44.岩山の罠
「そろそろ、彩国も動きだす頃だろう」
「そうですね」
「じゃあ、我々もついに動くのか?」
戦が好きな星曜だけは、出番を今か今かとワクワクしている様子だ。
「でも、ここまで来てまだ何もしてこないのは、少し引っかかりますね」
「まぁ、彩国にも何か思惑があるんだろう。ところで、あっちの指揮官は誰だ?」
「はっ、龍井という者だと聞いております」
「龍井か……」
「蘭皇、お分かりになりますか?」
「ああ、彩国の将軍だ。ただ、1年前の戦の指揮官は確か、季昭だったはずだ」
「季昭!?」
思わず声が出てしまった守華。
その瞬間、全員の視線が一斉に守華に向けられる。
胸がドキドキと速く打つ。
「え、えっと……いや、その……」
守華は慌てて笑顔を作ろうとするが、唇がわずかに震える。
「季昭がどうかしたのか?」
蘭明の問いかけに、守華は頭の中で言い訳を必死に組み立てる。
「いや、どこかで……聞いたことがあるような、ないような……ははは……」
蘭明は少し渋い顔をして、冷静に言った。
「季昭は確かに彩国の第一将軍だ」
「第一将軍!??」
思わずまた声が出てしまった守華に、全員の目がさらに集中する。
「えっ、あ、あの、将軍とか……いるんだなって……ははは、はい……続けてください!」
守華の心臓は跳ねるように速く打つ。
内心では「ばれたらどうしよう……!」と焦る気持ちを必死に押さえ、表情だけは明るく振る舞った。
「今回も季昭が指揮を執ると思っていたが、どうやら違うらしいな。季昭が相手なら厳しい戦場になっていただろうが……龍井なら、そこまでではないはずだ」
「ですが、季昭も現地に来ているかと……」
「だろうな。我々の動きを見極めてから動こうとしているのかもしれん」
「ねぇ、私も話に混ざっていい?」
守華が遠慮がちに声をかけると、蘭明が笑って手招きする。
「ああ、もちろんだ」
「その龍井という将軍は、どんな人なの?」
「力だけは凄まじいと聞く。その力で数々の戦を勝ち抜いてきたそうだ」
「なるほど、つまり馬鹿力があるだけね。頭で戦を動かせる人じゃないわ」
守華は少し肩をすくめる。
「では、その季昭という人は?」
「季昭は頭脳派だ。力任せの戦い方ではないから、相手にすると厄介だ。……正直、1年前は守華が現れていなければ、我々は季昭に敗れていたかもしれん」
「そう……季昭は本当に手強いのね」
守華の表情が一瞬だけ固くなる。
「でも今回は龍井が指揮官……季昭が出てこないことに賭けるしかないか」
独り言のように呟いた守華に、周囲の兵たちは不思議そうな目を向けていた。
「よし、退けーーーっ!」
八軒の声が戦場を突き抜けた。
兵士たちは一斉に武器を引き、陽月国の陣地へと後退していく。
――龍井なら必ず追撃してくる。
守華の読みは確かだった。
彩国軍は勢いそのままに追いかけてくる。
「思った通り……」
守華は胸の内でつぶやく。
だが、追撃はある地点までで止まった。
それ以上は深追いせず、軍勢は引き返していったのだ。
「……どうして?」
龍井なら弱った兵を逃すはずがない。叩けるときに叩く男だ。
考えを巡らせる守華。
そこでひとつの名が閃いた。
――季昭!?
