25.自由に生きるということ
夏の名残が薄れ、秋の気配が色濃くなり始めていた。
空気はわずかに冷え、守華は肩をすくめる。
蘭明はそんな守華を連れ、馬小屋へと向かっていた。
「守華専用の馬を選ぼう」
その言葉に従い、守華は並ぶ馬たちを順に見ていく。
「どの馬でもいいぞ」
蘭明が軽く言うと、守華は目を輝かせた。
「うん、色んな馬がいるのね」
馬主が横から補足する。
「私どもの馬はどれも優秀です。必ずお気に召していただけます」
守華の背後には蘭明と八軒、そのさらに後ろには馬主が控えていた。
狭い小屋の中、馬たちが鼻を鳴らす音が響く。
――バタン、バタン!
突然、大きな物音が響き、守華は思わずそちらへ足を向けた。
慌てたように馬主が前へ出て、彼女の行く手を塞ぐ。
「どの馬でも…と申しましたが、あの馬だけはおやめください」
「?」守華は首をかしげる。
馬主は青ざめた顔で続けた。
「あの馬は気性が荒く、誰にも懐きません。乗ろうとすれば必ず大怪我をします。どうか、別の馬を――」
その小屋の中には、黒い毛並みの馬が荒々しく暴れていた。
蹄が床を打ち鳴らし、瞳には炎のような光が宿っている。
しかし守華は一歩も引かず、馬主を押しのけるようにして前へ進んだ。
「危険だ!」
蘭明が慌てて肩を掴み、制止する。
「大丈夫よ」
短く言ってその手を払いのけ、守華は黒馬と正面から向き合った。
ゆっくりと歩み寄り、視線を合わせる。
黒馬は荒い鼻息を鳴らしながらも、守華の手の温もりに押されるように歩みを止めた。
その逞しい身体はまだ震えているのに、瞳だけはどこか安心を映し出している。
後ろでは、蘭明と八軒、馬主が息をのんで見守っていた。
心配そうな視線が突き刺さる。
「ほら、落ち着いて。もう怖くないわ。」
守華がそっと耳元で囁くと、黒馬は大きく嘶き、暴れる足を静かに地面へと下ろした。
「いい子ね……」
守華はそっと馬の顔を撫で、柔らかい声で囁いた。
荒ぶっていた黒い瞳が、少しずつ揺れを鎮めていく。
後ろで見守っていた蘭明と八軒は思わず顔を見合わせる。
「……信じられん。あの黒馬が……」
「守華さまって、本当に……」
「あなたも、私と同じなのね」
守華は馬の耳元で続ける。
「狭い場所に閉じ込められて、息苦しくなって……暴れるしかなかったんでしょう? 分かるわ、その気持ち。だから、私が解き放ってあげる」
そう言ってから、守華はきっぱりと振り返り、蘭明を見据えた。
「蘭明、この子に決めたわ」
「……やめておけ」
蘭明の声には、普段にない険しさが滲む。
「もしものことがあれば……大怪我をしたら、私は――」
馬主も青ざめた面持ちで必死に言葉を絞り出した。
だが、みんなの思いとは裏腹に守華の瞳が、まっすぐに蘭明を射抜いた。
その強さに、蘭明は一瞬、言葉を失う。
やがて、息を吐き、観念したように小さく頷いた。
「……分かった。」
蘭明のその言葉に馬主はさらに青ざめる。
「何があろうとも、そなたを責めはせぬ」
その言葉に、馬主は思わず目を見開き、安堵した。
こうして守華は、誰も手をつけられなかった暴れ馬を引き連れ、屋敷へ戻った。
「……行っていいわ。好きなところへ」
守華が軽く馬の尻を叩くと、馬は一声いななき、勢いよく駆け出していった。
その思い切った行動に、蘭明と八軒は思わず目を見張る。
「守華!?」
「せっかく買ってもらったのに、逃がしてしまってごめんね。でも、私は今の馬で十分なの。ただ……あの子が、あの狭い小屋に閉じ込められているのを見ると、どうしても自分と重なってしまって……可哀想に思えたの」
「守華……」
「ち、違うの! 私自身が可哀想って言いたいんじゃないわよ。今の生活に不満なんてないし、私は満ち足りてる。ただ……あの子には、せめて自由に生きてほしかったの」
蘭明はしばし黙って守華を見つめ、それから静かに頷いた。
「……そうか。守華がそれでいいのなら」
「うん。それであの子が元気でいてくれるなら、それだけで私は嬉しい」
守華はふっと笑みを浮かべ、くるりと八軒の方を向く。
「さて! 八軒、戻って稽古つけてもらうわよ」
「はい、承知いたしました」




