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守る華・守られる花  作者: ミシル
第一章 蘭

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55/113

55.孤独の牢と囁く歌声

守華が牢に入れられた翌日、慌ただしい足音が蘭明の部屋に響き渡った。


「蘭皇!守華さまが――!」


駆け込んできたのは、顔をこわばらせた八軒だった。


「守華がどうした?」


「守華さまが、貴愛奈さまの護衛中に刺客に襲われ、怪我をされたとのことです!」


「なに!? いつだ? 怪我の程度は?」


「それが…その負傷は、もう10日ほど前のことだそうです。右腕と左胸上を負傷されたとのことですが…」


「守華は大丈夫なのか?」


「もし数センチずれていたら命が危なかったと伺いました。しかし、今は命に別条はないそうです」


「10日も前の出来事が、なぜ今になって…?」


「その知らせを届けようとしていた者が、何者かに殺されておりました」


「なんだと!? ――今すぐ戻る!」


「蘭皇、今は戻れません! 間もなく捕らえられそうな山賊を、星皇と琉璃がこちらに囲い攻めています。もし蘭皇がここにおられなければ、これまでの作戦はすべて水の泡になります!」


蘭明は苛立ちに声を荒げ、机を思い切り叩いた。

戻りたい――戻らねば――その焦燥感が全身を締め付ける。

だが今、戻れない。

守華の安否と、作戦の行方の間で、蘭明の心は大きく揺れていた。


「それに――」


「なんだ、まだあるのか?」


「守華さまが、陛下の兵に捕われたと…」


その言葉に、蘭明はバンッと立ち上がった。


「陛下の兵に捕われた…?」


「はい。守華さまが前皇后のお墓を荒らしたとされ、お墓に祀られていた宝石などが散乱しておりました。そのいくつかを守華さまが持っており、墓から出てきたところをその場で取り押さえられたそうです」


蘭明は言葉を失い、しばし呆然と立ち尽くす。


「蘭皇…」


八軒の声にも気づかず、蘭明は机に手をつき、下を向いた。


「ちょっと、下がってくれ」


「はい…」


心配そうに蘭明を見つめながら、八軒は一歩下がる。


蘭明の頭の中で、状況が徐々に整理されていく。

母の墓を知っている者は限られている。その中に守華も含まれる。

そして、守華は私の近くにあると語っていた、光る石を探していたのだ。


――なるほど。守華以外にもその光る石を狙う者がいた。

だから、同じ石を探す守華が邪魔で、何度も刺客に襲われていたということか。


もしそうなら、全てつじつまが合う。

そして、その光る石が母の墓にあるのか――

守華を通じて、私は母の墓の場所を教えてしまった。

まんまと、私がいない今を狙われたのだ。


蘭明は、守華からもらったミサンガを見つめ、フッと冷笑を漏らす。

そして、頭を抱え、机や物を蹴り飛ばしながら、怒りを抑えきれず暴れ出した。


右腕の傷が痛む。

牢屋に入れられたときは、はめられた怒りで気力が湧いていたが、少し落ち着いて冷静に考えると、この狭く閉ざされた空間が心をどんどん沈ませていく。


――一体、誰が…

――何のために、私を墓荒らしの犯人に仕立て上げたの?


必要なら、ただそのまま連れ去ればいいだけの話だ。

それなのに、偽の妖石さえ、手元に残っている。


そして、私を捕らえたのは陛下直属の兵。

陛下の命がなければ、兵は動かない。

――つまり、韓将軍にお墓の場所を教えたのは、陛下自身だということになる。


でも、どうして陛下は、私が蘭明の母のお墓にいたことを知っていたのか?

誘い出したのが陛下なら、確かに居場所は分かる。


――まさか、陛下が…私を狙っているの?


