34.町の喧騒と影
星曜の誕生日会も無事に大成功で終わり、守華は翌日、渋々ながら夏翠の買い物に付き合わされていた。
普段なら小心や琉璃を連れて町に出るのだが、今日は琉璃が父の墓参り、そして小心も年明けの準備で忙しく、守華一人での付き添いだ。
夏翠には侍女もついているので問題はないだろうと思ったが、それでも守華は少し神経を尖らせていた。
年末の町はこれまでにないほどの賑わいを見せ、人々はお正月の準備であちこち買い出しに来ている。
「どこの服屋も、守華が着てるような服を置くところが増えたわね」
「本当ね。これで私も困らずに済むわ」
「ふーん、私も守華みたいな服を着たいなぁ…」
夏翠の小さな愚痴に、夏翠のほっぺを両手で挟んで笑いながら言った。
「公主は公主なりに大変なのねー。可哀想に」
「それ、本当に思ってる?」
頬を挟まれながら答える夏翠。
その時、守華の目がふと奥のほうに止まった。
黒衣の人影――こんな人混みの中で黒衣?
普通なら目立ちすぎるはずだが、その人物はまるで人混みに紛れるかのように、すぅっと歩いている。
守華の胸がざわりとした。
「まさか…あの人、私を?」
好奇心と直感が入り混じる。守華は思い切って後をつけることにした。
「こういう時こそ油断はできないわ。逆に追いかければ黒幕の正体も分かるかも」
守華は夏翠のほっぺから手を離し、低く息をついた。
「夏翠、ちょっと待ってて」
「えっ?」
戸惑う夏翠を置き去りにして、守華はさっきの黒衣の後を追った。
「ちょ、ちょーっとどこに行くのよ、守華ー!?」
人混みの中で夏翠が叫ぶ声も、喧騒にかき消されてしまう。
守華は周囲の目を気にしつつ、できるだけ音を立てないように黒衣の後を追いかける。
細い路地を抜け、黒衣は一角の小さな部屋に入った。
守華も辺りを見渡し、人の気配がないことを確認してから、ゆっくりとその部屋へ足を踏み入れた。
暗い部屋の中、かすかなろうそくの灯りが揺れる。壁には影が揺れ、心臓の鼓動が耳に響くようだ。
――その瞬間。
_____バタン
入り口のドアが音を立てて閉まり、鍵がカチャリと掛けられる。
守華の背筋に冷たいものが走る。
守華は必死に扉へ駆け寄る。
「ドンドンドンドン!」
力いっぱい叩く。
「誰!? 開けなさいよ! 開けて!」
後ろを振り返る。さっき、この部屋に入った誰かが確かにいた――まだ中にいるのか?
冷たい恐怖が胸を締め付ける。
その時――
「守華!」
思わず体がビクッと反応する。
「守華いるの?」
声の主は夏翠だった。
「夏翠?」
「そうよ! いきなり消えたから追いかけてきたの」
「扉が開かないの…」
「外からやってみる!」
夏翠と侍女が力を合わせて押すが、びくともしない。
何度押しても、まるで頑丈な壁のように動かない扉。
「守華、私たちじゃ開けられないわ。今、助けを呼んでくるね!」
「分かったわ」
「すぐに戻ってくるから」
「うん…」
夏翠と侍女は力強く頷くと、走り去っていった。
守華は一人、静まり返った暗い部屋に取り残される。
ろうそくの炎が揺れ、壁に映る影がまるで生きているかのように動く。
――ここで、守華はどう行動する?
部屋の奥を探るか、それとも別の方法で脱出を試みるか…緊張の瞬間。
守華は恐る恐る、部屋の奥へ足を踏み入れた。
確かに誰か、ここに入ったはず。
どこか抜け道があるのだろうか――心臓が早鐘のように打つ。
――ガシャン
突然、何かが倒れる音が響いた。
守華は思わず立ち止まり、固まる。
「大丈夫、大丈夫…私はもう武芸ができる。襲われてもやり返せる…」
深く息を吸い込み、振り向く。
そこには倒れたろうそくが床に転がり、炎を上げていた。
さっきの音の正体は、黒衣の人物が窓から逃げる際に触れたものだったらしい。
しかし、その火は一気に勢いを増して、部屋の中の布や紙に燃え移ろうとしている。
守華は慌てて火を消そうと手を伸ばすが、炎は想像以上に激しい。
口元を覆い、煙を吸い込まないようにしながらも、熱気が迫り、視界が揺れる。
⸻
「――あの女を捕らえました」
「誰にも気づかれていないな?」
「はい。思った通り、私の後を追ってきたので、例の部屋に閉じ込めております。」
「よくやった。早速、妖石のありかを聞き出すのだ」
「はっ」
守華が追っていた黒衣――計画的に動く者だった。
彼の策略は単純だが確実で、守華の性格や習慣まで読み切っていた。
「守華の前に姿を現せば、必ず追いかけてくる――」
その通りだった。
いつも誰かと一緒にいることが多い守華が、ようやく一人で動いた瞬間を狙っていたのだ。
黒衣は冷ややかに微笑み、守華がいる場所へ向かう。
「これで思惑通り……」
