20.麗しき姫のドタバタ抗争
今日は、夏翠公主主催のお茶会──と名付けられた社交の集まりに、守華も招かれていた。
正直、守華は行きたくなかった。しかし、屋敷から外に出られる機会でもあるし、付き合いも大事だと小心に諭され、仕方なく足を運ぶことにした。
服装は恥ずかしくないよう、皆が着る長いスカートの礼装だ。
「夏翠公主、本日はお呼びいただき、ありがとうございます」
一応、礼儀としての社交辞令を口にする守華。
しかしすぐに、冷たく嫌味を込めた声が耳に届いた。
「本当は来たくなかったんでしょ?」
守華は一瞬眉をひそめる。言い方に嫌味が含まれているのを見逃さなかった。
「いえ、そんなことございません。蘭皇の屋敷にずっと滞在している私にとって、このようなお招きは誠に嬉しい限りでございます」
心の中で深呼吸をして、冷静さを装う。
しかし、ささやき声は止まらない。
「夫人でもないのに、なんで蘭皇の屋敷に居座るの?」
「いい体もしていないのに、夜伽のためでもなさそうだし…」
守華は予想していた通りの影口に、心の中で少しだけ苦笑する。
――言わせておけばいい。
彼女は気にせず、席についた。
その表情には、表面上の落ち着きと、内に秘めた覚悟が入り混じっていた。
一杯目のお茶をゆっくり味わい、次のお茶が注がれる。
守華はふと視線を感じた。
夏翠公主が、ニヤリと笑いながらこちらをじっと見つめている。
――何か企んでる…?
守華は身をすこし引き、警戒しつつも注がれたお茶を口に運ぶ。
「ゴホン、ゴホン!」
むせた音が、静かな部屋に響く。
夏翠は眉をひそめるどころか、むしろ薄く笑みを浮かべて守華を見つめ続ける。
「あら、どうかしたのかしら?」
守華は一瞬、夏翠を鋭く睨む。
だが、すぐに穏やかな笑顔を作って答えた。
「いえ、少し熱かったもので、ついむせてしまいました」
夏翠の笑みはどこか狡猾で、守華の背筋に小さな緊張が走る。
「そう?私のは熱くないわよ。気のせいじゃないかしら?
それに、冷めたお茶は美味しくないもの。ほら、早く飲んでみて」
その目は、ただの社交辞令の微笑みではなく――
挑発するような、狙いを秘めた目だと守華にはわかる。
周囲の高貴な女性たちの視線も、冷ややかに守華を追う。
苦笑いを浮かべつつ、守華はお茶をぐっと飲み干す。
「夏翠公主、とても美味しかったです。
蘭皇に早めに帰るように言われておりますので、私はこれで失礼いたします」
一礼してその場を立ち去る守華。
後ろで揺れる夏翠の微笑は、どこか得意げで、守華の心に小さな緊張の残像を刻む。
――今日も、何とか切り抜けた。
だが、守華はわかっていた。
この場の空気や夏翠の微笑は、決してただのお茶会ではない。
周囲に見せる華やかさの裏で、女性たちは互いの立場を探り合い、弱点を見つけようとしている。
守華は小さく息をつき、心を落ち着けた。
――ここでの立ち回りも、少しずつ慣れていかなくちゃ。
未来に戻るためには、ここで生き抜く力が必要だ。
そう心に誓いながら、守華は廊下を静かに歩いていった。
「守華さま、蘭皇にそんなこと言われておりませんよ?」
小心が後ろから声をかける。
守華はその声に立ち止まり、背筋を伸ばして夏翠のほうを振り返る。
「やられたらやり返すのみよ!」
再び歩き出す足取りには、迷いもなく、決意が込められていた。
「どうかしましたか?」
小心が尋ねる。
守華は少し息を整えながら答えた。
「1杯目は普通のお茶で安心させておいて、2杯目は吐きそうなぐらい苦いお茶になってたのよ」
小心は思わず口に手をあて、目を丸くする。
「……あらまー」
守華は眉をひそめ、目を細める。
「私より年下のくせに、この守華をなめんじゃないわよ」
口元だけに笑みを残し、心の中で次の策を練る。
このお茶会、ただのお茶会じゃない。夏翠公主の狙いは確かに――楽しげな表面の裏に潜む、権力と駆け引き。
守華は軽く肩を回し、頭を上げた。
――負けない。絶対に負けない。
そして、彼女の視線は夏翠公主を射抜くかのように鋭くなる。
今日の私は、ただのお客じゃない。
お茶会から数日後――
「久々に蘭皇の屋敷に遊びに来たわね」
夏翠公主が星曜に向かってくすっと笑う。
「私はいつも来てるけどね」
星曜は軽く肩をすくめ、涼しげに返す。
「私は星皇みたいに暇じゃないのよ」