守華の心は痛みと疑念で渦巻き、冷たい牢屋の中でますます重く沈んでいく。


守華から直接話を聞かずにはいられなかった。

いてもたってもいられない蘭明は、作戦を急遽変更し、山賊を追い詰めて一気に制圧した。


後処理は星曜と琉璃に任せ、蘭明と八軒は都へ先に戻る。

すでに夜は深く、あたりは真っ暗だった。


都に着くや否や、蘭明は守華が囚われている牢屋へ向かう。

さすがに陛下直属の兵が管理する牢屋だけあって、蘭明でも簡単には中に入れない。


八軒が見張りの二人に声をかけ、下で金を渡す。

「ここは私が見てるから、少し休憩を取ってきてくれ」と言い、二人を遠ざけたその隙に、蘭明は牢屋の中へ滑り込む。


中に入ると、守華は端っこで小さく縮こまり、じっと座っていた。

元々細い体なのに、いっそう華奢に見えた。

その背中を見た蘭明の胸は、言いようのない焦燥感で締め付けられる。


蘭明はゆっくり、慎重に守華のもとへ近づく。


守華は最初、蘭明の存在に気づかない。


「守華……」

懐かしくも愛おしい声に、守華は顔を上げた。

そこにいるのは、まさかの蘭明だった。


「らん、めい……?」

力なくふらふらと歩き出す守華。

牢屋の木格子の隙間から手を伸ばすが、蘭明はその手を握らなかった。


守華は気づき、肩を落として手を下ろし、その場に座り込む。

蘭明の視線が守華の右腕に留まった。血が滲んでいる。


「傷は痛むか?」

守華は小さくコクンと頷く。


足元に目を落とすと、床にポツン、ポツンと濡れた跡があった。

守華の涙だった。


蘭明がいない間、必死に涙をこらえていた守華。

意地悪にあい、刺客に狙われ、命を狙われ、牢屋に閉じ込められても、ひとつも涙を見せなかった。

しかし、蘭明の顔を目にした瞬間、緊張の糸が切れ、抑えきれない涙が溢れ出してしまった。


下を向いて泣く守華の姿を、蘭明は見逃さなかった。


今すぐここから連れ出して、抱きしめたい。

でも――守華はもしかしたら、私を利用していたのかもしれない。

今流している涙だって、本当のものとは限らない。


蘭明は、自分の胸に渦巻く不安と怒りを、鬼のように押し込めた。


「守華、なんで母の墓にいたんだ?」


守華は黙ったまま。答えられないのだ。


蘭明は、守華の目線に合わせてしゃがみ込み、静かに見つめる。

「言えないのか?」


それでも、守華は口を閉ざしたまま。


「そうか……守華は、私の周りに光る石があると探していたな。

私がいない間に、母の墓に行って探したのか?」


「違……」


「そのために、私に近づき、利用しただけだったんだな」


「違う!私は何も盗んでない!」


「じゃあ、なんで母の墓で捕われたんだ?」


蘭明の声が大きくなる。

「なんでよりによって、母の墓なんだ!」


蘭明の目――怒りと困惑が入り混じったその瞳に、守華は固まった。

ただ、涙が頬をつたう。


声を振るわせながら、守華は必死に言葉を絞り出す。

「それは……まだ言えない……けど、蘭明、信じて。

私は何も盗んでないし、荒らしてなんかない」


守華は、木格子の隙間から、蘭明の手にそっと触れた。

だが、それは一瞬のことですぐに振り払われてしまう。


「自分が情けない……」

蘭明は気力を失ったように小さく呟き、そのまま立ち去った。


その後ろ姿を見て、守華は泣き崩れる。

どうして……どうして……


守華から見えない場所まで歩いた蘭明は、そこで立ち止まった。

牢屋の中には、守華の嗚咽だけが響き渡る。


鬼になろうとした蘭明も、その場でこぼれる涙を止められなかった。


守華の本心が、どうしてもつかめない。


私に向けたあの笑顔も、

私の前でだけ流した涙も、

「好きだ」と言ったあの言葉も、

そして、私への口付けまでも――


全て、私を利用するためのものだったのか?

あの守華は、そんな女だったのか?


その夜の蘭明は、誰にも声をかけさせないほど荒れ果て、

自分を誤魔化すかのように、手当たり次第に酒をあおった。


それでも、心の奥底では願っていた。

守華を信じたい――

あの涙も、あの言葉も、本物であってほしいと。


だが、心の揺れは止まらない。

真実を知るまでは、信じることも、疑うことも、同時に抱えたまま。

蘭明の胸に、深い迷いの闇が沈んでいった。


暗闇の中、低くも冷たい笑い声が響く。


「ははははは!よくやったぞ、ついにあの女を捕らえた!

妖石またに入れた!あとは罪を認めさせ、処罰を待つだけだ。

蘭皇の母の墓を利用したことで、蘭皇も相当なショックを受けている様子だ。これで、助け舟など出すまい!」


守華が盗まれてないと思っていた偽妖石。しかし実際には、入れ替えられていたのだ。

守華は中身まで確認しておらず、まんまと相手の計略に気づかなかった。


「私の願いが叶うまで、あと一歩だ……あと少しで、全てが手中に収まる!

