12.命懸けの夜
守華は息を切らし、激しい鼓動を抱えたまま桜音亭へ戻っていきた。小心はそこにいなく、誰もいないのを確認して、思わず大きく呼吸をし、ベッドに倒れ込む。
はぁ…落ちつけ
胸がまだバクバクと音を立てている。視界が揺れそうになりながら、やっと冷静さを取り戻した。
そういえば――地下牢で目覚めたときから、みんなの言葉がわかるようになってた。
守華は額に手を当て、考える。
じゃあ、目覚める前で変わったこと……蘭明とのキス……か? それとも、あの水? こっちの食べ物で言葉が通じるようになったって考えたら……うん、なんだか納得できるかも。
思いが胸にすっと落ちて、もう一度深く息を吸い込んで、自分を落ち着かせた。
そのとき、不意に脳裏に蘭明が近づいてきたあの場面が浮かぶ。
“今度は目を覚めている状態で、もう一度口付けを――”
やだやだやだ! あんなやつが頭に浮かぶなんて……無理無理……!
心臓が一段と跳ねて、小さく息を詰めながら守華は目をつぶった。
蘭明が身につけていた、繊細な蘭の模様が施された簪。
これまで見てきたどの簪とも違う、神秘的な輝きを帯びている。
――もしかして、蘭明のそばに光を放つ石が隠されているのかもしれない。
その石を手に入れられれば、私は元の世界に帰れる――!
そう思ったら居ても立っても居られずすぐに蘭明の部屋に向かった。
静かに、誰にも気づかれずに――
息をひそめ、まるで忍びの者のように足音を消して進む。
しかし、忍んでいる間に、蘭明が突然姿を現した。
目が合う。
「いちにさんしー」
とっさにラジオ体操のポーズで誤魔化す守華。
蘭明は白けた目でちらりと見ると、そのまま部屋に戻っていった。
「なんで、こんなにタイミングが悪いの……!」
悔しさで歯を噛む守華。
夜、静まった隙を狙うしかない――。
その夜、八軒は守華の動向を逐一報告していた。
「ずっと、蘭皇の部屋のまわりをうろついています」
「私の部屋に何かあるのか?」
「やはり、蘭皇を狙っているのでは。だから蘭皇の動きを見張っているのだと思います」
「ふむ。では、今日の夜、私が早めに寝たことを小心に伝えろ。必ずあの女は来る。ここに短剣を置き、どう出るか試してみよう」
「でも、本当に刺客だったら……」
「私が刺客にやられると思うか?」
「いえ、失礼しました」
「心配なら八軒も隠れて、いつでも対応できるようにしていろ」
「はっ!」
夜は深く静まり、空は漆黒に染まる。
足元には小さなろうそくが並び、淡く揺れる炎が道しるべのように並んでいる。
現代では味わえない幻想的な光景に、守華は息をのむ。
ろうそくの光が揺れるたび、床に伸びる影もゆらゆらと踊る。
守華は息を潜め、まるで影そのものに溶け込むように、慎重に蘭明の部屋へと近づく。
小心の確認によれば、蘭明はすでに休んでいると。
手が震えるのを押さえながら、守華はそっと扉の前に立つ。
――もし八軒や白鋭がいたら、今度こそ入れない。
恐る恐る視線を投げると――
よっしゃー!とガッツポーズになる。
部屋の前には誰もいなかった。
守華の心は跳ね、緊張と興奮で胸が張り裂けそうになる。
息を潜めながら、慎重に、しかし確かな一歩を踏み出した――
光る石を手に入れるその瞬間まで、あと少し。
そっと、息をひそめて部屋に足を踏み入れる守華。
暗がりの中で、寝息を立てる蘭明を確認し、音を立てないように慎重に歩を進める。
光はほとんどなく、目を凝らしても何も見えない。
――あの光る石は、どこにあるのだろうか?
