23.弓矢と心の距離
次の日から、守華は八軒と星曜に剣術や弓、馬の乗り方を教えてもらった。
運動神経は悪くなかったため、基本の動きや馬の扱い方はすぐに覚えられた。しかし、それはあくまで「入り口」にすぎない。
守華は一度「やる」と決めたら止まらない性格だった。朝から晩まで、休むことなく特訓を続ける。体は疲れても、心は焦りで張り詰めていた。
それでも、完全に守れるようになるには遠い道のりだ。普通の男ですら、剣を自在に操れるようになるには何年もかかるのだ。だが守華は、それを数か月で身につけようとしていた。
「いつ刺客が現れるか分からない――」
「私のせいで、大切な人たちに迷惑をかけたくない――」
守華の胸の中で不安と決意が入り混じる。
さらに、心のどこかで、こう思った。
「このままでは、光る石さえ見つけられない――だから、絶対に負けられない」
焦りと決意が入り混じるその目は、いつもより鋭く光っていた。
「脇をしめて、背筋をピンと伸ばす」
「そう、そのまま!」
八軒の厳しい声が響く。守華に弓を教えるときの八軒は、普段の優しい顔など微塵もなく、鬼のような指導者に変わる。
ビシバシと正しい姿勢と動作を叩き込まれる守華。
「……でも、これがあるから上手くなれるんだわ」
守華は少し感謝の気持ちを抱きつつも、真剣に矢を握り直す。
_____ピューン
剣術や馬の乗り方はすぐにコツを掴んだ守華だが、弓矢だけは手強かった。何度やっても的に当たらず、腕の力が抜けない。
「力みすぎだ!」
「は〜い……」
守華はしょんぼりと肩を落とす。力を抜けば矢が思うように飛ばず、力を入れれば真っ直ぐに届かない。加減が掴めず、どうしても同じ失敗を繰り返してしまう。
「もう一度だ」
「はい!」
守華は深呼吸し、再び弓を握る。矢を構え、目の前の的を見つめるその瞳には、あきらめない強い決意が宿っていた。
大きく深呼吸をする守華。
すると、手に重みがかかる。顔を上げると、そこには蘭明が立っていた。
「蘭明……?」
体が自然と近づき、守華の弓を持つ手に蘭明の大きな手が重なる。手のひらの温かさが直接伝わり、心臓がドキドキと跳ねる。肩が少し触れ、息遣いまで近い距離に、守華は思わず意識してしまった。
「右手首は添えるくらいでいい。その代わり、小指と薬指を意識的に締めろ」
「うん……」
蘭明の手の感覚を頼りに、少しずつ弓を構える。手と手が重なるこの距離感だけで、胸の奥がじんわり熱くなる。
「そうだ。顔を上げて」
「よし、放て!」
_____バンッ
矢は見事に的に命中する。
「当たった!当たったよ!」
喜びに溢れ、思わず蘭明に抱きつく守華。抱きつくと、二人の距離はさらに近づき、顔が触れそうなほどになる。息遣いも聞こえる。
抱きついた自分に気づき、少し慌てて距離を取る守華。
「あっ、ごめん……」
心臓はまだドキドキしている。体が触れ合っただけでこんなに熱くなるなんて、守華自身も驚いていた。蘭明はそんな守華をじっと見つめ、手をそっと離した。
その後、守華は弓の感覚をつかみ始めたのか、今までよりも力強く矢を放てるようになった。
まだ的に正確には当てられないものの、蘭明の指導のおかげで自信が少しずつついてきたようだった。
「守華さまは本当に自分に厳しいかたですね」
弓の練習を続ける守華を見ながら、八軒が蘭明に話しかける。
「昨日できなかったことも、翌日には出来るようになっている。私たちが見ていないときも、きっと一人で稽古しているんでしょうね。どうしてあそこまで自分を追い込むんでしょうか」
「守華は、周りに迷惑をかけまいとしているんだろうな。周囲をよく気にかけるからな。まぁ、何かに集中しているほうが、守華自身も気持ちが落ち着くんじゃないか。これからも守華を頼むぞ」
「はい、それはもちろんです」