あとは、陛下を巧みに誘導し、死刑にさせ、遺体を手に入れれば……ふふふ、もう間もなくだ!」


黒服の笑いは止まらず、暗闇の中でその声は、狂気じみた喜びと高揚感で震えていた。




桜音亭の前の桜の木に、蘭明はもたれかかるように座っていた。

片手には酒。日が昇っても、ずっと飲み続けている。


その様子を、八軒、白鋭、小心が遠くから静かに見守っていた。

見ているだけで、胸が張り裂けそうになる気持ちだった。


「あなたたち、そんなところでこそこそ覗いているのですか?」


振り向くと、そこには侍女を連れた貴愛奈が立っていた。


「貴愛奈さま」

三人はそろって一礼する。


「あなたたちの主人ではないの?あななたちが何とかしてあげなくてどうするの」


「そうなんですが……」

八軒が力なく答える。


「もう、仕方ないわね。朝日、桶に水を汲んできて」


「はい」


水の入った桶を手に、貴愛奈はゆっくりと蘭明に近づいていく。


今の蘭明は他のことが目に入らず、貴愛奈の接近にもまったく気づいていなかった。


―――バッシャーン


「えっ!」


遠くで見ていた八軒、白鋭、小心が思わず一歩前に出る。


貴愛奈はためらうことなく、桶の水を蘭明に思いっきりぶっかけた。


ようやく水を浴びて気づいた蘭明は、びしょ濡れの顔のまま貴愛奈を見つめる。


「だらしない顔ですわね」


立ち上がり、その場から離れようと歩き出す蘭明。


「まさか、守華を疑ってないですわよね?」


ビクッと体が止まる蘭明。ため息をひとつつき、貴愛奈は横に並んだ。


「あの子、私の頬を思いっきり打ったんですよ。私が蘭明のことを少し悪く言っただけで、立場も考えずに。私の代わりにお仕置きしてくださいます?」


貴愛奈は1歩、2歩と、立ち止まる蘭明の前を歩いていく。


振り返り、微笑みながら言った。


「あっ、お水かけてごめんなさいね。でも、少しは目が覚めたんじゃないですか?」


そう言い残し、歩き去る貴愛奈。


守華を信じている。

もちろん、信じている。

信じたい――でも、裏切られたと思うと胸が締め付けられる。


蘭明の頭に、貴愛奈の言葉が何度も蘇る。


その夜、気がつけば蘭明は、守華のいる牢屋の前に立っていた。


門番の兵二人が前に立ちふさがると、蘭明はゆっくりとその二人を鬼のように睨みつけた。

睨みつけられた兵たちは気後れし、少しずつ下がる。蘭明は冷たい声で金を差し出し、黙らせるように言った。


通路には数メートルおきにろうそくが壁に立てられていて、蘭明が通るたびに小さな炎が揺れる。揺らめく光が、石壁に細く影を落とす中、角を曲がると守華のいる牢があった。


格子越しに見た守華は、体をぎゅっと丸めて小さくなっている。いつも強気で、剣の腕も立つあの守華が、まるで子どものように身をすくめている――その光景に、蘭明は言葉を失ったまま立ち尽くす。


やがて、守華はゆっくりと体を起こした。歩調も頼りなく、まるで力を振り絞っているかのように壁を伝いながら立ち上がる。右腕の包帯が乾いた血でわずかに赤く滲み、髪は乱れ、面影は薄れていた。足元はふらつき、何度もよろめいては踏ん張る。


小さな窓の方へ寄り、守華は外の暗がりをじっと見つめる。月明かりに照らされた遠い景色を見やるその横顔は、張りつめた強さの後ろに深い孤独を抱えていた。指先で、ぶるぶると一度だけ涙を拭くのを蘭明は見逃さない。涙は見せまいと必死で堪えているのだろう――だが、唇の端が震え、目には、どうしようもない切なさが宿っている。


蘭明は一歩踏み出した。抱きしめたい衝動にかられたが、なぜか踏みとどまり、元の位置に戻る。檻越しに見えるその小さな背中に、守華がどれほど疲れ、どれほど堪えてきたかが透けて見えた。息を詰めたような静けさのなか、守華は窓の外に視線を固定したまま、誰にも言えない寂しさを胸に秘めていた。


蘭明は、守華に気づかれないように壁にもたれて姿を低くしていた。静かな牢の中に、ふと懐かしい旋律が柔らかく流れ込んでくる。


♪「目を閉じれば はるか遠い国の 花の匂いがしてくる 匂いに囲まれて眠りなさい──」


一瞬、蘭明の胸がざわついた。母上の歌だろうか──そんなはずはない。けれど歌声は確かに、遠い記憶をそっと揺らす、あの調べに似ている。


すぐにそれが守華の声だと気づいた。薄暗い格子窓の向こう、彼女は外をじっと見つめながら、か細く、途切れそうな声で歌っている。疲れ切った身体からこぼれるような、その歌い方──母を思い出させるのは歌そのもののせいだけではなかった。守華の声にはどこか懐かしさと慰めが混じり、蘭明の胸の奥を優しく突いた。


なぜ、守華がこの歌を口ずさんでいるのか。疑問が胸をもたげる。だが問いただすことはできない。今は彼女を驚かせてはいけない。


蘭明は、守華の歌がまだ続きを紡いでいるうちに、静かにその場を離れた。歌声を耳に残したまま、蘭明は足早に母の眠る墓へ向かって歩き出す。何かが胸の内で動き、確かめねばならないと促しているようだった。

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