者たちの顔にも驚愕の色が走る。


ただ一人、貴愛奈だけは背筋を伸ばし、表情を崩さず前を見据えていた。

その静謐さは、かえって場の緊張を際立たせる。


「父上!」


突如響いた声に、ざわめきがぴたりと止む。

声の主は――海尭だった。


彼は席を蹴るように立ち上がり、堂々とした足取りで陛下の方を向くと、深々と頭を垂れた。


「父上。楽士国に嫁ぐのはこの私がお受けいたします」


その言葉は、重く、広場全体に落ちた。


「……えっ!」


守華の口から驚きの声が漏れる。

蘭明も、星曜も、夏翠までもが目を見開き、思わず互いの顔を見合った。

平然を装っていた貴愛奈でさえも、瞳を揺らし、信じられぬように海尭を見つめていた。


「私は幼き頃から貴愛奈と共に過ごしてまいりました。彼女のことはよく存じております。

武芸は蘭明に及ばぬやもしれませぬ。ですが、貴愛奈を守り抜く自信はございます。

加えて、陽月国の第一皇子が婿となるのであれば、楽士国にとっても申し分のないはず」


その堂々たる声が宮廷の外に響き渡り、誰もが息を飲む。


「……ふむ、確かに理に適っておる」


陛下は腕を組み、玉座からゆるりと視線を巡らせた。

広場は静まり返り、誰一人として軽々しく声を発する者はいない。

ただ、冷たい風が吹き抜け、衣の裾を揺らした。


「貴愛奈よ。そなたの意を聞こう」


呼びかけに応じ、貴愛奈は音もなく立ち上がった。

その一挙手一投足に、周囲の視線が集中する。


「はい。私も、そして楽士国も、有能で思いやり深き海皇様であれば、何の異存もございません」


彼女の声は澄み渡り、広場全体を包み込むように響いた。


陛下は満足げに頷き、力強く言葉を放つ。


「よかろう。海皇を、楽士国公主・貴愛奈の婿とする!」


瞬間、再び広場がざわついた。

高官たちは互いに顔を見合わせ、言葉を失い、ある者は安堵し、ある者は困惑の息を漏らす。


「はっ、ありがとうございます!」


海尭は誇らしげに胸を張り、深く頭を下げる。

その姿は一段と輝き、皇子としての風格を放っていた。


その場にいる全ての者の中で、未だに呆然とし、開いた口を閉じられずにいるのは、蘭明と守華であった。



宮廷の外、白い石畳が陽の光を反射し、眩しく輝いていた。

空はどこまでも青く澄み渡り、時折吹き抜ける風が庭木の葉を揺らし、鳥のさえずりが遠くから聞こえてくる。


その道を、海尭と貴愛奈が並んで歩いていた。

二人の背を追いかけるようにして、守華と蘭明が足早に駆け寄る。


「海尭!」


守華の声が澄んだ青空に響き渡る。

呼び止められた二人は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

海尭はいつものように穏やかで柔らかな笑みを浮かべ、軽く手を振った。


「海皇……私の、わがままで……」


蘭明が言いかけたその言葉を、海尭は静かに首を横に振って遮る。


「蘭明、それは違う」


「では……?」


石畳に落ちる影が、午後の陽に伸びている。

海尭は風に舞う髪を押さえ、深く息を吐いた。


「今だから話そう。――確かに、私も守華に惹かれていた。

無邪気に誰にでも笑顔を向け、窮地に立たされても懸命に立ち向かう。今まで出会った女子とはまるで違った。

小さな体でありながら……守ってやりたいと、本気で思った」


その瞳はまっすぐ守華を射抜く。

だが次の瞬間、彼はゆるやかに首を振った。


「けれど、それは妹を想うような感情だったのかもしれない。私は、それにようやく気づいた」


海尭は隣にいる貴愛奈へと顔を向けた。

庭を渡る風が彼女の髪を揺らし、その瞳が潤んでいる。


「目の前に、『助けて』と声を上げたいのに言えずにいる娘がいた。

それに気づかず、手を差し伸べることもできなかった。

ならば――その想いを私が代わりに抱え、救いたい。心から、そう願ったのだ」


その言葉に、貴愛奈の瞳から涙が零れ落ちる。

陽の光を反射してきらめくその雫は、彼女の胸に秘めてきた想いの答えを示していた。


――女なら分かる。

海尭を見てる目が、蘭明を見ていた時とは決して同じではないことを。

そこに宿っていたのは、迷いのない「恋」の色だった。


