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2.母との約束

守華は足首に光る一本のアンクレットを見つめていた。

母から贈られた、茶色の革紐で丁寧に編まれた細い輪。そこには銀色の小さな月のチャームが揺れている。触れるたび、母の温もりがまだ残っているようで、胸の奥が切なく締めつけられる。


――母は優しくて、強くて、誰よりもかっこいい女性だった。


その手を握れば、不思議とどんな恐怖も消えてしまった。

嵐の夜も、泣きたいほどつらい日も、母はいつも守華の前を歩き、背中で「大丈夫」と語ってくれた。

そんな母のようになりたいと、幼いころから憧れていた。


病に倒れてからも、余命を告げられても、母は一度として涙を見せなかった。

「弱さは自分の中に閉じ込めなさい。泣きたくなったら、お月様を見上げればいいの」

そう言って笑う母の声は、守華の胸に今も響いている。


だが――最後に月を仰いだのは、母のお葬式の夜だった。

黒い喪服の裾を握りしめ、満ち欠けを繰り返す月を見上げたとき、守華はその言葉の意味を痛いほどに知った。


その日、母は最期の力を振り絞り、守華にアンクレットを手渡した。

「これはね、ママがずっと身につけていたもの。守華にプレゼントよ」

かすかな笑みとともに置かれた言葉は、もう二度と返ってこないとわかるほど弱々しかった。


「守華……黙っていたことがあるの」

母の声は途切れ途切れで、それでも必死に続けようとしていた。

「あなた、中学生になったから、もう受け止められると思う」


「……うん」


「守華の腰にあるアザ……知ってるでしょ?」


守華は小さく頷いた。

生まれたときからずっとそこにある痕。幼いころはただの影のようだったが、成長するにつれて三日月と太陽を重ねたような、不思議な模様へと変化していた。自分では見えない場所にあるため、深く気にしたことはなかった。


「そのアザはね、宿命の印なの」

母の瞳が真っ直ぐに守華を射抜く。

「これから先、いろんなことがあなたを巻き込むかもしれない。けれど、いい? つらいときは月を見上げなさい。そして、自分を信じて、強い気持ちを持ちなさい。……そして、アザのことは誰にも口にしてはダメ」


母の吐息は細く震え、言葉は風に消えそうに弱々しかった。


「……わかった」


「守華にはね、やらなきゃいけないことがあるの」

母はかすれる声で続ける。

「蘭の模様が入った簪をした人を探して。その人のそばに、必ず“光る石”があるから……。ママはもう守ってあげられないかもしれない。だけど、守華なら大丈夫。ママとパパの子供なんだから……きっと見つけられる……」


最後の言葉を残すと、母は静かに目を閉じた。

その頬を一筋の涙が伝う。守華が初めて目にした、母の涙だった。


「ママ……? ねぇ、ママ!」


呼びかけても、もう返事はない。

母の手からは、ぬくもりだけがゆっくりと消えていった。


思ったよりも――私は冷静だった。


母の頬をつたう涙を、そっと指先でぬぐう。

温もりはあるのに、その命が静かに遠のいているのを、肌で感じていた。


突然告げられた「宿命」の言葉。

聞きたいことは山ほどある。

どうして私なのか、何を意味するのか、未来はどうなるのか。


でも、母はきっと、自分の残された力を振り絞りながら、最後まで迷っていたのだろう。

言うべきか、それとも黙って送り出すべきか――。


それなら、私が答えを決めればいい。

母のように、強く、優しい女性になると。


「ママ、安心して。私がやり遂げてみせる。だから、もう……ゆっくり休んでね。」


言葉を絞り出すと、母のまつげがかすかに震え、穏やかな吐息がこぼれた。

隣では父が声をあげて泣いている。

その嗚咽が胸を切り裂くように響いても、私は涙をこぼさなかった。

泣いたら、母を安心させられない気がしたから。


私は立ち上がり、静かに部屋をあとにした。

足音だけが病室に残る。


そして、屋上へ。


夜風が頬を撫で、空に浮かぶ月が凛と輝いている。

私は深く息を吸い込み、ただひとりでその光を見上げた。


「ママ、見ててね。私は必ず……強くなるから。」


月の光が涙を隠すように、やさしく私を包み込んでいた。


母が亡くなってから、少し気持ちが落ち着いた頃――

守華は“蘭の模様が彫られた簪”を持つ人を探し始めた。


母が最期に残した、かすかな手がかり。


けれど、中学生の少女にできることは限られていた。

遠出などできず、近所を歩き回り、夏になれば必ず花火大会へ足を運んだ。

夜空に咲く花火には目もくれず、人波の頭ばかりをじっと見つめながら。


SNSにも投稿した。

「蘭模様の簪を探しています」

返ってくるのは「持ってますよ」というメッセージ。

だが届いた写真はどれも、模様ではなく造花を飾った簪ばかり。


本物の“蘭模様”には、一度も巡り会えなかった。


――それでも、あきらめる気はなかった。


大学生になれば、行動範囲は広がる。

もっと遠くまで探しに行けるはず。

そう自分に言い聞かせながら、守華は母の形見のアンクレットを何度も指でなぞった。

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