43.敵か味方か
蘭明の天幕の中では、静かに作戦会議が進んでいた。
その重い空気の中に、何も考えずに入ってきたのは守華だった。
初めての野営に胸を躍らせているようで、戦場ではなくまるで遠足にでも来たかのような無邪気さが見える。
しかし、周囲の空気の重さに気づき、守華は一瞬足を止めた。
「守華、うろちょろしてるんじゃない」
「ごめんなさい……」
声は小さく、少し震えている。
守華はそっと蘭明の隣に歩み寄り、机の上に広げられた地図を覗き込む。
正確には地図の読み方はよく分からない。
「ここは山? ここは平地……?」
頭の中で思い浮かべながらも、守華の目は光っていた。
戦術書や古代戦争を描いた漫画、アニメを何度も見ていた経験が、ふと閃きをもたらす。
この地形、どこかで見たことがある……。
守華の中で、小さなアイデアが静かに膨らみ始めた。
陽月国も彩国も、まだ動きはなかった。
ここにきて、すでに二日が過ぎている。
守華は琉璃に尋ねた。
「琉璃、普段の服、持ってきてる?」
「念のため、持ってきてますよ」
守華は安心して、普段着に着替えた。
そして、蘭明に気づかれないよう、琉璃と共にそっと野営地を抜け出す。
「守華さま、大丈夫でしょうか……?」
「何が?」
「蘭皇にバレやしないかと……」
「大丈夫!暗くなる前に戻れば!」
しかし琉璃は慎重に言う。
「以前もフリーダムで私たちだと気づかれたことがあります。今回、フリーダムがいなければ、すぐにバレてしまうかもしれません」
「その時はその時よ!地図だけ見ても分からないし、どうしても現地で確認したい場所があるの」
守華は笑みを浮かべ、フリーダムにまたがった。
「フリーダム、行くわよ!」
その背中を、琉璃がぴたりと追った。
少し走ると、村らしき集落が見えてきた。
村人たちは慌ただしく荷物をまとめている。
その中に、荷造りを手伝ったり、避難の道を指示している一人の男性が目に入った。
守華たちの前を通りかかる村人に、琉璃が声をかける。
話を聞くと、この辺りはもうすぐ戦場になるため、危険を避けて安全な場所へ避難するよう指示を受け、みんな準備をしているということだった。
「私たちの戦のせいね」
「そういうことですね。」
「……」
「どうしましょう」
「確かに、関係のない民を巻き込むわけにはいかない。手伝おう」
「はい!」
守華と琉璃は馬を降り、村人たちを安全な場所へ導き始めた。
その様子を、ひとりの男がじっと見つめていた。
大体の村人の避難が終わり、静けさが戻った村の中で、守華と一人の男の視線が交わった。
守華は自然に一礼をする。
男はゆっくりと近づきながら、落ち着いた声で告げる。
「姫さまも、安全な場所へ避難したほうがいい。ここはもうすぐ戦場になる。」
守華は冷静に見据える。
「あなたは?」
男は微かに笑みを浮かべ、自己紹介をした。
「彩国の季昭だ。どうぞ、お見知りおきを。」
「彩国…!?」
琉璃が思わず声をあげた。
「ここは陽月国よ。なぜ彩国のあなたが・・・」
琉璃が慌てて質問する。
「っというと、あんたらは陽月国の人だな。まぁ、ここが陽月国だからあたりまえか」
季昭は琉璃に軽く視線を向け、次に守華をじっと見つめる。
「民に戦は関係ない。ここが陽月国でも彩国でも、民を巻き込んではいけない。だから、避難させたのだ。」
その目の奥には、ただの兵士ではない冷静さと決意が宿っていた。
守華はふと、季昭の腕に血がにじんでいるのに気づく。
「季昭といったかしら?その傷は?」
季昭は軽く腕を見つめて言った。
「ああ、誘導中に少し引っかかっただけだ。大したことはない。」
守華は眉をひそめ、袖をまくる。
「大したことではない?結構、血が出てますよ。琉璃、悪いけど消毒液を探してきてくれる?」
「はい、承知いたしました!」
琉璃は素早く家の中へ走っていった。
季昭は守華の冷静な手つきに微かに目を細め、しばし黙って見つめる。
「名を聞いてもいいか?」
守華は持っていた水で、傷口のまわりの血をそっと洗い流す。
「守華よ。」
「守華か…いい名前だな。服も立派だ。陽月国の貴族の娘か?」
「まぁ、そんなところね。」