蘭明は、弓の稽古に真剣に取り組む守華をそっと見つめるのだった。
「うひゃー、しみるー」
傷を癒す薬が入った白いお風呂に、守華はじっと浸かっていた。
腕には稽古の傷、指には弓でできた豆がたくさんある。
「また傷が増えましたね。塗り薬、お持ちします」
「助かるー、ありがとう」
お風呂は気持ちいいが、さすがに最近の傷にはしみる。
そのたびに小心が優しく薬を塗ってくれる。
少したつと、小心が戻ってきた。
「ねぇ、小心、私も誰かを守れるようになれるかな」
「もちろんです。守華さまは心が強いですから」
そのとき、小心は蘭明の入室に気づき、ぱっと頭を下げる。
蘭明は指を唇にあてて「シー」と合図し、小心が持っていた薬を指差すと、小心はすっと蘭明に渡し、部屋を出て行った。
「そうかなー。でも……相手がどれだけ悪くても、今の私には殺める自信なんてない。そうなると、自分がやられてしまうのも分かってる。まだ心の準備ができてないんだ。だから、いくら稽古しても行き詰まるんだよね……分かってはいるんだけど」
蘭明は守華の腕をそっと持ち、薬を塗り始める。
その手の温もりが、守華の心に少しだけ安心を与えた。
「そのときは、私が相手を殺める。守華はその手を汚すな。守華が殺められないなら、その役目は私がやる」
えっと振り向くと、そこには小心ではなく蘭明が立っていた。
「なんで蘭明がいるの?小心は?」
「いいから前を向け。薬を塗る」
お風呂から立ち上がれない守華は、大人しく前を向いた。
「ひどい傷だな……」
「……」
「細くてあんなに綺麗だった腕も、こんなに傷だらけになって……守華は武芸ができなくても、私や八軒が守華を守れるんだぞ?それなのになんでそこまで頑張る?誰のためだ?」
「誰のためでもないわ。自分のためよ」
「自分のためか……」
意味深に微笑む蘭明。
守華が本当は自分のためだけでなく、周りのためにも強くなろうとしていることは、蘭明にはすべてお見通しだった。
薬が染みて、「んっ」と声がもれる守華。
「痛むか?」
頭を横に振る。
「そこまで一人で気を張るな。今、守華の周りにはたくさんの人がいる。頼ることも、時には大事だぞ」
――しばしの沈黙。
守華はゆっくりと蘭明の方を向き、人差し指をそっと蘭明の唇の上に置いた。「シー」というポーズで。
蘭明は驚き、目を指の方に向ける。
「みんながいるのは分かってる。だけど、今は甘やかさないで」
そして、その指で蘭明の唇をぎゅっと挟む。
蘭明の唇がアヒルみたいに変形する。
「今度、甘やかすことを言ったら……この口、ちょん切るからな!」
ぎゅっとつねって離す守華。
唇はかなり痛かったのか蘭明は思わず唇を両手で押さえた。
「分かったらあがるから小心呼んできて」
蘭明は何も言えず、ただ小心を呼びに行くしかなかった。
外で待っていた小心が、守華のところへ入っていった。
蘭明はトボトボと歩きだす。
「八軒、女というのは、優しい言葉をかけてはダメなのか?」
???マークの八軒。
「いえ、女性は優しい言葉をかけられたら喜ぶかと思いますが……守華さまになんか言われたのですか?」
「この私が優しい言葉をかけたつもりだったが……逆に怒らせたみたいだ」
そう言いながら立ち止まり、まだジンジンと痛む守華につままれた唇を、もう一度自分の手で摘む蘭明。
その瞬間、怒っていたはずの守華の姿が、どこか無邪気で可愛らしく思え、心の奥がじんわりと熱くなる。
「……くそ、何度も守華の笑顔にやられてる……」
内心、思わずにやけてしまう自分に気づき、顔を少し赤らめる蘭明。
守華の行動も言葉も、全部が自分の胸を高鳴らせる――そんな不思議な感覚だった。
「……守華を、預かった以上絶対に守る。たとえ俺の身に何があろうと」
トボトボと歩きながらも、心は強く、そして熱く燃えていた。




