31.皇子の我儘と守華の意地
冬のはずなのに、陽月国にはまだ雪の気配がなかった。
小心も琉璃も、白く舞う雪をこの目で見たことはないらしい。
日本の冬を知る守華には、ここはまるで初秋のような気温で、少し肩透かしを食らったような気分だった。
「そういえば、ここに来たときはまだ3月だったのに、暑くてびっくりしたっけ……」
小さく呟き、窓の外の穏やかな空を見つめる。
最近は朝ご飯も、いつもの蘭明との賑やかなひとときではなく、部屋で静かに済ませることが多くなった。少し寂しいけれど、今は仕方ない。
今日は陛下の誕生日、盛大な祝賀会の日だ。
守華は陛下のご要望で、舞を披露することになっている。
エメラルドグリーンに輝く衣装は、腰の辺りがほんの少し見えるデザインで、光の加減で妖艶に揺れる。まるで、異国の踊り手が身にまとうベリーダンスの衣装のようだ。
顔には薄い面紗をかけ、頭にはベールをそっと乗せる。腰のアザは、腰布で巧みに隠し、どこから見ても完璧な仕上がり。
準備が整うと、守華は小心と琉璃を伴い、宮廷の祝賀会場へと足を進めた。
祝賀会はすでに始まっており、入り口には白鋭が整然と待っていた。
「守華さま、とても美しいですね」
その声は低く落ち着いていて、けれど確かに心の奥に響く褒め言葉だった。
「あら、ありがとう」
守華は軽く微笑み、頬にわずかな熱を感じながら答える。
「こちらでお待ちください」
白鋭が一礼すると、静かに中へと消えていった。
入り口の扉がゆっくりと開き、守華は一歩ずつ中へ踏み入れる。
太陽の光が差し込み、彼女のエメナルドグリーンの衣装を透かして煌めき、まるで女神の降臨のような光景が広がる。
会場は一瞬、息を飲む静寂に包まれ、その後どよめきが広がった。
視線の洪水が守華に向けられる。
けれど守華は、ひるむことなく陛下だけを見据え、堂々と歩を進める。
(きっと、この中に私を狙っている人がいる)
そんな予感が胸をよぎる。けれど足取りは揺らがない。
守華の視線は、光と影の混ざる会場の奥、陛下の席にまっすぐ向けられていた。
背後では、囁き声や微かな笑い声、驚きの声が混ざり合う。
その一つひとつが、守華の鼓動を少しずつ高める。
今日、この瞬間——
陛下の前まで進むと、守華は背筋を伸ばして深くお辞儀した。
「陛下、皇后、守華がご挨拶申し上げます」
「顔をあげよ」
陛下の温かい声に守華は顔を上げ、微笑みを返す。
「感謝いたします」
「守華よ、久しゅうな。ここでの生活には慣れたか?」
「はい、皆さんに助けられながら、何とか生活できております」
陛下はにこやかに微笑み、威厳の中にも優雅さを滲ませる。
「今日も朕のために踊ってくれるか?そなたの舞は何故か人の心を引き寄せる。ずっとまた見たいと思っておったのだ」
「喜んで踊らせていただきます。陛下のお祝いの舞を……」
そのとき、守華の視線の片隅で、黒髪の青年が静かに現れた。
「父上」
蘭明だった。
いつもは髪をきっちりまとめた彼が今日はハーフアップにしていて、光を受けるたびに柔らかな黒髪が揺れる。白い服に包まれた姿は、まるで舞台の中心に立つ王子のようだった。
そして次の瞬間、蘭明は迷わず守華の隣に立つと、彼女の腰にそっと手を回し、スッと自分の方に引き寄せた。
周囲の視線や祝賀会の華やかなざわめきなど、全く気にならなかった。
守華の心臓だけは、いつもよりずっと速く鼓動していた。
「今日は父上のめでたき日。守華だけでなく、私と守華で舞をお披露目いたそう」
陛下は目を細めてにっこりと笑う。
「おお、蘭皇と一緒にか。それは楽しみだ」
守華は軽く眉をひそめる。
「ちょっと、どういうことよ」
「いつまで私を無視し続けるつもりだ」
「今はそんな話をしてる場合じゃ……!」
その間に、音楽が静かに流れ始める。
「私が合わせろ」
その言葉に一瞬戸惑ったものの、なぜか二人の呼吸はぴたりと合った。
守華と蘭明の舞に、会場の注目は完全に二人に集中していた。
二人が息を合わせてくるくると回るたび、周囲の視線がまるで磁石のように吸い寄せられる。
その様子に、夏翠は目をキラキラさせて笑みを浮かべる。
手を小さく握りしめ、もうニヤニヤが止まらない。