夏翠は皮肉っぽく答えた。
数日前、星曜が蘭明の屋敷に来た際、守華はふと疑問に思った。
――なんで星曜はいつも来られるのに、夏翠はほとんど来ないのか、と。
どうやら、公主として学ぶべきことが多く、日々忙しくしているらしい。
息抜きに連れてきなさいよ、と星曜に頼んで、今回こうして夏翠も屋敷に来られることになったのだった。
廊下ですれ違いざま、守華が一礼し顔を上げる。
夏翠が来ることを予測して、服装は無難な長いスカートを選んでいた。
――短い服を着ていたら、何を言われるかわからない。
「夏翠公主、先日はお招きありがとうございました。また、ぜひ呼んでくださいね」
守華はにこりと笑う。
「へぇー、なになに、守華がお茶会に行ったの?」
夏翠の目が興味深そうに輝く。
「はい」
守華は控えめに答える。
「守華があの中にいるところを見てみたかったな」
「では、次は星曜も一緒に」
守華が軽く返すと、夏翠は首を振る。
「だめよ。お茶会は女だけなの」
きっぱり言い切る夏翠。
「ざんねーん」
星曜は残念そうに肩をすくめる――本当に残念なのか、それとも演技なのかは誰にもわからない。
二人は笑いながら蘭明の部屋へ向かい、守華はその姿を見送りながら静かに廊下を進んでいった。
「小心、準備はできた?」
「はい!もちろんです。台所に全部揃えてあります。」
2人は顔を見合わせ、悪巧みの笑みを浮かべる。息をひそめるように、台所へと駆け出した。
⸻
「蘭明、入ってもいい?」
「守華か?」
「はい、今日は暑いので飲み物を持ってきました」
「入れ」
守華のお盆の上には、三つのコップが並んでいる。順番に蘭明、星曜、夏翠へと置く。
「気がきくね」
星曜は一気に飲み干す。
蘭明もぐいっと飲み、夏翠も同じように口をつける……
しかしコップを置いた瞬間――
「ぶーっ!」
夏翠が口に入れた水を思わず吐き出す。
周囲が一斉に「大丈夫か?」と彼女を見やる中、守華はすかさずコップを入れ替え、夏翠が飲んだものを小心に渡して隠す。
「夏翠公主、どうかされましたか?」
「な、なにこの飲み物…」
星曜が少し味見をして眉をひそめる。
「夏翠、これ普通の水だよ。吐くなんて大げさだな」
えっ?と目を丸くして再度口をつける夏翠。
「あれ、水だ……」
「大丈夫か?」
夏翠が守華を見ると、そこには「ざまーみろ」とでも言いたげな笑み。
やられたと気づいた夏翠は悔しそうに顔をしかめた。
「夏翠公主、顔が真っ赤ですよ?」
小心が囁くと、守華もくすくすと笑いをこらえる。
夏翠は悔しそうに、そして少し恥ずかしそうに、
「な、なんで私だけ……」
「ふふっ、それは秘密よ」
守華は得意げに言って、守華はお盆を手で軽くトントンと叩きながら、にやりと笑った。
「でも、水なのにここまで驚くなんて、夏翠公主も意外と可愛いところあるのね」
守華はからかうように夏翠の肩を軽くつついた。
星曜と夏翠が屋敷を出ると聞き、守華は門のそばで待ち構えていた。
「じゃーねー、また来てね!」
ぱたぱたと手を振る守華。
すると、星曜が去ったあと、夏翠だけが足を止め、守華の前に立った。
「さっきは……よくもやってくれたわね」
悔しさを隠しきれない声。
守華は涼しい顔でニヤリと笑う。
「だって、とても“美味しい”お茶をいただいたから。そのお返しよ」
夏翠の眉がきゅっと寄り、口元が悔しそうに歪む。
「……見てなさい」
「ええ、いつでも受けて立つわ。ただし――やられたら必ずやり返すから、そのつもりでね」
守華は後ろ向きになり、屋敷の中へ歩きながら軽やかに手を振った。
睨みつけていた夏翠の瞳が、ふと揺らぎ……最後には小さく笑みをこぼしていた。
そして、踵を返すと、足取り軽く屋敷を後にした。
それから一週間後。
再び、守華は夏翠公主のお茶会に呼ばれた。
何か仕掛けてくるのは分かっていた。
けれど、ここで行かなければ「負け」になる。
守華は完全戦闘態勢で会場に向かった。
──しかし、お茶会は拍子抜けするほど何事もなく終了。
守華は一言も話さず、ただにこやかに聞き役に徹していた。
帰り際、夏翠が笑顔で近寄ってきた。
「前のことは反省してるのよ。許してね」
(反省してるなら……まあ、許してあげてもいいけど)
そう思った矢先だった。
視線の先、足元に細い縄。
(ふん、こんな小細工――!)
