27.静かなる熱情
琉璃が屋敷に来てから、ちょうどニ週間が経った。
その間、守華はみるみる上達していった。琉璃の武芸は八軒に劣らないほど卓越しており、その力なら蘭明の侍衛としても十分に務まるほどだった。やはり、蘇将軍の娘という血筋は伊達ではない。
琉璃は朝から晩まで守華に付きっきりで武芸を教え、手取り足取り指導した。守華は汗を流しながらも、日に日に動きがしなやかになり、身のこなしに迷いがなくなっていくのを自覚していた。
「守華さま、動きが格段に良くなっております。体の軸もしっかり安定していますね」
「瑠璃の教え方がうまいからよ」
守華の笑顔に、瑠璃は少し照れくさそうに頭を下げる。
「いえ、守華さまの努力の賜物です。私も嬉しく思います。では、また手合わせを」
二人は互いに向き合い、庭の空気が一気に引き締まる。石畳に光が反射し、そよぐ風さえ武芸のリズムに合わせているかのようだった。
瑠璃がまず突きを繰り出す。守華は瞬時に横にかわし、足元の間合いを詰めて反撃。互いの動きは風のように速く、時折、砂利が跳ねる音が響く。
「守華さま、体をもっと低くして、重心を意識してください!」
瑠璃の声が飛び、守華は全身の力を抜き、体を沈めて受け流す。次の瞬間、前転から素早く立ち上がり、瑠璃の攻撃に反応して腕を返す。
「その調子です、守華さま!」
瑠璃の褒める声に守華の胸が熱くなる。自分の成長を目の当たりにし、自然と笑みがこぼれた。
互いの動きは鋭く、正確で、拳や足の一撃がかすかにぶつかる音が響く。二人の呼吸が重なり、庭全体に緊張感が漂った。
「守華さま。足元を意識して、踏み込みの角度を修正してください!」
「うん!」
守華は踏み込み、体の軸を意識して回転。瑠璃の腕を受け流しながら、体勢を崩さずに反撃の構えを作る。二人の動きはまるで舞のように美しく、同時に激しい。
「守華さま、今日もよく頑張られましたね」
汗をぬぐいながら瑠璃が言うと、守華も深く息をつき、満足そうに笑った。
「上達してるじゃないか、守華。」
柔らかな笑みを浮かべながら、海尭が屋敷の門のところから声をかける。
「海尭!」
守華はぱっと顔を上げ、琉璃と小心は一礼する。聡騎もまた、守華に敬意を示すように軽く頭を下げた。
「琉璃が本当にすごくて……しかも、八軒よりも教え方が上手だから、このニ週間で私自身でも驚くほど上達したの!」
目を輝かせて報告する守華に、海尭は微笑を浮かべる。
「蘇将軍も、そんな娘を見て誇りに思っているだろうな。」
琉璃は少し照れくさそうに頷きながらも、きちんと頭を下げた。
「では、次は私が相手をしよう。」
海尭の声に守華は驚きの表情を浮かべる。
「えっ?本当にいいの?」
「もちろんだ。私のように武芸が得意でない者で不満か?」
「そんなことないよ!たとえ得意じゃないって言っても、あの二人に比べれば……でしょ!普通の人よりずっと上手なんだから。お相手、よろしくお願いします!」
守華は笑顔で一礼し、気合を入れるように拳を軽く握った。
庭の端で、守華と海尭の手合わせを見守る琉璃と小心。
瑠璃がそっと囁く。
「ねー、小心。守華さまは海皇を慕っているの?」
「ん〜、どうでしょうか……でも、海皇を見るときの守華さまの目は、いつも輝いています。優しい方ですから、自然とそうなるのでしょう」
小心はにっこり笑った。
「じゃあ、あの二人、いい感じなんだね」
瑠璃も笑顔を返す。二人の目には、微笑ましい未来を想像する光が宿っていた。
その時、守華と海尭の動きが一層激しくなり、刀や手甲のぶつかる音が庭に響く。お互いに息を弾ませ、汗が光る。
すると、屋敷の門が開き、蘭明たちが帰ってきた。驚いた顔で庭の光景を見つめる。
「いつから海皇と手合わせを?」
白鋭が咄嗟に答える。
「はい、今し方かと思われます」