守華の知らぬ間に、彼の計画は着々と進行していた。
火が激しく燃え広がる。
_____ドンドンドンドン
「だれか……ここを……!」
煙が濃く、声もまともに出せない。
息ができる場所を探し、必死に避難する守華。しかし、体中に力が入らず、意識が遠のいていく。
「ここで……死ぬなんて……いやよ……らん...めい.....」
かすかに、蘭明の名前を口にしていたことに気づく。
(来るはずないか……ドラマみたいには……)
そのまま守華の体は重くなり、視界がぼやけて意識が途切れる。
―――外から叫び声が響く。
「火事だー!火事だー!」
町中に火事の知らせが広がる。
さっきの黒衣の人物も、その声に気づいた。
黒衣を着た者と、マントで顔を隠したもう一人の影――二人が急いで現場へ向かう。
「まさか……」
守華を閉じ込めた部屋を確認すると、炎がその場所を包み込んでいた。
燃えさかる炎の中、守華の姿は見えない――。
「何で火事になっておる!?」
黒衣はひざまずき、頭を下げる。
「私が捕らえたときは、火事など……」
「生きて捕らえねば、妖石のありかを聞き出せぬではないか!」
怒声に黒衣はさらに身を震わせる。
「申し訳ございません……」
そのとき、顔を隠した者の一人が黒衣に剣を向ける。
――足音が走って近づく。
「隠れろ!」
黒衣と顔を隠した二人は、慌てて剣をしまい、物陰に身を潜める。
「こっちよ、こっち!」
夏翠の声が響き、蘭明と八軒を伴って現れる。
その姿を確認した三人。
「蘭明が来たか……。ここであの女が死んだら、お前も道連れにするぞ」
黒衣は息を飲み、再びひざまずく。
顔を隠した二人は、現場を離れ、闇に消えていった。
「え、火事……」
夏翠は言葉を失い、唖然と立ち尽くす。
「さっきまでは火事なんて……でも、中に守華がいるのよ!」
声に焦りが混じる。
蘭明が炎の中へと駆け出そうとするのを、八軒が必死に止めた。
「無理です!こんな火の中に入ったら――」
「離せ!ここで守華が死んだら、お前の首も飛ぶぞ!」
蘭明の瞳が怒りに燃えている。
八軒は仕方なく手を離した。
「では、私もついていきます」
声を強め、蘭明は火の方向へ向かう。
八軒が扉を足で思い切り蹴り開くと、中は予想以上に炎が広がっていた。
「八軒、お前はここで待て」
「でも……」
「助け出した後にすぐ対応できるよう、ここで待機しろ」
「はっ」
そう言い残すと、蘭明は炎の中へと飛び込んでいった。
「守華ー!守華ー!ゴホン、ゴホン!」
煙で視界がほとんど奪われ、むせながらも蘭明は守華を探す。
「守華ーーー!」
そのとき、炎の奥に倒れる守華の姿を捉えた。
「守華!」
叫びながら駆け寄る蘭明。守華は動かない。心臓が凍るような瞬間だった。
躊躇なく抱き上げる。
「絶対、死なせない……!」
飛び散る火柱が二人を襲う。熱が肌を焼く。
突然、崩れかけた柱が蘭明めがけて倒れてくる。
「くっ……!」
腕で必死に柱を受け止め、守華を守る。体中に衝撃と痛みが走る。
外では夏翠が嗚咽を漏らしながら泣きじゃくり、八軒は必死に中の様子をうかがう。
水をかけ消火を試みるものの、炎は執拗に燃え広がり、一向に鎮まらない。
その騒ぎに気付いた海尭が駆けつける。
「夏翠、どうした?」
海尭が静かに、しかし力強く夏翠に近づく。
夏翠は涙でぐしゃぐしゃの顔を上げ、海尭を見つめる。
必死に海尭の腕を握りしめ、声を震わせる。
「守華が……守華が……」
「守華がどうしたんだ?」
海尭の声には焦りと不安が混じる。
泣きじゃくる夏翠の肩を抱きしめようとする海尭。
「まさか、守華が中に……!?」
夏翠はうんうんと力なく頷く。
海尭はためらわず中に飛び込もうとした。
しかし、聡騎が腕を掴んで必死に止める。
炎の熱と煙に包まれる建物の前で、海尭はもどかしさに拳を握りしめる。
目の前で燃え上がる炎しか見えない。
「蘭皇!」
八軒の声が響く。
海尭と夏翠が声の方を見ると、炎と煙をかき分けるように、蘭明が守華を抱えて現れた。
距離を取って守華をそっと地面に下ろす蘭明。
その瞬間、海尭と夏翠が一目散に駆け寄る。
「守華!守華!」
海尭の声が震える。
「息はしている……気絶しているだけだ」
海尭の手が守華の頬に触れ、温もりを確認する。
夏翠も肩を撫で、安堵の息をつく。
八軒がすぐに蘭明の火傷に気づき
「蘭皇、手当を……!」
「あー……」
蘭明は短く答え、守華を海尭と夏翠に託すと、八軒と共に手当の準備に向かった。
蘭明と八軒が去ったその瞬間、守華のまぶたが微かに動く。
「……海尭……あなたが、助けてくれたのね」
海尭は守華を抱きしめたまま、優しく声をかけようとする。
しかし守華は、安心したのか、またそっと目を閉じた。