「八軒、季昭はあちらにいた?」
「遠目で断言はできませんが……季昭の旗を見ました。おそらく」
「やっぱり……」
守華の胸に確信が広がっていく。
あの撤退は、龍井の性格ではなく――季昭の采配。
今日もまた、決着のつかない戦が始まっていた。
季昭が前に出ているせいか、こちらが仕掛けても一切応じず、戦は予想以上に長引いている。
このままでは兵が次々と倒れてしまう……。
少しでも早く、あの場所へと誘い込まねばならない。
守華にできるのは、ただ戦況を見守ること。
だが、心の奥で固く誓っていた。
――今日で必ず終わらせる。
蘭明は私の言葉に耳を傾け、その考えを受け入れてくれた。まだ戦場のことなど何も知らない私を、それでも信じて任せてくれた。
その作戦で蘭明を最前列へと送り出した。
けれど、さすがの蘭明も、いつまで待ち続けてくれるか分からない。
「琉璃、頼んだわよ」
「お任せください」
琉璃は守華の衣を身にまとい、面紗を顔にかける。
馬の背に跨がり、視線を鋭く前へと向けた。
そして――その先へと駆け出していく。
「……あそこに人影が? まさか、あの装いは――あのときの女」
舌打ち混じりに、季昭が低くつぶやいた。
「ったく、危ないから出歩くなと忠告したばかりだろうに……」
戦況は膠着し、しかも今回の総指揮官は自分ではない。
一時離れても大勢に影響はないと判断した季昭は、迷わず馬首を返し、守華の姿を追った。
その動きを察した守華は、すぐさま馬を走らせる。
――追ってくる。間違いなく。
だが、季昭が必死に追いかけているのは守華ではなかった。
面紗をまとい、守華の衣を装った琉璃だ。
「季昭なら、きっと民を見捨てない。私のことも放っておけるはずがない」
守華の読みは当たった。
案の定、季昭は目の前の騎影を守華だと信じ込み、深く馬を駆って追いすがってきたのだった。
琉璃は風を切って駆け抜ける。
背後から迫る蹄音――重く鋭いそれは、季昭の馬だ。
距離が縮まるたびに、背中に突き刺さる視線の重さを感じる。
(……さすがだわ。やっぱり速い)
琉璃は心中で苦笑しながらも、顔を覆う面紗を揺らし、決して振り返らない。
遠くからその様子を見つめていた守華は、固く拳を握りしめた。
「……食いついた」
予想通り、季昭は琉璃を自分だと思い込み、戦場を離れて追撃してきている。
守華はわずかに息をのみ、しかし力強く頷いた。
「今しかない。季昭を引き離せれば、戦局は必ず動かせる」
琉璃と季昭の馬蹄が、土煙を巻き上げて遠ざかっていく。
その光景をじっと見届けていた守華は、旗をもっていた兵士たちに下ろすように指示した。
その一瞬の合図を見逃さず、蘭明が鋭く声を張り上げる。
「――引けえええええええ!」
轟く声に呼応して、兵たちが一斉に後退を始める。
戦場にざわめきと土煙が広がった。
目の前で敵が退きはじめたのを見た龍井の血が沸き立つ。
「逃がすかよ!」
蘭明がいる以上、ここで討ち取れると考えた龍井は、部隊を率いて激しく追撃に移った。
その様子を見た守華は、唇の端をわずかに上げる。
「……かかったわね」
守華は愛馬フリーダムの背に軽やかに飛び乗り、たてがみをそっと撫でた。
「フリーダム、行くわよ」
守華がたどり着いたのは、以前琉璃と下見した岩山に囲まれた場所だった。
奥は行き止まり、入り口は一つ。
岩山の上には隠れている兵士たちが待機し、守華の向かい側の岩山には八軒と兵士が潜んでいる。
互いの目が合う。
手を上げ、準備完了の合図を交わす――これは計画された作戦だった。
季昭に会った日、この場所の地形を確認した。
日本で見た戦闘漫画の戦術を思い出す。
奥は行き止まり――龍井は蘭明を追い詰めると信じるだろう。
だが、実際に弱ったフリをして先頭を行かせたのは、龍井を誘い込むため。