海尭は一歩前へ進み、蘭明の前に立つと、その肩にしっかりと手を置いた。


「だから、これは蘭明のわがままではない。――私が貴愛奈を選んだのだ。

貴愛奈は、私が守る。だから蘭明は……守華を守れ」


その力強い言葉に、蘭明の瞳が揺れ、やがて真っ直ぐな光を宿す。


「はい!」


二人の間に交わされた誓いに、兄弟の深い絆を感じ、胸が熱くなる。


守華は思わず貴愛奈へと駆け寄り、その手をそっと握った。


「貴愛奈さま……」


かつては強く気高く映った彼女の頬に、いまは涙が伝っていた。

――きっと、私たちに見せなかった心の奥を、海尭には見せたのだろう。

そして、それを海尭が受け止めてくれたのだ。


分かりますよ、貴愛奈さま。

言いたくても言えない想い、自ら固い鎧をまとってしまい、脱げずにもがく苦しさ……。

その鎧を、外してくれる人がようやく現れたのですね。


「守華……ありがとう。酷いことをたくさんしてしまって……ごめんなさい」


貴愛奈は悲しげな表情を浮かべ、守華の胸に手を置いた。


「私のせいで、この傷が……」


守華はその手に自分の手を重ね、柔らかく微笑んだ。


「これは、私の誇りの傷です。誰かを守りたいと願い、武芸を学びました。

だからこそ、貴愛奈さまを守って得たこの傷は、私にとって誇りなんです」


そう言って、守華は貴愛奈の手を胸から離し、そのまましっかりと握りしめた。


「守華……私は、あなたの言葉で変われたの」


「そんなことないですよ。……でも、楽士国に戻っても、ぜひ陽月国に遊びに来てくださいね」


「ええ。――守華も楽士国に来て。陽月国も素敵なところばかりだけど、楽士国だって負けていないわ」


「はい! そのときは、女二人でお出かけしましょう」


「ふふっ……また襲われたりして」


「そのときは、必ず私が貴愛奈さまをお守りします」


二人は顔を見合わせ、自然と笑みをこぼした。

涙を拭ったその笑顔は、過去のわだかまりを超えた、真の友情の輝きに満ちていた。



五日後――。

旅支度を整えた海尭と貴愛奈が、ついに楽士国へ旅立つ日を迎えた。

広場には、別れを惜しむ人々が押し寄せ、その空気は名残惜しさで満ちていた。


「貴愛奈さま……どうか、お元気で」


守華の声が震える。

貴愛奈は微笑みを浮かべながらも、瞳には光るものを宿していた。


「ええ……守華も、元気でね」


ほんの短い言葉なのに、胸の奥に沁みてくる。


守華は涙をこらえながら、海尭を見上げた。


「海尭……私が初めてここに来たとき、最初に優しくしてくれたのはあなたでした。

あのとき、どれほど救われたか……。『この人なら助けてくれる』、そう思えたから私はここまで来られた。

無観のことを影で調べてくれていたことも、どれほど感謝してもしきれない……。

本当に……ありがとう。――海尭、あなたはずっと……私のヒーローよ」


その言葉に、海尭は目を細め、守華の頭に大きな手を置いた。

温もりが伝わり、その優しさに守華の涙があふれそうになる。


「……蘭明と、幸せになるんだぞ」


「……うん」


声がかすれながらも、守華はしっかりと頷いた。


「海尭も……貴愛奈さまと幸せに」


二人の間に交わされた短い誓いは、言葉以上の重みをもって胸に刻まれた。


海尭は貴愛奈の手を取って、ゆっくりと馬車へと導く。

振り返る貴愛奈の瞳には涙が浮かんでいたが、その奥には確かな決意が宿っていた。

やがて、列が静かに動き出す。


「海尭――! 貴愛奈さま――! 次に会うときは……二人の幸せ話、楽しみにしてます!

絶対……絶対に、幸せになるんだよ!」


守華は堪えきれず、大声で叫んだ。

その声に応えるように、馬車の窓から二人の手が高く掲げられ、広場に静かな涙の波が広がった。


守華の隣に立った蘭明が、そっと彼女の手を握る。


「……海皇なら、必ず貴愛奈を幸せにし、楽士国を導いてくれる」


「……うん」


「そして――守華は、私が幸せにする」


「……うん!」


涙に濡れた笑顔で交わした約束。

その瞬間、空高く澄み切った青に、彼らの未来が重なって見えた。

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