守華が俊敏に動く中、足元が不意に崩れる。バランスを崩し、危うく地面に倒れそうになる瞬間、海尭の腕がすっと差し伸べられ、守華をしっかり受け止めた。
二人の視線がぶつかる。近すぎる距離に、時間が止まったかのように感じる。呼吸が交差し、庭のざわめきや遠くの鳥の鳴き声も、まるで消えてしまったかのようだ。
「……大丈夫か?」
海尭の声は低く、しかし優しく、守華の耳に心地よく響く。
「はい……ありがとうございます」
守華も少し赤くなった頬を隠すように微笑む。
琉璃と小心は息を飲む。二人の間に流れる空気は、ただの稽古以上の何かを物語っていた。小心が小さな声で呟く。
「守華さま……海皇と、すごく自然に、信頼してる……」
琉璃も頷き、誇らしげに守華を見つめる。
蘭明はその光景を遠くから眺め、複雑な表情を浮かべた。守華の成長だけでなく、彼女の心が海尭と近づいていることを、密かに感じ取っていたのだ。
蘭明が隣にいた八軒の刀をひゅっと抜き放つ。鋭い光を放ち、そのまま海尭のもとへと飛び込む。
それに気づいた海尭は咄嗟に反応し、守華を安全な距離まで離すと、身構え蘭明に立ち向かった。
「さすがですね、海皇」
蘭明が笑みを浮かべ、刀を構える。
「蘭明か」
海尭も静かに返す声に、緊張が混じる。
守華はその光景を、ただポカーンと見つめるしかなかった。
――何故だろう、今日の稽古は自分のためのはずなのに、海尭と蘭明がいつの間にか手合わせを始め、庭中に鋭い気と刃の音が飛び交っている。
「……戻ろうか」
守華は小心と琉璃のもとに歩み寄り、声をかける。
「はい!」
二人も頷き、守華に従う。
後ろで響く刀のぶつかる音や掛け声を背に、守華たちは庭を離れ、落ち着いた屋敷の部屋へと戻った。
守華は振り返ることなく、ほっとしたように深く息をつく。
小心が小さな声で囁く。
「……あの二人、何をしているんでしょうか」
琉璃も眉をひそめ、
「……あの御二方も子供みたいに熱くなるのね」
守華が姿を消したことに気づかぬまま、蘭明と海尭は激しい手合わせを続けている。刃と刃がぶつかる音、踏み鳴らす足音だけが庭に響き渡る。
その様子を遠くから見つめる八軒、白鋭、聡騎。
白鋭がぽつりと口を開く。
「……あれは、守華さまをかけての勝負に見えるのは私だけでしょうか?」
うんうん、と八軒と聡騎が頷く。
「やはりそうですか。蘭皇ご自身はまだ気づいていないでしょうが、守華さまへの想いが隠せていませんね……海皇も同じくでしょうか」
聡騎が説明する。
「いや、海皇は他のどの女性よりも守華さまを気にかけているのは間違いない。蘭皇よりは鈍くないはずです。ただ、本人から直接聞いたわけではないので、実際のところは分かりませんが」
「しかし、外から見ている我々には、二人とも守華さまに特別な感情を抱いているのは丸わかりですね」
白鋭が苦笑すると、八軒も頷く。
「そろそろ止めたほうがいいのでは?」
白鋭が八軒に声をかける。
「そうだな」
八軒は懐から小さな槍を取り出すと、狙いを定めて二人の間に投げた。
もちろん、二人はすぐにそれに気づき、身をかわして距離を取る。
「八軒、何をする」
蘭明が八軒に詰め寄る。
「蘭皇、そろそろ……」
「海皇も、そろそろ……」
それぞれの侍衛に押さえられ、二人はようやく手を止める。
「守華は?」
「とっくの昔に部屋に戻っていますよ」
白鋭が呆れた声で報告した。
海尭は肩で息を整え、刀を鞘に収める。
「久々のお手合わせ、楽しませていただきました」
「いやいや、こちらこそ。さすが蘭明だ。私には危ういところが多々あったのに、余裕で対処している」
海尭が笑みを浮かべる。
「いえ、そんなことは……」
蘭明は少し顔を赤らめ、謙遜する。
「また手合わせを頼むよ。聡騎、帰るぞ」
「はっ」
海尭は侍衛の聡騎とともに、静かに屋敷を後にした。