季昭の存在が作戦を遅らせたため、琉璃を使って注意をそらした。
もちろん、この「守華作戦」は詳しくは蘭明にも八軒にも星曜にも秘密だ。
龍井は予想通り蘭明を追い、守華の合図で入り口を封鎖すれば、もはや逃げ場はない。
前も後ろも陽月国。
上にも陽月国。
追い込んだつもりが、実は自分が追い込まれているのだ。
残るは、琉璃の手腕――
季昭をどこまでうまく誘導できたか。
ここまで来て、もし季昭に気づかれたら――全てが崩れる。
琉璃の無事を気にかけている間に、蘭明は兵士たちを率いて行き止まりの地形へと突き進んでいく。
その背後には、鋭い目で追撃する龍井の姿があった。
「ははははは――その先は行き止まりだ、蘭皇よ、降参しろ!」
龍井の声が戦場にこだまする。
だが蘭明はまったく動じず、兵士たちを引き連れ奥へ奥へと進む。
「守華さま――!」
「琉璃!」
琉璃は季昭をうまく誘導し、守華のもとへ戻ってきた。
「季昭は?」
「だいぶ巻けたかと思います」
守華は深く息をつき、琉璃を称える。
「さすがだわ、琉璃」
「いえ、守華さまの予想が的中したからです。ただ、さすが第一将軍だけあって.....すぐここも見つかるかと」
「それでもよくやったわ」といい、
二人は岩山の下の戦場を見下ろす。
「まだよ、まだ……蘭明もう少しだけ耐えて......」
行き止まりの罠の中で、戦局はまさに緊迫の極みにあった。
守華の心臓は高鳴り、時間との戦いが始まる――。
______ヒヒーーーン
季昭が追跡してきた。
木陰から覗き込むと、信じられない数の兵士たちが待ち構えている。
「まさか、この下は……!」
気づいた時には、もう遅すぎた。
龍井が後を追っているのが見えた。
この人数の兵を前に一人で立ち向かうことは到底不可能だった。
「龍井め……何も考えず突っ込んで。目の前の獲物を逃すわけがない……。これで終わりにしましょう!」
守華は冷ややかに笑う。
「今だ!!」
守華が巨岩の上に立ち上がり、矢を上空に放つ。
瞬間、待機していた兵たちが一斉に飛び出し、上空から矢の雨を降らせた。
反対側の岩山に潜んでいた八軒たちも、下に向けて矢を射かけて制圧する。
入り口を固める星曜と兵たち。
龍井は、進むも退くもできず、完全に包囲されてしまった。
緊迫の戦場――ついに、守華の計略が炸裂する。
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季昭の目の前で、一人が巨岩の上に立ち上がり、矢を放ったのを見逃さなかった。
「あれは……あの女か!」
守華の隣には、さっき追った女がいる。
「ふん……」
季昭の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「なるほど……そういうことか。」
瞬時に状況を理解する頭脳派の季昭。
守華がただの貴族の姫ではなく、この戦の勝敗を左右する存在であることも悟った。
「あの女に、まんまとやられたな……龍井、そして俺も。守華といったか、覚えておこう」
岩山の陰に隠れた兵たちも、計算された射線で彩国兵を追い込む。
まわりすべてを陽月国の兵で取り囲まれた龍井たちは、初めて逃げ場を失ったことを理解した。
こうして戦いは終わり、陽月国が勝利を収めた。
都へ凱旋すると、すでに街は守華の噂であふれていた。
「守華さまーーー!」
「蘭皇ーーー!」
「守華さまーーー!」
歓声が四方から響きわたり、二人の名が空に舞う。
守華は笑顔で手を振り、人々の声に応えた。
その姿を、皇后は面白くなさそうに眺めている。
一方で、海尭は人知れず寂しげな瞳を向け、
陛下は満足げな表情を浮かべ、隣の無観も静かに見守っていた。
――それぞれの想いが交差するなか、二人の凱旋は都に深い余韻を残していた。