海尭の瞳には羨望でもなく、嫉妬でもなく、何とも言えない感情で静かに見守っていた。
「今日の格好はどうも好かん」
耳元で囁かれると、守華は思わず息を呑む。
離れようと手を引いても、蘭明はすぐに手を取り、くるりと回して自分の中心に引き込む。
「他の男には絶対に見せたくないな」
赤面する守華。けれど、面紗で顔は隠れているから、誰にもバレずにすんだ。
やっとのことで踊りを終え、陛下は大満足の笑顔。
守華は深くお辞儀をして、その場をそそくさと去る。
蘭明もすぐに会場を後にし、守華を追いかけた。
出口で小心と琉璃が待っており、守華が姿を現すと、そっと道をあけて後ろに付き従う。
「守華!」
蘭明が走ってくるのに気づき、二人は一礼。
しかし守華は微動だにせず、前を向いて歩き続ける。
「守華」
蘭明が息を切らしながら手を掴み、マントをさっと守華に被せた。
「その格好、他の男には見せるな」
守華は前を向いたまま、微動だにしない。
「なんで私を避ける?」
蘭明、心配そうに眉を寄せる。
「守華?」
守華はついに手を振り解き、勢いよく振り向く。
「なんで、そんなこと言われなきゃいけないのよ!私がどんな格好しようが、誰に見せようが、蘭明には関係ないじゃない!しかも今日のために踊りを練習してきたのに、あなたの侵入で全部台無しよ!!!どうしてくれるのよ!」
怒りで全身から火花が飛び散りそうな守華。
「あ、悪い・・・」
呆然とする蘭明。
「もう、いい!」
守華はふんぞり返って帰ろうとする。
その瞬間、背後から蘭明が忍者のように飛びつき、お姫様抱っこで守華を抱え上げる。
「な、何するのよ!」
守華は驚きと怒りで目を見開き、マントの中でバタバタと足をばたつかせる。
蘭明は息を切らしつつも、口元に微笑みを浮かべて一言。
「逃がすものか――今日の主役は守華だけだからな。」
守華は内心、怒りとドキドキがごちゃ混ぜになり、顔がさらに熱くなる。
周囲に見られていないことだけが、唯一の救いだった。
「誰にも見せたくない。だから私が屋敷まで送る」
「はぁ!?祝賀に戻らないとダメでしょ!」
「小心、白鋭に伝えろ。――私は体調を崩して先に帰ったとな」
「承知しました」
「琉璃、八軒に刀を持って戻るように伝えろ」
「はっ」
二人が去ると、静かな廊下に二人きり。
「暴れたところで、助けは来ないぞ」
守華は鼻を鳴らし、ぷいっと顔を横に向けた。
「ふん。歩く手間が省けるわ」
「そうだな」
蘭明の口元がかすかに笑う。
「ねぇ、ここ…私の部屋じゃないんだけど」
「知っている。――私の部屋だ」
「えっ……」
「今日の私に、見惚れていただろう?」
「……っ、誰が!」
「そうか? 一人を除いては、皆私に釘付けだったが」
「一人を除いてって……私のこと!? モテモテでよかったじゃない。まあ、今日の私に見惚れた男も山ほどいたけどね」
___バタン。
次の瞬間、守華は蘭明のベッドに押し倒され、その上に蘭明が覆いかぶさった。
「ちょ、何よ!」
「他の男の話はするな」
「何よ! 蘭明だって他の女の話したじゃない!」
ぷいっと横を向く守華の顎を、蘭明がクイッと正面に戻す。
「本当は――私に見惚れていたのだろう?」
そう囁き、守華の面紗を外す。
どんどん近づいてくる蘭明の顔に、守華は思わず目を閉じた。
……ん?
鼻と鼻が軽く触れる。
気づけば蘭明は体を離し、ふっと笑った。
「何を期待した?」
「し、してないわよ!!」
真っ赤になって立ち上がろうとする守華。だが腕を引かれ、蘭明の膝の上に落ちてしまう。
「いいんだぞ。続きを……やっても」
耳元で囁かれ、守華は慌てて振り払う。
「いい加減にしてよ!」
蘭明はおもしろそうに笑った。
本当は今すぐ唇を奪いたかった。けれど、一度したら二度と抑えが効かない気がして――必死に堪えている。
「……とりあえず、私を無視するのはやめろ」
「ふんっ」
「無視を続けるなら――毎日、唇を奪いに行くぞ」
「っ!」
守華は両手で口を押さえ、ブンブン首を振る。
「む、無視しません!」
慌てて手を挙げる守華。
「よろしい」
蘭明が満足げに頷く。
「ちょうどいい。――守華に相談がある」
「……相談?」
蘭明は真剣にコクンと頷いた。