ピカッ。
一瞬、何かが光ったように見えた。守華は咄嗟にその方向へ駆け寄る。
光っていたのは守華が求める石ではなく短剣だった。鞘をはずして、ベッドには寝そべる蘭明を見つめた。
影に隠れていた八軒が、一歩前に出ようとする。
短剣を見つめ、守華は迷わずベッドに腰を下ろす。
石が埋め込まれていないか、手の感覚で細かく探るが、短剣には何もなかった。
鋭い刃先を見て、思わず体がブルブルと震える。
「こんなんで刺されたら……」
振り向けばスヤスヤ眠る蘭明。
思わず守華はニヤリと笑う。
「顔だけは本当にイケメンね……顔だけは!」
心の中で毒づきつつも、その端正な顔立ちをじっと見つめる。
――私を地下牢に閉じ込めたお返しよ。
守華は短剣を持ち上げ、そっと蘭明の首元に当てる。
「あなたのことは好きよ。でも、私たちは結ばれない運命なの。あなたは私の敵国の皇子。だから、私があなたを殺さなければ――」
影から八軒が前に出ようとしたとき、
守華は笑って
「……なーんてね。ドラマで見たんだよ、こんなシーン。でも、ここまでして起きないなんて蘭明も幸せな皇子ね。殺されても仕方ないわ」
短剣を鞘に戻し、「こんなものを首にあてるなんて、怖い怖い」と独り言。
だが次の瞬間――
「私は起きてるぞ」
ピコーン。
守華は立ち上がり、体が固まる。
「ですよねー。こんなんで起きないわけないよね……」
走って逃げようとした瞬間、手をつかまれ、ベッドに押し倒された。
守華の上には、無表情の蘭明。
「私を……殺したいのか?」
顔を横に振り、必死に否定する。
「違う違う。あれはただのお芝居よ。短剣持ったらやってみたくなっただけ」
「ほほう……日中から私の部屋の前をウロウロしていたのも知っているぞ」
「それは……」
言葉を詰まらせる守華。
蘭明は守華が手にしていた短剣を取り、首元に押し付ける。
「言えぬなら、今ここでそなたを殺してもいいんだぞ」
守華は唾を飲み込み、震える声で叫ぶ。
「光る石を探してたの!」
「光る石だと?」
「蘭明はお金持ちだし、光る石くらい持ってるかと思って。短剣が光って見えたから高そうだな、と思っただけ」
二人はしばし睨み合う。
「疑うの?殺す気ならさっさと刺してるわよ!でも、私は丁寧に鞘に戻して元の場所に置こうとした」
ようやく、蘭明は守華の上からどき、
「八軒」
「ここに!」
守華は隠れていた八軒の姿を確認し、むっとした表情で睨む。
「あれを持ってこい」
「はい」
八軒は小走りでどこかへ消える。
蘭明はろうそくに火を灯し、部屋を明るくする。
「八軒を隠していたのね」
「おまえが来るだろうと予測してな」
守華は舌打ち。
「だから部屋の前に誰もいなかったのか……自分の落ち度だわ」
「光る石はある」
「え、本当に?」
「ただし、ただでは渡さん」
やがて、八軒が持ってきたお茶を前に置かれる。
「八軒もこんな夜遅くまで……寝る暇あるの?」
八軒はチラリと守華を見るが無言。
「わざわざお茶なんて……」
守華が手を伸ばすと、蘭明が制する。
「あの世に行くか、この世に残るかのお茶だ」
守華は手を引っ込め、二人の顔を見る。
「まさか……毒?」
「運次第だな。だがチャンスはやっている。どちらかは生き残れる」
守華は深呼吸して覚悟を決め、片方のお茶を一気に飲み干す。
八軒の顔が一瞬、驚きに変わる。
「こっちが毒だったのね……」
と口にした瞬間、倒れ込む守華――しかし、痛みはない。
「いつまで倒れ込んでる」
「え……?」
片目を開け、蘭明を見ると、八軒が笑っていた。
「どちらもどくだみだ」
守華は慌てて座り直し、もう一方のお茶も飲み干す。
「本当だ、言われてみればどくだみね」
「騙されるほうが悪い」
生き残った守華は、光る石を手に入れる権利を得る。
八軒が運んできた小さな箱には、煌めく宝石がぎっしり詰まっていた。
「わぁ……すごい」
「好きなだけ持っていけ」
守華の目はキラキラと輝く。
しかし、求めていた石ではないとすぐに分かった。
「私が欲しいのは、これじゃない」
少し悲しそうな目をして静かにその宝石を見つめていた。
「でも……せっかくだから、いくつか貰っていく!」
守華は宝石を手に取り、笑みを浮かべながら部屋を後にした。
蘭明は八軒に目をやり、守華の行動を振り返る。
「八軒どう思う?刺客ではないと思ったが」
「はい。短剣を首にあてたときの焦りはありましたが、毒だと聞いても動じず飲んだ。刺客なら逃げるか、違う手を使うでしょう」
「っにしても守華さまは本当、普通の女子ではないですね。見ていて楽しいですね」
蘭明は八軒を睨み、八軒は小さく頭を下げるのみ。
「念のため、まだ見張っておけ」
「はっ!」