守華は軽やかに飛び越えた。
だが着地した先は、見事に泥水の上。
「きゃっ!」
次の瞬間、つるりと滑って泥まみれに。
「守華さまー!」
小心が慌てて駆け寄るが、守華の顔を見た瞬間、ぷっと吹き出してしまった。
「しょーしーん……!」
にらみつけられ、慌てて口を押さえる小心。
一方、夏翠は口元を抑えて笑っていた。
「守華、大丈夫?顔が泥だらけよ。足元には気をつけないと」
「かーすーいー!!」
怒り心頭の守華。
夏翠が優雅に背を向けて歩き出すのを見て、守華はそっと背後に回り込む。
そして――膝カックン。
「きゃっ!」
夏翠が見事に前のめりに転ぶ。
守華はくるりと身を翻し、逃走開始。
「守華ーーーー!」
振り返った夏翠の絶叫が響き渡る。
守華も振り返り、舌を出してあっかんべー。
「言ったでしょ?やられたらやり返すって!」
笑い声を残しながら、守華は全力で駆けていった。
また、ある時のこと――。
「守華さまー、夏翠公主から仲直りの贈り物が届いております」
「えー、夏翠が?どうせ、また何か仕掛けてくるんでしょ」
「でも、今日は蘭皇や海皇、星皇もご一緒ですから、そんな場で意地悪はできないのでは?」
「……たしかに、それもそうね」
そう言って蘭明の部屋へ向かうと、三兄弟は楽しげに語り合っていた。
とりわけ海尭の姿を見つけた守華の表情は、ぱっと花開くように明るくなる。
「守華、これは私からの贈り物よ」
海尭との会話を遮るように、夏翠がすっと割り込んできた。
口元には妙に含みのある笑み。
「開けてみて」
嫌な予感はした。けれど、この場で断るのも不自然。
皆の視線が集まるなか、守華は恐る恐る箱の蓋を開けた――。
「うわああああああっ!!!」
奇声と共に、守華は椅子からひっくり返った。
箱の中には、毛虫の大群。もちろん精巧な作り物だった。
一瞬、場が静まり返る。
そして――三人の皇子たちは同時に吹き出し、大爆笑。
「はははっ!」
「なんだ、偽物か」
「守華の顔、真っ赤だぞ」
夏翠も楽しそうに肩を震わせて笑っていた。
守華は顔を真っ赤にしながら、きゅっと唇を噛む。
(やられた……!でも、負けてられないわ!)
そのまま何も言わず、部屋を後にした。
心の中では、次なる仕返しをもう企んでいた。
守華は小心に紙を持ってこさせた。
本当は風船が欲しいけど、この時代にはそんなものはない。
(なら、工夫するしかないわね)
紙を折って袋状にし、ふうっと息を吹き込む。
膨らんだ袋を指で叩くと、「ぱんっ」と乾いた音。
よし、これなら。
桜音亭の前に机と座布団を並べる。
夏翠が座る場所は、もう頭の中に出来上がっている。
そっと座布団の下に仕掛けを忍ばせた。
準備万端。
お茶と菓子を用意して、何食わぬ顔で待つ。
「さっきの驚きぶりは面白かったよ」
星曜が守華の前を通りざまにひやかしてくる。
「何を企んでるだ」
蘭明は耳元で囁くが、守華はわざと視線を逸らした。
みんなが順番に腰を下ろし、最後に夏翠がどっかりと座った瞬間——
「ぶぅぅぅ〜」
間の抜けた音が座敷に響いた。
三人の皇子たちは同時に夏翠を見る。
夏翠は顔を真っ赤にしてキョロキョロ。
守華と小心は口を押さえて、肩を震わせる。
「夏翠、みんなの前でおならかー!?」
兄の星曜は容赦ない。
「ち、違うわよ! 本当に私じゃない!」
夏翠の視線が守華を射抜く。
守華は舌を突き出して——あっかんべー。
「守華ーーーっ!」
夏翠は立ち上がり、守華を追いかける。
「やられたらやり返すって言ったでしょー!」
「だからって、あんな下品なこと!」
「いい音でてたじゃない!」
「何がよ! よくも恥かかせたわね!」
「恥かいたのはお互いさまよー!」
二人は庭をぐるぐる走り回る。
「あの二人は……何をしているんだ?」
星曜が首をかしげる。
「仲がいいのか悪いのか」
蘭明も苦笑。
「まぁ、好きにやらせておけばいい」
と最後に桐嶺(仮に三人目)が肩をすくめる。
三人の皇子は、追いかけっこする二人を見ながら笑い合った。