「なんでそんな高貴な方が、こんな山奥に?」
「気晴らしよ。ずっと籠の中だと息が詰まるじゃない?」
守華は季昭の真っ直ぐな瞳を見つめる。
その視線に、季昭は思わず胸がざわつくのを感じた。
「守華さま、ありましたー!」
「ありがとう。消毒液を出して」
「はい!」
守華は消毒液を傷口に垂らす。
季昭は一瞬顔をしかめるが、すぐに平静を装う。
「しみる?」
「こんな傷、大したことない」
「強がらないで。どんな小さな傷でも痛いのは当たり前。それに、小さな傷ほど侮ると後で痛い目を見るのよ」
季昭は何も言い返せず、ただ守華の手際の良さを見つめる。
包帯を巻き終え、手当は完了した。
「ありがとな」
馬にまたがった季昭が、自分の手当された腕を見ながら守華に言った。
「おまえらも、早くここを離れろ」
「分かったわ」
「じゃあな」
季昭はそのまま立ち去っていった。
「普段の洋服でよかったですね、守華さま」
「ええ、本当にね」
「でも……手当してよかったのですか?彩国の者で、ここにいるということは、戦に関係している人物ですよ?」
「そうね。でも、彩国の人間なのに陽月国の民を逃がしていた。きっと、悪い人ではないわ」
守華は季昭の後ろ姿を見送りながら少し考え込む。
横で琉璃が、少し不安そうにその表情を覗き込む。
「さあ、私たちも行きましょう。ここでだいぶ時間を使ってしまったわ。」
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「思ったとおりだわ」
小高い岩の上から下を見下ろす守華。
「ここの土地に、何かあるんでしょうか?」
守華はコクリと頷いた。
「戦だから血が流れるのは覚悟している。私だって覚悟を決めてきたわ。でも、やっぱり亡くなる人は最小限にしたい。陽月国の兵士も、彩国の兵士も、大切な家族や人がいるんだから」
沈む夕日を見つめながら、静かに決意をかみしめた。
野営地に戻るころにはすでに日が暮れていた。
守華はそそくさと洋服を脱ぎ、着替え、髪をお団子にまとめる。
何も知らない顔で兵士たちの中に混ざり込む。
「ふぅ――――」
守華と琉璃は、ほっと息をついた。
だが、次の瞬間、守華が思わず声を上げてしまった。
「ひゃー!」
琉璃は守華を見上げ、一瞬止まったが、小さく手を振っていた。
その直後、蘭明が守華を肩に持ち上げ、天幕の中へ連れて行く。
「ちょっと、降ろしてよ!」
ベッドに置かれた守華の上に、蘭明が覆いかぶさる。
「じゃじゃ馬め、どこに行ってた?」
「え?ずっとここにいたわよ」
「私に嘘が通用すると思うか?」
「本当よ」
「私に嘘を突き通すなんて、いい度胸だな」
守華は苦笑いするしかなかった。
「お仕置きが必要だな」
「えっ?」
っという前に、蘭明が守華の首元にキスをする。
そして、守華の足元から手が入り、どんどんと太ももへと滑らせていく。
「本当のことを言うわ!」
「言わなくてもいいんだぞ」
「言うわよ!絶対言う!」
蘭明はボソッとため息をつきながら、守華の上から少し身を退けた。
守華は、近くに村があることに気づき、村人たちを安全な場所へ避難させていたと説明した。
季昭に会ったことや、周囲の偵察に出たことは黙っている。
「なんで私に黙って行った?」
蘭明の声には怒りが混じっているが、どこか心配も滲んでいた。
「だって……私が行くって言ったら、蘭明もついてくるでしょ?
でも蘭明はここで指揮をしなきゃいけないのに、いなくなったら誰が兵をまとめるの?
それに、いつ彩国が動き出すかも分からないんだから」
守華の言葉に、蘭明は少し黙り込み、目だけで守華を見つめる。
怒りよりも、守華を心配する気持ちが強く滲んでいた。
「ごめんね。今度からは黙って出かけたりしないから」
彼は守華の腰に手を回し、自然と抱き寄せた。
そして、守華の首元に顔を近づける。
守華は一瞬息を詰め、心臓が早鐘のように打つのを感じた。
数秒後、蘭明の顔が離れる。
「どこにいても、守華を見つけられるように」
守華の首元には、赤いマーク。
それは、蘭明がそっとつけた印――命を預ける証でもあった。




