45.十九の夜、桜の誓い
帰国して二日。
蘭明と守華はそろって陛下への挨拶を済ませたものの、その後は蘭明が政務や報告に追われ、二人が顔を合わせることはなかった。
守華はというと、張りつめていた緊張がほどけたせいか、疲れ果てた体を休める日々を過ごしていた。
「守華さま、桜が満開ですね」
小心がふと窓の外を眺めながら言う。
「あっ、そういえば咲いてたかも。疲れすぎて、全然気づかなかったわ」
「きっと桜も、守華さまのお誕生日を祝っているのではないですか?」
にこっと微笑む小心。
「あっ……誕生日か」
あまりに慌ただしく、そして疲れが抜けずに、誕生日のことをすっかり忘れていた。
「後ほど、桜の花を浮かべたお茶をお淹れしてお待ちしますね」
「うん、ありがとう」
小心が軽やかに外へ出ていく。
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――ここに来て、もう一年。
本当に、いろんなことがありすぎた。
それでも、石の手がかりは一切見つからない。
ここではないのだろうか……?
私は日本に帰れるのかな……。
……いや。
帰りたくない、と少し思ってしまう自分がいる。
____カンッ、カンッ。
不意に響いた音で思考が途切れる。
子の刻――日本で言えば、もう深夜の十二時を過ぎた頃だ。
……ドアに、何かが当たっている?
こんな時間に、誰だろう――。
_____ッカン、ッカン。
また何かが当たっている音がする。
守華が不思議に思いながらドアを開けると――
「わぁ……!」
思わず両手で口を塞ぎ、息を呑んだ。
瞳は驚きで大きく開き、煌めきが宿る。
目の前には、夜の闇に包まれた桜音亭の庭。
そこには無数のろうそくが灯され、やわらかな光で一本の道を描いていた。
守華はその光の道へと、ゆっくり、ゆっくりと足を踏み出す。
一歩、また一歩。
そして、桜の木の下へとたどり着いた瞬間――
そこには桜の花びらで形作られた、守華が教えたハートが浮かび上がっていた。
胸の奥から熱いものがこみ上げ、守華の瞳は潤んだ。
「お誕生日おめでとう、守華」
振り向くと、そこには穏やかな笑みを浮かべる蘭明の姿。
「蘭明!」
守華の顔にも自然と笑みが広がった。
「蘭明が……?」
問いかけると、彼は静かに頷いた。
「言っただろう。必ずこの日までに戻って、二人で祝うと」
「……うん!」
「今回も守華のおかげで、思ったより早く戻ることができた。……本当は、私だけの女神でいてくれれば一番いいんだが」
少し冗談めかしながらも、優しい眼差しを向ける蘭明。
その微笑みに、守華の胸は一層熱くなる。
気づけば、この一年の出来事が走馬灯のように脳裏を駆け抜けていた。
敵対してた人が、今はこうして目の前で笑っている――。
「……幸せすぎる」
その想いが言葉にならないまま、涙となって溢れ落ちる。
蘭明はその雫を指先でそっと拭い取った。
「私の前では……こうして涙を見せてくれるんだな」
その声に胸が締めつけられ、守華はただ、愛おしさに満ちた瞳で彼を見つめ返した。
蘭明は袖の中から、そっと一つの品を取り出した。
「……海皇から贈られた簪。私に遠慮して使わなくなったんだな」
「……」
「その気持ちが、何より嬉しい」
守華は言葉を失ったまま、静かに見つめる。
蘭明は柔らかく微笑み、さらに続けた。
「でも、何も飾らないままでは寂しいだろう。だから――これは守華に」
差し出されたのは、蘭の華の簪。
蘭明の簪のように模様はないが、透明なガラスで象られた蘭の花は、月光とろうそくの灯りを受けてキラキラと輝いていた。
その簪を、蘭明は自ら守華の髪に挿した。
「また、お揃いになったね」
「大事にするよ……ありがとう」
守華は満面の笑みを浮かべ、頬を染めた。
そのとき、ろうそくの灯りの中で、柔らかな歌声が響く。
♪ Happy Birthday to you… Happy Birthday dear 蘭明…
「約束を……覚えていてくれたのか?」
「もちろん」
守華も帯の中から、そっと小さな包みを取り出す。
「蘭明、手を出して」
「手を……?」
問い返す蘭明に、守華は小さく頷いた。
差し出された左手に、守華はそっと布を結びつける。
「これはね、ミサンガっていうの。願いを込めてつけて、願いが叶うときに切れるんだよ」
結び終えた守華が微笑む。
「はい、お願い事をして」
「そんなの一つしかない」
きょとんとした顔を向ける守華の手を、蘭明は強く握りしめる。
「……死ぬまで、いや来世でも……ずっと、ずっと守華と一緒にいられますように」
最後の言葉は、ほとんど囁きだった。
次の瞬間、蘭明の唇が守華の唇に重なる。
夜空に輝く月と、揺らめくろうそくの光。
桜の花びらが舞い降り、まるで二人を祝福するようだった。
――守華、十九歳。
陽月国で迎えた誕生日は、生涯忘れられない夜となった。
ろうそくの灯りが一本だけ、暗い部屋の中央で揺らめいていた。
黒いマントを羽織り、帽子を深くかぶった二人の影がその明かりに浮かび上がる。
「……あの女が現れて、もう一年。なのに成果はゼロではないか!」
苛立ちを隠さぬ声。
もう一人が深々と頭を下げる。
「申し訳ございません。手は尽くしておりますが、常に蘭皇と行動を共にしており……何かと邪魔が入ってしまい……」
「ふん、確かにな。彩国との戦の時も『置いていく』と聞いていたが、結局連れて行き、手を出せなかった……」
短い沈黙の後、もう一人が低く提案する。
「やはり、まずは蘭皇から引き離すべきかと」
「……引き離す、か」
その言葉に目を細め、片方の口角をゆっくりと吊り上げる。
ろうそくの炎が揺れ、不気味な笑いが闇に響き渡った。




